第21話 ニオム

 その日、珍しく治療所に顔を出した領主のラケルドが、


「助手を一人貸して欲しい」


 と言い出した時には、それをおかしいと思う者はいなかった。

 これまでも兵士達が訓練で無茶をし過ぎたとか、調理場で火傷した者が出たとか、いわゆる治療は必要だが大事では無い時にはままあることだったからである。

 領主その人が出向くことは珍しいが、全く無い訳でもない。

 この街では、一人でうろついている領主を見掛けるのは、そう珍しいことではないのだ。

 だがそれも、指名されたのが正式には助手ではないライカでなければの話である。

 呼び出されたライカに、受付にいることの多い助手の中の筆頭の女性スアンが声を潜めて囁いた。


「いい? もし変な場所に連れ込まれそうになったら大声を出しながら逃げるのよ」


 それを聞いたライカは、いったい領主の風評がどうなっているのか、心から不安になったのであった。


「なんだ? 俺の顔をジロジロと見て、俺がいい男だからといっても道に迷ってはいかんぞ」

「領主さま、そんなことをしょっちゅう言ってるから変な噂になってるんじゃないですか?」

「まあ、俺は実際危険な男だからな。平穏な生活をしている方達には魅惑に満ちた男に見えるだろうし」


 処置なしである。

 これでどうやら自分の評判についてはちゃんと承知しているらしいのが更に困った所なのだ。

 ライカはその辺にはツッコまないと決めて、呼び出しの真意を尋ねようと口を開いた。

 彼等は既に城郭内からは抜け出している。

 しかも、その抜け道は前とは違う場所だった。

 ライカは呆れてはいたが、もはやそこに疑問を持つこともなく、突然の同行をもうしつかったその用件を知りたいと思って切り出そうとしたのである。

 決して受付のお姉さんの助言を本気にした訳では無い。

 しかし、


「何ごとだ、いったい」


 領主に真意を問い質したのは、ライカではなくいきなり現れたサッズだった。

 今日も今日とて森での探索兼狩りを行なっていたはずなのだが、なぜか急に戻って来たらしい。


「どこから現れた? お前までザイラックの真似はせんでいいからな」


 ザイラックというのは警備隊風の班の班長で、勤務中姿が見えないのに、事件が起こると現れることで有名な人だ。


「あ? だれがあんな危険な野郎の真似なんかするか! ライカの近くに他の竜の気配があると気になるだろうが」


 サッズはどうもザイラックとは相性が悪いので比べられたことに腹立たしい思いをしたらしい。

 受け答えの口調がなんとなく乱暴になっていた。

 感情的な事柄はともかくとして、その言葉から判断すると、要するに、ラケルドが竜騎士であることが問題であるらしい。


「なるほど、竜の本能的な問題か」


 サッズの言葉を感覚で理解したらしい領主、ラケルドは鷹揚に頷いた。


「そうだ」


 サッズと領主、いや竜騎士たるラケルドの間には竜の感覚の上での理解があったらしいが、ライカにはその辺が今一つピンと来ない。

 そういう感性においては、ライカはどちらかというと人間の部分が強いようだった。


「それにしてもサッズ。そのナリはひどいね。あちこちに枝を飾ってるよ」


 改めて見れば、サッズの髪や衣服には木の枝や葉っぱが絡まっている。

 どうやら木の枝にぶつかっても気にせずに突っ切って来たようだった。

 普通なら傷だらけになりそうだが、折れたのは枝の方で、サッズの本体や彼の力の保護を受けている衣服には傷はない。

 それでも髪や衣服に引っ掛かりはするのだから、サッズの風の保護というものがどうなっているのかが不思議なライカだった。

 そもそも、保護があって気配を遮断した状態で他人が触れることも出来るのだ。

 謎は深まるばかりである。

 サッズ自身もおそらく自分の力の働きをはっきりとは理解していないので、この謎は解明されない可能性が高かった。


「斬新なファッションだな。ご婦人方にウケるかどうかは微妙な線だろうがな」


 ラケルドが真面目にそれを評価してみせると、途端にサッズは顔をしかめる。


「好きでこんな格好な訳ないだろ、森を飛び回っていたせいだ。くそっ、あの化け物のやつ、全然気配がねえし、もうどっかへ行ったんじゃねえの?」

「なるほど、お前もか」


 サッズの言葉に、どこか諦めの混ざる顔で呟いたラケルドは、飛び出た枝の一本を乱暴に抜いて投げ捨てた。


「さわんな! 家族でもない雄が相手だと無意識に吹っ飛ばすかもしれないぞ!」

「なるほど」


 そう言いながらラケルドはサッズの頭からもう一本枝を払う。

 嫌がらせなのかもしれない。


「領主さま? サッズもっていうと?」


 ライカは、ラケルドの「お前もか」というぼやきに首を傾げた。


「人はやるなと言われるとやりたくなるというが、まあ今回の場合は俺の信頼が薄いのが原因だろうな。そこは日頃の行いを反省している」


 あ、と、禁足令のことを思い出したライカはサッズに代わりラケルドに頭を下げる。


「すみません! 俺が止めるべきでした。ここで生活しているんだからここの決まりには従うべきですよね」


 ライカはラケルドの落胆に、相手の信頼を裏切った申し訳なさを感じて謝った。

 人の期待を裏切るのは辛いものである。

 しょんぼりとしたライカに、ラケルドはしかめっ面を向けた。


「そうだな、よし、ならば至らなかった同士で互いに謝ることとするか? どうも至らぬ領主で申し訳ない」


 真面目に神妙な顔で謝るラケルドに、ライカは逆に慌てる。


「え! あ、こっちこそごめんなさい!」

「なにやってんだ、お前ら」


 唐突に頭を下げ合う二人を、サッズは冷ややかにそう評したのだった。


 ラケルドは、改めてライカに連れ出した理由を説明した。


「セヌのお母さんですか?」

「ああ、どうにか彼女に紹介してもらいたくてな。ライカはあの元気の良い娘さんと親しいのだろう?」


 ラケルドの言葉に、ライカはぴたりと足を止める。


「それは、引き受けられません」


 キッパリとそう告げた。

 ライカの拒絶に慌てるでも怒るでもなく、ラケルドはむしろ嬉しそうに笑ってみせる。


「そうだな、前任の領主の行いのことがあるからそういう気持ちになるのは仕方なかろう。俺もさすがにずっと遠慮をしていたのだが、今回のことは人命に関わる。さすがに放置はしておけんのだよ」


 笑みを収めたラケルドの真剣な面持ちに、ライカは今宣言した自分の気持ちが揺らぐのを感じた。

 セヌの母と話したいと言うのなら、掛かっている人命というのはレンガ地区の住人達のことだろう。

 はっきりと表立って語られることは無いが、あそこの住人にとってあの家族が特別な存在であることは長く通ったライカにはわかる。

 そうでなければ小さな子供を預けたりはしないだろうし、あの乱暴者のノウスンですらセヌの言葉に怯んだのだから。

 ライカはここは頑なになるべきではないと感じて前言を撤回した。


「それなら、セヌの家の人に話をするだけしてみます。ただ、話がつくまではあの家に近づかないでもらえますか? あ、でも、あの辺で領主さまがうろうろしてたら何か言われるかもしれませんね」


 ライカですら最初絡まれたのだ。

 領主が見つかったらいったいなにが起こるか予想もつかない。


「安心しろ、気配を消すのは得意だ」


 ラケルドは胸を張ってそう請け負った。


「自慢することなのか? それ」


 サッズが呆れたように呟く。

 そんなツッコミを気にする風もなく、ラケルドはライカに再び頭を下げた。


「嫌な役を振って悪い。しかし、波風を立てずにことを運ぶにはお前を通したほうがよいと思ってな。なにしろお前はここに元々住んでいた難民と後から移住した国民とどちらの側という訳でもなく、その両方と親しくしている。彼らと触れ合ってその誠実さも知られているしな。交渉事にはうってつけの立場なのだよ」


 ライカは、そう言われはしても己の立場については今ひとつ飲み込めない。が、領主であるラケルドが何度も頭を下げるのがただならぬ事態だということは理解出来た。

 本来群れを率いる立場の者は決して他者に弱みを見せてはならないものだ。

 それを敢えて行うぐらい、彼が成そうとしているのは重要なことなのだろう。


「頭を低くしないでください。領主様のお仕事って威張ってないと駄目なんでしょう?」


 その言いようにラケルドは思わず噴き出したが、それをごまかして一つ咳をした。


「まあそうだな、頭というのは上にあるから意味があるのであって、下にあると視界が効かなくなって判断に困ることになるだろうからな」

「領主様? からかっているんですか」


 真剣に対応していたライカの声が思わず低くなる。


「いやいや、真面目な話だ。権力者がその治める土地のなるべく高い場所に住もうとするのもそれが仕事に合っていることを知っているからなのだろうしな」


 もっともらしいことを言っているが、なんとなく胡散臭い。

 こんなことばかり言っているから変な噂を立てられるのだろうなと、ライカは嘆息した。


「それじゃあ行って来ます。サッズも領主様と一緒に待ってて、何かあるといけないから」

「えー」


 サッズはおおいに不満を鳴らしたが、ライカはそれを一顧だにせずに一人でさっさとセヌの家へと行ってしまう。

 残されたサッズは実に嫌そうな顔でラケルドを見たが、それに応じるラケルドのほうは実にいい笑顔であった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 セヌは幸い在宅で、ライカの突然の来訪や、その理由にもさして慌てるでもなく、いつもの調子で相手をしてくれた。


「話はわかったけどさ、あんたも苦労するよね」


 むしろ同情されてしまう。

 ライカは自分より遥かに年下のセヌに慰められることとなった。


「う、うん、まあ、苦労というのは違う気がするけど、こういう話は持ってくるのがあんまり気が進まなくはあるね」


 ライカは少し情けない気持ちになったが、交渉を任された身である。そこはぐっとこらえて話を進めた。


「あたいなんかがさ、領主様の考えとか理解出来やしないけど、母さんに会いたいっていうなら、領主様だから駄目ってことはないんじゃないかと思う」


 セヌはライカを安心させるように笑ってみせたが、すぐにまた難しい顔に戻った。


「母さんはあの人がここに来てから、誰かが理不尽な目に遭ったっていう話をめっきり聞かなくなったって言ってたし、領主様だからってそれだけで嫌ったりはしないと思うよ。最初から話も聞きたくないってことはないだろうさ。でもさ、いくら領主様だって大人の男だよ。その相手に、女一人でいる時に会う訳にはいかないだろ? あたいが付いてたって子供は人数に数えないのが人の噂ってもんだからね。だから、本当なら会わせやしないよ」


 セヌの言葉にライカはハッとする。

 しかし、セヌはまた笑顔を見せて続けた。


「でも、ライカ、あんたは運がいいんだろうね。今日は父さんが家にいるからさ、どうするか聞くだけは聞いて来てあげるよ」


 父親がいなかったらお話にならないようなことだったらしい。

 確かによくよく考えてみればセヌの言い分が正しいのがわかる。

 セヌはライカから聞いた事情を彼女なりに判断して、子供らしからぬ饒舌さでそうやって説明してのけると、さっさと家の奥へと踵を返した。

 いっそ惚れ惚れするぐらいの決断力だ。


「さすがに緊張した、かな」


 ライカはその背中を見送りながら、自分の肩に力が入っていたことに気づいて苦笑する。

 とはいえ、伝言の本番は今からだ。

 セヌに事情を告げたのは入り口の扉を潜った程度のことに過ぎない。

 問題はセヌの母本人がどう判断するかだった。

 ライカが不安と期待に揺れ動いてそわそわとし始めた頃、ゆっくりとした足音が聞こえて来た。

 足音と漂う気配から、ライカはその足音の主が男性、つまりセヌの父であると判断する。

 そういえば、セヌの父に会うのは初めてであったことを思い出し、ライカは再び襲い来た僅かな緊張と共に、顔をそちらへと向けた。


 布の代わりに草を織ったものを間仕切りに下げた奥から顔を出したのは、草食の獣を思わせる大人の男性だった。

 ライカがこれまで出会ってきた大人の男性は、その多くが我の強い性格で、それが顔に現れているタイプだったので、彼の醸し出す気配にライカは新鮮な印象を受ける。

 それに、少女めいたセヌの母に比べて、彼のほうが随分と年上にも見えた。


「初めまして、セヌの父のニオムです。君がライカ君ですね。いつもうちのセヌがお世話になっていまして、その、何かご迷惑をお掛けしていませんか?」

「あ、いえ、俺のほうがお世話になっているぐらいで、色々いつも助けてもらっています」


 思いも掛けぬ丁寧な挨拶に、ライカは思わず同じように丁寧に返す。

 セヌの父ニオムは、その返事に相好を崩すと、更に言い募った。


「ああ、入り口で話をするのもなんですから、どうぞ中へ、妻も待っていますから。妻は少し体が不自由なのであまり立って話をするのが得意ではなくて」

「あ、はい。ありがとうございます」


 ニオムは、妻という言葉を言う度に少し照れたように赤くなる。

 ここまでわかり易い人も珍しいと、ライカは感心した。


「ちょっと、そんなことしてたら肝心の話が進まないじゃない! 領主様が待ってるんだからさ、父さんがどうするか決めてしまってよ。母さんもそう言ってたでしょ!」


 どうやら二人のやりとりを聞いていたらしいセヌが奥から顔を出すと、自らの父を叱り飛ばす。

 強い言いようにライカは心配になったが、ニオムは全くこたえた風もなかった。

 むしろ娘の言葉を幸せそうに聞いている。


「あ、ああ、そうだけど、本当に僕が決めるのかい?」


 そのくせその言葉に、困ったように頭を掻いた。


「なに? なんならもう一回母さんに聞く?」


 セヌがそう言うと、ニオムは慌てたように手を振ってそれを押し留める。


「いや、いや、うん、そうだね、僕が決めるよ。大丈夫。ええっと、ライカ君」

「はい」


 ライカはじっとニオムの顔を見つめる。

 表情は柔和だが、そこに迷いは伺えなかった。


「申し訳ないけど領主様をお呼びしてくれないかな? みんなでお茶をしながらお話をしよう」


 そう言って、ぺこりと頭を下げる。


 あまりにも申し訳なさそうに話すので、ライカは一瞬断られたと思って肩を落としたが、よくよく言葉の内容を考えてみるとどうやら了承されたようだと気づいた。


「え、あ、はい。お呼びして来ますね」


 少しの戸惑いと共に顔を上げたライカは、目線の先でセヌがハラハラと父を見ているのに気づく。

 そして、ライカと目が合うと、何事も無かったかのように顔を逸らした。

 どうやらセヌは言葉にはしないが父親も大好きらしい。


 ライカはそう理解すると、背を向けたセヌに思わず笑顔を向けたのだった。

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