第14話 守備隊との遭遇

 夜の闇は暗く、視覚に頼る人間にとってとてつもない恐怖に満ちた場所だ。

 だが、視覚以外に意識を傾ければ、夜は命の響きに満ちている。

 少し湿った草と土の香り、密やかに、或いは賑やかに鳴く虫の声。

 ガサリと音を立てるのは夜行性の小動物か?


 そんな夜の城郭内を背の高い二人の兵士が歩く。

 夜回りの兵は、近頃の怪しげな事件を受け、必ず二人組で行動するように命じられていた。


「くそっ、期待させやがって、藪イタチか」


 カンテラの開いた部分を音の方向に向けて、注意深く周囲を照らし出した兵の一人が不満げに悪態を吐く。


「いやいや、今度城で生け捕りにした山鳥を飼うという話があるから、今後はああいうのもちゃんと見張っておかないといかんかもしれんぞ」

「バカバカしい、騎士が鳥の守りなど、そういう役割は犬どもにさせておけばよかろう」

「やつらはむしろ襲う側じゃないか。ほれ、メニの奴孕んで帰って来たと思ったらどうも狼の子を産んだらしいからな」

「狼の血は猛りすぎるからな、飼い慣らすのは手間だぞ」

「そこはほら、補佐官殿の奥方がおられるからな」

「ああ、元は浮民の羊飼いの一族とかで代々犬をしつける技を身に付けているとか」


 二人の声には僅かな蔑みの色が混ざる。

 貴族の庇護を受けずに流れ住む浮民など、彼らからすれば最下層の人間だ。

 それが領主の補佐官の奥方として納まっていることに対して嘲笑の意識があるのだ。

 しかし、その程度だとも言える。

 もっと貴族意識の強い者ならば領主に上申してでも彼女を叩き出そうとするだろうからだ。

 歴史ある血筋であると自認する貴族階級の人間の多くは、自分の地位近くに相応しくない者が上がってくるのを酷く嫌う傾向がある。

 だが、この中央から外れた地では、そんな意識を持っている者はむしろ少数派であり、元々気位が高かったとしても、そんな選民的な意識も歳月と共に摩耗してしまいがちだった。

 彼ら二人もまだまだ貴族意識が抜けないまでも、ちょっとしたことに目くじらを立てる程ではなくなっているのである。


 それにしても、この二人にあまり緊張感が無いのは、彼らが巡回しているのが仕事場として慣れた城郭内であり、何度も歩き慣れた夜警の順路であるからだった。

 災いがさして親しく無い仲間の身に降り懸かったという話は聞いてはいても、それで死んだという話は聞かず、むしろ滅多に無い手柄の機会という意識しかない彼等は、兵士らしく周囲の気配を探るには怠りなかったが自身の用心については甘かった。

 二人であったこともこの場合は油断を産んだのかもしれない。


 彼らが、ふいに訪れた突然の静けさに気づいたのは、なんとなく話題が途切れたからだった。

 虫の声が途切れ、風が凪ぎ、不自然な静寂が周囲を支配している。

 二人は同じ認識を互いの視線で確認すると、無駄口を止めて鋭く周囲を窺った。


「お前達は何が惜しい?剣を振る腕か?疾く駆ける足か?それとも……」


 いきなり背後から声が響いた。

 そのあまりの近さに、彼らは一瞬飛び上がる。


「貴様何者だ!」


 慌てて、しかし日頃の訓練通り、一人が剣を構え、一人が警鐘を鳴らした。

 銅の板で作られた警鐘板は、ガンガンと、やや高い音で時ならぬ騒音を撒き散らす。


「答えぬのならば命を獲ろうぞ」


 兵士の発した問いは無視して、相手は自らの言葉を続けた。

 声は更に近い。

 剣を手にしていた兵士は耳元で囁かれた声に上げ掛けた悲鳴を飲み込み、素早く身を躱すと、相手がいるはずの場所を剣で薙いだ。


「おやおや、踊りが下手だと嫌われるよ」


 男とも、女ともつかぬ枯れた声。

 姿など影すら見えないのにも関わらず、まるでペタリと張り付いたかのように声は振り切れずつきまとう。


「う、うわあああ!」


 あまりの異様な事態に、とうとう兵士は厳しい訓練も忘れて取り乱した。


「落ち着け! 同士討ちになるぞ!」


 叩き付けるような厳しい仲間の声に、錯乱し掛けた兵士はデタラメに振り回していた剣を止める。

 警鐘の音を聞き付けたのだろう。遠くに別の組のカンテラの灯が見えた。


「今宵はこれまで。次はたんと相手を務めて差し上げようぞ」


 声と共に気配が退く。

 しかし、


「おのれ、逃すか!」


 気合い一閃。

 兵士はそれまでの乱れた気持ちを怒りに振り替え、身体全体の力を乗せ、唸りを上げた剣を振るう。

 それは、彼らとは本来交流のない警備隊の一人である、ザイラックの技を真似た、兵士本人にとっては会心の一撃だった。


 だが、

 立木を叩いた固い手応えと、ザアッと落ち葉が舞い散るような音が響いただけで、肉を断つ手応えは無い。

 ただ弄ばれた悔しさだけが彼には残ったのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「またんだってよ」


 治療所の助手の一人、ニクスがライカに告げる。


「え? 出たって?」


 ピンと来なかったように聞き返すライカに、ニクスは肩を竦めて言い聞かせるように話す。


「お前話題に乗り遅れてるな。あれだよあれ、おばけ」

「おばけ……ですか」

「ノリが悪い」


 なぜかダメ出しをされてライカは困惑したように眉を寄せた。


「いいか、会話ってのはだな、ただ聞き流してたらダメなんだよ。人と人が同じ感覚を共有するためにお互いに歩み寄る。それが会話ってやつなんだ」

「なるほど」


 熱い主張にライカは納得したように頷く。


「じゃあ、もう一回な。実はな、昨夜出たんだってよ」

「本当ですか!」


 ライカは熱心に応えた。


「ちょっと力みすぎだが、まあいいだろう」


 ようやく会話の合格点をもらえたようで、ライカはちょっと嬉しそうに微笑んだ。


「何やってるんだ? お前ら」


 サッズは薬草をゴリゴリ挽きながらツッコミを入れる。

 疲れ知らずであるサッズは、段々と力が必要な面倒な仕事を任されるようになっていた。

 とは言え、この薬草おろしという道具を使う仕事はどうやら本人が気に入ったらしく、サッズは自ら進んで行うようになったので、自然と担当となっていたという経緯がある。

 実務主義のこの仕事場では、少々外見に反して力が強すぎる程度のことは便利だなという程度で片付けられてしまい、問題にすらならない。

 驚く程あっさりと、サッズの特殊性はこの職場では受け入れられていた。


「お互いを理解するにはお互いの歩み寄りが必要だって話」

「バカバカしい、会話ってのは要するに情報の交換だろ? そこでお互いの理解を優先して何かいいことがあるのかよ」


 ライカの説明をサッズは鼻で笑い飛ばす。


「ったく協調性の無いやつだな。良いか? 人間ってのはだな、一人じゃ大した事は出来ない訳だよ。んで、互いに積極的に関わり合ってだな、それぞれがぞれぞれの出来る事をやる事で、でっかい事がやれるようになる訳だよ。そのための相互理解ってお話だ。ったくよ、それがわかってないと、デカイことは出来ないぞ」


 治療所の人間には理屈屋が多いが、ニクスもそのご多分に漏れずこういった小理屈を主張するのが好きだ。

 しかし、相手がサッズではそんな言葉遊びに付き合ってくれようはずもない。


「デカイことってなんだよ。あんたの話はいつもそうやって話が大きくなりすぎるし、無駄に他人に関わってうるさがられているだけじゃないか」


 きっぱりと言い切られて、ニクスは「うっ」と言葉に詰まった。

 ニクスとて、時々仲間にすら疎ましがられているのには気づいているのである。

 そこへすかさずライカがフォローを入れた。


「またそんな言い方をして。ニクスさん、あんまり気にしないでください。こうやって絡む相手は結構気に入ってるんですよ、サックは」

「ほほう、なんだと、俺に惚れていたのか。こんな美少年に惚れられるとは俺も罪な男だぜ」


 しかし、その尻馬に乗ってそんな調子のいいことを言い放ったニクスを、サッズは冷ややかな目で見つめた。


「おい、こいつあの臭い畑に突っ込んでこいよ。これだけ元気が良ければ葉っぱを育てるのに良い肥料になっていいんじゃないか?」

「お前ね」


 雰囲気が悪くなりそうな二人の会話に慌てて、ライカは話の方向を修正する。


「あ、あの、ニクスさん。ところでおばけの話はどうなったんですか?」

「あ? ああそうか、まあ話のわからん愚か者はおいといてだな」

「ああん?」


 サッズは文句を言うように声を上げたが、ライカの困ったような顔を見て追求を止め、手元に再び集中し始めた。


「そのおばけなんだが、どうやら実体が無いらしいんだよな」

「実体ですか」

「ああ、昨夜の連中が声だけを聞いたって言っててさ」

「そういえば、誰かが遭遇したにしては今日はこっちにその手の患者がいらしてませんね」

「おお、そうそう、よくぞ聞いてくれた! 実はだな、今回は普段役立たずの守備隊の奴等が頑張って、怪我なく済んだらしいぞ」

「へえ、そういえば警備隊の人たちはよく街で捕物をしていますけど、守備隊の人達は実際に戦っている所を見たこととか無いですね。城門の所でいつもお世話にはなってますけど」

「そうなんだよ。どうせ貴族の連中だ。守備隊なんかは単に王が名目上それぞれの領に配備するために任命しただけのお飾りだと思ってたんだが、あの木を見るとさすがにすげえなと思うぞ」

「木?」

「ああ、どうやらおばけを切ろうとして、勢い余って切り倒しちまったらしいんだよな。まあ木といってもこんぐらいの胴回りのやつなんだが、あの糞重い金属の剣振り回して切るんだからやっぱ馬鹿にしたもんじゃないな」


 ニクスが両手で作った輪は、両方の指が互いに触れた状態ではあったが、そういう木を一撃で刈るのは案外難しいものだ。

 確かに彼の言う通り、守備隊の兵もやはりそれなりに実力があるのだろう。


「へえ」


 それにしても、と、ライカは考えた。

 剣で追い払えるのならば、それは果たして実体が無いと言えるのだろうか? と。

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