第12話 見えざる領域

 ここの所城内は不安気にざわめいていた。

 不審な影を見掛けた者や、夜警に就いていて突然倒れた者が多く、囁かれる噂は憶測を呼び大きな波紋となって広がる。

 そんな正体の分からないモノに対する不安は確実に人心を憔悴させるものだ。

 誰もがはっきりとしない危険に振り回され浮足立つのはむしろ当然と言えた。


 だが、そんな場合でも、兵士はそのような疲れを表に出してはならない。

 なぜなら彼らは我が身を守る術のない民の心のよすがであり、人の生活域における攻撃と防御のかなめでもあるからだ。

 彼らが砕ける時。

 それは即ち彼らの守る者達の心が砕ける時でもあるのだ。


 その朝も、内心では不安を覚えながらも城の守りの任を請け負った守備隊の者達は城門の監視を務めていた。

 この城は城郭内に入るだけなら、領民でありさえすれば一般人でも特に許可がなくても構わない。

 ただ、運び入れる荷については確認の必要があるし、見掛けない人間については照合が行われる。

 そんなそれなりの緊張感の漂う城門に、朝っぱらからひょこりと現れた人物は、見た目だけならば問題は何もなかった。

 城内の者も多くが見知っている人物であるし、何か怪しげな荷を持っている訳でもない。

 それゆえ、その相手に対して兵士のほうからは特に誰何すいかが必要ということもなかった。

 そのため、門前の兵達はその姿をちらりと見ただけで、それ以上とやかく言うこともなく通そうとしていたのではある。

 だが、とやかく言って来たのは相手のほうからであった。


「兵隊さん達、領主様をお呼びいただけないかのう?」


 それは、腰が曲がっている訳でもなく、灰混じりのまだらな髪も豊かで、顎髭も、立派というまでもないが、全体的にはまだまだ壮年の雰囲気すらただよう老人、大工のロウスであった。

 言われたほうの兵士は戸惑った。

 ここが普通の領地の普通の貴族である領主の城ならば、いち領民風情が領主を呼び付けるなど言語道断であり、軽く打ち据えて放逐するべき事態だろう。

 だが、ここの領主は英雄であり元傭兵であるラケルドであり、重ねてこの老人は城やその周辺施設の改築、改装や、家具、備品の仕立てなど、請け負い仕事が任されることもあった。

 通達は来ていないが、もし、連絡が漏れていただけで仕事の話であるのならばここで無碍むげに扱うのもいかがなものか?と、兵士に迷いが生じたのである。


 本来、彼ら守備隊は王家から派遣された国の兵であり、その大半が貴族の血統であることも相まって、気位が高く、領民などとまともに口を利かないのが当然という考え方をするものなのだが、この地に派遣されて任が長い者程その認識に変化が現れていた。


 まず第一に、合同での訓練も行うことがあるこの領地の警備隊なる兵士達は、彼らと逆で大半が平民、領地内の領民の出だ。

 一応彼らと守備隊との任は分けられていて、命令系統が統一されるということもないのだから割り切ってしまえばそれでいい話には違いないが、やはり仕事が似ているとそれなりに交流が生まれるものである。

 時に組織を越えてお互いの家族と縁を結ぶ者もいて、彼らは貴族の矜持を保ち続けることにかなりの努力を必要とするようになった。

 第二に、この地のトップ、つまり最高権力者であるはずの領主が身分的な問題を完全に認識していないということがある。

 元々平民出の英雄であるのだから当たり前の話ではあるが、立場上、たとえ古い家系の貴族であろうとも、この地に派遣されている以上はこの領主に頭を垂れなければならない訳で、下手な矜持を持ち続ける者はこの任地に留まることが精神的に困難となり、解任を申し出るという流れが出来ていたのだ。


 そんな訳で、すっかりここのやり方に馴染んでいたこの兵は、通り一遍な他領や王都などの兵のような対応は出来ずに、しばし困惑する羽目になったのだった。

 そして困惑した挙句、結局は領主に伝言を回すことに決めた。


「領主様に確認を取っております。しばしお待ちを」


 城の門前には、このような確認待ちの者のための簡易な小屋があり、その小屋は四方の壁の内、一方が大きく開いている。

 門前百五十歩までは店を建てることが禁じられているのだが、城門前の門前地区に店を構える食べ物屋などは、その待ち時間の者からわずかでも利益を得ようと、この小屋の中に、肩から下げた木箱の中に茶や軽食を詰め込んで持ち込み、見習い商人達がそれを任され、ちょっとした茶店のような有様にしてしまっていた。

 以前、ライカ達が旅の途中で街門前で遭遇した歩き売りと基本は同じである。


 そんな者の一人がロウスに声を掛けた。


「ロウスじいさん、城に仕事かい?景気がいいね!あやかりたいもんだ」


 そう言いながら、歪な卵型の素焼き壺の中に茶葉とお湯を入れて、その外側を布で幾重にも巻き、パイプ草の長い茎の口を取り付けた茶売り用の容器からカップに茶を注いで渡す。


「ったく、酒は無いのか?酒は?」


 ロウスは文句を言いながらも茶を受け取り、二銅貨カランを支払った。

 この内一銅貨カランはカップ代なので二杯目からは一銅貨カランになる。


「酒は無いが、焼き干しはあるぞ」


 焼き干しというのは、鳥肉を塩に漬け込んで軽く炙り焼をして水分を飛ばした物だ。

 普通の旅用の干し肉などより持ちは悪いが、味わいがあり、酒のつまみに好まれている。


「馬鹿言え、酒もねえのにそんなかれえもんが食えるか」


 しかし、ロウスはにべもなく断った。


「違いない」


 商人は商人で、悪びれずそんな風に答えてその場を離れる。

 ロウスはゆっくりと茶を啜りながら、のんびりと、約束もなく訪ねた相手がやって来るのを待っていたのだった。


 ―― ◇ ◇ ◇ ――


「まあ!見掛けによらず力があるのね!」


 満足そうにそう言われて、サッズは怒っていいのか、得意げにするべきか迷ったように眉を寄せた。

 サッズが担いでいるのは、煙草けむりぐさという、本来は狼煙等に使われる枯れ草の束だが、この治療所では特殊な治療に用いるとかで、大量にストックされている。

 それは、見た目、大きな樽のような感じなのだが、その全部がその草で出来ていて、ぎっちりと固めているので樽のように見えるのだ。

 だが、さすがにそこまで固めると草と言えどもとんでもない重量になってしまう。

 女性や筋肉の薄い細い体格の男性が多いこの職場では、これを倉庫に積み上げるのは並大抵の仕事ではなく、ちょくちょく腰を痛める者が出る。

 それをサッズは軽く抱え上げて、ヒョイという具合に積み上げてしまったのだから、この大げさな程の賛辞は真実味の篭ったものとなった。


 ライカのいわば護衛のような感じで治療所に来たサッズだったが、常に片付けられるのを待っている仕事に溢れているこの職場には遠慮という感情を持つ者は存在していなかったため、いいようにこき使われる羽目になったのだ。

 ライカがあの笑顔で、「案外力持ちですから、こき使ってやってください」などと言ったという事実も大きい。


「まったくなんで俺がこんなこと」


 思わずぼやいたサッズだったが、


「そう言えばサックくんって肉桂茶が好きなんでしょう?ライカちゃんに聞いたわよ。ここはお城から融通していただいた肉桂があるから、後で淹れてあげるわね。ふふ、ほんと、助かるわ」


 そう聞いた途端、ぼやくのを止めて、逆に仕事を催促し始めた。

 とことん自分に正直なサッズである。

 だが、とりあえず本人としては当面幸せそうなので問題は無いだろう。


 一方でライカのほうは、短い距離ながら何度も往復して大量のお湯を運ぶ仕事をしていた。

 すでに汗だくである。

 夜警で気を失って運び込まれた男に、湯で絞った布を当て、その上からユーゼイックが両手の五指を使って体脈の流れを調整しているのだ。

 湯は冷してはいけないので、短い間に何度も換えなければならず、このような忙しさに繋がっていた。


「よし、弱まっていた脈動もなんとか回復したな。スアン、山ハッカのオイルを用意してくれ」

「はい!」


 指示を受けたスアンが急ぎ足で廊下へと出る。

 ライカは次のお湯を持って来ようと、冷めた湯桶を両手で持ち上げた。


「あ、ライカ、お湯はもういいですよ。ご苦労様でした。奥でゆっくり休憩してください」

「わかりました。これは下げてしまっていいですね?」

「頼みます。使ったお湯は寝台で治療を受けている患者さん達の体を拭くのに使いますので、それ用に集めておいてくださいね」

「はい!」


 答えて、ライカはしばし考えてユーゼイックに声を掛ける。


「あの、先生」

「なんですか?」

「その人はどうして倒れたのでしょうか?」


 ライカの質問に、ユーゼイックはしばし考えるように目を閉じると、息を吐き出した。


「そうですね。まず、この人は担ぎ込まれた時、ごっそりと生気を失っていました。今朝もまだ体が氷のように冷たかったのは覚えていますね?」

「はい」

「生気というのは、つまりは体を動かすための力です。動かすといっても実際に運動するだけの話ではありません。血、体液、筋肉、これらは人の体の機能の根源に関わる物で、常によい状態に保つ必要があります。それら全ての働きに人は生きるための力、生気を使います。それで体という器を生きている状態に保っている訳です」

「はい」


 話が難しくなってきたが、今までここの手伝いをしつつ学んでいたライカは、おおよその話を理解出来た。


「生気が失われるということはそれ程大変な事態である訳です。それでは生気は何を原因として失われるのでしょう?」

「ええっと……」


 ライカは困惑したように返答に詰まった。

 実の所、考えすぎてわからなくなっているだけの話ではあるのだが、今のライカには咄嗟には浮かばない。


 ユーゼイックは、そんなライカを追い詰めるようなことはせずに、手元に目線を向けると、男の体の筋にそって丁寧に力を込めて生気を流してやりながら続ける。


「普通、生気が失われるのは体の損傷のせいです。毒や障りの気なども、おおまかに言えば体の損傷を呼び起こす物となります。大怪我や大病が恐ろしいのは、それによって大量に生気が失われるからなのです。生気が有り余っていれば、人は自分の体を自分で癒すことが出来る訳です。そう考えれば私達が行う治療の意味もわかって来ますね。しかし、今回は原因についてですから、その辺は割愛しましょう」


 少し息をついて、ユーゼイックはその先を語る。


「さて、しかし、体の損傷ではこの方の状態は説明出来ません。なぜなら、どう調べても、この方には全く体の損傷は無かったのですから」

「はい」


 そう、ライカが疑問を持ったのはそのせいだった。


「つまりそれは、人間を人間たらしめる、肉体ではないもう一つの部分の損傷。すなわち魂の損傷が起こったということなのです」

「魂の損傷ですか?」

「そう、魂。私達療法師はそれを見えざる領域と呼んでいますが、生命を生命たらしめている目に見えない部分です。これを損傷させるにはいくつかの方法がありますが、その一つが恐怖です」

「恐怖」


 ライカは噛み締めるように繰り返した。


「ええ、これは全くの私の私見にすぎませんが、この男性をこのような状態に追いやったのは、見えざる領域に手を伸ばし得る者。魂に損傷を与える恐怖をもたらすことの出来る存在だと思われるのです」

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