第5話 親友と憧憬

 女性にしては表情をあまり変えないセッツアーナではあったが、王都にいる親友であるというリエスンに言葉が及ぶ時には目を眇めて優しげな顔をした。

 だからこそ、たったそれだけの変化が、そこに敬愛や親愛の存在を知らしめる。


「あの方が大好きなんですね」


 ライカはその様子に、彼女達の関係に対する僅かばかりの憧れを感じて確認した。


「好きという言葉では到底表せないでしょうね。この国では女性には何の権利もありません。だから私は沢山のことを諦めて生きていたのです。ですけれど、それは違うということをあの方が示してくださった。あまつさえ、私を信頼し、重く扱ってくださいました。だからあの方こそは本当の意味で生きることを教えてくださった恩人なのです」

「女性に権利が無い?」


 ライカは疑問を感じて視線をミリアムに移し、更には知り合った様々な女性を思い浮かべる。

 その多くが自分の権利を主張して憚らないような人物であったので、ライカにはその言葉は今ひとつ実感が湧かなかった。


「ああ、そうですね。市井の中で生きる分にはあまり感じないことかもしれません。ですが、知っていますか?女には戸籍が無いのです。籍の上で女は子供同様男に付属する者として扱われます。なので当然女性は自分で商売をしたり農地を持ったり家を持ったりすることは出来ません。それが貴族となればもっと顕著なのです。女は絶対に家長にはなれませんし役職にも就けません、私の女官頭という呼び名は役職ではなく、単にそういう役割であるという区別のための呼び名なのです。女の使用人は皆一律に同じ立場の雇われ人に過ぎませんし、その給金はその女性の保護者である男性に支払われるのです」


 戸籍という考え方はライカには今ひとつピンと来なかった。

 しかし、給金が本人に支払われないという話はライカに激しい疑問を抱かせる。


「それじゃあ女の人はお金が欲しい時はどうするんですか?」

「もちろん自分の保護者である男性に、用途を説明した上で渡していただくのです。実のところ、この際の、男性に喜んでお金を出させる手管こそが女性の価値を決めると言っても過言ではありません。多くの女性は男性におもねる技術を向上させることに力を注ぎます。そして、男性のほうも、そういうおねだり上手な女性を好む傾向があります」


 セッツアーナの説明にしばし考え込んだライカは、やがて納得して頷いた。


「要するにお小遣いをねだるってことですね。子供がお母さんにねだるのと同じことを女性は大人になってもやらざるを得ないって意味ですか」

「そうです」


「あら、それはおかしいわ」


 話を聞くともなしに聞いていたミリアムが、いきなり会話に割り込んだ。


「うちでは財布の紐を握っているのは母さんよ」


 割り込まれたセッツアーナは、しかし、嫌な顔を見せることは無かった。


「そうですね。市井の民は男性が働いている分、家庭での生活の多くの部分を女性に頼っているので自然と女性の権利が強くなる傾向があるようです。ですが、貴族には人を雇って雑事をやらせる余裕があるので、女性は役割を妻か母か娘かに限定させざるを得ないという事情があります。つまり貴族社会において、女性はお荷物に過ぎない訳です」

「ああなるほど、働かないからお飾りにされちゃう訳ですね。それは仕方ないわね」


 ミリアムは辛辣なぐらいにきっぱりと納得する。

 平民の世界において男であろうと女であろうと、そして子供であろうと、働かない者に居場所が無いのは当たり前の話だ。


「むしろ働こうとすると疎ましがられるのです。この場合悲惨なのは自分になんらかの才能があることを信じた女性です。自分の高い能力を表明しようとすれば女らしくないと徹底的になじられ、爪弾きにされてしまいます。私も、そんな我の強い貴族の娘でした。何度も何度も挫折して、それでも諦めきれずに自身の才能を磨く努力をしてしまっていた。努力は必ず報われる。そんな風に信じていたのです」


 淡々と説明するセッツアーナに、ライカは顔をしかめて見せる。

 ふと、王都で出会った一人の女性を思い出したのだ。

 英雄を恨んでいると言ったあの女性もそんな風に苦しんだのだろうかとライカは思い、少し寂しくなった。


「頑張るのは良いことだと俺は思います。それは自分に力を付けるってことですし、どんな形であれ力を持つのは大事なのではないでしょうか」

「まあそうだな。力は大事だ。力の無い者は多くを得られない。それは当たり前の話だからな」


 根本にある価値観は共通しているライカとサッズは、力を得るための努力を高く評価していた。


「ありがとうございます。ですが、その努力は、向ける方向を間違えた努力だったのです。私が努力すればするほど、貴族の社会では異端であると忌み嫌われるばかりでした。ふと気づくと、私は全ての後ろ盾を失い、どこにも行けない袋小路にいました」


 自らの失敗を語るセッツアーナの暗い目に、次の瞬間光が灯る。


「そんな時でした、リエスン様に出会ったのは。あの方は私とは全く違う方法で戦っていました。女であることを不運であるとはあの方は考えなかったのです。むしろそれを力の一つとして自らの成すべきことを成して行かれました。私は、あの方の成し遂げた偉業に、まるで世界が変わる瞬間を目にしたように驚いたものです。そして、もっと驚いたことに、彼女は私の存在に気づいて、共に行こうと手を差し伸べてくださった。ですから、私にとって、あの方は仰ぎ見ることこそあれ、並び立つなどとおこがましいと思うような存在なのです」


 長い話に一息を吐いて、セッツアーナはやや冷めたお茶を上品に口にした。


 強い想い、それが身の内から皮膚を彩るように彼女の頬は薄く紅潮している。


「それって、でもやっぱりセッツアーナさんが努力した結果ですよね。王都で会った時に奥方様も言っていましたけど、奥方様はセッツアーナさんを尊敬出来る人だと思ったからこそ友達になってほしいと考えたんだと思うんです」


 セッツアーナは驚いたようにライカを見たが、やがてふわりと微笑んだ。


「そうですね、私はいつの間にか卑屈に考える癖がついていたのかもしれません。あの方に選ばれたのだと誇りを持って言えることこそが大事なのでしょう。ライカさん、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げられて、ライカはむしろどぎまぎしてしまう。

 隣でサッズがそれを見て肘で突付いた。


「なに?」

「良かったじゃないか、お礼を言ってもらえて」


 そのニヤニヤとした顔をライカは両手で押しつぶす。


「はにほすう!」


 サッズも負けじとライカの頬を摘み上げた。


「ちょっと二人共!お客様の前でみっともないでしょ!」


 見かねたミリアムがパコパコと軽く二人の頭をはたいてその小規模な争いを終わらせた。


 セッツアーナはクスクスと声を漏らして笑っている。


「ミリアム、ちょっと料理が出来たから運んでくれ」


 厨房から声が掛かり、このなんとも言えない間を埋めるように料理が運ばれた。

 食堂の主人であるミリアムの父が、貴族相手に出して恥ずかしくない物として頭を捻ったあげくにやっと出来た料理である。


「先程から良い匂いがしていて気になっていたのですよ」


 セッツアーナの言葉に、様子を伺っていた主人は恐縮したように頭を下げた。


「いやあ、お口に合うかどうか。しかし、不味くは無いと思いますよ」


 あまり喋らない主人だが、その言葉には消極的な自信がある。

 出された物はスープで、金色のスープに茶色い具がゴロゴロと入っていて、上には透き通った玉ねぎと白い松の実が浮いていた。


「この具はなんでしょうか?」

「あ、はい。それは山鳥の身をすり潰した物と山芋とどんぐりの粉を捏ねて団子にした物です」

「身をすりつぶすのですか?面白いですね」

「貴族の方々も腸詰を作る時に肉をお挽きになるでしょう?あれをヒントにして、肉自体は少なめでも十分に楽しめるように工夫してみたんです」

「ああ、この街は食糧事情が厳しいですものね。そうですか、こうやって工夫をしていらっしゃるのですね。ええ、とても美味しいです」

「へい、ありがとうございます」


 称賛を受け止める声はそっけないが、ホッとしたその主人の顔には嬉しそうな表情が浮かんだ。


「うん、いつもより味も香りもある。美味しいね」

「俺は肉が少なくて物足りないけどな、でもこの松の実はいいな」


 思いがけぬ力作のご相伴にあずかれることになったライカとサッズではあるが、遠慮などせずに、ちゃっかり話をしているセッツアーナより先に料理を味わってしまっている。


「お前たちは誰が相手でも遠慮するという気持ちは無いんだな」


 呆れたような、いっそ感心したような声でこの食堂の主人であり、ミリアムの父であるボイズは嘆息したのであった。

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