第4話 女官頭セッツアーナ

 バクサーの一枝亭にその人が訪ねて来たのは、夕刻用の仕込みが終わってテーブルや椅子を並べ直した頃合いだった。

 まだ忙しくなる前だが、もう少ししたら店をまた開けるのでみんなでお茶でもと思った時に表から呼ばわる声が聞こえたのだ。


「こんにちは、こちらにライカさんがいらっしゃるとお伺いしたのですが」


 まるで透き通った鉱石を思わせる声音は一瞬性別の判断に迷う。

 自分の客と判断したライカが表戸を開けると、そこに立っていたのは意外な人物、お城の女官頭であるセッツアーナだった。

 背筋を伸ばした立ち姿は、普段見る当たり前の女性達のたおやかさとは違い、どこか武人のおもむきすらある。

 膨らみのほとんどないドレスは、実用一点張りの簡素なデザインで、濃紺の一衣の上に生成りのエプロンがあり、一般的なお城の下働きの女性の物だ。

 この地を統べる領主であるラケルドの采配する城の使用人は、基本的に男女それぞれのお仕着せは共通で、上に装着するエプロンや上衣等によって役割を見分けられるようになっていた。

 だが、城を行き交う他の女官が着たそれと目前の女性の纏う衣服とはまるで印象が違うのは、やはり纏う人そのものの問題なのだろう。


「こんにちは、いらっしゃいませ。あの、俺に何か御用でしょうか?」


 ライカは、少しうろたえ気味に対応した。

 ライカにとっては仄かな憧れを抱く相手である。

 いきなりでは心の準備が整わないのは当然とも言えた。

 セッツアーナは、普段の厳しい顔つきを少し緩めて、微笑みに近い表情を作る。


「いえ、城主様からライカさんが私にご用があるとお伺いしましたのでこちらから出向かせていただきました。せっかく訪ねていらしたのに留守で申し訳ありませんでした」

「あ、そうだったんですか、御用が終わったのですね。でもまだお疲れなのではないですか?個人的な用向きですし、俺からお伺いすべきことだったので恐縮です」


 ライカは慌ててぺこりと頭を下げ、顔を戻した時に自分を真っ直ぐに見る青い目に出会って、赤くなった。


「ライカ、お城のお方に立ち話とか申し訳ないから入っていただいて」


 ミルアムが柔らかい声でそのライカの戸惑いを救う。

 はっとなったライカは焦りを濃くして入り口から身を引き、セッツアーナを招き入れたのだった。


「手紙を領主様に預かっていただいていたのですけど、それを受け取られたのですね」


 お城の女官頭であるセッツアーナは、元々は王城で働いていたれっきとした貴族階級の女性だ。

 ミリアムの両親であり、このバクサーの一枝亭の主でもある元傭兵と難民であった夫婦は、畏れ多さのあまり厨房に逃げ込み、最高の茶葉を引っ張り出して娘に託すと、茶菓子としてなんとか口に合わせた食べ物を用意しようと四苦八苦している。

 一方でミリアムは肝が座っているというか、怖いもの知らずというか、普段の通りにこやかにそれぞれに茶を供すると自分は席を持して給仕に回った。

 セッツアーナはそんなミリアムに礼を込めた笑みを向け、ライカの言葉に答える。


「ええ、城主様はそのお手紙を私に手渡されて、あなたを訪ねて話をして来るよう命じられました」

「それは、お疲れの所、本当に申し訳ありませんでした」


 ライカは真っ赤になって再び頭を下げた。

 斜めに首を傾ける一般的な礼と違い、低頭の姿勢は降伏を意味する。

 要するに首を差し出すという意味合いがあるのだ。

 ライカは少しだけ領主であるラケルドを恨みに思う。


「いえ、それは誤解です。実際これは城主様の御心使いなのです。普通は宿下がり自体がお休みですから帰城後はすぐに仕事に復帰するのが当たり前なのですが、今回は城主様の御用も兼ねてのことだったので、御命であるとの名目で一日の休養をくださったのですわ。ですから本日の私はお休みということになるのです。ライカさんにはお礼を言うことはあっても謝られる謂れはありません」

「なるほど、そうだったのですか」


 領主らしい気配りに、ライカは少し気持ちを軽くして、誤解したことを申し訳なく思った。

 ラケルドは、こんな風なさり気ない采配が得意で、奔放に見えながら案外と部下達に愛されている。

 その一方でいつの間にか行方をくらませる悪癖があり、そちらはぼやきの元となっていた。


「実は、宿下がりで王都へと戻ったので、あの方にはあちらでお会いしてまいりました。貴方のお話もあちらで伺って来たのですよ」

「あ、それではますます俺の話は必要なかったのでは?」

「私が話すあの方と、ライカさんが見聞きするあの方とではまた違う姿があると思います。よろしかったらおしゃべりにお付き合いいただけると嬉しいです。あの方と違って、こんな潤いも華やぎもないおばさんの相手で申し訳ありませんが」


 少し悪戯っぽい物言いで、今度ははっきりと微笑みを浮かべてセッツアーナは言い、供されたお茶を口にする。

 実際、彼女は美人と評するにはいささか荒削りの顔立ちで、体つきも骨太でがっちりとしていて、女性を褒める形容詞を充てがうのは難しい人物ではあった。


「まあ、とても美味しいお茶ですね。蒸らしも丁寧で素晴らしいです」


 ミリアムと厨房に向かいそう言った彼女に、ミリアムは嬉しそうに「ありがとうございます!」と首を傾ける。

 奥にいる店主夫婦も嬉しそうだ。

 と、そこに突然裏口の扉が開き、外の陽光を纏うように青銀の光が飛び込んだ。


「今日は太った山鳥が捕れたぞ、飯はまだなんだろ?茶でもくれよ」


 ほとんど身内の感覚で振る舞うサッズだったが、瞬時に客を見て取ると、ニィと笑みを浮かべる。


「おっ、ライカ、いい女だな、口説いてる最中か?」


 さすがのミリアムもこれには呆気にとられて、言葉もなく見てくれだけなら絶品の少年の顔を凝視した。


「少年、こちらへいらっしゃい」


 その様子を見て取ったセッツアーナは、流れるような挙動で席を立ち、冷然とした瞳をサッズに向けると、口元に薄く笑みを佩き、断固とした口調でそう命ずる。


「おう?」


 サッズはその命令口調に何かを感じた風でもなく、素直にそれに従って二人のテーブルへと寄った。


「そこに立って、背筋は真っ直ぐ、足は軽く開いて、顎を引いて手は体に添って真っ直ぐ下ろして、指先までぴんと伸ばして。そうです、そのまましばらく立っていなさい」


 テーブルの横に硬直したような姿勢で立たされたサッズは、不思議そうな顔をしたまま目前の女性の命に従う。


「ライカさん、こちらは?」


 ぎょっとしたようにサッズに指示を出すセッツアーナを見ていたライカだが、振り向いた彼女に問われて、思わず自分自身も姿勢を正した。


「あ、はい。一緒に育った、兄みたいな相手で、サ、サックと言います」


 一瞬、本当の名を言い掛けたライカだったが、ラケルドから受けていた注意を思い出し、通り名を答える。


「そうですか、ということはライカさんのご家族と思ってよろしいのですね?」

「はい、王都にも一緒に行きましたし、奥方様にも一緒にお会いしました」

「確かにお話に出てまいりました。目立つ方ですから間違いようがありませんものね」


 セッツアーナはじっとサッズを見つめると、静かに話しだした。


「サックさん、良いですか?貴方は今、二つの過ちを犯しました。どういったことかわかりますか?」

「ええっと、さあ?」


 サッズは不思議そうにセッツアーナを見るとそう答える。


「一つ目は外から中へと訪うのにお伺いを立てなかったことです。見えない場所で何が起こっているかはお互いにわからないのです。わからない同士が突然合流するとそこには混乱が生じます。それゆえそこにお互いの確認が必要となるのです。わかりますか?」

「なるほど、わかった。今度から確認する」

「次に親しい者が応対している相手に対する評価をいきなり口に出したことです。人と人が対峙している時、見た目ではその間で何が起こっているかはわかりません。もし重要な取り引きをしていた場合、貴方の不用意な言葉でそれがふいになることもあります。他人に対する評価は、まずは自分の胸の内に置いて、親しい相手にお客の素性を確認してから口に出すべきかどうかを判断すべきです」

「なるほど、それもそうだ。俺が悪かった」


 サッズは明確に理解を示すと、素直に謝った。

 その様子にセッツアーナは微笑んで頷くと、


「ライカさん、サックさんも同席していただいてよろしいでしょうか?」


 と、ライカに伺いを立て、ライカが緊張しながら了承するのを見てサックに席を薦める。

 サッズはライカの隣の席に着き、それを見てセッツアーナも着席した。


「お話の途中で申し訳ありませんでした。私はどうも気になったことを放置しておけないたちなのです」

「いえ、とてもためになりました。ありがとうございます」


 ライカは満面の笑顔でセッツアーナに礼を言う。

 自分が言われた訳ではないのだが、彼女の言葉はライカに好もしく響いたのだ。

 サッズのほうは相手が女性であることを除いても、叱り飛ばされたのに不思議と反発を覚えなかった。

 セッツアーナの言葉には一片たりとも悪意や隔意が無かったからだとサッズはなんとなく理解する。

 その二人の様子に、セッツアーナは少し笑った。


「本当に不思議な方達ですね。大方の殿方は生意気な口を利く女を好まないものです。あの方が気になさっていた訳です」

「あの方というと、王都のご友人の方ですね」

「本当は友人などとはおこがましい話ですが、あの方が是非にと望んでくださったのでそういうことになっております。リエスン様。あのお方は私に生きることが素晴らしいものだと教えてくださったお方なのです」

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