第178話 竜は青く天を染める

 水はけの悪い地面に数日前の雨が残り、この日の炎天に晒されたそれは熱気を孕んで大気に溶ける。

 天上の太陽と大気と地面の熱で、全身鎧の騎士の何人かは倒れてしまった。


「くそっ!暑いのは俺らも同じなんだぜ、どうして騎士共は天幕で休憩して俺らが走り回らなければならないんだ?鎧が嫌なら脱げば良いじゃないか!」


 吐き捨てるように言葉を放つ男は馬上にあってその馬を走らせている。

 その状態でなかなかにその言葉が他へと届くものではないのだが、運悪く共に駆けている一人の兵が拾ったようだった。


「おい!余計な事を口にして、注進でもされたら背中を気にしなきゃならなくなるぞ!」

「ちっ、うるさいな、いいだろうが、愚痴らなけりゃやってられねえよ」


 そう舌打ちした兵だったが、相手の忠告を飲み込んで、それ以上の愚痴は止まった。


「愚痴るのはわかるが、考えようによっちゃ役得でもあるんだぜ」


 その相手に馬を寄せた兵士は、騎士を罵倒したその兵士に囁く。

 相手は汗にまみれた顔を上げ、その話に興味を持ったことを示した。


「この山の入り口の草っぱらに乗り捨ててあった馬車、あれの中には若い女の持ち物があった。俺達が発見すればそれなりの役得があるってもんさ」

「おいおい、売りもんに手えつけたらどやされるじゃすまないだろ」

「それがな、奴隷を売るのは思ったより儲からないってことで領主様は方針を変えて荒地の開拓にとっ捕まえた連中を回すことにしたらしいんだ。そうなると人数は多いほうがいい」


 相手の言葉の真意を悟り、最初に愚痴を吐いた兵士はにやりと笑った。


「なるほど、女は子供をどんどん産んでくれるほうがありがたいってことか。そりゃあ俺達も領主様に貢献しないとな、忠実な雇われ兵としては」

「そういうことさ」


 うだるような暑さを忘れることは出来ないものの、それなりにやりがいを見つけた男達は馬を急かした。

 と、地面に大きな影が落ちる。


「お、やっと雲が出たか」


 一人がほっとしたようにそう言った直後、馬が突然暴れだした。

 突如として制御を振り切り道から飛び出そうとする馬を、それぞれの兵士は必死で抑えようとしたが、馬は彼らより更に必死だった。

 重い荷物である人間を振り落とすと一目散に藪に突っ込み、尚も止まることなくどこかへと駆けて行く。

 結局四人いた騎馬の兵は二人となり、振り落とされた二人の兵は衝撃で地面に転がって動けない状態だ。

 馬から振り落とされて命があっただけでも幸いと言わざるを得ない。


「なんだ、どうしたんだ?ドウドウ、落ち着け、大丈夫だ、心配するな!」

「こら!おい、どこへ行く気だ!よせ!」


 残った二頭も荒れ狂った後、息が上がったのか大量の汗をかいて硬直したように足を止めた。

 こうなっては騎馬の意味が無い。

 兵士達は地面に降りると、先に落ちた仲間の様子を見ようとそちらへと数歩足を進めた。


 ゴウ、と、風が鳴る。

 横手に生えていた大木が、人の背丈程を残して消えた。

 兵士達は呆気にとられてそれを見、ガタガタと震える馬を見、そして大きくなっていく影を見て、ようやっと頭上を見上げた。


「ひっ!」


 黒く影を纏い、巨大な何かがいる。

 光を透かし、そしてそれだけではなく、自ら発するような青い光がその全身を縁取っていた。


「空が、青く燃えている」


 落馬の際、足を折ったのであろう兵士が、自らの足に添えた手をそのままにぽつりと呟く。


「馬鹿な」


 ことをと、続けようとした兵士も、その威容に言葉を呑んだ。


 そこに在ったのは竜だった。

 それも彼らがある程度馴染んでいる野を駆ける小型の竜ではない。

 巨大な羽根を持つ、空を飛ぶ竜。

 彼らの知識の中から翼竜という名が浮かんだが、それにしてもこれほど巨大なものは噂ですら聞いたことがない。

 しかもその体色が既におかしかった。

 竜といえば緑か茶、濃淡はあってもその二原色でほとんどが括られる。

 俗にいう蒼鱗なども緑の濃い種のことであった。

 寝間話に語られる国滅ぼしの竜は赤竜であったが、それは伝説の精霊の時代の物語だ。

 それに青い竜などどんな物語にも登場などしない。

 その上翼竜、いや、前肢がある所を見れば翼竜ですらないのではないか?

 兵士は混乱し、それゆえ声を発することも身動きすることも出来ず、ただただ魅入られたようにその姿を見上げるだけだった。


 その、彼らの眼前で、竜はにやりと笑った。

 そう、この後誰に聞かれても彼らは同じように答えたものだ。

 奴は『嗤った』と。


 再び、ゴウと風が鳴り。

 兵士達が気がつくと地面が無かった。

 いや逆だ。彼らはいつの間にかその身を空中に移していたのである。

 一瞬で吹き飛ばされたのだ。


「ひいいいいいいっ!!」

「助けてくれぇええ!!」


 ぐるぐると天地が回る。

 体が風に振り回され、視界が捉える世界が次々と移り変わり、彼らの意識がそれを捉えきれずに世界が回っているかのように感じているのだ。

 最後まで意識があった不幸な者は誰だったのか?

 ともあれ、夜が明ける時間に探し出されるまで、誰より先んじて意識を取り戻した者はいなかったことだけは確かであった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 そんな不幸な出来事を兵士が味わっている頃、旅芸人の一行は藪の間の獣道を辿り、沼地になっている背の高い穂草の間の飛び地を慎重に渡り、ようやく細い街道に合流した。

 石や土くれがごろごろしているその道は、ほとんど獣道と変わらない有様だったが、それでも沼ヒルや蛇の襲撃に怯える必要が無いのは有難い。


「ここらは既にあの領主の領の地を抜けているはずだ。まああんまり土地を治める規範がはっきりとしてはいないから安心は出来んがな」

「ってことは一安心って訳か」


 聞き覚えのある声に一同は振り返り、ケロッとした顔で一行のしんがりを歩いているサッズの姿に全員が脱力した。


「サッズ、大騒ぎを起こしてないだろうね?」

「馬鹿言うな、俺がそんな乱暴なことをする訳がないだろ?暑くて疲れていた連中をちょっと扇いでやっただけさ。自分の優しさに驚いたぐらいだ」


 ニヤニヤしている顔は、いかにも悪戯をしてきましたと告げていて、ライカは不安を掻き立てられたが、とりあえず追求するのは止めておいた。

 何にせよ、サッズの足止めのおかげでこの一行が助かったのは事実なのだ。


「あの、さ」


 黒髪をばさりと背に流した魅惑的な女性、メレンが、彼女らしくなくオズオズとそんなサッズに声を掛けた。


「ん?」


 基本的に女性には愛想の良いサッズはにこりと笑ってそれに応じる。


「あんたって竜な訳?なんでその、人間の姿をしているの?それとも人間だけど竜に化けれるってこと?」


 道中、彼らはライカに対して何かを聞きたそうであったが、それらは一切口にせず、黙々と協力しながら先を進んで来た。

 それが、サッズが戻って来たことでタガが緩んだのだろう。

 しかしメレンの言葉には恐怖は無く、どちらかというと好奇の色が濃い。

 旅芸人という人種を、後にライカが尊敬の念を持って想うようになった、それが契機でもあった。


「あ、見てわかっただろ?今だってわかってれば人間とは全然違うだろ?俺は竜だよ、弟のお守りでこっちに来てるのさ」


 余計な一言に、ライカがサッズの足を払う。

 文字通り浮き足立っていたサッズは簡単に転がってしまった。


「うわあ」


 それにはやったライカのほうが呆れたような声を上げる。


「お前何するんだ?いい加減俺も怒るよ?」


 立ち上がったサッズは、ライカの襟元を持って吊るし上げた。

 周囲の空間自体を切り離したので、ライカの首が閉まることは無いが、その代わりに暴れても抜け出すことが出来ない。


「だって、サッズのお守りをしているのは俺のほうじゃないか、断然抗議するね!」

「ああ?馬鹿か!弟のお守りを兄がするのが順番ってもんだろ?ものの道理がわかってないな!」

「はっ!サッズが物の道理がどうとか、魚が笑いすぎて水から飛び出すだろ!」

「なんで魚が関係するんだ?と、そういえば腹が減ったな」


 サッズは急に思い出したように自分の腹を押さえた。

 二人のやり取りを呆然と見ていたダイダボ一座だったが、それを聞いてハトリが肩をすくめる。


「もうちょっと離れるまで火は起こせないから料理は出来ないよ。こないだ貰った野菜を干したのがあるからそれでも食ってるといい」

「な、なんだと、萎れた草を食え、と?」

「もう少しだから我慢しようよ、明日は狩りをすればいいじゃないか」


 ライカが吊るされた状態からサッズの腕をポンとなだめるように叩いた。


「くっ……」


 がっくりとライカを取り落としたサッズが膝をつく。

 クスッとセツが笑った。


「お兄ちゃん、あたしがとっておきにしてた干し豆を分けてあげるから元気出して」

「おいおい、ちっこいガキから食い物をせびり取るのが竜のやることか?すげえ、尊敬しちゃうなあ」


 棒読みでハトリが言う。


「ハトリにい、意地悪しちゃメッよ」


 そんな態度をセツに窘められて、ハトリは初めて動揺を見せた。


「ざまあ」


 そこをすかさずサッズが嘲る。


「アハハ、あんた達っておかしい!ハトリ、あんた大物になるよ、ほんと」


 弾けるように笑い出したメレンの横で、大男がのそりと顔を出す。


「あのさあ、あんたの姿を描いて良いかな?あ、あの、変な風にしないからさ」

「えがくって?」


 サッズはぼんやりした意味合いを掴み損ねてその相手、グスタに問い返した。


「絵を描くんだ。あの、きれいな竜をさ、それから飾り物にも使いたいなあ」

「なんか良くわからんが、好きにしたらいいんじゃないか?悪い感じはしないからな」

「ほ、ほんとかい!良かった!」


 グスタはサッズの返事に子供のように踊った。


「ん?気分がいいならなんか弾くか?」


 それを見たハトリが背負った楽器をいそいそと下ろそうとする。


「これこれ、ちゃんと休める場所を見つけてからだろうが、全くお前たちは目を離せん奴らじゃな。サッズどのと言ったかな?」


 ダイダボは彼らに注意すると、サッズに向き合った。


「名を呼んでいいのは家族だけだ」


 にべもない返事に、ダイダボは笑顔を深める。


「そうか、竜殿で良いかの?此度は本当にありがとうございました。うちの家族が無事だったのはあなたの助力あってのこと、我ら子々孫々代を重ねようと恩を忘れることはありません」

「それもやめろ、サックでいい、うちの弟が付けてくれた呼び名だからな。それとお前家長ならあのハトリの奴をちゃんとしつけろよ」


 偉そうに言い募るサッズの頭を、ライカががしりと捕まえた。


「食事を分けて貰うのに何偉そうにしてるんだよ!それより休むのにいい場所を探すから手伝う!」

「わかった!引っ張るな!というか干した草じゃない物も探さないか?おい、こら、話を聞けよ!」


 そんな彼らを見送って、ダイダボは深く一礼したのだった。

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