第144話 彼の見た世界

 周囲は薄い靄の中にあった。

 様々な毒々しい程に鮮やかな色を放ちつつ動きまわるぼんやりとした影。

 それらの放つ、意味の無いくせに自己主張の強い情報が、泥の飛沫を浴びるがごとく身の内に流れ込み、サッズを苛立たせた。

 そんな中を、柔らかで小さな弟がウロウロするのを注意深く見守っている。

 目を離すと世界に紛れて消えてしまいそうな弟を守るのは自分の役目だと思っていた。


「人の街に着いて最初の頃だな。この頃は人間個々も群れの一部としての在り方が大きすぎて単独の相手として捉えられなかった」


 人々の話す言葉と心の内から放つ心声。

 それらが全く乖離している場合が多いことに驚きがあった。そして同時に混乱が起きる。

 理解が及ばない生き物。いや、理解したくない存在。

 サッズの中にあるのは嫌悪感だけだった。


「今でもああいう部分はイライラするな。だが、そうでもない人間もまた存在することも知っている」


 心体が合一した後代の同族と伴侶の絆を築いた人間がいることに驚きを感じた。

 そしてその存在に、竜の一部を持つ者であることを考慮しても、更に強い強引な求心力を感じ、警戒心が沸き起こる。

 彼こそが『真王』、絶望の縁で群れの魂を託されし存在。

 人間という儚き種が産み出す、滅びへの抵抗を体現した者。

 だがそこに力としての強さは感じない。

 感じるのは、何もかもを飲み込む、底知れぬ淵のような感覚。


「別に俺があいつを苦手なのは恐れているからじゃない。得体が知れないからだ」

「言い訳をしなくてもいいのですよ?」

「うっさいな、お前は観察だけしてればいいんだよ」


 様々な人間の個々の姿が『理解』出来るようになったが、だからと言ってあえて区別する必要を感じなかった。

 ただ、弟であるライカが、その中で伸び伸びと生きていることを感じる。

 ほっとして、少しだけ寂しい気持ちになった。

 だが、彼自身にも、この枯れたと思われた世界の中でこそ感じる、生きている実感があることに気づく。

 ひたすらに零れ落ち続ける自分の命が、ゆっくりと溶けて世界を巡る。それもまた悪くは無いと思った。


「若い身には豊かで守られた世界はつまらないのだろう」

「寂しくなりますが、仕方ないことなのでしょうね」

「ちょい待て!俺は嫌だぞ」

「お前ら観察と分析だけじゃないのかよ、なんでそこでしみじみしてるんだ?目的忘れてないだろうな?」


 人間が作る小さな群れに混ざっての旅は、サッズにとって苦痛この上無かった。

 狭い範囲で意識を共有しようとする中で、人間は自分に合う者と合わない者を選び出し順位を付ける。

 異質なライカとサッズは明らかに彼らからはみ出していたし、理解されなかった。

 だが、彼らは一度受け入れた者を何とか飲み込もうとして付かず離れずの位置に二人を置き、排斥することはしない。

 多少の不具合も飲み込んで、より強い立場の群れであろうとする意識の強さは生物としての強かさを感じさせた。


「あなた達とは違う方向に異質な存在もいたみたいですね」

「あれでも人間は人間だけどな」

「人の言う所の『滅び』と隣り合わせの世界で、そこに適応しようとしてああなったのだろう。人間の適応力の高さには感心させられる」

「あー、俺、ああいう他者を滅ぼして君臨する連中見るとウズウズして来るんだよな。でも人間は弱っちいからやらないけどさ」

「俺、ナーガ達もあの連中もエイムにだけは言われたくないと思うな」

「同類というものは常に理解し合えるものでは無いのですよ。互いに嫌悪する同類もいるということです」

「んー、これが終わったらちょっとナーガの里に行ってみるか」

「俺、エイムのそういう所好きじゃないな。ライカもそうだと思う」

「なんだって!」

「今更ショックを受けるのか」

「驚きですね」


 入れ物が大きければ中に入る量も増えるのが当然なのだろう。増えていく人間の数に酔いそうだった。

 しかも、人が多ければ多い程、個々の表裏の差が激しくなるのは意味がわからない。

 毒々しく、攻撃性の強い心声も、精神の表面に水に垂らした油のように浮いてくる言葉も、触れるのが痛い程に濁っていた。

 自分自身を飲み込もうとするかのようにグルグルと回る愚かな獣を想起させる諍いもそこにはある。

 群れの中での個々の明確な位置付けはそこには無く、ただ互いの主張を押し出したまま溶け合おうとするために不具合が起こっているように思えた。


「人間は本当に面白いですね。知ろうとする欲求が強すぎるのかもしれません」


 悪意を自分自身にも気づかせない人間もいた。

 その密やかな企みはサッズすら騙し通す。

 善意と見紛う悪意を持ち、自らをも騙す彼らは、人間の恐るべき可能性を垣間見せる存在ではあった。


「そもそもなぜ人間は善悪という縛りを作ったのだろう?」

「それはきっと群れることが前提だからでしょうね。人間は自己の主張が強すぎる一方で、群れなければ未来を作れない種族です。そのためには自ずと全体をまとめるルールが必要になる訳です。タルカスは人間とあまり関わっていないのでその辺りは少し理解に苦しむかもしれませんが」

「なあお前ら、本来の目的忘れてないよな?」

「おい、ここ、なんか女の匂いがしないか?」

「ああうん、凄い綺麗な地竜の女性がいるから口説きに行くといいよ、エイム」

「どこか口調が投げやりなのはどうしてでしょう?サッズ」


 したたかな強さとは違う、どこか柔らかな強さ。

 暗い道の途上でそっと灯りを差し出してくれる暖かさ。

 そして何もかもを抱きしめることの出来る純粋さ。

 彼女に出会って、突然にサッズは悟った。人間の『違い』を。

 人は自ら選ぶのだ、どうありたいかを。


「……ほう」

「ふむ……」

「へえ『彼女』ね」

「なんだ!」

「いえ、なんでも。しかしまだ子供だと思っていたのに成長しましたねサッズも」

「なかなかに動きを感じることの出来ない『時』という物を、こうやって感じるのもまたいいものだ」

「だからなんだ!」

「そうか、お前人間の女のほうが良かったのか。ならあっちの竜の女は俺が口説いてみるか」

「そんなんじゃないからな!それと勝手に行けばいいだろ!ばーか」


 『輪』に集中していた意識を解いて、サッズはぶるりと体を震わせた。

 外界を遮断して輪の内部に集中するのは眠りとほぼ同じ状態だ。その分体の機能は低下するので、目覚めると一瞬馴染ませるまでの間が必要となるのだ。


「で、どうなんだよ、この指輪外してくれるのかくれないのか決まったのか?」


 異様ににこやかな竜王達を苦々し気に見ながら、サッズは本題を無理やり押し出した。


「ああ、いいだろう」


 意外な程にあっさりとタルカスはうなずき。意気込んでいたサッズは肩透かしを食った形になる。


「あれでいいんだ?」

「意識せずに人の形が理解出来ればそれで問題は無い。最後のほうはお前の中で完全に個体を再現出来ていたからな。触れた感触まで覚えているんだから大したものだ」


 ほとんど感情が浮かばないタルカスの顔だが、そのまなざしにやたら温かい物を感じて、サッズはなにやら酷く動揺を覚えた。


「うちの子達はみんな早熟ですね。それぞれ方向性は違いますが」


 セルヌイがしみじみと呟いているのがサッズには苛立たしい。

 言うべき言葉を探したが上手く見付からずに、仕方なくサッズは無言で指輪の嵌った指をタルカスに突き出した。

 ピキッと小さな音と共に、複雑な文様が彫り込まれた銅製の指輪は砕け散る。

 サッズは、開放と同時に、現状を維持する為の負荷が一気に掛かったのを感じ、自らの在り方をしっかりと固定した。


「さて、すっかり遅くなったな。って、もう朝かよ!エイム、さっさと戻るぞ!」

「ああ、ところで女性には何かプレゼントが必要だと思うか?」

「知るか!」


 日の出前の短い朝焼けの色に、サッズは一人で待つ弟を思い出す。

 再び旅立つこの地の、大気にすら濃厚に漂うエールを思いっきり吸い込むと、飢えていることすら忘れる程に枯渇していたサッズの内の力がたちまち満ちるのを感じた。

 この地の豊かさを感じる一方で、しかしサッズはあの枯れた地を既にどこか懐かしく思っている自分に気づいている。

 いや、とサッズは考えた。

 あの地は枯れている訳ではないのだ。

 あの地に溢れていたエールは、全て形ある物に溶け込んだだけなのだから。


(あれもまた一つの豊かさなんだ)


 サッズはその考えこそが自分にとっての正解なのだと感じていた。

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