第139話 指輪の封印

 通路は途中からはあからさまな人工の物ではなく、天然の洞窟の状態となっていた。

 足元が滑りやすい下り坂が連続していて、飛ぶ手段など持たない人間の場合、降りたら最後後戻り出来ないだろうと思われるような洞窟だ。

 一見した所は水によって長い歳月を掛けて削られた、硬い岩盤の天然洞窟のように見えるのだが、そのあまりにも都合の良い一方通行構造に、もしかしたら人の手によるものなのだろうか?と、ライカは考えた。

 だが、当然ながら答えが得られる訳はなく、出来ることと言えば周囲を観察しながら歩くことぐらいである。


 結局人の手によるものか自然のものか、どちらとも判断のつかないまま辿り着いた最後の坂は、狭い開口部からの下りになっていて、そもそも降り口の所でライカ程度の身長ですら立っては潜れない為、どうしても座った状態からの滑り降りにならざるを得ず、染み出した地下水に濡れた緩やかな坂を重力に引かれるまま滑り降りた。

 足元に危険な突起も無く、緩やかに下まで勝手に滑り下るそれは、思いもよらずライカとサッズの心を惹き付けた。

 結局飽きるまで何度か昇り滑りを繰り返した挙句、日暮れも近くなってようやくびしょ濡れの少年二人が洞窟から這い出すこととなったのである。


「今まで洞窟なんてジメジメした陰気な場所だと思っていたが、結構面白かったな」

「サッズ、うちではよく奥の方に潜り込んでたくせに洞窟あんまり好きじゃなかったの?」

「風通しが悪いだろ。うちの連中はああいう何も動かない場所が好きなんだろうけど、俺は動きが無いのはあんまり好きじゃないんだよ」


 サッズは落ち込んだ時に洞窟の奥に篭るという自分の性癖に対するライカの指摘を素知らぬ顔で無視すると、家族の住まう巨大な洞窟状の我が家について評価を下した。

 地竜である他の家族によると、そもそも飛竜は山の高い場所に住居を構えることが多いらしいので、今の家がサッズのお気に召さないのは仕方の無いことなのかもしれない。


 言いながら濡れた服をサッズに風で乾かして貰い、ライカは周囲を窺った。

 どこかの山腹だということはわかるが、全く見覚えの無い場所だ。

 木々は幹周りの細いものばかりで、どちらかというと下生えの草の方が元気よく生い茂り足元を覆っていた。

 周囲に獣道も見当たらず、とりあえずその元気で背の高い草を掻き分けて下ってみるしかない。

 洞窟から湧き出した湿気はその入口を苔で覆っていたが、幸いなことにそこから離れると地面は乾いていて、湿地に多い血を吸う虫は少なそうだった。


「ここは反対側だな」


 唐突にサッズが言って後ろを振り返る。

 ライカもそれに習って振り向いてみたが、ライカに見えるのは今出てきた洞窟と、それに続く山肌のみだ。


「反対側?」

「ああ、城にあった滝の反対側だ、ほらあそこは崖に囲まれてただろ?その崖の裏側だな、ここは」


 ライカは、サッズの言葉で王都の地形を思い浮かべた。

 王都は周囲を切り立った崖に囲まれた袋小路のような土地で、入り口はあの門前で諍いがあった閉ざされた街、ウーロスの裏手を通る道だけだ。

 その周囲を囲む崖の反対側ということなら、あの通路は崖の地下、つまり山の中を潜る道なのだろう。


「そういえば、滝って?」

「城の奥にデカイ滝があったんだ、途中で地下に潜っているようだったな。おそらくあの上水とか下水とかいうのはあの滝の水を使ってるんだろう」

「へえ、ちょっと見たかったな。残念」


 ライカは反対側にある滝に思いをめぐらせながら自分達が出てきた洞窟を一瞥する。

 そして、ふと思い付いた。


「あ、もしかしたら、元々はその滝からの水がこっちに流れていたのかもしれないね。あの洞窟は水が流れた跡のような感じだったし」

「人間が水の流れを変えたっていうのか?」

「そうじゃないかと思っただけだけどね」


 サッズは眉を顰めてしばし考えていたが、やがて頷いた。


「やるかもしれないな。人間ってのは常に変化を望んでるような感じがするからな。そういう部分はなんとなく嫌いじゃないし」


 ライカは驚いたようにサッズを見ると、やがて微笑む。

 人間という種族を理解することすら拒んでいたような最初の頃からすればサッズはかなり変わったと思われた。

 なによりそれにサッズ自身が気づいている様子があることがライカには嬉しかったのだ。


 竜である家族に無理に人間を受け入れて欲しいとは思わないが、自分自身が人間である以上は、嫌われているよりは受け入れられる方が嬉しいとライカは思う。

 もちろん彼らの中で人間種族に対する認識と家族であるライカに対する認識が全くの別物であることはわかっているが、それでもやはり人間であることは紛れも無くライカから切り離せない本質なのだ。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 うっかりすると顔を叩き目を刺そうとする草の壁に早々に音を上げて、木々の枝を渡って下っていくことにしたライカの横をゆっくりと飛びながら、サッズは何事か考えている風だった。

 ライカはその様子に首を傾げながらも、山を降りて行き、この先のことに思いを馳せる。

 とりあえずこの山というか斜面のような場所を下るのは良いとして、その先をどうするかが問題だった。

 暫くは人間の作った道は使わずに行くつもりではあったが、具体的にどういう風にすればいいのかということには思いが至らない。

 方向はサッズがわかるから問題無いとして、ひたすら地上を歩くということになれば地形的な問題もあった。

 サッズ的思考で方向を決めると、途中に幅広の川があったり、やたら高い山があったり、切り立った崖があったりする可能性が高い。

 下手をすると往路以上に帰路は遥かに日数が掛かる覚悟が必要だった。


「なあ」


 そんな風に考えながら木々を渡っていたライカに、サッズが突然声を掛けた。


「お前から見て俺はどう見える?人間っぽいか?」


 いきなりの質問に、ライカは戸惑った。

 サッズのまなざしは真剣な物で、別に冗談とかからかってとかの話ではなさそうだ。

 しばし考えあぐねた挙句、ライカは答えた。


「今の見掛けは人間に見えるよ、それに誰もサッズを人間以外じゃないかとか疑わなかったし、人間らしいんじゃないか?まぁ精霊っぽいとは言われたけどね」


 ライカは、サッズは自分に意識の共有をしてもらいたい、つまり自分のやりたいことを理解して欲しいのだろうと判断したのである。

 サッズは自分がやることは既に決めているのに、こうやってライカに考えを尋ねる時が稀にあるのだ。

 それはおそらくサッズなりの配慮なのだろうとライカは思っている。

 個々の考えを優先するのが竜ではあるが、サッズは長年ライカと過ごして来て、ライカに、他者の考えを理解したいという本能に近い欲求があることに気づいていた。

 だからこうやってわざわざ意見を聞くようなふりをして自分の考えを明かしてくれるのだ。

 といっても、大概においてひとりよがりな思考の結果に投げられる問いだ。ライカにそれを理解するのは結構難しい問題だった。


「そうか、よし、ちょっとそこの開けた場所に降りるぞ」


 一人納得すると、サッズがそう指示を出し、ライカは訳のわからないままにそれに従った。


「どうしたの?突然」

「ちょっと考えたんだが、このままだと色々不便だと思うんだ。旅とか」

「ああ、うん、確かにね」


 ライカは本来先のことなどあまり考えないサッズが、そんな思案をしたという事実に驚きを隠せなかったが、それでもその驚きを飲み込んで頷いてみせた。


「そんで、ちと交渉をしてみる」

(交渉?誰と?)


 サッズがいきなり思慮深い言動をしてみせたことにライカは混乱した。

 何しろ、ライカの今までの人生の中で、思慮深さとサッズとは決して並び立たないものであったはずなのである。

 先を見据えて何かを考えて行動するサッズなど、ライカにとって青天の霹靂だった。


「ライカ」


 そんな混乱の中にあったので、手招きをしてみせたサッズの近くへライカは何も考えずに近づいた。

 だが、そのうかつな行動の報いはすぐに訪れる。

 ぎゅむとばかりに掴まれた両の頬が外側に引っ張られたのだ。


「ひたい!あにふんだお!《いたい!なにすんだよ!》」


 今や遅しの抵抗をするライカに、サッズは薄く笑ってみせる。


「お前、考えが筒抜けなんだよ!普段物を考えてなくて悪かったなあ!」

「ほんほうのほとひゃはいか《ほんとうのことじゃないか》」

「まだ言うか、こいつ!」


 しばし取っ組み合いをやった挙句、ライカは地面に座って赤くなった頬を撫でながら、横に立つサッズの足を蹴飛ばしていた。

 サッズはそれを軽く躱しながら意識を遠くへと向けるべく集中する。


『おい、指輪を外せ!』

『サッズ、いきなり輪に接続してきたと思ったら挨拶も無しになんですか。とりあえず挨拶をしなさい。久しぶりですね、元気でしたか?』

『おお、ちっこいの元気か?もう帰ってくるのか?』

『サッズ、久しぶりだな元気そうでなによりだ』


 相変わらずテンポの噛み合わない家族の会話に、サッズは苛立ったようにもう一度要求を叩き付けた。


『いいから指輪を外せ!』


「サッズが相変わらずで安心したよ」


 自身は輪が遠すぎて接続不可能なライカだが、サッズを通して『聞こえる』やりとりの様子に心から安心したようにそう呟く。


「うっさいな、こいつらの長話に付き合ってたら用件が終わらないだろうが」

「自分の要求だけ言っても用件は終わらないと思うよ」


 ライカはサッズの隙をついて、避けられずに足を蹴飛ばすことに成功し、その結果に満足したように頷くと、サッズの言葉を否定した。


『ライカもいるんですね、ちょっと借りますよ、サッズ』

『あ、てめ、俺を足場に使うな!』


 セルヌイがサッズとライカのやりとりに気づいて、サッズの意識を中継にしてライカに直接接続する。


『ライカも元気でしたか?』

『うん、元気だよ。セルヌイも元気そうでなにより。みんなも相変わらずだね』

『私たちは滅多なことでは変わりませんからね』

『俺はそうでもないと思うけどね、なんか今はサッズがイライラしてるよ』

『あの子の落ち着きの無さは天性の資質ですね。頼もしいことです』


 どうやらセルヌイにとってはサッズの落ち着かない性格も美徳の一つであるらしかった。完全な親バカである。

 久々に感じる相変わらずの家族の様子に、ライカは思わずその場に転がった。

 嬉しいと地面に転がるのは極幼い頃の癖なのだが、時々こうやって無意識に出てしまうのだ。


『そういうのはいいから俺の話を聞けよ!指輪を外せって!』

『サッズは相変わらず可愛いな』

『ちっこい連中はいつ帰ってくるんだ?俺が迎えに行こうか?』


 流石にこのお互いに一方的な会話を放っておくのに限界を感じてライカはガバッと立ち上がった。

 任せておいては話が進まないと感じたのである。


「サッズ、とにかく要求は後にして、理由を説明するんだ。話が全然進まないだろ?」

「めんどくさいだろ」

「でも説明しないと先へ進まないから余計に面倒くさいと思うよ」

「ちっ!」


 鋭く舌打ちをすると、サッズはごちゃごちゃになっている輪の中へ再び意識を投じた。


『俺は自分で人化をコントロール出来るようになった。だから指輪はもう必要ない。むしろ邪魔だ。外せ!』

「それがサッズの限界だよね」


 ライカはぐったりしたように伸びると、目前に発見した小さな花をつつく。

 慎ましいその花は、特に自己を主張したりはしないでひっそりと咲いていた。


「いくらなんでも草花と比べられるのは不本意だ」

「サッズ、意識を開放しすぎだよ、俺のちょっとした感想を拾わなくてもいいんだよ」

「輪に繋げてるから仕方ないだろ、てか、素直な心の動きでそんな感想を持たれるほうが嫌だ!」

『あー、子供たち、こっちの話は決まったけどいいかな?』


 まるで隣で言われているようなクリアな言葉は黒の竜王タルカスのものである。

 二人は急いで姿勢を正すと言葉の続きを待った。


『サッズは一度帰っておいで、エイムが行くから。ライカは待てる?大丈夫かい?』

「エイムかよ!」

「大丈夫だよ!」


 二人はそれぞれの思いを込めて言葉を発すると、顔を見合わせる。


「エイムなのは仕方ないよ。移動に時間掛からないから」


 ライカは慰めるようにサッズに言った。

 サッズがエイムの使う時の止まった空間を通るのを酷く嫌がっているのは知っていたので、流石に気の毒になったのである。

 サッズの言う所では「岩の中に篭った方がマシ」な場所とのことだ。およそライカに理解出来る物では無かった。


「それよりお前、一人で大丈夫なのか?夜になるかもしれないぞ」

「いざとなったら木の上ででも寝るよ。それよりサッズ、指輪を外すってことは竜に戻るってこと?」

「そうだ、ずっと地面を歩いて帰るのは嫌だろ?」

「それはそうだけど」


 ライカの懸念にサッズが肩を竦めて見せる。


「俺が見た限りだとそんなに心配するようなことじゃないと思うぞ。竜に人が乗るってのはそう珍しい話じゃなさそうだし、何より人間ってのは自分の信じたいように事実を曲げる癖があるようだ。何を見ても自分の都合のいいように勝手に解釈してくれるさ」

「え……」


 ライカは思わずサッズを見直して瞬きをした。

 まさかそんな風に人間に対して深い考察をしているとは思いもしなかったのである。


「他種族変化ってのはその相手への理解が無いと無理だ。だけど今の俺ならいつでも人間になれると思うんだ。人間の有り様が理解出来た気がする」

「そうなんだ」


 サッズのどこか超然とした態度に、ライカは羨望を感じた。

 常にどこか躊躇いがあるライカと違い、サッズは揺らがない自己の持ち主だ。

 それゆえに単純で思慮がなさそうに見えることも多いが、ライカはそういう部分に敵わないと思ってしまうことも少なくない。


「サッズは馬鹿で羨ましいな」


 だからこそそんな風に言ってしまうライカではあった。


「ああ?もう一回引っ張られたいか?」


 そんないつものやり取りに雪崩込もうとしていた彼らの背後に、圧倒的な存在感が突如として湧き上がった。


「よお、ちっこいの達、元気だったか?相変わらず可愛いなお前達」

「げっ、エイム」

「あ、エイムだ」


 人化して尚周囲を歪ませるような存在、灼熱の赤を纏った彼らの長兄たるエイムがそこに立っていた。

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