第138話 帰り道
「それでは約束通り脱出用通路を使わせてあげますね。もし他言しないと約束してくれるなら素敵な物を見せてあげられるけれど、どうしますか?」
一通り、ライカから話を聞き、手紙を託すと、彼女、奥方様ことリエスンは、優雅な笑みを浮かべてそう聞いた。
「それは誰にも言わないってことですか?領主様や家族にも」
ライカは確認するように問い返す。
「ええ、そうです。誰にも言ってはなりません」
その返事を聞くと、ライカは微笑んで首を振った。
「じゃあいいです。どんな素晴らしい物でも他の人と分かち合えない物は色褪せるし、俺は家族に隠し事をしたくはないですから」
「あなたもよろしいのですか?」
その返事にどこか面白がっている顔を見せながら、リエスンはサッズに話を向ける。
「あ?俺はあんたと約束をするつもりなんか全然ないぞ、放っておけ」
やや傲慢とも言える態度だが、彼女はそれを別に咎めようともせず、むしろ楽しそうに笑った。
「わかったわ、それでは準備が出来るまで下の小部屋で待っていてくださる?」
「はい」
「あー、またあの水路の道を通るんだったな」
ライカのはきとした返事とは裏腹に、サッズはげんなりとしたように呟く。
せっかく肉桂の香りで上がっていた気分が低下したのだろう。
ライカはそんなサッズを笑えるはずもなく、あの臭気に耐える覚悟をしたのだった。
水路から最初に入った小部屋は入り口を閉じてしまうとまるで出入り口が見当たらなくなり、石の壁に囲まれているような圧迫感がある。
とはいえ、元々、広大な広さがあるとはいえ洞窟で暮らしていた彼らにとって、隔絶された空間という物はどちらかというと慣れた場所だった。
他に人がいなくなったおかげで、むしろ二人は気分的には開放されたように感じていたぐらいだ。
「ったく、色々押し付けられただけなんじゃないか?まあ飲み物は美味かったが」
自分はただお茶を飲ませて貰っただけにもかかわらず、サッズは不平を鳴らす。
ライカは油紙に包まれた手紙を背負い袋の中に大事に入れて厳重に口を閉じながら、そんなサッズを笑い飛ばした。
「サッズは面倒は避けるくせに文句は言うんだね」
「お前の分まで言っておくだけさ、大体、うん?」
いつものように軽い言い合いを始めようとしていた二人の耳に不思議な音が飛び込んできた。
それはまるで遠くで聞こえる鐘の音のようでもある。
ゴーン、ゴーンとゆっくりと響くその音は石壁を細かく振動させた。
「何の音?」
「う~ん、俺はどうも地中は感覚的によくわからないんだが、何かが動いてる感じがするな」
「動いてる?」
「音の出所は変わってないのに音の響きが段々変わってるだろ?おそらく間の空間が変化しているんだ」
「ってことはきっとこれが見せたい物だったんだね、何が起こってるのか気になるけど、あの人は秘密にしておきたいようだったし、放っておこう」
「お前、意外とあっさりしてるな」
「あの人怖いし」
ライカははっきりそう言ったが、その怖いは恐怖を指す言葉では無かった。
それは、ライカ自身にもよく理解出来なかったのだが、畏怖に近い感情である。
「だよな、なんていうか切り替えがはっきりしすぎてる。家族や親友やらの話をする時には感情が豊かに動いてるのに、それ以外の時に全く感情が動いていない。感情を制御しているうちの連中だってあれだけ完全に切り分けられないだろうな」
二人は顔を見合わせると首を竦めた。
「あれは恐らく『王』だな。単独種の場合は王ってのは単に強さの頂点の意味だが、集団種の場合は支配者の意味もある。てかそっちの意味のほうが強いよな。まったく真王やら聖騎士やら王やら種族変異個体によくもまぁぶち当たるもんだ」
「う~ん、生物としての王の役割を持った人がいるのに、人間が作った身分制度上の王様もいるせいでなんか混乱するな、人間世界は複雑だよね」
ライカは溜息を吐いた。
「単純なものを複雑にしてるだけだろ。俺が思うに人間は事をわざと複雑にして楽しんでる気がするぞ、混乱が好きなんじゃないか?」
「自分でも驚いたことにその説を否定出来ない」
ライカは咄嗟にサッズに反論しようとして、今までのあれこれを思い出し、それが出来ないことに気づいた。
人間世界は色々と複雑だが、どう考えても元々単純なことをわざと複雑にしている節があるのだ。
例えば服だ。
本来は服とは鱗や毛皮を持たない人間の外皮を守るための物であり、他にはさして意味のないそれだけの物のはずだ。
しかし、人はそれに装飾を加え、単純に織れば良い布をわざわざ複雑に織り上げ、同じ糸から出来た物であっても差をつける。
装飾品と言えば宝玉の類も、ただそれだけで美しい物を、磨くだけではなく複雑に組み合わせてそれを楽しむ。
住居も、その他のさまざまな物も、ライカから見ると人は必要以上に全てを複雑にしてそれを楽しんでいた。
セルヌイはそれを『文化』と呼び、人の産んだ素晴らしい物だと言っていたが。
「確かに、見方を変えれば文化って混乱だよね」
「俺はむしろ他の見方がわからん」
言ってサッズは顔を上げた。
聞こえてくる音の変化が収まったのだ。
「終わったかな?」
「そもそもは何が始まってたのかもわかってないけどね」
「うっさいな」
その時、さっそく小突き合いが始まった二人の横の扉がゆっくりと開いた。
「お二方共退屈したでしょう?通路は開けておいたからもう行けるわよ」
「お、奥方様!こんな所まで!」
灯りを持ったリエスンが現れて二人にそう言うと、直後その背後から現れた小部屋の管理主のニアスが慌てたように彼女に追い縋った。
「あら、お客様のお見送りは
「ですが」
「それに」
ニアスに最後まで言わせずにリエスンは言葉を継ぐ。
「この通路には思い入れもあるわ、だから無事に機能しているのを見るのは楽しいのですよ」
そして唐突に振り返ると、ふわりと笑った。
「動作に障りは無かったわ。毎日管理してくれているあなたのおかげでもありますね。ありがとう、ニアス」
「いえ、そんな、他にやれる能もないわっしの才を評価して雇ってくださった御恩に報いているだけに過ぎません、奥方様」
ぶるぶると震えると、ニアスはその場に跪いた。
ふうとリエスンが息を吐くのがわかる。
「感謝は有難い物ですけれど、自らを卑しんではなりません。自らを卑しむ者は必ず他者をも卑しむもの。もっと堂々としなさい、ニアス」
「は、はっ」
「さ、通路を開けてあげて」
「はい、承知いたしました」
慌てて向かい側の壁へと離れていくニアスから目を移し、リエスンのまなざしはライカとサッズに向けられた。
「色々と付き合わせてしまってごめんなさい。王都で嫌な目にも遭わせてもしまったのに、大変申し訳ない思いです」
「あ、いえ!」
ライカは慌てて姿勢を正した。
「別に奥方様のせいではありませんし、それでも王都は面白かったです。良いこともありましたし」
「そう言ってもらえると少し安心するわ、単純なのでしょうけれどね。私がどうこう出来ることでは無いけれど、やはり故郷の評判が良くないのは胸が痛むことですものね」
「ここが故郷なんですか?」
「そうなの」
彼女のその独特の笑みが口元を彩る。
「ここが私の故郷」
ガコンと重い音が響き、覚えのある腐臭が薄く漂ってきた。
「うっ」
サッズが慌てて大気に膜を張る。
ライカはそれを呆れた目で見ながら、振り向いてリエスンに頭を下げた。
「本当にありがとうございました。助かりました」
「こちらこそ、お仕事を頼んだのですもの、対価としては安いかもしれないけれど、よろしくお願いしますね」
彼女は優雅に膝を折ると、首を傾ける。
瞬間、またもとてつもない緊張に襲われながら、ライカはそれに礼を返した。
その背後からニアスも声を掛けて来る。
「ここを真っ直ぐ行くだけで外に出るからな、ま、気を付けていくんだぞ」
「ニアスさんもありがとうございました。助かりました」
「何、わっしは仕事だかんな。しかしまあ、お前達だけで道中大丈夫なのか?」
「途中でどっかの隊商に同行させてもらいますよ」
「ああ、それがええな」
サッズがピクリと反応したが、ライカはそれを無視した。
彼らは丁寧な見送りを背後に、またも下水路に踏み出す。
後ろの扉が閉まると、残る灯りは例の細い光の筋だけとなった。
「じゃあ行くか」
「おい、俺はもう他人と一緒に移動する気は無いぞ」
『あれは嘘だよ』
ライカの心声に、サッズはゲホッと息を吐いた。
『嘘かよ、堂々とした嘘だなおい』
『わかるだろ?ああやって心配するのが年長者の性質なんだよ、逆らってもしょうがないじゃないか?それなら嘘でも言って安心してもらったほうがいいよ』
『お前段々したたかになって来た気がするぞ。たくましいと言うべきなのか?』
『なんとでも言って。俺も今回のことで色々疲れたんだよ、しばらく人間のいる場所から離れたいし、矛盾してるようだけど早く家に帰りたいよ』
『【うち】に帰れば良いだろ?』
ライカは無言でサッズの肩をぐいと押した。
すかさずサッズが押し返す。
しばしの押し合いの後、ライカはポツリと言った。
『なんだかんだと言っても俺はやっぱり人間なんだ。今度のことで心底そう実感した。俺はこれから人間としてどう生きるかを考えなきゃいけないんだと思う』
『人間なんだからそのまま好きなように生きていれば人間としてはそれでいいんじゃないか?』
ライカの言葉が理解出来ないという風にサッズが首をひねる。
『さっき言ったじゃないか、人はより混乱を求めるって。こうやって自ら物事を複雑にするのが人間の生き方なんだよ、きっと』
『その理屈はわからん。が、まあ俺もなんとなく人間であるってのはどういうことかはわかった気はする』
薄明かりの中、一見無言で肩を並べて(時折ぶつけ合いながら)歩く二人の足音が、硬い石造りの通路に響く。
入った時とは違い、途中に曲がった部分は全くなく、直線が続く通路は先を闇に落としながらも、不安を感じさせなかった。
「とにかく、これで帰れるね」
「何でもいいが早くこの臭い通路から出たい」
サッズは空気の層を重ねて臭気を漉しているのだが、どうやらそれでも気になるらしい。
人には見えない暗い先を遥かに見透かしながら、しみじみとそう呟いたのだった。
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