第131話 一会

「帰る?」


 馴染み客の馬車を見送って、一息吐いて戻って来たエッダは、控えの部屋でまだ陽が昇る前にも関わらず起き出していたライカとサッズの言葉を吟味するように繰り返した。


「はい。この度は色々お世話になりました」


 ライカが簡潔ながら、心の篭った言葉で礼を述べ、サッズを促す。


「用事は終わったしな。まああんまり楽しいことは無い場所だったが、エッダに会えたのは良かったと思う。色々ありがとうな」

「いや、こっちこそ接待役としてはあまり役に立たなかったな。だから料金はおまけしておく」


 にこりと、いたずらっぽく笑うと、エッダは自分の指に嵌っている指輪を示してみせる。 


「そうだな、泊りの分はこの指輪だけでいいよ」


 慌てたのはサッズでは無くライカのほうだった。


「えっ、でも服とか用意してもらったのに、せめてその分は払います。というか指輪って?そんなの持ってたっけ?サッズ」


 ライカは最初に貸して貰った大きすぎる大人用の服から、翌日にエッダが持って来てくれた、ややこちら風の、旅商人が好んで着るようなズボンと短衣の組み合わせに軽い外套という服装に変わっている。

 おまけに、別に服を失った訳でもないサッズの分も、揃いで用意して貰っていた。


「欠片の変換だよ」


 サッズが前後の説明無しに、ライカに告げた。


「え?」


 流石に咄嗟に理解出来ずにライカはサッズを見、はっと気づいてエッダの指にある指輪を見た。


「服は気にしないで、古着屋で誰でも買える程度の物だし。最初に手付で貰った分の首飾りは遠慮なく頂いたから十分元は取れてるし」

「あ、はい」


 サッズの件でやや動揺していたライカは、うっかり返事をしてしまい。それに気づいて慌てて否定した。


「じゃなくて、何かお仕事の邪魔をしただけのようで、せめて正規の料金分は取っておいて貰えませんか?」

「男が細かいことに拘るもんじゃない。それに好意ってのは気持ちよく受け取ってくれるほうがこっちも気持ちいいし、嬉しいよ」


 エッダの言葉は決して強くない。

 自らの意見を押し出すような強弁ではないし、いつもの穏やかな言い方で、むしろ控え目なぐらいだ。

 しかし、その言葉には何故か抗い難いものがあった。


「そう、ですね」


 ライカは考えたが、エッダの言い分には無理が無い。

 確かに誰かのためにしたことは喜んでもらえるのが一番嬉しい。

 そう納得してしまうからこそ、ライカはつい頷いてしまった。

 それに、その返事に嬉しそうに笑うエッダを見ていると、他人同士として当然持っている僅かな隔意も、解されて暖かく溶けてしまうようでもあった。


「こんな時間だから、賄い方ももう休んでるしお店も店仕舞いだ。ここは昼と夜が逆みたいなものだからね。だから、私が何か簡単に用意しよう」


 エッダはそう言うと、仕事用の複雑で動き難そうな服を手早く着替え、簡素な単服姿になって下の賄い所へと降りて行ってしまった。

 その動作は遠慮や躊躇いのつけいる隙の無い見事さである。


「エッダさん、料理出来るんだ」


 思い切り置いてきぼりになった感のあるライカは、それだけをポツリと言葉にした。

 既に大人である女性に対して失礼な感想だが、彼女にはそういったどことなく浮世離れした雰囲気がある。

 話していると、意外に身近で温かい気質の女性であると気づかされるのだが、まだ知り合ったばかりでもあり、ライカは彼女という人を今ひとつ飲み込めないでいた。

 それに、


「人間の食い物は腹にはたまらんが、ほんの偶に美味いのもあるよな」


 いつものように傲慢とも言える台詞をさらっと言ってしまうサッズではあるが、どうやらあのエッダという女性といるとどことなく機嫌が良いのだ。

 一人で考えていても仕方が無いので、ライカは直接サッズに問い質した。


「サッズ、彼女に自分の一部を贈ったの?」

「ああ、再会の約束をしたんだが、その時に居場所が分からないと困るだろ」


 そんな風に、ごく軽く答えたサッズであるが、ライカは驚愕に近い思いにとらわれる。

 竜にとって我が身の一部を贈るというのは特別な信頼と愛情を表す行為だからだ。

 例えば竜の男女が家族の誓いを交わす時には、それぞれ我が身の一部を削って交換し、その欠片を自らの体内に入れることで新しい家族として成立する。

 同じことを行う竜騎士の誓いが魂の伴侶と呼ばれるのはこのためだ。

 そういう慣例的な意味合いを別としても、肉体それ自体に強い力を持つ竜だからこそ、それを何らかの形で相手に持たせることで守護の力とする意味もある。

 ライカがタルカスから贈られたナイフもその類で、彼の鱗から作られているそれは、ライカ以外の者では鞘から抜けず、一見するとただの小振りの飾り刀のように思われる作りだった。

 だが、ひとたび抜いてしまうと『何でも』切れるという恐るべき使い勝手の悪い道具となる。

 竜王達からしてみればライカの身を守る武器として贈った訳なのだが、人間が使う物としては加減が難しすぎて使い物にならなかった。

 さして力を入れずに硬い岩が薄皮の果物の皮のように削れた時に、ライカはそれを二度と抜かないと誓ったものだ。

 うっかり振り回したら何を切ってしまうか分からない。そう考えて心から震え上がってしまったのだ。

 それでも家族から贈られた物なので常に帯飾りとして携帯して大事にしていた。

 それに、自身が竜ではないライカだが、これを持っていれば家族がすぐに見付けてくれるという実用的な面もあったのである。

 そして、ライカ自身がそんな明らかに人間向きではない品物を経験していたので、サッズがエッダに贈った指輪に対しても懸念があった。


「あれ危なくないの?」


 サッズに対して遠まわしな言い方は意味が無いので、ライカはズバリ率直に聞いてみた。

 流石にナイフと違って指輪が凶器になるとはライカも思わなかったが、万一のこともある。

 竜は自身が頑丈すぎるために人間がか弱き生き物であることを時々失念するようなのだ。


「なんで指輪が危ないんだ?俺の呪いの指輪と違ってちゃんと抜けるぞ」

「サッズ、やっぱり人間の体が嫌なんだね」


 ライカはひんやりとした視線をサッズに向ける。

 サッズが呪いの指輪と言ったのは揶揄であって実際に呪われている訳ではないからだ。

 サッズの言う呪いの指輪とは、サッズを人間の姿に留める為に成された封印を込めた銅製の飾り気の無い指輪のことで、これは黒の王であるタルカスが作って条件付けをした品なので、サッズが例え邪魔に思っていようと勝手に外すことが出来ない代物なのである。

 何しろタルカスは現存する最古の竜王であり、創世の時代の最後の生き残りと言われているような存在なのだ。

 まだ卵に片足突っ込んでいるような雛に対抗出来るような相手ではない。

 それに、実の所サッズが家族で一番慕っている相手がタルカスであり、セルヌイにはやたらと反抗的なサッズもタルカスの前では大人しいのだ。


 その辺の事情を知るライカとしては、その指輪を贈られた時に、恐らくサッズが浮かべたであろう情けない顔をありありと思い浮かべることが出来る。

 それを考えるとライカはちょっと笑ったが、本来束縛を嫌うサッズがそういう無理をしてまで来てくれたという事実を思えば、笑ってばかりではいられない気持ちもある。

 この『兄』はライカが人里に降りると決意を示した時に、使役竜のふりをしてでも付いて来ると言い張っていたのだ。

 結局『理論整然と』説得されたサッズは、その後一年で苦手だった人化を会得して、こうやって会いに来たのである。

 その折に、会得したとはいえ、その人化が全く安定しなかったので封印を受けるという次第になったのだ。

 それは自尊心の強いサッズからすれば屈辱に違いない。

 それを思う時、ライカはこの人間の世界でサッズが経験する出来事が、サッズ自身のためでもあって欲しいと願うのだ。

 だからこそ、


「うん、危なくないならいいんだ。そっか、よかったな、サッズ」


 少なからずライカは心の中が暖かくなるのを感じていた。

 あれだけ人間を忌避していたサッズが、こうやって受け入れることの出来る人間を持てた事実が嬉しいのだ。

 とは言え、いきなり人間の女性に装飾品を贈るというのは適応しすぎの気がしないでもなかったが、サッズが女性に積極的なのはいつものことなので、そこは諦めるしかないだろう。

 サッズはサッズらしく大事なものを見付けて行けばいいのだとライカは思っていた。


 エッダは朝食どころか二人のために携帯して持って行ける食料も選んで包んで来てくれた。


「あの」


 流石に申し訳なく思って、ライカはそれは断ろうと思っていたのだが、


「どうだ?案外気が利くだろ?女らしいとか褒めていいよ?」


 などと言われてしまい、いつの間にやら「ありがとうございます」と礼を言って受け取ってしまっていた。


「気が利くな、エッダは」


 サッズはといえば、何のてらいもなくそう言うと、何か満足気に頷いている。


「それで、これは旅包みといって、毛布の内側にこうやって厚手の皮紙を挟んで、こう畳んで両端を肩と腋の下から通して結んで背負うんだ。これだと必要な物が一つの荷物に収まるだろう?」

「あ、なるほど、便利だし、動き易いですね」


 背負子は荷物を沢山背負えるが、嵩張って邪魔になることが多かった。

 それぞれが自分の荷物しか持たないならエッダの教えるやり方のほうがいい。

 更には。


「それと、これは帯に通す結び下げだ。この先に水筒を挟んでこうやって吊り下げる」


 と、細々とした便利な道具を手渡して使い方の説明をした。


「へぇ」

「なるほど、流石に人間のやることだ。細かすぎてわからん」

「いや、凄く単純な道具だよ、これ。この二つをこうやって通して結ぶだけだし、って、なんで結び目解いてるの?」


 そんな親切な説明を聞いているのかどうか、理解をする気のなさそうなサッズにライカは呆れて自分で実際にやってみせ、説明をしたり。

 そうやって、色々と便利な小物や工夫を教わって、気づいた時には既に礼を言う以外何も出来無いぐらいに世話になってしまっていたのだった。

 もはや遠慮をするもなにもあろうはずがない。


 二人の様子をニコニコと笑って見ているエッダに、自分は到底敵わないことを、ライカはこの時はっきりと悟ったのであった。

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