第125話 心が動くという事

 サッズの、突飛な告白を聞かされたエッダの反応はやや複雑だった。

 当初は噴き出しそうになるのを堪えて、それをごまかすように笑みを浮かべ、次にやや推し量るようにサッズの顔を見直し、最後にはどこか遠い所を透かし見るかのような表情になった。


「竜か、この世で最も偉大な生物だって謳われているよね。一度見てみたいと思ってたんだ」


 その手は、衣服の奥を探って相手の官能を引き出そうとするのを一旦止めて、少しだけ胸にもたれるように頭を軽く触れさせた。

 それは、相手の負担にならず、尚且つ温もりを感じられるようにと考えられた、軽い接触だ。


「ただの竜でいいなら、ここには色々いるじゃないか」


 自らの言葉で王家の竜フィゼの新雪のように白い肢体を思い出し、続いて相手の罵倒も思い出してしまい、サッズは溜息を吐く。


「王様の竜のこと?それとも早駆け竜のこと?でも残念。私はどっちも見てないんだ。王都に来て、真っ直ぐここへやって来て、それから一度もここを出てないし」

「一度も?どのくらいここにいるんだ?」


 サッズの不思議そうな声にエッダは微笑んだ。


「なんだか野暮な質問だな。でもまあ、そうだね、もう十年にはなるんじゃないかな?」


 サッズにとって十年とはあまり意識して考えるような時間ではない。

 だが、ライカの成長を間近で見て来た彼には、それが人間にとって十分に長い年月だと理解していた。


「変な話だな、さっきは外にいただろ?」


 エッダは笑う。


「そりゃあ、お店の外には出るけどね。この囲い地、『王都の庭』に入る時見なかった?入り口に兵士が立って出入りを厳しく監視してるんだ。自由に出入り出来るのはお客だけで、囲いの中と外は別の世界なんだよ。もし誰か一人に身を捧げることが決まっても、最低半年は様子見の時間を取られるんだ。ほら、ここは見知らぬ他人同士が深く繋がる場所だからね、色々あるんだ」


 冗談めかして告げるエッダの表情にはどこか憂いがある。

 だが、サッズには当然ながらそういう機微は汲み取り難いものがあった。


「さっぱりわからん」

「そうだね、まだちょっと早いよね、こんな生臭い話は」

「生臭い?」


 サッズは辺りを嗅いでみるが、先程と何か違った様子もない。

 首を傾げてエッダに顔を向けた。


「別に臭わないぞ?」


 ぷ、と、エッダは噴き出し、咳き込んだ末に息を整えると、サッズから身を離して謝る。


「ごめん、笑ってしまって」

「さっきも言ったが意味がよくわからないぞ」

「そっか、竜なら人の世界の生々しい話なんて分からないのが当然。か」


 言いながら、エッダは床に彩りよく広がる布を拾って、その中の一番上にあった白布を身に纏った。


「かつて聞いたことないぐらいに素敵な断り文句だったな。つい、サッズみたいな綺麗な子なら凄く綺麗な竜なんだろうなって思ってしまって、大空に羽根を広げる綺麗な竜を想像してしまったもの」


 ゆったりと布を巻いて、帯をやや斜めに締め、結び目を長く脇から流す。

 簡単な身支度だが、それは何となく彼女を清楚な淑女のように見せた。


「もちろんサッズは空を飛べる竜なんだよね?」

「そりゃあな、同族の全ての竜は空を飛べたが、俺は特に飛竜に属するから、空が本来の居場所だ。飛竜には子育てをする時以外は地に足を付けないで過ごした者もいるぐらいだ。といっても、もう世界に残ってる飛竜は俺ぐらいだろうけどな」

「ん?でも竜騎士である英雄様の竜も空を飛ぶ竜じゃなかった?もしかしてサッズがそうなのか?」


 エッダの無邪気な言葉に、サッズはむっとした顔になる。


「冗談じゃない、あんな口煩いおっさんと一緒にするな!俺は前代、天上種族の竜だ。今に生きてる地上種とは何もかもが違う」

「英雄の運び手を口煩いおっさんって」


 笑いの発作に襲われて、身を捩って笑うエッダに、サッズは簡潔に答えた。


「おっさんはおっさんだろ?まあ生きてる年数は俺の方が上かもしれないが」

「その言い方だと寿命も違うのか?もしかして古代種とか?」

「そう言ってるつもりだが」


 サッズの真面目な主張にエッダは頷く。


「そうか、それはそうだな。普通の竜が人間になれる訳がない。精霊と同格であったと伝わる太古の竜なら確かに可能だろうな」


 そう言う彼女を、サッズはうろんな目で見た。


「お前、実は信用してないな?」


 その指摘に、エッダは慌てることもなく答える。


「別にサッズを信じてない訳じゃないよ。だけど、人は自分の見た物以外はなかなか信じられない生き物だ。本当なら素敵なことだとは思うけど、それをそのまま信じて本当だと思うのは難しいだけ」

「ふん」


 サッズは相手の中に、言葉のままの偽りの無い思いを感じ取り、彼女に文句を付けるのを止めた。

 エッダというこの人間の女性の中には、複雑で矛盾に満ちた他の人間とは一線を画す純粋さがあり、それがサッズにとっては心地良い。

 そして、だからこそ、サッズは彼女に真実をわからせたい気持ちになった。


「なら、信じられるように見せてやる。行くぞ」

「え?」


 この店で最も上位の部屋を持つ彼女の『迎えの間』には、客と共に夜の風景を楽しむ為のテラスがある。

 何重もの布で仕切られたそこからは、まだ少し肌寒い外の風が僅かに香っていた。

 サッズはエッダの手を引いたままそこをくぐると、テラスへと踏み出す。

 突然の移動に、風が彼女の髪をかき乱すが、それには構わずエッダは目を細めた。


「ああ、ここは私が一番好きな場所なんだ。でも、まだちょっと肌寒いな。こっちがいいなら何か温かい物を運ばせてって、え?」


 サッズは有無を言わさずエッダを抱え上げると、テラスの縁を蹴る。

 流石に驚いた彼女は、言葉を失って、次に来る落下の恐怖に目を瞑った。


「こら、目を開けろ!ここに来た意味がないだろ?」


 びょうびょうと鳴る風の音に震え上がり、何か喘ぐような呟きを漏らしたエッダに、サッズは苛立たしげな声を掛ける。


「え?生きてる?」


 呆然とした呟きに、サッズが眉根を寄せた。


「当たり前だろ?それより、ちゃんと目を開けて見ろ、見なければ信じられないって言ったのはお前だろうが」


 言われて、恐る恐るといった風に目を開けた彼女は、軽く悲鳴を上げ掛けて、自分を抱えてる相手を見上げ、そのまま視線を上に向けると、ゆっくりとそれを下に下ろす。


 空にはまだ細い月と、暗い藍色の空に散らばる光の宝石のような星があり、見下ろした地上にもまた、小さく揺らめく光が見えた。

 彼女の足元には連なる首飾りのような光、それを闇が取り囲み、更に視線を辿ると、幾つかの光が固まって見える。

 足元の物は夜尚明るい彼女の住む王都の庭の灯り、少し離れて見えるのは城や、不眠の関の灯火の物だ。

 天上の光に比べると地上の光は弱々しいが、その代わりどこか温かい色合いをしている。

 エッダはやがて、恐怖よりも強く込み上げる何かに体を震わせた。


「綺麗、凄く、綺麗だ」


 サッズは、ぎょっとして彼女を見ると、慌てて声を掛ける。


「何だ?何で泣いてるんだ?どうした?その感情はなんなんだ?体が痺れるような、総毛立つような、変な感じだぞ?」


 エッダの生の感情に触れ、それを理解出来なかったサッズは困惑していた。

 エッダは答えない。

 ひたすら貪るように、流れる涙を拭うこともせずに、その風景を見続けていたのだ。


「驚いた。なんなんだ一体」


 部屋に戻ったサッズが、ぼやきながら自分の腕を摩る。


「驚いたのはこっちだ。凄く驚いた、驚いたという言葉じゃ足りないくらいだ」


 エッダはそう答えたが、責めるような言葉とは裏腹に、彼女の顔は輝くような笑みに満ちていた。


「あんな、風景があるんだな。天も地もないような場所で、闇と散らばる星に囲まれているようだった。建物の一つも見分けられなかったよ。どれだけ高く上がったらあんな風に見えるんだろう?」

「高さは知らんが、人間が呼吸を普通に出来るのはあの辺までだ。あれ以上になるとどうも息が詰まるらしい」


 ライカを背や足に乗せて飛び回った実績があるので、案外とサッズは人間の滞空限界に詳しい。

 だが、そのライカといえば、むしろ息が詰まったり、寒さで体がバリバリに凍り付いたりするのを面白がっていたので、実の所、あまり参考にし過ぎるのも問題がありそうだった。


「ところでさっきは何でいきなり泣き出したんだ?だだ漏れしてたあの感情はなんなんだ?」

「だだ漏れしていた感情って、もしかして、私の感情を読んだのか?」

「読んだというより読まされた。そもそも俺は人間の感情があまり好きじゃないんだ。それなのに人間ときたらいつも何やら有り得ない妄想や空想を撒き散らしながら動き回っているんだぞ。正直迷惑だ」

「それは、申し訳なかった」


 サッズの文句に、先程まで浮き立っていたエッダの様子が目に見えてしぼんでしまい、サッズは逆に慌てた。


「いや、別にお前の感情が不快だったという訳じゃないんだ。むしろお前のはほっとすることが多い。だが、さっきの感情はよくわからないから困惑したんだ。なんというか、そう、甘くて強烈な毒を食った時に似てる」


 エッダは噴き出した。


「何それ?サッズは毒を食べたりするんだ?竜ってみんなそんな感じなのか?」

「嗜好はそれぞれだ。理解されないこともある」


 サッズは簡潔に答える。


「それより」

「ああ、さっきの感情だね」


 サッズの言葉を軽く取り上げて、エッダは改めて優しげな笑みを浮かべた。


「あれは、そうだね、感動したんだと思う。凄く綺麗だな、こんな美しい物が存在する世界に自分はいるんだ。そんな想いで胸が一杯になったんだ」

「感動?」


 サッズはその感情の名前を呟くと、不思議に先程の感覚が蘇るのを感じた。


「感動、か」


 ふと目前の女性を見ると、そんなサッズを真っ直ぐその瞳に映している。

 そのことにどこか心地良さを感じている自分を、サッズは不思議に感じていた。

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