第124話 夜の香り

「おい」


 サッズはライカの眠る姿をチラリと見て、傍らの女性、エッダに声を掛けた。


「まぁ、もういっぱしの男気取りなのね。どうした?」


 その、この店、星のヴェール亭の花であるエッダは笑いを含みながらそう返事する。

 彼女の声は何を言う時も優しげな響きを帯びていて、他人に不快を感じさせなかった。

 実際、サッズの感じ取る彼女の気持ちにも尖った所は存在しない。

 サッズにとって、この女性は今まで出会ったことのないタイプの人間だった。


「さっき渡した物では大した時間は留まれないと言っていただろう。どうやらこいつはまだ休む必要があるようだし、これを必要なだけ取っとけ。足りないならどうにかしてくるから言ってくれ」


 ザラリと、金属的な響きを持って投げ出されたのはどれも見事な細工が施された装身具である。

 どちらかというと繊細な造りの物ばかりで、どうやらほとんどが女性用の物と思われた。


「あらあら」


 エッダは驚くより面白がるような声を上げると、それらを一瞥する。


「こんな価値のある物に対して、そんな風な扱いは感心しないな。ごらん、みんな本来硬い金属なのに丁寧に細工がしてあるだろう? 職人が心血を注いで作った物に違いないんだ」

「俺はそういったものは全くわからんし、関心もない。家を出る時に路銀代わりに持たされただけの物だ。そこまで気が使えるか」


 どこかふてくされたようにそう言うと、サッズは顔を背けた。

 エッダは更に笑みを深くすると、塊になっているそれを一個一個解して並べる。


「そうか、君は大事にされているんだな。ところで、名を呼び捨てる許可をいただいてよろしいでしょうか? 閣下」

「俺は閣下とかじゃないし、名を告げた以上好きに呼べばいい」

「それじゃあ、サッズ。どのくらいの時間この坊や、ライカと言ったね、ライカが休む必要があるのかまだわからないし、お代は帰る時ということでいいよ。何日になろうと、これだけあれば留まれないことは無いし、その気があるならそこらの小さめの宿なら買い取れる程度の価値がある品々だよ。なんならまっとうな宿でよさそうな所を紹介してあげてもいい。うちは長期滞在するには高すぎるからね」


 どこか楽しそうに、並べた首飾り等を今度は美しい布で磨きながらそう告げた。


「いや、出来ればここがいい。あんまり動かしたくないし、それにまた違う人間と関わるのは面倒すぎる。必要な分が間に合うならここでいい」


 サッズの言葉にエッダは笑うと、「そうか」とだけ頷いて見せる。

 装飾品を磨く彼女の手つきは丁寧で繊細であり、くすんでいた品々は元々持っていたであろう輝きを徐々に取り戻して行った。


「この品々のほとんどは銀細工だけど、銀ってのは手入れをしないとたちまち機嫌を損ねる気難しいお嬢さんなんだ。その代わりこうやって根気よく磨いてあげれば気品のある輝きを見せてくれる。こういった装身具はその輝きで人の目を惹きつける、いわば高貴な女性のための武器とも言える物だよ。戦士が自分の武具の手入れを怠らないように、女性もそうやって常に戦いに備えているんだ」


 サッズは不思議そうにその光景を眺めながら尋ねた。


「さっきの話じゃそれはまだお前の物ではないんだろう? なのにどうして熱心に手入れしているんだ?」

「ああ、そうだね、確かに変だよね。ただ私は綺麗な物が好きなんだ。せっかく綺麗なのにそれが台無しになっているのは心が痛むだろう? だから勝手だけど手入れをさせてもらってるのさ」


 チャリっと小さな音を立てて、込み入った細工の幅広の首飾りが並べられる。


「これなんかは一つでお屋敷が建ちそうだ。なんて繊細な細工だろう。実はね、サッズに声を掛けたのも私のその性癖のせいなのさ。君は自分で気づいているかどうか知らないけど、他人を感動させるぐらい綺麗だよ。そうだね、この丁寧に作られた飾り達が作り込まれた美しさなら、君は世界の輝きをそのまま人の姿に留めたような感じだな。伝説の精霊を彷彿とさせるよ」


 熱心に語ればそのまま愛の告白にでもなりそうな言葉を、エッダは全く無邪気に言ってのけた。

 一方の、語られたほうのサッズと言えば、心ここに在らずといった風で何かを確認するような顔つきになっていて、なんとも色気とは無縁な風景を作り出している。


「この香り」


 ふと、サッズは呟くように言った。


「この香りはお前のと同じだな。さっきの他の連中のベタベタした匂いとは違って気持ちが良いと思ったんだ」


 エッダは笑う。


「せっかく教えたんだから名前で呼んでくれないか? それと香りを褒めてくれてありがとう。これはうちの地方のやり方で、本当は悪い虫が衣服に付かないようにするための工夫なんだ」


 そう言うと、エッダは飾りの手入れをひとまず中断し、立ち上がって何かを持って来た。

 手にしている物は金属で造られた小さな入れ物である。

 綺麗な物が好きだという彼女に相応しく、それは細工が施されていて、花弁に守られる花の中心に網目状の小さな篭があり、そこから白く細い煙がたなびいてた。


「何か燃やしているのか?」


 どうやら香りの源はこれらしいと気づいたサッズは、それに興味を持って尋ねる。


「これは炊き木片といって、本来は肉とかを燻す時に使う物なんだ。でもうちの地方では炉にくべてその回りに服を並べて染み込ませたり、家そのものに焚き込める。人の皮膚に潜り込む嫌な虫がいてね、それがこれをやると寄って来ないからそういう風習があるんだ」

「へぇ、面白いな」


 すっかりそれが気に入ったサッズは、エッダにその材料(といっても元の木だが)を聞き出すと、帰ってからやってみようと心に決めた。

 実は彼ら竜にも鱗の間に棲み付く虫(?)がいて、それを追い出すために海に潜ったりすることがある。

 だが、海に潜った後、まるで粉がふいたように塩分が張り付くのがあまり好きではなかったサッズには、これは一挙両得の良いアイディアに思えた。


「ふふ、面白いねサッズは。今までこれに気づいた人はいたけど、そんなに気に入ってくれたのは初めてだ。ちょっと嬉しいな」

「そうか? こいつだって良い香りは好きだぞ」


 ライカの頬の感触がお気に入りのサッズは、また指先でつつく。

 その度にまぶたがぴくぴくするのもまた面白いのだろう。


「やめてあげなよ、変な夢を見ちゃうだろ? 全く、サッズはうちの手のかかる弟にそっくりだ。あの子も赤ん坊の頬をしょっちゅうつついては母さんに注意されてた」


 懐かしそうに目を細めて、エッダはそう言う。

 過去の風景を思い出しているのか、その口元に浮かぶ笑みは、それまでの物とどこか違っていた。


「家族か」


 サッズはそんな彼女を不思議そうに見る。

 彼にとって家族とは輪の一員であり、自らそこを旅立つ巣立ちの時までは決して切れない絆で結ばれているものだ。

 だが、漂うエッダの意識の欠片が、彼女がそれを失いたくないのに自らその絆を断ち切ったのだと伝えてくる。


「さっき、確か自分は騙されてここに来た者とは違うと言ってたし、どうしてそんなに大事な家族なのに離れることを選んだんだ? 離れた時はまだそういう時期でもなかったんだろう?」


 エッダはびっくりしたようにサッズを見ると、今度は声を上げて笑い出した。


「ほんと、サッズは誰とも違うな。でも駄目だ。この場所では男女は過去を振り返らないんだ。ここは一刻の夢を見る場所なんだよ。過去も無く未来も無い。だからここで起きたことは忘れ去っても誰も咎めないんだ」

「全く意味がわからないな」


 眉をしかめて首を傾げるサッズを見て、エッダはふと立ち上がると、それまでとは違う表情を見せた。

 色々な顔を持つこの女性に、サッズはなんとなく感心する。

 エッダはサッズの傍らに座ると、そっと身を寄せた。


「ここはこうやって温もりを分かち合って、ただの男と女になる場所なの。余計な衣服は脱ぎ去って、ただ互いだけを感じる。それだけのための場所」


 幾重にも重ねられた彼女の服装は、しかし僅かな帯を外すだけでするりと肌を滑り落ちる。

 ちらちらと揺らめくランプの灯りの下でも、その柔らかな肌は瑞々しい張りを示し、まるでその肌自体が独特の香りを放つようだった。

 一糸も纏わぬ姿になったエッダは、身じろぎしないサッズの服の間に手を差し入れて、そっとその肌に直に触れる。

 最初、ひやりとしたその感触に少し驚いたようだったが、面白そうに更にサッズの服をはだけた。


「もしかしてこれってあれか? 愛の営みってやつか?」


 サッズが確認するようにそう言うと、エッダは可笑しそうに頷く。


「わざわざ確認されると私でもちょっと恥ずかしいけど、そうよ。といってもここでは愛よりは快楽の営みといったほうがいいけどね」


 体を押し付けてくる柔らかな存在への対処に困ったように手を彷徨わせると、サッズは躊躇いがちに断りを入れた。


「あの、凄く嬉しいし、出来れば俺も受けたいんだけどな、実はまだそういうのは無理なんだ」

「まだ無理って? 初めてを約束した彼女とかいるの? それなら手ほどきだけ教えてあげてもいいわよ?」

「そのままの意味だ。俺はまだ成体じゃないからそういう体の作りになってないんだ」


 サッズの言葉にエッダは不思議そうに聞き返した。


「ごめんなさい、ちょっとよくわからないわ」


 首を傾げてサッズの胸元からその顔を見上げる彼女の瞳はこれ以上も無い程純粋で無邪気だった。

 さらりとした髪が彼女の肩からサッズの裸に剥かれた胸にこぼれ落ちて、そこに独特の感触を残す。


「ああえっと、俺は実は人間じゃない。竜なんだ」


 神妙な顔でそう告白するサッズを、エッダはただ瞬く目で不思議そうに見つめた。


 しんとした夜の闇の中、ジジジと、油粕を燃やしたランプの火が、一瞬ゆらいで室内の影を踊らせていた。

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