第120話 輝きの夜

 サッズは人の造った都の街並みを見下ろした。

 複雑な一枚の図柄のようにそれは入り組み、その中に取り込まれれば方向すら当てにならない。

 人間は小さくて非力な種族だが、彼らは思いもよらぬ物を世界に生み出し繁栄を誇る、今の世界の覇者でもあった。


「後代の、それも力の大半を無くした連中とはいえ、竜すら従えてるんだからな。ほんと、とんでもないな」


 あまり下に降りると女性竜フィゼの苛立ちの意思が暴力的に飛んでくるのでかなり高度を取ってだが、従える裾野の街よりもより意図的な模様で描かれた王城を見渡す。

 城の敷地の裏手はそのままそれなりに険しい崖になっていて、その崖と郭内との間には大きな滝があった。

 それはかなりの水量を誇る物で、下り落ちた先は流れを作らずにそのまま地中に潜っているようなので、まるで突然水が消えたように見える。

 西の街の奥の山にもそのような滝があるが、あの滝は自然に地底に潜っていたが、こちらは後からそういう風になるように人間の手が加えられているようだった。


「あの筒から水が出る仕組みはこの水を利用してるのかな?よくもまぁ色々考えるもんだ」


 サッズがそうやって上空でいつまでも愚図愚図しているのは、ライカに会えば当然今回の対面の話になり、自分がフィゼに振られた事を暴露しなければならないからだ。

 女性に振られるというのは、竜にとってかなりこたえる出来事であり、しかも相手からは弟のほうがマシと言われてしまったのである。

 流石に平気な顔で当のライカに話せる気分では無かったのだ。


(今はあの蜂の巣のような騒ぎの地上の街に降りたくはないな。久しぶりに上に上がってみるか)


 ただ、サッズ自身はそういう後ろ向きな想いを自分の物として受け入れられないのか、心の中でこれは単なる飛翔への欲求だと片付けている。

 本来なら全く感じずに済むような風をわざと全身に受け、出来るだけ抵抗の激しい速度で急上昇した。


 竜という生き物は、世界を掻き回す為に生まれてきたと言って良い程全てに挑戦的だ。

 サッズは当然その竜としての気性を余さずに持ち合わせていて、乱暴な行いに喜びを感じる所がある。

 全身を打つような、大気そのものが圧縮されて作り上げる壁を押し退け、そして突き破る。

 ガツンガツンと全身を叩く衝撃がサッズには楽しくてたまらないのだ。

 それは、本来未熟な雛には親が決してやらせないような遊びだが、飛竜であるサッズには生まれつきの性質として飛ぶことへ対する挑戦欲が備わっていた。

 それを今や誰が彼を止められよう。空の王者の血を持つのは、もはやこの世界に彼だけなのだ。


 世界を覆う大気の殻を破り、絡み付く地の底の重さを引き剥がす。

 そこには明るい夜があった。

 巨大な星々が互いの歌を競い合い、駆け抜ける光がそれぞれの歌に揺らぎを与える。

 その中で、間近にある翠と碧に輝く星こそが彼の棲む星であり、間近で響く生命の歌の主でもあった。


(人間の雑音も好きじゃないが、こののんびりとした歌も怠くて聞いてられないな)


 まだ若いサッズには一節を生物には計り知れないサイクルで歌う星々の歌はつまらないし、理解出来ないものである。

 ただ、悠久の時の中の瞬くようなこの時に、それは限りなく静寂に近かった。

 サッズは、若者らしい孤独を望む時には、こうやって彼だけが持ち得る能力を駆使して、この明るい夜の世界にやって来ていたのである。

 サッズ的に言うと、『間延びしたあくびのような星々の歌』の中で、わずかながら時の概念を忘れて微睡む。

 それは穏やかさという力でサッズを癒した。


「まあでも、悪いことがあれば良いこともあるさ」


 楽観的な言いようは、別に未来を見通した訳ではなく単なる強がりに過ぎない。

 そして、現実というものは得てして思惑の裏をかくものだ。

 サッズがそれを思い知るのは、それ程遠い先の話ではなかったのである。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 一人の少女が在った。

 彼女は大家族で貧しい故郷を嫌い、豊かで華やかな王都に憧れ都に上がった。

 彼女のような者は毎日のように王都に押し寄せるのだが、当然のことながら皆、自分自身だけは特別なのだと思うもので、そのような流入者は絶えることがない。

 彼女はそうして無邪気に罠に踏み込み、何も考える間も無く闇に捉えられる。


「私はそんな仕事がしたくてここに来た訳じゃないの!お裁縫だってお料理だって出来るもの、ちゃんと働き口を探すのよ!」


 だが、闇は彼女をせせら笑った。

 お前は特別では無いのだと、チャンスとは本当に特別な者にしか訪れないものだと。

 本当ならいずれ地べたの染みにしかならないお前を働かせてやるのだからありがたく思えと、自分達の正しさを示したのだ。


 少女は嘆いた。

 自分はどこで間違ったのだろう?他人を信用したこと?お金を取られたこと?

 それとも、最初から?


「いや!いや!いやあああああ!」


 何もかもが受け入れ難くて、少女の悲鳴はそこに焼き付いた。


 一人の青年が在った。

 働き手の父が突然他界し、家族には他には女子供しかいない。

 まだ幼かった彼は仕事をとにかくなんでもやった。

 雑用から始めて人夫、運び手、石の切り出し。

 様々な仕事をして彼には一つの夢が生まれる。


「いつか商人になって、自分の店を持とう」


 やがてやっと雇ってもらった商家の下請けで王都に来た。

 その豊かさは彼の夢を膨らませた。

 だが、彼も都の暗い場所に気づかずに踏み込んでしまったのだ。


 彼を荷物のように扱った者達は口々に言った。

 お前のような体格に恵まれた者はそれを活かすことこそ正しい道だと。

 外洋に出ていく船に乗れるなんて素晴らしいじゃないかと。


 何が素晴らしい!それはただ船底で櫂を漕ぎ続ける仕事なのに!


 外洋船の戻りの悪さは彼も知っていた。だからこそその荷は高い値が付くのだ。


「いやだ!死にたくない!店を持って飢えの心配のない生活を家族に送らせてやるんだ!」


 だが、彼らは笑って言った。

 お前のような食い扶持が減ったほうが、家族も助かるだろう。

 その者達は言葉の通じ無い恐ろしい化け物のようだった。


「嫌だ!」


 血を吐くような叫びは滴るようにその場に吸い込まれた。


 沢山の悲鳴、苦痛、恐怖がなだれ込み、ライカの意識はぎゅうぎゅうと押される。

 肉体にはエールの許容量がある。

 分かち難く結びついているその二つは、例えれば織られた布のような物だ。

 物質である肉体はエールである魂を織り込まれて生命たる存在と成る。

 そこには決して隙間は無い。

 無理に押し広げれば肉体も魂も破滅するだけだ。

 感情が希薄になったライカの肉体に一時的に入り込んだ意思達も、やがては外に押し出されるのが当然の成り行きだった。

 しかし、人の感情は伝播する。

 響き合うエールは色を持ち、他者の魂を染めていく。

 ライカは感じていた、深い悲しみ、絶望、痛みを。

 それらは制御するのが難しく、留めておく訳にはいかない物だった。

 そして暴走する感情を忌避する竜の基本法規が、『それ』を押さえ込めと激しくうねりを起こす。


「あん?荷物部屋が騒々しくないか?」

「ガキが薬が切れて騒いでるんじゃないか?面倒だから舌を切っておくか?」

「そりゃあ良い、秘密の多い貴族様だ。口の利けない召使は便利だろうからな」


 笑いあった男達が荷物部屋と呼んでいる格子部屋への扉を開けると、そこには光が立ち込めていた。


「なんだ?火でも点けやがったか?」

「おい!ガキ!」


 鉄と木で作られた格子は頑丈に存在し、破られてはいない。

 だが、その中にこそ脅威はあった。

 燃えるような輝きに包まれたモノがいる。

 赤銅というよりは金色に近い。

 鍛冶を職にした者が見れば溶けた鉄の色だと言っただろう。

 ソレはヒトガタをしていて、その身には鱗状の文様が血のような赤で浮き上がっていた。


『タスケテ?』


 ソレは人のものでは無い声で言った。


「なんだ?これは!」


 当然ながら男たちには相手が何を言っているのかわからない。


『ニゲル、ニガス、イタイ、コワイ!』


 その声は不吉を呼ぶという黒い鳥の叫びに似ていた。


「ひぃっ!」


 何がなんだかわからないながら、男は本能的な恐怖に打たれ後ずさる。

 もう一人は既に地面に腰を落とし、ガタガタと震えていた。

 何処かで堅い物が割れるような音が微かに聞こえる。

 男達がそう思った時に、目前の格子が横にズレた。


「うああ!」


 しかし、その驚きはまだ早かった。

 次の瞬間、『ズッ』という、聞きなれない重い、しかしこれまた微かな音と共に、外壁がズレ落ちたのである。

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