第119話 闇の底に

 ライカは、初めて経験する不思議な感覚を、どこか他人ごとのように味わっていた。

 まず、やたらと記憶している場面が飛ぶ。

 宿としている店でお茶を飲んでいたかと思うと、次の瞬間ふわふわの干した草のベッドの中でその香りを嗅いでいた。

 そして現在は暗い部屋の中で、頭の中の一部がぼおっとした状態で横たわっている。


 ライカはその全てに疑問を抱くこともなく、ただ面白い見世物を見るような心地で他人事のように眺めていたが、一方でそれら全てに懐疑的な目を向ける自分も感じていた。

 その疑いの意識が、焦って一つの意思を形作ろうともがいているのだが、それは全て形になる前に儚い泡のように消え失せてしまう。

 何が面白いのかよくわからないのに口元は笑みを湛え、体は動かし方を忘れたかのように四肢も全てだらりと投げ出したまま放置していた。

 その制御の効かない体の、床に触れている皮膚からの情報が、どこかを遠回りしたかのように遅れて届き、触れているのは冷たい石のような物だと伝えて来る。


(どこだろう?)


 ふと、ぽかりと浮かんだ泡の一つがやっと意味のある意思を形作った。

 しかしそれは行動を促すような物では無かったので、相変わらずライカの体は横たわったままだ。

 だが、全く意味の無いことでは無かったようで、その意思は情報を集める方向に働いた。

 ライカの耳に、少し離れているらしい誰かの、男達の声が意味を成して聞こえ始める。


「ったくよ、運のいい坊主だぜ、あやかりたいもんだ。俺がもっと若かったら自分を売り込む所だ」

「ひゃっは、そりゃあダメだ、お前が粗野で下品なのは生まれつきだからな、お貴族の奥方様なんかが見たら卒倒するんじゃねぇか?」

「言いやがったな、てめぇのくせえ匂いなんか十間先まで届くじゃねぇか、見もしない内に悲鳴を上げられるぜ」


 ひとしきり互いを罵る言葉らしき、しかし殆どが意味のわからない物が交わされた後、また会話が続いた。


「あの『窓口』野郎は気楽に言ってくれたが、血筋の良さそうで上品な、それでいて身寄りが無い子供なんてぇ条件、早々見付かる訳が無いてぇの」

「大体よ、毛色の良さそうな孤児は、連中が作った、何だったか?収容所かなんかに全部持ってったじゃねぇか、そっから調達すりゃあいいだけなんじゃないか?」

「おお、それよ、俺もね、ただハイハイと受けるばっかりじゃ面白くねぇから言ってみたんだよ」

「へぇ、珍しく気が利くじゃねぇか、んでなんだって?」

「うるせえ、珍しくは余計だ!てめぇのケツに豚を突っ込んでやるぜ。で、だ、それが傑作なんだぜ、聞くか?」

「聞かなくったって結局は言うくせによ、もったいぶってないでさっさと言いやがれ、腐れ肉野郎」

「お前に精霊の呪いがあらんことを。……いいか、こうだぜ?」


 男はコホンと咳払いをしてみせると、声音を僅かに変えて続けた。


「『孤児の育成は主が行っている大切なお仕事。奥方様におかれましては旦那様のお仕事を個人の嗜みによって煩わせるのがお嫌なのです』だと」


 二人は激しく咳き込むように笑いながらそれを批評した。


「そりゃあつまり、奥方のお遊びを旦那に知られたく無いってことだろ?」

「いやいや、貴族ってえのは金はある程度自由に使わせる旦那でも、自分の仕事分野にしゃしゃり出て来る奥方には顔を顰めるって話だからな、この奥方は賢いぜ」

「ほう、そんなもんか。うちのかかあなんか俺の仕事の稼ぎが悪いってんで尻を文字通り叩きやがるんだがな」

「ああ、だからてめぇのケツはそんなに不格好なのか、それで合点がいったぜ」

「はっ、てめぇのくっせぇケツなんざ馬ぐらいしか鑑賞しねえもんだから蹴られもしねえんだろうさ」

「どうした図星か?返しにセンスが無くなったな、ざまぁないぜ」


 ガタガタと物音が騒がしくなり、しばらくしてまた会話が再開された。


「言ってろ!しかしなんだ、最近は急にお遊びの依頼が増えたな」

「なんでも今は貴族の奥方の間で『お茶会』ってのが流行ってるらしくてな。どうやらそこが自慢大会の場になってるんだな」

「へぇ、しかし、宝石やら服やらはまだわかるが、なんでまた子供なんだ?」

「それが、傑作なんだ。『窓口』じゃねぇとっからの情報なんだがよ、前の秋の時に第二王妃側のご婦人が連れて来た。亡国の姫君ってぇ娘がえらく評判になって、第一王妃側が巻き返しを計ってるんだと」

「第二といえばあれだろ?王女様しか産んでない方の」


 シッ、と、もう一人が遮るように鋭い声を出した。


「やめろバカ、どっからかそんな話をしてたとか漏れたら門に吊るされるぞ?」

「ちげぇねぇな、おお、精霊様、ご加護をたのんますよ」


 耳障りな笑い声を立てる二人はどうやら酒を飲んでいたようだった。

 自分達の些細な言葉にも一々盛り上がっている。

 彼らの話が何度も脱線を繰り返して過去の仕事に至った時に、無感動に、いや、表面上は微笑みながら彼らの言葉を聞いていたライカの周りで、何かがざわめいた。


『カ  シテ、ワ  』

『 ぁ!  のに、  けて』


 濃密な闇が、沈殿した床からふわりと浮かび上がり、何かを吐き出すように蠕動する。


「あ~、抜けねぇな、これは」

「どら、う~む、こりゃああれだ、呪いの品じゃないか?呪具ってやつだ」

「親が子供に持たせるお守りってやつか、やべぇ、呪われちまうぞ」


 大げさな悲鳴と笑い声。


「親ってのは子供が望みもしないのに、こうやっていらんことをしやがるもんさ」

「いつだったか、あの『母親』は傑作だったな!」


 ゲラゲラと笑い飛ばす声。


「あの馬鹿親か、子供がお貴族様の養子になれるってのに、えらい勢いで邪魔しようとしやがって、ひでぇ母親もあったもんだぜ」

「子供の将来を考えろってんだ、なぁ」

「茜色の髪に乾いた土の色の目、色白でふっくらとした生後一年以内の男の赤ん坊だったか?あん時も苦労したな」

「うちのおふくろもろくでもなかったが、さすがに儲け話があったらさっさと俺でも弟でも売っ払ってくれただろうよ」

「いいおふくろさんじゃねぇか」

「だろ?飲んだくれだけどな」

「その才能はちゃんとお前に受け継がれてる訳だ」

「ちげぇねぇ」


 少し離れた彼らの声に、反応するかのように闇の囁きは大きくなる。


『カエシテ、カエシテ!カエシテ!』


 ライカは感情の動かないまま、ただその『声』を聞いていた。

 それはこの場所に刻まれた強い意思。

 エールが意味を持ったまま形に成らずに漂うモノ。

 人が精霊と呼ぶ、その一歩手前のモノでもあった。

 ソレは、ライカの欠けた感情を補うかのように、その身の内に侵食を始める。

 ライカはただ、心の伴わない微笑みを浮かべて、それを感じていた。

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