第70話 異界

 その男は特徴的な姿をしていた。

 がっしりと筋肉質の体は一見して大男に見えるが、まるで上から押し潰されたように妙にひしゃげた印象を見るものに与える。

 だが、その肉体よりも更に人の意識を集めるのはその顔だ。

 全く動かない表情は貼り付けただけの仮面のようで、その独特の体格も相まって、まるで出来の悪い人形のようにすら見えるのである。


 虚ろな眼差し、半開きで固定された口、言葉を放つその時にすらも、彼の顔には何の感情も窺えなかった。


「『せいやく』をやぶった、なら、お、おたのしみのじかんだな」


 チッと舌打ちをしてみせて、直前までライカ達を狙っていた男は、その顔を見てうんざりしたという風に応答する。


「へぇ、で、それは私にもお楽しみなんだろうな?」


 からかうような物言いは、しかし少しの緊張を伴っていた。

 男の雰囲気が、追う者の悦楽から堅い用心深さに変わる。


「ぜ、ぜんりょうなたみびとをき、きずつけてはぁならないも、も、もしこれをやぶれば、死あるのみ」

「『傷つけて』はいないだろ?この先の事は分からんが、とりあえずその子達は今は無事だ」

「し、知ってるぞ、お、おまえは嘘吐きだ。こ、ことばはしんじない、ぞ」

「なら最初からへ理屈を広げてないでやればいいじゃないか?こっちはお前みたいな顔無しはごめんだけどな。感情も痛みも無い相手など木石にも劣るマトだ」


 扁平な大男は、なんの予備動作もなく相手の言葉が終わらぬ前に突然飛んだ。

 その巨体からはとてもではないが想像出来るような跳躍ではない。

 踏み切りさえ無音で行われたそれは、相手の不意を突く早さでもって、距離を詰めた。


「血!血をぶちまけてみせてみろ?おまえの血もアカイとみせてみろぉ!」


 大きな体を揺すって、突然男は吼える。


「やってみるがいいさ、汚物を詰め込んだ肉団子が。お前にはもったいない手間だが、綺麗に地面に縫い付けて、それから中を開いてやるよ」


 相手の反応も早かった。

 飛び込んで来た大男から素早く距離を取ると、閃いた手が細長い金属の棒、針を放つ。

 しかし、針は今までと違い、相手の体の奥に辿り着く事なく、その表面に半ば埋もれた所で止まっていた。

 大男は顔色一つ変えずにその針を引き抜き、そのまま地に落とす。

 針の勢いをその鎧のような筋肉で止めてしまったのだ。

 互いの戦い方は百も承知の相手同士、男とてその程度は分かっていたのだが、筋肉という鎧を纏わない目などの露出部分を狙っても、相手の軽い身のこなしのせいで狙いを外されてしまうのである。


「ギ、ギルマウ、あんたのニクもやっぱりホカのやつと同じでピンクなのかな?そ、それともアンタに相応しい、どす黒いアカ?、あ、安心するとイイ、特別テイネイに、ゆ、ゆっくりと解体するよ。お、俺は仕事はテイネイなんだ。腕をめりめりと引き裂いて、足をばきばきとへし折って、に、肉の裂けるカンショクを楽しませてモラウよ」

「へぇ、普段は口が無いのかと思うぐらい無口な癖に、興奮すると案外おしゃべりなんだな。ムカリ、男のおしゃべりは気持ち悪いだけだから止めた方がいいぞ」


 巨体の主、ムカリと呼ばれた男が、恐ろしい勢いで突進し、ギルマウと呼ばれた痩身の男に肉迫した。

 ほんの僅かに体捌きの遅れた体をムカリの指が僅かに掴み、その指に挟み込んだ肉を引き千切る。

 同時にギルマウの針がその手の甲を深々と挿し貫いた。



 それは恐ろしい戦いだった。

 獣同士のような本能に任せた戦いでもなく、人間同士の理性を保った戦いでもない。

 彼等は『それ』を楽しんでいた。


「最悪だ。奴等の狂騒に世界の色が書き換えられていく」


 サッズが半ば呆然と呟く。


「あの人も用心棒の人だよ。前に橋の所で見たし」


 食欲とも、恐怖とも違う。しかし、それ等に似て強烈な彼等の放つ感情が周囲を侵していくのが見えて、ライカは慌てて視界を切り替えた。


「とにかくここにいるのは耐えられない。有り得ない」


 体を返し、走り出す二人の周囲はまるで嵐のような有様だった。

 ベキっという音を立てて木の一部が抉り取られ、ヒュウ!という風切り音が不吉な針の飛来を告げる。

 拡大する戦いの場を走り抜けながら、二人はその時々の判断と体捌きでそれらを躱した。

 粟立つような嫌悪感にサッズが思わず足を止め、ほぼ無意識に一帯をなぎ払おうとしてライカに止められる。

 彼がそれを行えば、森自体が消し飛びかねない。

 細かいコントロールなど不可能な程に、既にサッズは精神的に限界だった。


「で、どこを目指してるんだ?」

「さっき言っただろう?俺達の判断の範囲を超えてる、隊商の責任者に話をしたほうがいい」

「ああ、なるほど名案だ!素晴らしい!とにかく行こう!」

「サッズ、凄く嫌なんだね。俺も嫌だけどさ」


 ライカは溜め息を零すと、ふいに投げ出すように放り投げられ、地面を転がる。

 轟音と共に、何本かの木と絡み合いながら大木がライカがさっきまでいた場所に倒れて来た。

 ズン、とした地響きがそれを受け止める。


「有り得ない」


 ライカは口元を引き攣らせてぽつりと言った。


「有り得ない」


 そのライカを放り投げた当のサッズも疲れ果てたように言葉を落とす。

 二人は倒木越しに顔を見合わせるとどこか投げやりに笑った。 

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