第69話 踏み外し者

 シンとした森を微かに風が過ぎゆく。

 森独特の降るような木の香りをその風の中に嗅ぎながら、微量の緊張を孕んで彼等は対峙した。


「俺の事は聞いてるかい?名前とかは別に良いよな?もう何度か会ってもいるし」


 相も変わらず掠れた優しげな声だが、その奥に滴るような毒がある。


「いいなぁ、実に良い。未だ絶望を知らず、生きる為だけに生きる。死は知れども遠く、触れられる程近くにあるとは思いもしない。素晴らしい」


 笑いを含み、それでいながら凍るように冷え冷えとした言葉。


(あの意識に間違っても触るな。俺も嫌だし)

(俺も嫌だから大丈夫だよ)


 まるで狂った獣のような男と対峙しながら、ライカとサッズは密かに意思を交換し合った。


「なぁ坊や達。坊や達は領主様のお使いで王都に行くのかい?あの人と親しいのかな?だったらあの腹心の騎士殿も知ってるかい?昔は聖騎士と呼ばれていたあの男さ」


 領主様の腹心の騎士というのは良く分からないが、元聖騎士というのならば警備隊の風の班の班長さんの事だろうと、ライカは思い浮かべた。

 だが、ライカはこの相手と言葉を交わすのは危険だと判断して言葉を発する事を控える。

 しかし、相手は答えなど別に必要としていなかったらしく、そのまま言葉を続けた。


「あのお人はね、ご自分が一番強いと思っているんだよ。確かに正面から掛かってあの人に敵う人はいないだろう。ああ、それは認めるさ。しかし、だ。誰でもいつでも強くはあれないのさ。四六時中剣を構えている訳にはいかないだろう?誰だって気を緩める時はある。どんな時に死のうと死は死だというのに、彼等は、強さを誇る方達は自分達が殺されるとは考えもしないんだ。どう思う?バカバカしいだろう?」


 意識には触れずとも、言葉を音として受け入れているだけで、既にライカは気分が悪くなって来ていた。

 周囲の大気が急激に重くなり、木々が激しく揺れ動き始めている所を見ると、サッズも我慢が切れそうになっているらしい。

 このまま黙っていても危険は同じなら、話をした方がマシかもしれないと、ライカは口を開いた。


「あの、俺達に何の御用ですか?隊商の護衛の方ですよね?」


 ライカの言葉に、相手は目を瞬かせる。

 まるで無機物に向かってしゃべっていたのにその無機物が口を開いたとでも言うかのような顔つきだった。


「なんだ。案外生き急いでいるんだね?簡潔に終わったほうがいいんだね?」

「うるさい!しゃべるな、とっとと失せろ!」


 どうやらとうとう我慢が切れたらしいサッズが唸るように相手を遮る。

 失せろと言われた当の相手は、なにやら我が意を得たとでも言うかのように笑顔を浮かべた。


「そうか、じゃあ死んで」


 途端、キン!という細く高い音が響いて、何かが弾かれて斜め後ろの木に当たる。


「あれ?」


 やや間抜けなぐらいの男の声がした。


「ライカ!」


 サッズが人間には不可能な無反動の動きでライカを振り向き、その手を取って斜め後ろに飛ぶ。

 大きめの木の後ろ側に周りこんだ二人は、相手の動きを感知しながら、慌しく情報を交換した。


(何?今何があったの?)

(そこの木を肉眼じゃないほうの視覚で見てみろ)


 ライカは言われた通り肉体の目を閉じ、第ニの目に世界を映す。

 木々は脈動する黒い影として意識されるが、その一つの中に『動き』の余韻を残した細い何かがあった。


(何あれ?)

(知らん、金属を細く棒状にした物だ。普通刺さるのはともかくあんな奥にまで入り込むようなもんじゃないだろうし)

(肉を焼く時の串みたいなもの?)

(あれより細いな)

(そんな物が生木の奥まで刺さるの?しかもあれってサッズが弾いたんだよね?あ、サッズが弾いたから刺さったの?)

(俺は力を加えてない、逸らしただけだ)

(人間に可能なの?)

(やってるんだから可能なんだろう)


 意識下の情報交換は音として言葉を交わすより遥かに早くそれを伝え終わる。

 彼等のやりとりは相手が次の動きに移る前に済み、手早く方針を決めた。


(お前の周りに風の層を薄く作る。呼吸が苦しくなったら言え、穴を開ける。相手の得物が得物だから出来る限り僅かな隙間も作らないようにする必要がある)

(空気が無くなっても心臓の鼓動が十を二十数えるぐらいまでなら普通に動けるから大丈夫。苦しくなったら言うよ)


「あれ~?かくれんぼかな?おじさんも昔良くやったんだよ。物陰で息を潜めてる相手にね、後ろから近付いて肩を叩いてやるんだよ。そして悲鳴を上げようとした所で針を喉に刺してあげてね。声が出なくなって間抜けに口を開けてる顔を見るのが楽しかったな」


(防御はいいとしてどうするの?野営地まで逃げる?)

(もう面倒だからここで始末しちまおうぜ)

(そういう短絡な考え方は止めた方がいいよ)

(じゃあどうすんだよ!今後ずっとこんな面倒なのと付き合うのか?気持ち悪いし、最悪だぞ、こいつ)

(あの人はこの群れの一員なんだよ?リーダーの許可なしに勝手に俺達だけで始末しちゃったら絶対問題になるよ)

(熊にでも襲われたと思うんじゃないか?)

(そういうやり方は他に方法がなくなった時まで取っておいて。とにかくまずはあの人から離れよう。声を聞いてるだけでなんか力が萎える感じがして嫌だし)


 呼吸を合わせて、二人は木から離れると、身を翻す。

 同時にまたも何かが飛んで来た。

 ライカは肉眼では無理と判断して目を閉じたまま第ニの目でそれを捉えて地面を蹴って身を躱す。

 自身の重さの調整が出来るライカは、小さい頃はその能力を使って森の中を飛び回ったものだが、その経験がここで生きることとなった。

 地面を蹴った直後に体重を消し、打ち出された矢のように吹っ飛んで木に手を付いてくるりと周り込んで降り立つ。

 無意識に細かい微調整をやっているのだが、ライカ自身は何をどうするかは考えずに動けるのが経験の賜物だ。

 それでも針と呼ばれた細い金属片がライカのごく近くを掠め飛んで行く。

 相手の攻撃の、とんでもない正確さと速さだった。


「あれ?身軽ですね。中々楽しい坊やだ」

「楽しくなんかねぇよ、ばぁか!」


 サッズが躍り出てその注意を引く。

 危険性という一点から言っても、ライカに攻撃が行くよりサッズが受けるほうがいい。何しろ彼を通常の武器で傷付けるのはほぼ不可能なのだから。


「勇気がある。素晴らしい」


 パキン!と硬く細い物が折れる音が響く。

 飛来した針をサッズが叩き折った音だった。


「今、何をしたんですか?」


 男が驚いたように、しかし、それでも柔らかな口調のまま尋ねる。


「知るか!お前こそ、あの聖騎士に用があるみたいなのになんで俺達を殺そうとするんだ?」

「ああ、簡単ですよ。領主様のお気に入りが殺されたとなれば同じく領主様のお気に入りが来るでしょう?普段と違う環境ならあの人も周囲の異常に気が付きにくい」

「なんだと!」


 男の説明にサッズの声が跳ね上がった。


「てめぇの勝手な罠の餌に俺達を使うつもりなのか?しかもなんだ、そのいい加減な計画は!」

「計画など詳細に立ててしまっては却って身動きが取れなくなるものなんですよ。大枠が決まればその中で踊ればいい」

「黙れ!てめぇの頭の悪さを適当な理屈でごまかすな!今ならまだ見逃してやるから尻尾を巻いて去れ!」


(サッズ口が悪い)

(お前そんな場合か?)


「あれれ?そうか坊やも腕に覚えのある口だったんだね。これは失礼した。そうと知ってたらこんな無粋なやり方はしなかったんだよ。信じてくれるかい?」


 酷く残念そうに男が言い、ふと思いついたように周りを見回す。


「もう一人の坊やはどこかな?大人しそうな可愛い子だよね。悲鳴を聞きたいんだけどな」


(ううっ)


 ライカはサッズが身震いするのを感じた。

 踏み外した者の精神が周囲の世界を汚染していく。

 それを身近に感じて気分が悪くなったのだろう。


(あ~、ライカ。前言撤回。逃げよう)

(ん?どうしたの?)

(気持ち悪いから殺したくない。汚れる)

(その感覚は良く分からないけど、とにかく逃げたいのは俺も同じだよ)

(あちゃあ)

(どうしたの?)

(似たようなのがもう一個来るぞ)


「えぇっ!」


 思わず声を上げてしまい、慌てて口を押さえたが既に遅かった。


「ああ、なんだそこにいたんだね」


(馬鹿!)

(なんで風の壁があるのに声が漏れるんだよ?)

(音が聞こえないとお前の感覚が鈍るだろうが)

(あ~なんかびっくりしたら息が苦しくなってきた)

(おいおい、今穴開けるの危ないからな)


 殺気を纏うこともなく、何気ない風にライカのいる方向へ体を向ける男に、サッズは声を掛けた。


「なんだ、結局弱い者しか相手に出来ない弱者なんだな」


 ぴくりと、男の足が止まる。

 今まで笑みを浮かべていた顔が、こっけいな程に歪んだ。


「弱い?それは俺のことを言ってるのかな?」

「他に誰がいるんだよ」

「君だって食事が出れば好物から食べたいと思うだろ?単なる嗜好の問題だよ」

「ケツから垂れ流されるしかない糞野郎がいっちょまえに言葉をしゃべるな」


 ケッ、とサッズは吐き捨てるように罵倒と侮蔑の声を上げる。

 ライカはそのあまりの言動の酷さに脱力した。


「俺は食い物に好き嫌いは確かにあるが、食う順番に選り好みをしたことはない」

「ほう、しつけが行き届いているんだね」

「ああ?なんだと?靴の裏に張り付いた汚物の言葉とか理解出来ないな」


 上がった言葉尻が安っぽい悪党のようで、ライカは更に情けなくなる。


『どこで覚えたんだそんなの』

「うっさいな、お前本当にあいつに似てるよな」


 続いたサッズの言葉が自分に向けられた物では無いと気づいて、男の顔が訝しげな表情を浮かべた。

 だが、その先へと彼の思考は進めなかった。


「お、お、おまえ、『せいやく』をやぶったか?」


 彼等の誰でもない声がその場を硬直させる。

 巨大な体をゆっくりとゆすって、表情の無い顔の男がそこにいた。

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