第62話 少女の指笛

『それじゃ、君の部族の人達は心声を普通に使ってるんだ』

『そうです。私達は音のない声と呼んでいます』


 とりあえず悪い人間ではないと納得してくれたらしい少女、テテと、ライカとサッズは歩きながら会話をしていた。

 それというのも、少女が一人で柵の外にいたのははぐれた家畜を探していたためという話を聞いて、二人もそれを手伝うことにしたからである。


『探してるのは君より背が低いが狼よりは大きい、親からはぐれた草食の獣の子供で良いんだよね?』

『あ、はい、そうです』


 テテはサッズに対する時には膝を折り曲げて丁寧な仕草をみせた。

 どうやら精霊疑惑は継続中らしい。


『よし、どうやらあの崖の反対側だな。ちょっと行って連れて来てやろう』

『え?崖の反対側なら集落から周りこまなければ行けませんよ』

『大丈夫、ちょっと待っててくれれば良いよ』


 そう言うと、サッズは軽い足取りで、しかしやや人間離れした跳躍を交えてかなりの速度で崖を登って行った。

 テテはハラハラとその様子を見ていたが、ライカはそんな彼女に笑って肩を竦めて見せる。


『サッズに任せておけば心配ないよ。それより俺達と会ったことで怒られたりしない?』

『多分大丈夫だと思います。うちの一族ではよそ者は女子供を攫うと言われていて、危険だから決して近寄ってはいけないと言われていたのですけど、あなた達はそういう悪い人ではないのでしょう?』

『ああ、そういえば俺も攫われそうになったことあるや』

『やっぱり、外の人達は恐ろしいのですね』

『そんなことはないよ。どちらかというと優しい人の方が世の中には多い気がするよ。攫われそうになったのは一回だけだし、すぐに周りの人が助けてくれたよ』

『そうなんですか』


 テテは強張らせていた表情を少しほぐし、遠慮がちに微笑んだ。


『この音のない声は嘘がつけません。ですが、外の人はこれを使えません。だから私達は彼等が怖いのだと思います。でも、ライカ様やサッズ様は違いますね。この声を使える外の人には初めて会いました』

『育った環境のせいだよ。他の人も使い方を忘れてるだけで、多分覚えようと思えば使えると思う』

『そうなんですね』


 少女はふと顔を曇らせて沈黙する。


『どうしたの?』

『長老様や祭司様は、この音のない声を使えるのは私達が精霊様に選ばれた一族だからだと言っていらっしゃるのです。でも本当は誰にでも使えるものならそれは間違いってことですよね』

『ん~』


 ライカはしばし考えて、


『もしかすると君たちのずっと昔の家族の誰かがその精霊様に言葉を教わったのかもしれないよ。それなら選ばれたっていうのも嘘じゃないだろ?』


 少女の顔がぱっと明るくなる。


『そうですね、そういうことなら長老様達の教えもおかしくはないですね』

『古くから伝わっていることって、時間の経過で歪んだり、欠損したりすることも多いけど、大体どこかに真実を含んでいるものなんだ。むやみに信じるのもいけないけど、むやみに否定するのもいけないんだって。これは俺を育ててくれた方の言葉なんだけどね』

『とても深いお言葉ですわ』


 その会話の途中で彼等の横に影が射した。


『回収完了したぞ』


 サッズがいつの間にかその手の中に彼の三分の二程の大きさの動物を抱えて立っていたのだ。


『子供っていっても結構大きいね』


 ライカは初めて見る動物をしげしげと見つめた。


『まぁ!』


 テテは飛び上がって、更に飛び下がって膝を付いた。


『重かったでしょうに、申し訳ありません』


 サッズに家畜などを抱えさせてしまったことを申し訳なく思っているらしい。


『いや、重くは無かったけど臭いのにはまいった』

『毛がモコモコだね』


 サッズがその草食動物の子供を地面に下ろして手を離したが、それはまるで置物のようにピクリともしない。


『ん?』

『なんか硬直してるよ。サッズ脅した?』

『俺がこんなチビにそんな真似するか!』


 二人の言い合いに勇気付けられたのか、テテはその子供の家畜にそっと触れた。


「チチ?」


 軽く揺するがピクリとも動かない。

 その状態を見て取ると、彼女はすっと立ち上がり、指を銜えた。


 ―…ピュイー!ヒュッヒュッ!


 高く、伸びやかな音が草原に響く。

 指笛だ。

 その音を耳にした毛の固まりのようなその子供は、小さく身じろぎをして、唸り声のような、しかし甘えるような声を上げる。


「イア、チチ」


 そしてテテの呼び掛けに気付いてその頭を彼女にこすり付けた。

 どうやら無事硬直が解けたようだった。


『お、正気に返ったな』

『良かった』

『本当にありがとうございます。ヤクは私達にとって家族同然なのです。狼にでも襲われたらどうしようかと思ってました』


 膝を折って手を組み、殆ど祈るような姿で自分達に礼を言う少女に、サッズはふわりと笑った。


『君の家族なら俺にとっても家族同然さ』


 どう考えても間違った思い込みだが、恐ろしいことにそうやって真摯な態度を取るサッズは幻想的なまで美しい。

 無意識の意気込みが作用したのか、周囲を舞う風がその銀の髪を躍らせて光を弾き、濃紺の目はあまりにも深く謎めいていた。

 意識してかしないでか、サッズは自分の周りに非現実的な特殊な場を作り上げている。

 目前でそれを見せ付けられたテテは、真っ赤になって固まってしまった。


『テテ、大丈夫?なんか意識が停止してるよ!』


 その少女の異常を感じたライカが慌ててその意識に声を掛けて、硬直を解いてやる。


『どっか具合が悪いんじゃないか?日陰で休ませた方が良いぞ』

『そうだね』

『ま、待ってください!大丈夫です!ちょっとびっくりしただけで』


 少女はあたふたとした様子で、腕の中の子供のヤクの頭を撫でる。

 どうやらそれで気持ちが落ち着くようだった。


『その動物はヤクっていうの?初めて見たよ』


 ライカは、少女の手に触れて気持ち良さそうにしているチチと呼ばれた動物を指し示す。

 そのチチもすっかり落ち着いたのか、先ほどまで硬直していた尾は今はゆっくりと機嫌良く揺れていた。


『はい。私達の部族は生活のほとんど全てをこの子達に支えられているんです。とても大事な家族です』

『そっか、真っ白で綺麗だね』

『はい、毛色は他にも色々あるんです。毛が長いので毎日の手入れがとても大変なんですけど、それだけの甲斐はあります。この子達の毛はとても温かいし水を弾くので、それを使って服を織っているんです。あの集落のテントもこの子達の毛から作った糸で織られたカバーで覆われてるので雨を心配しなくて良いんですよ』

『へぇええ、凄いな』

『全く違う種族が依存しあって生活しているのか、面白いな』


 サッズが彼なりの視点で感心してみせる。

 たちまち、またテテの顔が赤く染まった。


『あ~』


 ライカは事情を悟って苦笑する。


 少女がサッズに淡い気持ちを抱いたとしても、想われたサッズのほうは、実は異性との本当の意味での恋愛は出来ないのだ。

 彼はあくまでも恋愛の練習をしているのであって、そこにあるのは丁寧で優しい態度だけ、まだ子供の体の竜は伴侶を選ぶ真似事しか出来ない。

 だからこそ、今、少女からあからさまな視線を投げられても全くそれに気付けていないのだ。


『テテ、そろそろ戻らなくても大丈夫?』


 ライカは少女が気の毒になってあえて彼女が去るための理由を作って差し出してみせた。


『あ!いけない、すみません、本当にありがとうございました!』


 少女はそれを受けて気持ちを切り替えたのか、またも膝を付いて丁寧な礼をすると、子供のヤクを伴って去って行く。

 途中、チラチラと名残惜しそうに視線を投げるが、サッズはそれに柔らかに微笑み返すのみだ。


 ―…ヒュー、ヒュウウッ。


 その姿が見えなくなる寸前に指笛の音が一際澄んだ音を響かせた。


「ちょっと弱弱しかったが女の子らしくて可愛かったな」


 サッズがニヤニヤして呟いたのを横目に、ライカは小さく溜め息を吐く。


「なんか俺の方がお兄さんで良いんじゃないかな?」

「なんでだ!俺の方が遥かに年長だぞ!」

「確かにね」

「む、今何かこう、いなされたような感じがしたぞ」

「うん、気のせいじゃないよ」

「なんだと!少しはあるだろ、俺を尊敬出来るところが。その、頼りにしてるとか、そういうのが」

「う~ん」


 ライカは考え込む姿のまま歩き出した。


「あるだろ?」


 真剣にしょんぼりしだしたサッズに、ライカは笑ってみせる。


「まぁちょっとはね」

「そうだろう!」


 途端に胸を張ってライカを追い越して先に立つサッズにライカは噴出した。


「なんだ?」

「なんでも」


 日が高い。

 そろそろ一日の半ばが過ぎようとしていた。

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