第61話 見知らぬものとの出会い
その朝の様子はいつもと違っていた。
通常は夜明け前から出立の準備を始めるのだが、この日は野営の後始末をする様子がない。
「おはようございます。今日はゆっくりですね」
荷負いの仲間達はなにやらぐったりした様子の者が多く、いつもは忙しく怒鳴り合っているのに、この朝はやたら静かだった。
その中にゆっくり何かを噛んでいるゾイバックの姿を見つけてライカは挨拶の声を掛ける。
「ん?ああ、聞いてなかったのか?今日はそこの連中と取引があるから一日逗留だ」
「そうだったんですか、だからみんなのんびりしてるんですね」
「はっ、そいつらは酒の引っ掛けすぎで伸びてるだけさ、ちと癖のある酒だったから悪酔いしたんだな」
「ああ、うちのじいちゃんも時々朝唸ってますよ。あんなに苦しむのになんでお酒なんか飲むんだろう?」
ライカの言葉にゾイバックは肩を竦めた。
「一人前の男になりゃあわかるさ」
「別にわからなくても良い気がします」
「へっ、おめぇがまだまだガキなだけさ。まあこんなザマだから昼頃までは何も出来ねぇぜ。飯はいつもの通り旦那等が配ってくれるから欲しけりゃ貰って来れば良い」
「わかりました。でもゾイバックさんは元気ですね」
「ああん、ほらこれよ」
ペッと口から何か吐き出して、ゾイバックはそれを示した。
「前に分けてやっただろ?そもそもこんな時用の薬だからな」
「ああ、そうでしたね」
ライカが頷くと、彼はニヤリと笑って吐き出したそれをまた口に放り込む。
食堂に来る人夫達の相手をしていたのでライカはこの手の行儀の悪さには慣れているが、それにしてもこの男の奔放さは格別だった。
しかもそれを他人に示して反応を楽しんでいる節がある。
単純なのか複雑なのかわかりにくい男だ。
「んじゃ、せっかくの休みだ。もう邪魔すんなよ」
ひらひらと手を振って追い払われ、ライカは少し離れた所に佇むサッズに合流する。
「今日は歩かないのか。ならどこか人間のいない所でのんびりしようっと」
当然ながら彼等の話を聞き取っていたサッズは、清々したようにそう言うと、さっそくその場を離れようとした。
ライカは慌ててそれを引き止める。
「ちょっと待った。食事貰って来よう。今日の分の水も貰わないと」
「どこかで自分で調達すれば良いだろ」
サッズは鼻を鳴らしたが、ライカに引っ張られても別に抵抗はしなかった。
それは単に我が侭のたぐいの発言で、強固な主張ではなかったのだろう。
彼等の纏め役に確認した所、この日は本当に各自自由行動ということだった。
ただし、取引相手の集落には入らないように厳しく言い渡されたが。
「集落に入らないなら良いってことだよね」
「お前って時々自分の都合に理屈を合わせるよな」
ライカが一人呟いた言葉にサッズが呆れたように反応した。
彼等は集落のやや上にある崖に立っている。
常人ならかなり危険な急勾配の崖だが、落ちる心配のない彼等にとっては全く危険のない場所だ。
「う~ん、でもここからだと角度的に良く見えないな」
「俺は見える」
「サッズが見えても仕方ないだろ」
「視覚を……」
言葉の後半は心声で視覚の共有を提案したサッズに、ライカはあっさりとそれを拒絶した。
「昨夜言っただろ、無理だって」
「むう」
「なんでサッズがむくれてんの?」
ライカは崖の上を暫くうろうろしたが、やがて思い切ったようにそこから飛び降りる。
「いいのか?」
ふわりと、かなりの高さからだったので心持ちゆっくりと降り立ったライカは、そのまま集落のほうへと歩き出した。
その背へ、サッズは言葉とは裏腹に楽しげな声を掛ける。
「だって村囲いの柵はあれだろ?ということはここは集落の外だよ」
「確かにそうだな」
大仰に同意して、サッズもその後に続く。
「それにしたって、この柵、ほとんど意味がない感じだね。こんな細い柵だとどんな動物だって防げないんじゃないかな」
「ウサギぐらいなら防げるんじゃないか?」
柵越しに一番近い家をライカはぐるりと観察した。
表面はやはり何か厚手の布のようである。
絵はどうやら後から染料で描かれたものらしく、それらがぐるりと一周、半円の家を巡っていて、一列ごとに枠取りがあり、違う絵柄が三列程並んでいた。
「これは模様みたいに簡略化した絵で一周ごとに一つの物語を描いてるんだと思う。あのお城の天井のと基本は同じだけど、絵柄は全然違うな」
「アニエニア、ラ、ニイルス?」『だれ?』
「お」「あ」
振り向いた二人の前に少女が立っている。
「……サッズ」
ライカは心中で広範囲を認識しているはずのサッズに文句を言った。
「いや、俺は今現在気配を消してるからな。注意してない時はぼんやりとしか周囲確認してない。こっちに害意のない危険じゃ無い相手はわからんぞ」
「だから、そういう言い訳する時に偉そうにする意味がわからないって」
二人がヒソヒソと全く現状の対処にもならない言い争いをしていると、少女が重ねて声を掛けて来た。
「ニイリア?」『あなた達は悪い人?』
「ん?この子」
ライカはその少女の声を聞いて少し考え、彼女がはっきりとした心声を使っていることに気づく。
普通の人のようにただ強く意識したことが漏れてくるといったものではなく、ちゃんと伝える意思を持って紡がれた心声だ。
『こんにちは、君はこの集落の人?』
「イア、テテ」『そうよ、テテっていうの』
『俺はライカよろしくね』
『サッズだ』
珍しく穏やかな心声を投げるサッズに、ライカは溜め息を吐いた。
相手が女性と見た途端これである。
しかも心声だから仕方がないとはいえ真名を告げてしまっていた。
係累を絡めた挨拶をしないだけマシかもしれないが、なんというか、ライカはサッズのこの切り替えにいっそ感心してしまう。
その時、回り込んでようやくサッズを正面から見たらしい少女は、驚きに口を開いたまましばし固まってしまった。
こちらに投げられる前の、取り留めも無い彼女の意識が、何かグルグルと絡んだ糸玉のように混乱しているのがぼんやりと伝わって来ていた。
『精霊様?』
やっと放たれた心声はなにやら畏怖を含んでいる。
「なるほど、サッズってどの人間から見ても精霊に見えるらしいな」
「よせや、連中に肉体はないぞ、あんなそこに在るだけのもんと一緒にされてたまるか」
「同じエールで出来てるんだからある意味一緒だろ」
「違うわ!それじゃお前は土と同じ物で出来てるってのか?」
「あ~そっか、そんな感じなんだ」
「おおまかそんな感じだ」
「今一信用出来ないけど、わかった」
「どっちだ!」
言い合う二人を前に少女は言葉を失って立ち尽くしている。
「あ」
その様子にライカは自分達の失敗を悟った。
「ローム」『言葉』
どうやら今まで心声だけで会話していたので言葉の違いに気づかなかったらしい。
それに気付いて、彼等が自分達の一族とは違う余所の人間だと理解したのだ。
息を吸い込み、今、まさに悲鳴を上げようとする彼女に、ライカは慌てて意識的な待ったを掛ける。
何をしたのかというと、言葉にならない純粋な衝撃を相手の意識に向けて投げたのだ。
少女はびくりと体を震わせるとしゃがみこんでしまった。
『ごめん!』
言ってみれば大声を出して脅かしたようなもので、決して意識に傷を付けるような物ではないが、肉体も意識も驚きに硬直する少女にライカは謝る。
『お嬢さん、悪かったね。だが俺達は悪いことなんかしないから安心してくれ』
サッズが優しく、独特の抑揚のある歌を思わせる心声で少女に囁いた。
こればっかりは人間に真似の出来ない技量である。
実を言うと、これは求愛に使われる技法なので、どう考えてもこの場には不適切な使用方法ではあったが。
「女の子相手だと手間を惜しまないその性格にはちょっと感動する」
『こら、ライカ、相手に理解出来ない言葉で話すのはマナー違反だぞ』
『うん、言ってることが正しいのはわかるけど、なんだか腹が立つのはどうしてかな?』
『俺は兄だからお前の暴言ぐらい優しく受け流せるぞ』
『それはありがとう、兄さん?』
クスっと笑いが零れる。
「ソア、アニニ、ラ、レイ」『不思議な人達』
彼らのその様子に、おどおどと二人に視線を向けていた少女の気持ちはようやくすっかり凪いで落ち着いたのだった。
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