第48話 見えない攻防
「また来ていたのか」
「はい」
「商いの邪魔をしている訳でもなく、暴言を吐く訳でもない。遠まわしな拒絶も効き目が無い」
「まことに」
「困ったものだな、客も段々あの子等に同情的になってきている。しかし、な」
「まことに」
この街の他の店を完全に圧倒する間口を持つ商店である粉物屋の、奥の帳場からちらりと顔を覗かせ、穏やかな笑顔の店主と売り子頭は密かに囁きを交わしていた。
春先の今の時期は他の地域との流通が活性化して、商売的に掻き入れ時に当たる。
粉物とは色々な品を粉に挽いたものを扱うという、書いて字の如しな商売だが、その品物の利用範囲が多岐に渡るため、店に訪れる客は実に様々だ。
例えば小麦粉、砂糖、塩等は一般家庭、城の厨房、料理を出す商売の者が買いに来るし、骨粉、魚粉はまだまだこの街では利用者は少ないが、畑の肥料や家畜の飼料に使われるので農家や畜産の人間が来る。また鉱石粉等も扱っていて、ここでは殆ど需要はないが、呪いや鍛冶、建築、焼き物、絵画に利用されるのだ。
ざっと見繕っただけでもこれだけ多彩な需要があるのだから、その客層の広さは驚嘆に値する。
そして、その客の内、自ら商売をやっている者や城仕えの者は早朝に訪れるのが常であった。
言うなれば早朝は大口の時間帯なのだ。
その早朝に、ここの所毎日やって来ている客以外の者がいて、その件が今、彼等を悩ませている。
要求は非常識ではあるのだが、責任の無い人間から見れば若者らしい微笑ましい冒険心に見えるので、彼等の他人に好意を抱かせる容姿と相まって、毎日断られる姿に客の同情を集め始めており、「せめてちゃんと話を聞いてやってはどうか?」等と提案されてしまう始末であった。
商売は生き物である。
あの店の人間は冷徹だとかの評判が立てば、色々と難しい事になるのは間違い無かった。
そうやって店の者達を困らせているライカとサッズだが、こちらはこちらで毎朝の日課となりつつある粉物屋参りにやや疲れ気味ではあった。
「全然駄目?」
「う~ん、俺は今回の件で人間を見直したな。こうなんていうか、つるんとしてて掴み所がないっていうか、入り込む入り口がわからないっていうか、難しいぞありゃ」
「人間は心話は使ってないし、お互いに精神を繋げることもほとんどしないのに、そんな障壁があるなんてね」
「細々としたことはわかるんだよな、客の対応の順位判断とか商品の状態のチェックとか、そういうのを考えてるのはわかる。だけど、俺らに対した時に何が駄目でどうだったら大丈夫なのかはさっぱりわからん。まぁもう来ないで欲しいと思っているのはわかる」
「それは心を覗かなくてもわかるよ」
「なんかひんやりつるつるしてて触るの嫌だし」
「頑張れ」
ライカの無責任な応援に、サッズは呆れた顔になる。
「お前もひんやりしてるよな」
二人は市場の広場のお気に入りの木陰に座り込んで、朝売りのお茶を手に対策を話し合い中だった。
「逆にさ、俺達に出来ることを考えてみようよ」
サッズの感想など気にせずに、ライカは提案する。
「それこそ好きにしろ」
「彼女に会いたいんだろ?やめるんなら俺は別にいいんだけど」
「時々お前の性格に痺れるぜ、どんな毒よりもくるものがあるな」
「はいはい、それよりも、色々食堂に来るお客さんに聞いたんだよ、旅で困ることはなんですか?ってさ」
ライカに軽くいなされてふてくされたサッズは腹を下にして丸太のベンチにべったりと寝そべる。
目前に白い小さな花と、それに止まっている蝶が見えて、サッズはなんとなくそれを目で追ったりしていた。
ライカはそのやる気のない姿勢を胡乱な目で見やると、片足でもってサッズを蹴落とす。
「うおっち」
手に持っていた茶を被って、サッズは思わず声を上げた。
「天候と方向、水と食料、靴、そして安全な場所の確保。纏めるとそんな感じだった」
「お前な!」
「それでさ、考えてみたんだけど、サッズって天候読めるよね、先の先まで。ええっと、どのくらいだっけ?」
とうとう抗議を諦めて、サッズは空の容器を傍らに置いて地面に直接腰を下ろし、ライカの問いを考える。
「考えたこともなかったが、確実なのは三、四日間だろうな、それ以上先は変動要素が増えすぎて確実じゃなくなる」
ライカはサッズの器に自分の茶の半分を注いで差し出した。
わりに合わない報酬に肩を竦めながらサッズはそれを受け取る。
「それは売り込めると思うんだ」
「そりゃいいけど、話を聞いてもらわなきゃ意味がないだろ?大丈夫なのか?あの領主様とかいうおっさんの片割れは信用していいんだろうな?」
「俺達に代案が無い以上、領主様の案に乗るのが一番だと思う。領主様の考えに俺達が及ばないのは間違いないし」
むうと、口を尖らせるサッズに、ライカは軽く笑って見せた。
「なんか軽く食べてく?」
「こんな頃合に開いてる食い物屋があるのか?」
「朝の仕入れの人目当ての軽い食べ物屋の屋台が出てるんだ。朝だけだから俺も初めて食べるんだけど、ホルスから評判だけは聞いてたから。一人身だからよく利用するんだって」
「ふ~ん?一人身と屋台の関係がよくわからんが、まぁいい、食べるか」
「うん、行こう」
旅に出る方策に四苦八苦しているはずの二人だが、案外と本人達はのんびりしたものである。
竜と言うものが、長命がゆえに種族的に気が長いせいかもしれなかった。
次の日。
もはや習慣と化したお店参りだが、この日はやや勝手が違った。
まず店の人と目が合う。
いつもなら感情の見えないうっすらとした笑顔ですいと視線を避けようとするのを素早く周り込んで用件だけを伝え、完結で遠まわしなお断りの返事を貰って帰る。というのがほぼ流れ作業のように決まった形だ。
しかし、今日は相手がにこりといつもと違う笑みを浮かべ、彼等に軽く礼をしてみせた。
『何か仕掛けて来るっぽいよ』
『荒事なら任せろ』
『いや、暴れたら駄目だから』
心話、いわゆる人間からの目線で言えば目と目で会話するというやつで意見を交換した二人は、自分達はいつもと同じように彼に近づいた。
「おはようございます」
「おはようございます」
サッズも挨拶ぐらいは出来るのだ。
「はい、おはようさん。いつもごくろうですなぁ。でも、ようやっとその努力が報われる時が来ましたよ」
「え?」
「話を聞いていただけるんですか?」
「ええ、店の主人が、お若いのに根気の続く感心な方達だといわれましてな。そういう方達に見込まれる店であるということは鼻が高いと、よければお茶にお招きせよとのことです」
「でも俺達は雇っていただきたいだけなんですけど」
「それはお話の持って行き方次第でしょう。主を目前にして売り込むぐらいのことが出来なければこの仕事はやってられませんよ」
相手から初めて出た具体的な回答に、ライカは領主の言を思い出す。
彼の言う通り、まずは会う、懐へ飛び込むことには成功した。そしてそこからが本当の勝負なのだ。
「わかりました。至らないことも多いと思いますが、ご招待をお受けさせていただきます」
「私ももうずっとあなた方とお話をさせていただきましたから、失礼ながら親しい思いを抱かせていただいております。どう転ぶにせよ、良い経験をなさることをお祈り申しておりますよ」
彼はそう言うと、商人がよくやる祈り印を切った。
その動作の中には彼等の使う手文字で「価値ある時」を意味する言葉が織り込まれている。
ライカはまだ僅かにしかその手文字というものを覚えていなかったが、この祈り印はよく使われるものなので知っていたのだ。
「ありがとうございます。俺もちゃんと自分を売り込んで来ます」
そして、ライカ自身もその祈り印を返す。
商人の世界は、領主の言う通りの損得のバランスの世界だ。
挨拶には挨拶を、与えられた物には同等の返礼を。そこで初めて存在を認められる世界である。
とは言っても、ライカには実はそこまで入り組んだことはわかりはしなかったが、見て過ごす内にこの何気ないやり取りの重要性は何となく理解してきていた。
ライカの返礼に、売り子の男は貼り付けたようなものではない少し温かみのある笑みを浮かべる。
「ではご案内いたしましょ、ニルス、奥へお通しして」
「はい、ヨーンさん」
ライカの胸程もない背丈の少年が素早く近寄ってきて案内に立つ。
(こんな子供も居ることはいるんだ)
領主の言った身内ということだろうか?しかし、彼の言った言葉の響きの中にあったのは、家族という括りとは違う感じがした。
(それにしてもサッズはいいけど、俺はどうしたらいいんだろう?)
自分の売り込むべき部分が見つけられず、ライカはいざこの時になっても悩んでいた。
この子供を雇っている理由がわかれば足しになるのだろうか?と、ライカは一瞬思ったが、彼が望んでいるのは旅の隊商に雇ってもらうことであって店で働くことではない。
そして大人達が反対するのも一重に旅という部分に掛かっている。
(バランス、損得、利益、旅、いや、領主様は一つの方向で駄目なら別の方向でと言ってた。それなら旅に拘る必要もないかもしれない)
とにかく今は当たってみるしかない。
ライカは心を決めると、全く緊張した所のないいつも通りのサッズを伴って少年の案内に続いたのだった。
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