第47話 天秤に乗せるもの

「こんな所で立ち話もなんだし、二人ともこっちへ来ると良い」


 そう言って、領主ラケルドが彼等を誘ったのはあの屋内の木立だった。


「ここって庭のように整えられていませんよね。どうしてなんでしょう?」


 ライカは馴染みになってきた風景を見回しながら、以前から不思議に思っていたことをラケルドに尋ねてみた。

 王城の庭の木々や草花は整然とした一定の法則に従って整えられ、人間の目に十分にその美しさを鑑賞させる為と、城の中の様々な場所をさりげなく隠す視線の通りを考えられた配置になっている。

 それは薬草園の奥にある小さな林も同じだ。

 自然ではありえない整然とした状態で全てが納まっているのである。

 しかし、この場所は違っていた。

 壁の中にある森と揶揄されるように、恐ろしい程雑然と木々が生え、雑草すら好き放題に生い茂っているのだ。

 人が通る通路だけは飛び石のような通路が敷かれているが、他は実際の森のように、少し離れると他人がいるかどうか分からなくなってしまうような場所である。


「それは元々の城主が、ここを実際の森の代わりとして作ったからだろう」

「森の代わりですか?」

「ああ、彼の令嬢は本物の森をそぞろ歩くような真似が出来る体ではなかった。しかし、こういう有りのままの風景が好きだったのだろう。そのような記述が日記にも所々に出て来ていたよ」

「ここもありのままじゃないですけどね」

「苗を植えたのはまあ仕方ない。だが、その後は一切の手入れをしなかったようだ。元の城主の日記には生命の森と記されていたな」

「俺の理解の及ばない話だな」


 サッズが呆れたように呟いた。


「人というものは何か諦められない望みを心に刻むと、他人からは理解の及ばないことをやってしまう場合もあるのだよ」


 ラケルドは微笑んでそう答える。

 鬱蒼と、道というものが存在しない木々の間を抜けて奥へと進むと、そこに小さな泉があり、その間近には木製の、簡素だが丁寧に磨かれたベンチが見えた。


「座ってくれ」

「こんな所にベンチがあったんですか?」

「ああ、俺が運び込んだ」

「え?領主様が自分で運び込んだんですか」


 一瞬、このベンチを担いで歩く領主の姿を想像して、ライカはちょっと目線をそのベンチから逸らしてしまった。

 少年二人が腰を下ろすのを確認すると、領主自身はやっぱりどこかから持ってきてわざわざ置いてあるらしい切り株に腰掛ける。


「それで、怖いもの無しのはずの若者達が、一体何を悩んでいるのかな?」


 ラケルドの口元が面白がっている印にわずかに上がっているのを見て、ちょっと不安になりながらも、ライカはともかく相談を持ち掛けることにする。


「実は王都に行きたいんですけど、俺達だけでは駄目だという周りの一致した反対を貰って、それなら組合の隊商に同行させてもらって行こうってことにしたんです。でもじぃちゃんが、行く条件として、お金を払って同行させて貰うのじゃなくて、雇って貰って一緒に行くのならいいだろうって言って、それで商組合の代表の人にお願いに行ったんですけど」

「それはまぁ断られただろうな。そもそも話を聞いてもくれなかっただろう」

「ええ、それで先生に相談しに来たんですけど、雇ってもらうのは無理じゃないかって言われて」

「なるほど」


 ラケルドは薄らと微笑むと、少年達を見た。

 二人の話に我関せずという態度であくびをしているサッズと、困ったように眉根を寄せているライカ。


「ふうむ、以前話したと思うが、俺はお前の祖父のロウス殿には恩がある。なので、その望む所を邪魔したくはない。だが、お前達が何かを成そうとしていることは貴重だと思う。だから考え方の方向を示すだけはしようと思うが、いいかな?」

「考え方の方向?」

「うむ、まずは今のお前達の望みについてだ」


 彼は足元に落ちている小枝を拾うとそれを人差し指の上に軽く乗せ、平行に吊り合うようにバランスを取って見せた。


「いいか、人と人が何かを取り交わす場合、そこには吊り合いというものがある」

「吊り合いですか?」

「そうだ。互いの価値観が吊り合う。つまり損得が吊り合う時に始めて取引が成立する。一番わかり易いのは金銭による売買だ」

「あ、はい。物々交換の時もそうですね」

「その考え方から言うと、今のお前達と商人との間の吊り合いはこうだ」


 言って、彼は指の上の枝を片方に思いっきりずらし、枝の端を指の上に置いた。

 当然枝はそのまま落下する。


「あ、ああ」


 ライカは理解して声を上げた。


「お前達にはそれによって叶えられる欲求があるが、彼等にはお前達に望む所は何もない」

「確かに、そうですね」

「これを変えるには、まずは相手の望みを知る必要がある。しかし、元が無手だ。それだけではやはりまだ吊り合いは取れないだろう」

「そうやって考えると、凄く難しそうですね」

「その状態から相手の意識を変えるには正攻法では無理だろうな。だからもう一方向、別口からの攻め手を考える」


 ラケルドはもう一度、今度は別の枝を拾う。

 それは片側が二股にわかれた枝だった。

 それを軽く指に乗せると、真ん中よりかなり二股側寄りで枝は揺らぎ無く留まる。


「商人というのは小さい頃から店で修行させて、気持ちを殺し、利益を先に考えるように仕込まれる。だが、彼等はやはり人間だ。気持ちを殺すと言ってもその心が消えるわけではない。表に出ないように見せ掛けるだけなのだ。本来、気持ちというものは動くように出来ているもの。その不動の表面の下では必ず動きがある。その情を動かすのだ。そしてついでに商人が敏感な損得にも働き掛ける」


「すみません、さっぱりわかりません」


 ラケルドの説明にライカは早々に降参した。


「とりあえず初手を詳しく教えるが、これは話を聞いてもらうためだけの方策だ。その後、お前達が相手に提供出来る『得』についてはお前達自身が考えるんだぞ。俺がお膳立てしてやってはロウス殿に申し訳が立たないし、お前達の経験にはならん。最初の一歩、相手の懐に飛び込むまでの方策だけだ」

「うう、そうですね、お願いします」


 ラケルドはライカを真っ直ぐ見ると、一つ一つの言葉をはっきりと聞かせるようにゆっくりと語った。


「通え。とにかく店に通い、低姿勢で話を持ち掛けるんだ。その際、決して仕事のじゃまをしてはならん。ただし、誰かに理由を聞かれたら正直に理由を話すんだ。その際語り過ぎや店についての不満を口にするのは禁止だぞ。そうやって毎日、出来れば早朝の同じ刻限に通うようにする。商人は時間に正確なことを尊ぶからな。正直さ、正確さ、そして誰にでも見える場所で繰り返されることで生じる噂。諦めずに続ければ、相手は必ずちゃんとした話の場を作る。ただし、お前達に理を語って諦めさせるためにな。だがな、そうして場が出来れば、そこで相手に取引を提示することが出来る。相手が望むであろう物を示すことさえ出来ればお前達の勝ちだ」


 整然と語られる領主の方策に、ライカは唖然として言葉もなく頷き、しばらくしてハッとしたように立ち上がって礼をした。


「ありがとうございました!やってみます!」

「礼を言うのはどうかな?結局はお前達はお前達の価値を相手に示すという一番難しい部分を自分で解決しなければならないんだからな。まぁ頑張ってみることだ。旅というものは物の考え方の根本を変えてくれる。俺はいいことだと思うぞ。見えない危険を恐れていては結局何も出来ないものだ」


 ラケルドも立ち上がると、不思議な、しかし見惚れるような滑らかさで、やや変化の伴った儀式的な礼をしてみせ、その場を立ち去った。


「健闘を」


 響く声に一度下げた頭をもう一度下げて、ライカは深く息を吸う。

 濃い緑の匂いが体の中を巡り、息を詰めていたせいで溜まった淀みを浄化するようだった。


「あ~、言葉も頭ン中も全然訳がわからなかったんだが、結局どうなったんだ?」


 サッズが伸びをしつつ尋ねる。


「難しいけど、全然望みがない訳じゃないって感じだね」

「よっしゃ!ならやってやるか」

「俺は今、もの凄くサッズが羨ましいよ」

「ふ、今更俺の偉大さがわかったか」

「悩まないって偉大だよね」


 ライカの耳に以前も聞いた、どこからか入って棲み付いたらしい鳥の声が聞こえる。

 天上から注ぐ光にはうっすらと人の施した色が付いていて、見える風景の色合いを変えてしまう。


「他人の考えの及ばないことか、そこまではいかなくても、どうにか人の心を動かすぐらいはやってみせないと駄目だってことだよね」

「心を吹き飛ばすぐらいならいけるぞ」

「いやいや、それは駄目だから」


 彼等は領主の通った跡を辿って出口へと向かった。

 鬱蒼としてはいるが、小さな場所なので痕跡を辿れば迷うことなどない。


 キラキラと降る光に、夕暮れの自然の色合いが重なる時間、人の手によって誕生した小さな世界は、そこを行く少年達を静かに見守っていた。

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