第40話 団欒
「今日はお隣から赤潅木の実を分けてもらったからスープに入れてみました」
「ほお」「へー」
「ちょっとすっぱいけど体が暖まって病気知らずになるそうです。なのでお茶もこれで淹れてみました」
「なるほど」「へぇ?」
大げさな程に生真面目な様子でそう宣言すると、ライカは鍋からその中身を椀に注ぎ分けて手盆に乗せてそれぞれに渡す。
木製の盆はライカから城の食堂で出たお盆の話を聞いて早速祖父が作ったもので、椀や杯を置く部分に緩やかな窪みがあり、少々傾いても容器が滑らないので便利だった。
味と同じように、その香りもややすっぱい湯気が辺りを漂うが、そのすっぱさは食欲をそそるものであり、酢漬け野菜のすっぱさよりは甘さがある。
といっても酢付け野菜などそれなりに高価な食べ物なので、この家で食卓に上ったことはないので、彼等にはそれと比べる意識は働かなかったのではあるが。
「ふむ、少し味が変わるだけで中身は同じでも新鮮な感じがするのぅ」
いつもはやや緑っぽく透明なスープだが、今回のスープは赤く、その鮮やかさが目にも楽しさを与える。
「今日は市場で色んな物を食べたんだが、味が多彩で面白かったな」
サッズが感慨深そうに食いしん坊丸出しで今日のそぞろ歩きの感想を述べた。
「食事は人の楽しみの一つじゃからな」
「生きることに直接関係しなくても、人間は楽しみを追求する生き物だよな」
「何を他人ごとのように言っておるのじゃ。楽しみとは知恵ある者の義務じゃよ。そう、世の摂理じゃ。美味い食い物、麗しき女人、全ては見出され感動を与えるべく在りしものじゃよ」
「なるほど、オジィの言うことには含蓄があるな」
「そうじゃろう、生きた年月を一遍たりとも無駄にしておらん証じゃ」
なにかすっかり打ち解けている二人だが、実はまともに顔を合わせて食事をするのは今回が初めてだったりする。
サッズがやってきてこのかた、祖父は朝帰りやら深夜戻りやら、家に戻って来るのが早かったり遅かったりして、なかなか家に留まっていなかったのだが、この日は仕事も女性との約束も無かったらしく、子供達二人より早くに家に戻っていて、こうやって一緒にのんびり過ごすことが出来たのである。
そして、「わしのことはオジィと呼ぶように」とサッズに教え込むと、小さい頃のライカの話で盛り上がり、すっかり意気投合したようだった。
「お隣は旦那さんの仕事柄いろんな食材を保管してて、偶にそれをお裾分けしてくれるからありがたいよね」
お隣の奥さんリエラの旦那さんは、表通りで食堂をやっているのだ。
いうなればミリアムの店の商売敵ともいえるが、ミリアムの所が主に街の人やなじみの泊り客相手の店であるのに対して、リエラの旦那さんの所は外から来た余所者相手の店だった。
それだけに田舎料理と馬鹿にされないように食材には凝っていて、色々と日々研究もしているらしい。
そこで余った物を時々分けてくれるので、ライカは彼女にはいつも感謝していた。
もちろんライカも、治療所で貰った薬草や、ハーブ屋のサルトーに貰ったお茶を分けている。
リエラのところだけでなく、こういう貰ったりあげたりという交流は近辺に住む者同士では当たり前のように行われていることで、そういうご近所事情に全く疎い祖父に代わって、人当たりが良いライカがこの家の顔としてそれら一通りを執り行っていた。
「しかし肉はいつになったら食えるんだ?」
「外からのお客さんが来る花の時期には狩りが解禁になるからその頃ならうちの食堂でも出せるようになるよ。ただ、この時期は狩場には一般人は入ったらいけなくなるから注意してね」
「決まりごとが多過ぎないか?もっと現場に合わせて適当で良さそうなもんだろ?」
「適当というのは素晴らしい言葉じゃな。わしも好きな言葉じゃ」
サッズの無責任な言葉にライカの祖父のロウスも同調する。
「いやいや、みんながみんな奔放にやっちゃうと領主様が困るだろ」
「ライカは領主贔屓だよな。あいつは家族でもなんでもないんだからあっちを尊重する必要はないだろ」
サッズがムッとしたようにそう言うと、ロウスがニヤニヤと笑う。
「弟が自分と違う相手を尊敬しているのが悔しいのは、いかにも兄の心境じゃの」
「むぅ、そういうジィさんはどうなんだよ」
「オジィと呼べ、わしは小僧相手にオタオタしたりはせんよ。余裕じゃよ、余裕」
「俺だって、ずっと一緒に暮らした家族だ、当然余裕があるさ」
「そうそう、じゃからわしとも家族同然、オジィと呼んで尊敬するんじゃぞ」
「言ってることは間違ってない気がするんだが、何かこう引っ掛かるのはなんでだろう?」
「若い頃からいらんことに悩むとハゲるぞ。わしを見ろ!悩みなぞ全くないから今でも髪も髭もふさふさじゃろうが」
「髪とか髭とか気にしたこともないぞ」
「……若いっていいのぅ」
「むしろ今は俺がちょっと疎外感を感じているよ」
妙に息が合っている二人に、ライカは呆れたように呟いた。
ロウスに「おやすみ」を言って屋根裏の自分達の場所に引き上げた二人は、いつものように天窓を開けて並んで転がった。
「ああいう風なすっぱい香りってのは初めての経験だったな、悪くない。あと、豆漬けのタレってのも良い匂いだったな。人間はよくもまぁあんなに色々食いもんを加工することに情熱を傾けるよな」
寝台の上で空を眺めてゴロゴロしながらサッズは思い出すように鼻を鳴らした。
「セルヌイの言うことには、人間の味覚は生き物で一番多彩なんだって、竜族は嗅覚がそれに当たるとか言ってたよ」
「なるほど、しっかしあいつも毎度毎度役にも立たないことを知ってるよな」
「またそういうことを言う。本当はキライじゃないのにさ」
「そりゃ当たり前だろ、家族なんだからさ。でもな、あいつは変わり者過ぎるよ、人間的過ぎるといってもいい。同族にモテないからって人間の世界に関わり過ぎたんだよ」
「サッズは人間が嫌いなの?」
「そういう、訳じゃないさ」
ふわりと風が吹き込み、部屋の空気が動いてライカが灯り用の油に垂らしたハーブオイルが香る。
「ただ時々むしょうにイライラするだけだ」
「人間にもそういう時期があるって、ミリアムが言ってたな。ノウスンもそういう時期なんだろうって」
「あのバカと一緒にするな!」
今度こそ声を荒げてサッズはがばりと寝台から体を起こした。
「俺もノウスンとは上手くいかないけどさ、たいして話した訳でもないのにそんなに嫌うのもどうかと思うよ」
「一度でも話せば分かるさ、トゲだらけの意識と言葉。傲慢で排他的な目付き、全く嫌な野郎だ。ああいうのは牛の群れの糞溜めの中にでも一度突っ込んでやればいいんだ」
「彼も仲間を守ろうと必死なんだよ。人間同士も色々あるからさ」
「群れて生きる連中の考え方ってのはどうしても今ひとつわからん。言葉も単調だからわかりにくいし、言葉と意識が乖離していることなんかもしょっちゅうだ」
「あ、それは俺もちょっとキツイ。どっちに合わせればいいのかわからないんだよね」
ライカは棚から分厚い、紐で閉じられた冊子を取り出す。
薬草の図典だ。
バサリと開かれたそれを、横からサッズが覗き込む。
「へ~、植物の写し絵か」
「うん、今の時期のここらの植物は知らない物も多いからね。見た物はすぐ調べて覚えることにしてるんだ」
「そういや、今日は竜舎にいたな、あいつに会いに行ったのか?」
「あいつじゃないよ。あ!サッズは全然挨拶に行ってないだろ?名乗りもしてないじゃないか」
「いいだろ、別に」
「良くないよ。みんなが言ってただろ。挨拶なしに男同士が会えば生死を掛けた戦いになるって。アルは優しいし、サッズはまだまだお子様だから気にしてないみたいだけどさ」
「ああん?ならやればいいじゃないか?いっそのこと戦ってどっちが上かを知らしめてやればいいんだろ」
ゴリッ、と音を立ててサッズの耳の後ろにライカの拳がねじり込まれた。
「本気じゃないよね?」
「ちょっ、ヤメ、嫌なんだって、それ!」
「挨拶にイ・ケ、出来るだけ早く」
「え~、……いや、ちょ、わかった、わかったって」
ライカはにっこり笑うと天窓を指差す。
「ええっと」
言い訳をしようとしたサッズに向けたライカの笑みが深まった。
周囲の空気がやや温度を低めたようにサッズは感じる。
「……わかりました。すぐに行って来ます」
言葉のない笑みに追われるように、その日サッズは夜の外出をする羽目になったのだった。
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