第70話 夜明けまでの事
門で警備隊の人に渡された札には六個の簡略化された花の絵が彫られている。
「ジィジィこれなに?」
「順番札じゃ」
「順番札?」
「その札の絵柄の列に並んで順番が来たら自分の名前を言えば良いだけじゃ、後は止められる所以外は自由にしててええのさ」
「ふ~ん」
入り口ではただそれを渡されたのみのやりとりだけだったので、それで流れが速かったのだ。
祖父はライカの手元を覗き込んで札を見る。
「ほほう六か、縁起が良いの」
一般に六という数は世界を表すと言われていて、人間社会で好まれる数である事はライカも知っていたが、何が具体的に縁起が良いのか分からずにそのまま問い返した。
「縁起が良いと何かあるの?」
「そうじゃの、縁起の良い数字は賭け事の時に好まれるのぅ。ああいう勝負事が好きな連中はあらゆる事に縁起を担ぐからの」
「商人の人みたいだね」
「やつらも言うなれば賭け事師のようなもんじゃからな」
「賭け事?」
ライカは賭け事について詳しくは無かったが、ミリアムに言わせるとバカのやる事だという話だったので、首を傾げてしまう。
「商人さんはもの凄く頭が良いって話だけど」
「そりゃそうじゃ、やつらは自分の人生を賭けて勝負をしとるのさ。そういうのは頭が良くないと出来んじゃろ?まぁワシに言わせれば究極の愚か者じゃがな」
「なんか言ってる意味がよく分からないよ」
「ふ、お前がまだまだ子供じゃという事じゃよ」
祖父得意の子供扱いの言い回しに、ライカは思わず抗議をしようとしたが、
「花の札を持ってる人はこっちに来てください!」
聞こえた声に意識を取られた。
「花の札って俺?」
「ワシ達じゃな」
見ると、祖父の札も花だった、七個の花が並んでいる。
二人は並んで入ったのだから当然といえば当然の話だ。
呼んでいる所へ行くと人の列が出来ていて、その列は先ほどと違って流れが悪そうである。
何をやってるのかと、思わずライカが覗くと、なにやら列の先頭の人と対面して座っている人が話をした後、座ってる人の後ろに控えている人に何かを言って、言われた人が何かを探しているようだった。
色々疑問に思いながらもライカがそのまま順番を待っていると、暫くしてテーブルの置かれた場所に辿り着く。
どうやらここが終点らしいと、ライカは相手の顔を見た。
「それでは札を回収しますね。門で渡された札をこちらにください」
ライカがそれを渡すと、名前を聞かれ、名を告げるとそれを目前の人が後ろの人に伝える。
「何を探してるんですか?」
「名前札ですよ。住人の名前札が作ってあるのでそれを照合して誰が来ていて誰が来ていないかを調べる訳です」
「来ていないと罰があるのですか?」
「いえ、罰はないですが、街に留まっていては危険だと判断される場合に警備隊が連れ出しに行かなければなりませんから」
「ええっと、警鐘が鳴るとお城に来るのは街が危険だからですか?」
「そうです。正確には危険が予想されるので先に避難しておいてもらうという事ですね。城はこの街で一番頑丈な造りですし、とりあえず火にも風にも強いですからね」
「そうだったんですか、俺、なんだか分からないけど着いて来ただけだったんで」
ライカは少し恥ずかしそうに赤くなった。
「いえ、『理由は分からないがとりあえず物が貰えて美味しい物が食べれるから鐘が連打されたら城へ来る』という方は多いですよ。私達は結果が同じならそれでも全然構わないのです」
相手をしてくれた人はそう笑う。
服装は警備隊のものではないので城の中で働いている人だろうか?なんとなく雰囲気がユーゼイック先生に似ていてライカは気持ちがほぐれるのを感じた。
城の人は口調の硬い人が多いが、この人は柔らかい。
「物が貰えて食べ物も出るのですか?」
それにしてもその内容に驚いてライカは聞き返した。
「ええ、人数が人数ですから僅かですが、ご足労の代として塩を一袋と慰労の意味でスープの振る舞いがあります」
「塩!ですか」
ライカは大きな声を上げて、慌てて声を潜める。
どこかで小さな笑い声が聞こえた。
「そうか、だからこんな時間でもみんな来ているんですね」
「まぁ、そういう事でしょうね」
ライカの感想に、相手は笑って頷く。
その間にその相手の後ろの誰かから耳打ちがあり、彼はそれにまた頷いた。
「あなたの名札が見付かったようです。それではとりあえず塩をどうぞ」
脇の方から女性がにこりと笑って小さな袋を手渡してくれる。
それは手のひらに乗る程度の大きさだったが、実際に金額にするとライカの十日分の稼ぎぐらいはするに違いなかった。
「わあ、ありがとうございます!」
その女性にまでクスクスと笑われたが、ライカは気にせず祖父に場所を譲った。
「ジィジィ待ってようか?」
色々とあって、家族には行動の確認を取るべきだとこの街に来てから学んだライカは、祖父にそう聞く。
「お前が隣にじっと立っちょると気になって仕方がないわい。あっちの大鍋の所で先に豚汁でも食っとくがいい。火が大きいから分かり易いじゃろ」
「分かった」
言われて、ライカはなにやら良い匂いが漂って来る方へと足を進めた。
祖父の言葉通り、大きな火に沢山の兵士が掛かりっきりになっている。
ライカでは絶対抱えられないだろうと思われるもの凄い大鍋がどっかりと地面に置かれていた。
(あんな大きな鍋をどうやって火に掛けるんだろう?)
純粋な疑問で傍に寄るが、鍋は火に掛かっている様子がない。
しかし、中身はぐつぐつ音を立てていて、明らかに熱を持っていた。
不思議に思って様子を見ていると、兵士が二人掛かりで大きな石を火の中から取り出して、鍋の脇の台からそれを鍋に入れている。
「そうか、お風呂と同じ要領なんだ」
理解して周りを見ると、沢山の人々が手に手に椀や匙を持って待ちかねていた。
「ああ、出掛けの椀と匙はこれか」
ライカも懐から自分の椀と匙を出した。
「おおい、ライカじゃね?」
声が聞こえて振り向くと見覚えのある少年が立っている。
「確か、あの、ネズミの尻尾って呼ばれてた」
「そうそう、あ、でもお前は身内じゃないから周りに仲間がいない時は名前を呼べよ。僕の名前はボッカだからね。でさ、へへっ、お前もこれ目当て?これ、うめぇんだよね、肉と芋入ってるし、なんか葉っぱも入っててそれも美味いんだ。味付けも変わっててさ、塩じゃないんだよ。どうも豆の漬けを使ってるみたいなんだけど豪勢だよね」
「そうなんだ」
「うん、なんか真似して作ってみた人いるみたいだけど、この味は大鍋でしか出ないとかでさ」
「へぇ、俺初めてだから楽しみだな。他の子は?」
「さあ?女子供はみんな来てると思うけど、うちの年上連中は畑だよ。僕は置いてきぼりだけど、こっちの方がいいもんね」
「えっ!畑って山だよね?ノウスンも?だってこないだやっと治療所から出してもらったばかりじゃないか」
「アニキなら杖突いて行ったよ。だってアニキいないと纏まらないしさ、一応みんな心配したけどいないと困るから止められないんだよね」
「また先生に怒られるぞ」
「畑燃えちゃったら食うもんないし、そんなら怒られる方がマシだろ?」
「でも警備隊の人達が、ええっと、木を伐って火が来ないようにしてるから大丈夫じゃないの?」
「バッカだな、山火事の火ってもの凄い飛ぶんだぜ。火がある限りは安心出来ないよ。それに警備隊なんて間抜けで当てにならないし」
「風の隊のザイラック班長さんが木を伐ってるらしいよ」
「ああ、あいつなら森を丸裸にしちゃうかもしれないけどさ。……なあ、信じられるか?あいつって前にこんな大岩を叩き切っちゃったんだぜ?しかも横縞のないやつをだぜ?」
手を思いっきり広げてみせる少年に、ライカはうーんと感心してみせた。
「凄いね。ところで横縞ってなに?」
「ライカは物知りのようで物を知らないな。ここらの岩は横縞があればそこを叩けば簡単に割れるってのは常識だぜ。でも、縞がないやつはどうやっても割れないんだよ」
「あ、なんか聞いた事あるよ」
「だろだろ?……あ、出来たみたいだよ、早く並ぼう!」
「あ、うん。あれ?椀は?」
「あそこに並んでるだろ?あれ、くれるんだぜ。匙はないけど椀は貰えるから持って来ないのが賢いやり方さ」
「え?本当にもらえるの?怒られない?」
「何度も持って帰ったけど怒られなかったから大丈夫だよ」
ライカはその答えに一部引っかかりを覚えてボッカに問い質した。
「何度もって、そんなに何度もお城に避難するような危ない事があったの?」
「え?ああ、違うよ。なんか兵の訓練するからって時々突然あの鐘をガンガン鳴らすんだよ。最初はなんだか分からなかったけど、色々貰えるからみんなそれをけっこう楽しみにしてるんだ」
「そうなんだ、気前が良いんだね」
「だよね。この街ってそんなに景気良くないって言うけどさ、やっぱり英雄さまは違うよね」
夜明け前の冷気による震えも、遠くで燃えている火事に対する心配も、今は大きな火と鍋の熱気とそれに群がる人々の興奮ですっかり追い払われていた。
少年達はその心躍る光景の中へと飛び込んで行く。
(ジィジィの分貰えるかな?)
ライカはまだ姿を見せない祖父の事を思い浮かべながら振り返った。
人の喧騒に紛れて、もう遠い大木の倒れる音も火の気配も分からなくなってしまっている。
空にはまだわずかに火の照りが浮かんで見えるが、それももうすぐ明けようとする空の明るさに呑まれようとしていた。
「夜明けだ」
何時の間にか警鐘も止んでいる。
「置いてくぞ!」
少年、ボッカが上衣の裾を引っ張って先を促したので、ライカはちょっとよろめいてしまう。
「うん」
そのまま慌てて振り返り、ライカはボッカの走り出す速度に合わせて固まっている人々の中へと走った。
「ほんと、みんな逞しいや」
賑やか過ぎる喧騒にそう呟いて笑うと、ライカも人々の中に頭を突っ込み、椀を突き出して振る舞いの催促をしたのだった。
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