第60話 言葉の力

「砂が見渡す限りに広がる大地で、火の精霊が旅人に謎掛けをする。その問いに答えられれば彼等の旅に加護を与え、間違えば精霊は旅人を食らうだろう」


 短い文に添えられた絵は、白く輝く月の下、まるで幾重にも小さな丘が続くような何もない淡い色の大地を行く背の高いロバのような生き物に乗った人々と、それを覆うように大きな、人の姿のようでどこか違う影を描いていた。


「怖い!」


 何人かの女の子と一部の男の子が泣き出す一方で、元気の良い少年が手を振って注目を求める。


「兄ちゃん!精霊って守り神だろ?そんなのが人を食べたりすんのか?」


 十歳に未だ届かない年齢にしては鋭い質問に、ライカは首を捻った。


「うん、これが精霊ってのはおかしいかもしれないね。でもこの存在を示す言葉で他に相応しいものが俺には思い付かないんだよね、この物語の場所は全然違う国みたいだし、分からない事も多いんだ」

「そっか、よその国の話なら俺らには分からない何かがいるのかもしれないな」


「それってよその国ってはっきり分かるの?」


 真剣に小さい子供と内容を検討し始めたライカに、セヌが割り込んで問い掛ける。

 ライカは床に置いて広げているやたら古くて大きく、既に絵も色あせている絵本を指して説明した。


「ほら、俺達の国で使われている言葉ってセヌの名前ならセとヌとそれぞれに当たる文字があるだろ?でもここの言葉はこの一つの文字でまとまった一つの意味を持ってるんだ」

「分かんない、どういう事?」

「例えば山とか俺達の国の文字なら八つぐらい文字が並ぶよね。でもこの国の文字ならこの文字一つだけで山の意味になるんだ」


 それは地形を解説する一文の中の文字だ。

 ライカはそれを纏まった一文として砂の丘と読んだが、本来それ一文字は山を表す文字なのだ。

 しかしこの文では修飾語の小さいという意味の記号が補足されているので、ライカはそれを丘と読んだのである。


「へぇ~、なんとなく分かった。つまり文字だけど文様絵みたいな感じなんだね」


 セヌが看板やら貨幣やらに使われる文様絵を思い浮かべて自分なりに納得すると、周りの子供達も絵本を取り囲んで覗き込む。


「本当だ、飾り文字みたいな字だ」


 説明の内容は理解出来なかったらしいセヌよりやや大きい女の子は、見た目で納得をしてしまったようだ。

 実際その本に書かれた文字は装飾性が高く、貴族のマントや旗、店の屋号等に使われている文様絵、一般に言うところの飾り文字に似ているように見えなくもない。


「確かにあれも一個の意匠でそれぞれ意味があるんだっけ?まあともかく、これだけ字の決まりごとが違うって事はもの凄く遠い所で作られた本なのかもしれないって考えたんだよ」

「そっか、あたいらの国とずっと長い間付き合いがある国ならそんなに分からない字になる訳ないもんね」


 セヌはすっかり納得顔でうなずく。


 最初に疑問を持った男の子は、しかめっつらしく鼻の頭に皺を寄せて考え込むと、再び口を聞いた。


「って事はこの本の話はもの凄く遠い国の話って事?」

「そうだね、少なくともこの文字の書かれた絵本に良く出て来る砂だらけの広い大地ってここらじゃ聞かないし」

「確かに聞かねぇけどさ、それって俺らが子供でまだ世間を良く知らないせいじゃねぇの?」

「そう言われると、それほど経験を積んだ訳じゃない俺としても答えようがないな」

「こんな不思議な場所見てみたいなぁ~」


 さっきは泣いたはずの女の子がほんわりと笑顔を浮かべてうっとりと言った。


「じゃあこの精霊とやらに頭から食われちまうんだな」


 しかし、後ろから男の子が脅かしながらそう言うと、その子はまた泣き出してしまう。


「こら!いじめるな!」


 すかさずセヌがぽかりとその男の子を叩いた。


 セヌはライカに向き直ると、にこりと笑う。


「知らない事を知るってのは、思ったより面白いね」


 女に文字は必要ないと言っていた彼女だったが、ライカに読んでもらっている内に少しは興味が出たようだった。


「うん、俺を育ててくれた方がね、知識は心のご飯だって言ってた」

「へぇ、いかにも頭の良さそうな言い草だね」


 言って、セヌは慌てて手を払うような仕草で自分の言葉を訂正しようとした。


「あ、ごめん、悪口言った訳じゃないんだよ」


 乱暴な言い方で今まで何度かトラブルを起こした経験のあるセヌは、自分の言葉が誤解を生みやすい事を知っていて、時々こうやってうっかり口走った乱暴な言い方を訂正しようとする事があった。


「うん、分かってる。褒め言葉だよね」


 しかし、気にした様子もなくさらりと返された言葉に、セヌは目を丸くしてライカを見る。


「なんかライカってさ、口にしたことよりたくさんの事を聞いてる気がする。あたいの言う事誤解しないで聞いてくれる人ってさ、あんまいないんだ」


 ライカは笑った。


「人って、実は自分が思ってるより沢山の事を話してるんだよ。ちょっとした目くばりとか動作とか。だからそういう言葉を一緒に聞いていれば、滅多に相手の言いたい事を間違えたりしないはずだよ。俺からしたら分からない方が不思議な感じだけど」

「ふ~ん、でもさ、みんながライカみたいにそんなのが分かるようになったら、色々勘違いして喧嘩したりする事も無くなるかもしんないね」

「セヌにだって分かるさ、ちゃんと見ていればきっと分かるよ」


 そのライカの言葉を聞いていたのか、本を囲んでわいわい言っていた子供の一人が勢いよく立ち上がった。


「俺も、俺も言葉じゃない言葉がわかるよ!だってうちのネイ、しゃべれないけど言いたい事わかるもん、俺!」

「ネイって?」

「うちの犬!」

「犬を飼ってるんだ」


 この街では動物を養っている家は少ない。

 特に犬は城に猟用の犬がいるぐらいで街中でついぞ見掛ける事がなかった。


「こいつんちの父ちゃん猟師だから」

「へぇ」

「違うよ!罠師だよ!」

「そんなの似たようなもんだろ、動物狩るんだし」

「違うよ!罠師は大体一人で狩りをするけど猟師は一人じゃ動かないだろ?今だって一杯男手を持って行ってるじゃないか!」

「ありゃ城の連中の狩りに付き合わされてるだけだろ?猟師が仕事でやってんのとは違うさ」

「猟ってのは追い込む人間と待ち伏せする人間で賑やかにやるもんなんだよ!罠師はあんな乱暴なんと違う!」


 少年の、恐らくは父親を誇るがゆえの拘りに、周りが茶々を入れるせいでお互いに段々むきになっていく。

 それを子供達の体を強引に離す事で制しながら、ライカは途中に聞いた言葉に感心を持って訊ねた。


「城の狩りの付き合いって?」


 喧嘩相手に向かって足を蹴り出してバタバタさせていた少年を膝の上に抱え込んで落ち着かせると、答えを持つ相手を求めてセヌに目を向ける。


「うん、冬から春は長いこと狩りが禁止になるだろ?だから今の内にたくさん猟をして、冬から夏までの肉を確保しようって事で城の兵士連中がさ、森に繰り出すんだけど、その手伝いに街の男連中を連れて行くんだよ。良い稼ぎになるし、なによりあたいらじゃなかなか作れない燻した肉やソーセージをたっぷり貰えるし、ね。そんで、いつもの喧嘩腰はどこへやら、ここの男連中もほとんどがそれに参加するんだよ。あの、バカ連中、ガキのごっこ遊びやってる連中もそうなんだから呆れるよね。まあ偉そうにツッパっててもあいつらの拘りなんて腹具合次第って事がよっく分かるってもんさ」

「それってノウスン達の事?」


 あまりの言われようにさすがに気の毒になりながらライカは確認した。


「そう、威張りくさってる泥山の大将とその取り巻きの中のずうたいだけデカい奴らね」

「でもさ、それって勢子で参加するって事だよね?みんな武器とか持ってないんだし。なんか危ないって聞いたんだけど大丈夫かな?」


 話を聞いたライカは少し不安になる。

 以前小耳にはさんだ噂では、勢子は危険が伴うとの事だった。


「大丈夫、夏のは小さい隊に分かれて競争で猟をするから兵士連中も勢い付きすぎて危ない時があるってんで、みんな怖がって勢子役に及び腰になるんだけどさ、今の時期の猟は全隊合同でやる大規模な囲み猟なんだってさ。獲物と間違って射られたりはまずないし、怒りまくった山豚や熊なんかが出ても人数が多いからすぐにカバーが入るようにしてあるらしいよ。だからそれで怪我するのはよっぽどの間抜けぐらいって話」

「凄い詳しいんだ」


 ほっとしながらも、ライカはセヌの知識に関心した。


「そりゃ、うちの父さんも参加してるからね」

「そっか、でも畑の方はどうなってるの?お母さんが一人で?」


 以前、彼女の母は体が不自由であるような話をライカは聞いたので、気になってつい聞いてしまう。


「ううん、畑の収穫はもう終わってるんだ。そもそもさ、大規模な猟前に収穫が終わるように計画して作付けしてるんだ。母さんや他の女の人達も猟に参加する人達の炊き出しの方に参加してるしね。それにもちゃあんとお駄賃が出るんだ。城からの炊き出しの材料で余った野菜も分けて貰えるんだって、はりきってた」

「へえ、でもそんな話聞くと、ここの人達も思ったよりお城の人達と仲が悪い訳じゃなさそうだね。こないだ王様が来た時もここの人とお城の人が品物を売り買いしてるのを見たし」

「そりゃあね、昔の領主に恨みがあったからってさ、今の領主は違うんだから、儲け話があるならどんどん乗るべきなんだよ。賢い奴はちゃんと分かってそうやってるんだ。それなのにいつまでも拘って悪口だけ言ってて得になる事を見逃してる連中なんて、あたいからしたらぐじぐじ言ってる馬鹿にしか見えないよ」

「セヌは格好良いなぁ」


 何度目か分からないセヌへの賛辞をライカは贈った。

 セヌはその賞賛に照れるでもなく、胸を張って主張する。


「男連中がだらしないだけだよ、まぁ男連中って言ってもうちの父さんは違うけどね」


 セヌの今の父は彼女と血の繋がりがない。

 それでも、父が違うはずのセヌの弟は、最近歩き出したその足ではしゃぎまわって疲れれば、セヌにしがみついて抱っこをねだり、姉以外の手は決して求めなかった。

 彼女自身もその言動から家族を深く愛してる事が伺える。

 そしてなにより、昔何があったとしても、そうやって父を誇る彼女は幸せそうだった。


「領主様は良い方だし、このままここのみんなもお城の人達とも街の人達とも仲良くなれると良いんだけどな」


 ライカは常々思っている事を口にした。

 本当はまだまだ小さいセヌに話すような事ではないが、彼女の聡明さは年齢をつい忘れさせてしまう所がある。


「どうなんだろうね、あたいらがどう思ってても、街の連中や城の連中って、あたいらをゴミ溜めの汚物みたいに思ってるんじゃない?」


 頭が良く、前向きなセヌだったが、それでも自分達の街での立場についてはどこか突き放した考え方をしているようだった。

 昔の出来事を直接経験した訳でもないセヌさえそうなのだ。

 他の、未だ胸の内に禍根を持つ人々の心は彼女の比ではないだろう。


「きっとさ」


 ライカは病床で語る母の顔を思い出して言った。

 言葉を発するのも苦しいだろうその身で我が子に人の在り方を語り続けた母。


「話をしないと駄目なんだと思う。喧嘩じゃなくて、お互いに理解する為に話をしないと駄目なんじゃないかな?」

「う~ん、でもさ、嫌いと思ったら話なんかしたくないよね」

「そっか」


 セヌの言う事も確かに真実だ。


「えっとね、」


 ライカの腕の中でおとなしくしていた男の子がにっこり笑う。


「喧嘩した後にちゃんと謝らないと、友達だって駄目になっちゃうよって、母ちゃんが言ってた」

「そうだね」


 ライカはその頭を撫でてあげる。

 人と人の間というのは子供でも分かるくらい単純で、しかし、だからこそ難しいのかもしれない。


「まあ確かにさ、そこにもう喧嘩した相手がいないのに、同じ場所にいるから違う奴を嫌うのって、考えてみりゃおかしい話だよね。あたいらにしろ、街の連中にしろ」


 セヌはいつものようにまっすぐな目をしてぽつりとそう呟いたのだった。

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