第48話 訪問

 昼のように明るいというのは少し言いすぎだが、そこはあちこちに据え置かれた篝火に照らされて、夜なのに離れた場所の人の顔が確認出来る程に明るかった。


「おいおい、森の傍でこんなに火を焚いて。火事なんか起こさないだろうな」


 ホルスが他人に聞こえないような小声でぼそりと呟いたのも無理のない話だ。

 彼等が向かった先、厩を利用した小型竜用の竜舎と大型竜用の竜囲いの周りはさすがに灯りは少なかったが、この状態を一晩保つのだとすればここでの一晩だけで街で使う分の十日以上の燃料を消費してしまいそうですらある。

 これを全部きちんと管理出来るのか、不安になるのは当然だろう。

 うっかり森の木々に火が燃え移ろうものなら大変な事になるのは歴然としている。

 この街の人間は火に対してかなり神経質なのだ。


(思った以上に凄いな)


 こっそりと後から竜に会いに来る心算だったライカは、予想以上の警備の凄さにやはり以前城に忍び込んだようなやり方は無理だと悟った。

 しかし、


「あの、」


 オイルを汲み分ける為の樽の移動に、ちゃっかり彼等の荷車を利用した竜番の男にライカは声を掛けた。


「ああ?」


 男は大量のオイルを各竜用の容器らしきものに移し替え終わり、ほっとして一息ついたところに話し掛けられて、少し迷惑そうに返事をする。


「こっちの囲いの方は屋根がないみたいなんですけど、竜は飛んでいってしまったりしないんですか?」

「ああん?なんでそんな事聞くんだ?」


 ギロリと睨まれて、困ったような顔をしたライカの頭をハーブ屋のサルトーが撫でてみせた。


「すんませんね、この子、竜が凄く好きなんですよ。こんな立派な竜、もう見る機会もないでしょうし、色々知りたいんでしょう」


 男は、立派な竜と褒められたのに気を良くしたのか、胸をそらして得意げに説明を始める。


「ふん、竜の飼育など何も知らんやつらはみんな同じ心配をするが、やつらが逃げ出すような心配なぞありはせんのさ。なぜなら、こいつらは卵の頃から人間に育てられた飼育竜で、小屋は出られないもの、鎖は外れないものと、まだまだ力の弱い子竜の頃に徹底的に教え込まれているからな」

「なるほど」


(卵の頃から人間に育てられた飼育竜)


 それでは母竜はどうしたのだろう?竜の母親は決して子供を離さない。卵だけを取り上げるなど無理なはずなのに。

 ライカは気になったが、そこまでをここで聞くのはもう無理だろうという雰囲気がある。

 現に、同行した兵がさっさと戻るように促していた。

 それに聞くなら当の相手に聞けばいい事だ。

 空が開いている。

 それならばそこから行けばいいのだ。


 遅くなったから家まで送るという大人二人を断って、ライカは門を入って右手の、住宅地区へと続く道へと曲がる。

 そして彼等が去ったのを確認すると、そっと街壁まで移動した。

 そのまま丸太で作られたその壁沿いに西へと進む。


「リンムや」

「う!」


 突然の声に、ライカはびくりと肩を震わせた。

 振り返ると、闇の中に見知った顔がある。


「エデさん」

「リンムや、気をつけるんじゃ、兵隊さんに見付かったら恐ろしい事になるんじゃ」


 そこにいたのは門の傍に住み着いている物乞いの老人だった。

 彼は現実を放棄してしまった人で、街の人達が憐れに思って建てた小さな小屋に一人で住んでいる。

 彼がよく口にするリンムというのは、遠い昔に死んでしまった孫の事だろうと、繋がりの分かりにくい会話からの情報を頭で纏めて、街の人間達は想像していた。

 だが、事実がどうであろうと老人にとっては彼女は今も生きている存在なのである。


「大丈夫、エデさんがこないだ教えてくれた隙間から外に出るから」

「そうかそうか、夜はわしらの味方じゃ。人の気配がしたら影に潜んでじっとしているんじゃぞ。兵隊さんたちは実は暗い所が怖いのさ。敵が潜んでいるかもしれんと思って、よう近付かんのさ。だから夜や影はわしらを隠してくれる友という訳じゃ」


 ひそひそと囁く声に、ありがとうと礼を言って、ライカは先に進んだ。

 彼の話はとりとめもないが、他人に危害を加えるような事はないし、何か単純な作業ならやる事も出来る。

 ライカは近所のおばさんから彼への差し入れを頼まれて以来、エデと時々話をするようになったが、エデはライカをライカと見ている時はとても少なく、大概はリンムという名で呼ばれた。

 これはライカに限った事ではなく他の人間でも同じで、そのせいで彼は街の住人からは完全に気が変になっているとみなされているのだ。

 しかし、彼は案外正気の部分を持っていて、とりとめない話のそこここにそういう知識めいたものが現れる事があった。

 そして、以前ライカはこの街を囲む壁の一部に人が通れる程の隙間がある事を彼から聞いていたのである。


「さて、街を出る事は出来るけど、そっから先が問題だよね」


 一人呟いたライカだが、何をするのかと言えば、もちろん王都からやってきた竜に会いに行くつもりだった。

 ライカの計画は単純で、地上から見えないぐらいに高く昇り、そこから竜囲いの中に一気に降りる。

 ただそれだけだ。

 しかし、問題は竜囲いの上空までどうやって進むかである。

 なにしろライカは浮かぶ事は出来ても、飛ぶ事は出来ない。

 地上から窺えないぐらいの上空といえば、たいがいは凄い風が吹いていて、ライカには振り回されないようにバランスを取るのが精一杯で、方向を見定めて進むのはかなり辛い事だった。

 とりあえず、ライカはエデに教えてもらった場所の丸太をぐっと押して隙間を作ると、そこから体を出し、街から人知れず脱出する事には成功した。

 街壁と森の間には防火帯があって草や木が全くない地面が黒々と続く。

 そこからやや南に向かって、街門の灯りが見えた所で東にまっすぐ進めば竜のいる宿営地だ。


 だが、ライカはあえてそのまま森へと向かった。

 夜に下手に森へ入ると方向を失ってしまう。

 なので、夜にあえて森へ入り込むような人間はいないが、ライカには思いつきがあった。

 ここいらの森は真っ直ぐに伸びた恐ろしく背の高い巨木と、縦にあまり伸びない低木によって構成されている。

 この高い方の木を渡っていけば空中を風を蹴って歩いて行くよりも、楽に目的地へと辿り着けるのではないかと、考えたのだ。

 森から外が見えない場所まで入り込むと、ライカは地面を蹴って、木々の枝を上へ上へと渡る。

 闇の中でも目が利くからこその無茶だが、さすがに時々足が滑りそうになってひやりとした。

 いかに浮かべるとはいえ、飛ぶ方向がずれれば巨木の幹に体当たりをしてしまい、目を回す可能性もあるのだ。


 苦労して、やっと木の天辺に到達すると、天上には圧倒的な星の輝き、地上には闇に沈んだちっぽけな人の街の中に、それでも微かな蛍火のような、移動する人のものや警備の為の灯火がぽつりぽつりと見えた。


「街にいる時はすごく広い気がするんだけど、こうやってみると小さく感じるな」


 街の奥には小さな山のような城が浮かび、その裾野にいくつかの灯りがあるだけでその姿は黒々と闇色の影として星空を切り取っている。


「みんなあそこにいるんだな」


 街や城が丸ごといとおしいような不思議な気持ちになって、ライカは微笑みを浮かべた。

 ともあれ、用があるのはそちらではないので、視線をずらし、手前側に移動する。

 そこには正に地上に咲いた小さな炎の花園のような場所があった。

 そのポツポツと花開く灯りの見える宿営地の、ライカの側から右側のやや暗い一画が目的の場所である。

 そこまでの移動に使える木にめぼしをつけて、ライカは一歩を跳んだ。

 一瞬の風を切るその感覚が家族と飛んだ頃を思い出させて酷く懐かしい。

 背の高い木を選ばざるを得なかったので、思ったより遠回りになったが、首尾よく竜囲いの近くまで辿り着くと、ライカは最後の蹴り出しを渾身の力を込めて行った。

 それは飛ぶというより落ちるに近い。

 急降下で行う狩りの時の感覚を思い出して、自然に口元が緩んだ。


『地上から目を離すな。ギリギリで止めるタイミングを体で覚えるんだ』


 心配性の竜王が何度も言い聞かせた言葉。

 あの、暖かな声がいつも彼の導きだった。


 探すまでもなく、目的の相手を地上に見つける。

 そこには白い鱗が細い月の光を弾いてきらめいていた。


『ぶしつけな訪問、失礼をお詫びいたします』


 囲いの高い柵の中、外から見えない高さまで落下すると、ライカはそこに留まった。


『輝かしき御方。我が挨拶を受け入れていただけますでしょうか?』


 白き鱗を煌かせた美しい竜はその青い目を細めて突然の訪問者を見る。


『これは驚いた。なにやら古風な挨拶だが、我には返す挨拶がないのぅ。我は人の挨拶より他は知らぬのでな』

「失礼しました。今晩は、おじゃましてもよろしいでしょうか?」

『残念ながら我は人の子を食らう事は禁じられておる。そなたが竜身であれば、遠慮もなしに二度と立てぬように足の一本も食ろうてやっても良かったのだがのぅ』

「もしかするとお怒りですか?」

『用件しだいじゃの』


 美しく微笑む相手を見つめながら、女性は難しいぞと言った育て親の言葉を、まざまざと脳裏に思い出していたライカではあった。

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