第47話 日暮れ

「俺はもう駄目だ。この子の成長をこの目で見られないと思うと、それだけは諦め切れんが、仕方ない」


 ハーブ屋のサルトーは妻の腕の中でやっと眠った我が子を見ながら肩を落とした。


「あんたは全く!意気地がなさ過ぎるよ!あの子の行動力をちょっとは見習ったらどうだい。大体、あの子があんたの為に走り回る義理なんて何もないんだよ?いつも手伝ってもらってるのはあんたの方じゃないか」

「違いねぇ。ライカ坊にも悪い事しちまったな、無駄な事に必死にさせちまって、こんな事なら話すんじゃなかったなぁ」

「全く!そこは大人らしく、あんたがもっと自分がなんとかする!って言って安心させてあげれば良かったんだよ。それを子供の目の前で、やれダメだとかお終いだとか、泣き言ばっかり」

「うるせえな、女に仕事のなにが分かるってんだよ」

「少なくとも座り込んで嘆いているだけじゃ何も始まらない事は分かるね」

「口のへらねぇ女だな!」

「そこが良いって言ったんじゃないか、どんな時でもへこたれないお前が好きだってね」

「う、いきなり何言い出しやがる」

「若い時のあんたにはもっと情熱があったよ。いざってときに必要な薬草がなかったりすると大変だからって言って、ここらの森は全部知り尽くしてやるんだ!って息巻いてたじゃないか」

「また、昔の話を」

「昔のあ・ん・たの話だよ、あの時のあんたが今のあんたになったんじゃないか。別の誰かの話じゃない。しっかりおしよ」


 普段の喧嘩とはまた違う騒ぎに、彼女の腕の中でやっと落ち着いた赤ん坊がまたむずがり出してしまう。

 サルトーの妻は、ゆっくりと体を揺すると、その子を安心させるように優しく話しかけた。


「ねぇ、お父ちゃんはほんとうは熱い人なんですよ~」


 サルトーは少し呆けたようにその妻と子の様子を見ていたが、やがて照れたように頭を掻いてみせる。


「ううん、分かった、せめてライカ坊の様子を見てくるわ、子供を心配させて放り出すなんて、やっぱ恥ずかしい事だよな」


 彼がそう言って、立ち上がろうとした時、玄関の戸がコンコンと柔らかい響きを届けた。


「サルトーさん」


 ライカはさすがにややぐったりした風で玄関に立っていた。

 荷車の荷台は恐ろしく安定が悪く、揺れが激しい上に液体の入った重い樽はすぐに重心がブレる。絶対にそれを転がさないようにする為に、必死でしがみついていたのだ。


「とにかく荷物は準備が出来ました。時間がありません、早く配達しましょう」


 玄関に出迎えたサルトーとその妻は、しばし無言でライカの顔を凝視していた。


「あの、えっと、聞こえてますか?」


 あまりの反応のおかしさに、不安になったライカは、彼等にゆっくりと呼び掛けてみる。


「あ!ああ、大丈夫だ!そ、それで、品物があったのか?どこに?どうやったんだ?」


 はっとして、サルトーは我に返ると、今度は矢継ぎ早に質問した。

 ライカは手をさっと上げて払うしぐさをすると、彼の手を取る。


「説明は行きながらでもいいでしょう?見てください、外はもう夕暮れですよ」


 引っ張られて外に飛び出した彼は言われるままに辺りを見回した。

 確かに街は僅かに赤みがかった色に染まり、陽の光は弱い。


「なんてこった、もうこんな時間なのか」

「よう、なんだか大変だな」


 突然の声に見ると、樽の乗った荷車に繋がったロバの縄を持っている男がいた。


「あ、あんたはええっと、確か細工物を露天で売ってる」

「ああ、ホルスちゅうんだ、よろしくな。まぁ男はあんまりうちの店は見ないよなぁ」

「だから、のんびり自己紹介してる場合じゃないって言ってるのに」


 さすがにライカも呆れたように大人の男二人を急かした。


「はは、怒られちまった。とにかく急ぐんだろ?坊やと一緒に乗ってタルを押さえてやってくれや、さっきから可哀想でな」

「あ、ありがとう、恩に着るよ。なんかよく分からんが、とにかく急がないとな」

「あんた、いってらっしゃい」


 彼の妻は駆け寄って、片手に子供を抱いたままの状態で旦那を抱きしめる。

 そしてライカとホルスに、神に祈る時のような仕草で腰を屈めて礼を取った。


「おいおい俺はそんなにしてもらうような事は、なあんもしてないぞ。礼はライカ坊にやっといてくれ。なんか色々やらかしてるようだから後で始末に付き合ってやった方がいいかもしれんぞ」

「俺も約束を守っただけだし、いや、ですから、急ぐんですって」

「はいはい、じゃあみんな、いってらっしゃい」


 一人焦るライカの頭を撫でて、彼女は男達を笑顔で送り出した。

 サルトーとライカが荷台の両端からその枠を片手に持って、もう一方の手と体で樽を挟んで安定させる形で乗り込み、荷車は動き出す。

 ガラガラという車輪が石を噛む独特の音の響きが彼等を包み込んだ。


「こ、これは」

「駄目で、す、よ、口をと、痛!」


 舌を噛む事を注意しようとしたらしい本人が舌を噛む。

 二人は苦笑いの顔を見合わせた。

 どうやら話をするどころではないようである。


「ほうい、トト、立派なお馬さんが一杯いる所に行くんだぞ」


 ロバを牽くホルスが一人、ロバに向かって指示だか無駄口だか分からない会話を一方的にしていて、その声だけがある程度聞こえていた。

 道行く人はちらりと彼等を見て、見知った人も見知らぬ人もちょっと目を見張ってそれを見送る。

 小さな荷車の荷台で、たった一個の樽を二人掛りで必死に抑えているのだから、彼等の目には見慣れない、不思議な光景に映ったのだろう。

 そういう荷物は普通はちゃんとロープで固定するものなのだ。


「ほーい、ほーい、門まで急げや、でも、溝には気を付けろ」


 まるでちょっとした歌のような呼び掛けに、荷台の二人は焦りと同時に可笑しさも感じた。

 この街の石畳は礫石を敷き詰めたもので予期せぬ溝も多い。

 荷物が軽い時は良いが、重い荷車は段差に弱く、車輪が隙間に挟まれでもしたらしばし足止めされるかもしれないので、彼としてはロバに話し掛ける事で自分に注意を促しているのかもしれなかった。


 街の表門に差し掛かると、門番の警備隊の兵士が駆け寄ってきた。


「どこへ行くんだ?」

「王様の所の宿営地へ注文の荷物を届けに行きます」


 やっと止まった事でしゃべれるようになったサルトーが大きくため息を吐きながら説明する。

 さすがにきつい道程だったので息を詰めてしまっていたのだ。


「そうか、もう暗いから、気をつけて行くんだ」

「すぐそこですから大丈夫ですよ。ありがとうございます」


 彼等を呆れたように見はしたが、あえてそうやっている理由を聞く事もなく、門を通してくれる。

 警備隊はほとんどの街の人間を覚えているので、住人に対してはあまり警戒をしないのだ。

 それどころか、なにやら逆に気の毒そうな顔をされてしまう始末である。

 やや、気恥ずかしいものを感じながらも、彼等は先を急いだ。

 もうすっかり日が落ちてしまい、まだ残った光でぼんやりと周囲は見えているものの、約束に遅れている事は間違いない。


「まずいですな。ほうら、トト、急ぐぞ」

「なに、もうすぐ、痛!」

「あはは」


 宿営地には多くの篝火が灯り、遠目だと黒々とした森を背景にまるで火の花が咲いているように見える。

 近付くと、その明かりはかなり周りを明るく照らし出しているようだった。


「その荷車、止まれ、何事だ?」


 早速衛兵が駆け付けて来た。


「あっちから来てくれて助かったぜ、あんまりあちこち明るいからどこが入り口か分かり難いもんな」


 ホルスがちょっと硬い声で、それでも明るく言ってみせる。

 応対はサルトーの役割だ。光で表情も見えるので、彼が即、今までと打って変わったにこやかな表情を作ったのが分かる。


「すみません。ご注文の品を届けにあがりました」

「なんだと?届け物は全て陽のある内にという決まりだったはずだ」

「申し訳ありません、品物の固定がうまくいきませんで、時間が掛かってしまって」

「言い訳はよろしい。それで、荷はなんだ?」

「はい。竜用のハーブオイルです」


 兵士はやれやれというように肩をすくめた。


「やっと来たか、ずっと竜係がまだかまだかと煩かったんだぞ、全く。よし、一人付けるから竜囲いの前に降ろせ」

「はい、本当に申し訳ありませんでした」


 どうやら処罰はなさそうだと分かって、明らかにほっとした風にホルスは少し明るすぎる調子で勢いよく謝罪する。


「全く、田舎者は時間にだらしないと聞いていたが、本当だな」


 兵士は兵士でなにやら悶着があったのだろう。

 思いっきり嫌味な調子で返した。

 しかし、幸いというか仕方がないというべきか、彼等の中にそれに気付いて気分を害するような余裕のある者はいなかったのである。

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