第46話 茜色に変わる頃
「なるべく早く戻りますので、それまで樽を見ていてもらえますか?」
「いたしかたない、早く戻れ」
ずっと苦虫を噛み潰したような顔をしていた守備隊の隊長だが、その顔を更に歪めて苦言とも取れる言葉を掛けた。
ライカはそれへ「はい!」と元気に返事を返すと、再び街中へと駆け出す。
実を言うと、ライカは次の目的地のはっきりとした場所を知らないでいた。
城の城壁の北にある、いわゆる職人地区と言われる場所に相手が住んでいる事は知っているのだが、その家に行った事はまだ無かったのである。
城と水路の間の通りを北へと向かい、左へと曲がる道を走り抜け、作業場を持つ独特の造りの家が多い地区へと入ったライカは、そこいらに人がいないかと見回した。
陽はやや明るさを減らし、やがてくる眠りの時の訪れを暗示している。
見渡した並ぶ家家の煙突からは煙が上がり、どこからか金属を叩くような音も響き、市場とも普通の住居の多い地区とも違う空気がそこにはあった。
時間帯のせいか、ライカが思ったよりもそこには人が集っている。
女性たちが軒先に腰を下ろして野菜を切ったり、その通りの中心部に見える井戸の周りで野菜を洗ったりしていたのだ。
「あの、すみません、ちょっといいでしょうか?」
ライカは一番手近な場所にいた少し年配の女性に声を掛けた。
刃物を扱ってる訳でもなく、何か豆のサヤを剥がしているようなので、気を散らしても危なくはないだろうと思ったのである。
「おやおや、ご丁寧になんだい?」
女性はクスクス笑いながらライカを見た。
「まぁまぁ、かわいい坊やだこと」
彼女はやや皺の多い顔をにこやかに綻ばせると、視線でライカに先に続く言葉をうながす。
「あの、ガラスとかの飾り物を作っているホルスさんのお家はどこかご存知でしょうか?」
「ああ、ホルスのお客かい。なんだい?いそいで。可愛い恋人に季節の贈り物を贈るのを忘れていたのかい?」
「いえ、そうじゃないんですけど、ちょっと急ぎの用があって」
「うんうん、そりゃ急ぎだよね。大丈夫、知ってるさ。ホルスん家はそこの井戸を越して二軒行った先の小道を右に曲がった所だよ。いつも材料掘りに行ってたりするからいない時も多いんだけど、いるといいね。おばさんがあんたの為に天牙の精霊に祈っておいてあげるよ」
にこにこしたまま道を教えてくれたのにお礼を言って、ライカは先を急いだ。
井戸の脇を通る時には女の人達から色々と声を掛けられたのにそれぞれへ返事を返し、家々の前に座っている女性とも小さくやりとりがある。
狭い路地なので走る事も出来ず、思いっきり時間を取られたが、家が分かっただけでも良かったと思い、ライカは目的の家へと急いだ。
その家はかなり簡素な作りの木とレンガの組み合わせで出来た家で、渋松と呼ばれる木の樹液から作る黒い火避けの上塗りがされていて、独特の風情がある。
戸を叩くものが見当たらないので、ライカは自分の手でドアを叩くと同時に声を掛けた。
「ホルスさん、ライカです」
しばし待つも返事はない。
ライカは戸に耳をつけてみたが、中に人の気配らしきものはなかった。
「いないのかな、困った」
そう呟いたライカの耳に馴染みのロバの声が、小さくだが届いた。
ホルスが遠出するとしたらロバを牽いて行かないはずはないので、遠出している訳ではなさそうだ。
ライカはその声に導かれるように庭へと回り、ロバの小屋があるらしい小さな建物が並ぶ場所を覗いた。
そこには赤い炎が閃いているのが見える。一瞬火事かと思ってどきりとしたライカだったが、そこで動いている人影を見て、どうやらそこが大きな炉らしい事に気付いた。
「ホルスさん?」
ライカが呼び掛けると、今度はその声が聞こえたようで、ホルスは振り向いた。
「お?ライカ坊じゃないか、どうした?よく家が分かったな」
「良かった、材料採りに遠出してたらどうしようかと思った」
「いや、行こうかな?とは思ったんだが、ほら、今は街を出るのも入るのも面倒だし、露天の店は出すなと城組がうるせえし、どうせだから新作を作ってみるか?と思ってな」
「あの、実はお願いがあるんですけど」
「お?俺にお願いか?よしよしいいぞ、こないだの借りがあるからな、金を貸せ以外の事ならいくらでも言ってくれよ」
借り?と一瞬ライカは疑問を感じたが、周囲はどんどん赤っぽい色に包まれ始めている。そこは気にしない事にして、話を進めた。
「ホルスさん荷車を貸してほしいんです。この子も一緒に」
ライカは家畜小屋の上窓から覗く耳をパタパタさせて、様子を窺っているらしいロバを指して頼む。
「なんだ?何か大荷物を運ぶ羽目になったのか?よしよし、このホルスさんが運んでやるぜ」
「助かります!実は急がないといけなくて、納期が日暮れまでなんです」
「おほ!そりゃまずいな。よし、待ってな」
ホルスは言うと、炉に水を掛けて石蓋を嵌め込んだ。
「火の精霊は怒らすと怖いからな、ちゃんと寝せないといけないのさ」
「すいません、何か作ってたんでしょう?」
「なに、色々混ぜてみて色の出具合を見てただけだから気にするな、さ、急ぐぞ」
ライカは、道々事情を話し、理解したホルスはロバを牽く速度を上げた。
「ほうほう、トトよ、お前の大好きなライカ坊の友達が困ってるんだとよ、ちょいとがんばれや」
職人地区からは城の正門は近い、近付くと開け放たれた門と、その前でふんぞり返っている人夫の男とその足元にある樽、それを腕組みをして見ている守備隊の面々の姿が見えた。
「う、なんか嫌な空気に満ち満ちてるな」
ホルスが首をすくめて、例の悪運避けのおまじないをする。
「遅い!」
早速彼らを見つけた
「うひゃあ!」
ホルスとロバは思わず足を止めた大喝であったが、ライカは気にする様子もなく、彼に近付いて頭を下げる。
「すみません、門まで開けてくださったんですね、ありがとうございました」
「はっはあ、門を開けないとこの荷物は通らねぇもんな、俺がちゃんと指摘して開けさせたのさ、相手が子供とはいえ約束は守んねぇとなあ」
人夫の男はニヤニヤしながらそう説明し、隊長と反対にやたらと機嫌が良さそうだった。
衛兵達はなぜか一様に目を逸らし、隊長は辺りに聞こえる程の歯軋りをしている。
「本当にありがとうございました、助かりました」
ライカは彼等に丁寧に礼をすると、ホルスを振り返った。
荷車は直前で止まっている。
「あ、ホルスさん、これを積むんで荷車をここまで動かしてもらえますか?」
「う、あ、ああ、」
ホルスは口の中で何かをブツブツと呟きながらロバを牽いて近付くと、その場にいる者達から目を逸らす。
「これに積めばいいんだな?」
人夫の男の問いに、ライカがはいと答えると、彼はまるで空の樽でもあるかのようにその樽を軽々と担ぎ、荷車に積んでくれた。
あまりに軽々と持つので、思わず不安になったライカがその樽を揺らしてみた程だ。
「みなさん、助かりました。また後日お礼に伺いますね、あ、えーと、」
荷物を運んでくれた相手の名前を知らない事に気付いたライカは、彼に声を掛けようとして一瞬詰まる。
「へへっ、俺はウリックってんだ、よろしくな」
「あ、ライカといいます、よろしくお願いします。ウリックさん、バクサーの一枝亭に来たら、俺を呼んでくださいね。親父さんに頼んで腕によりをかけてもらいます」
「そりゃ、楽しみだな。まぁよろしくな、坊や」
「それじゃあ、急いでいるので、お礼がそこそこになってしまって、ごめんなさい」
ライカはもう一度全員に頭を下げると、荷車に乗り、樽を押さえてホルスに道を示す。
ロバに牽かれた荷車は荷物が乗ったにも関わらず、来た時よりも早い速度で、まるで魔物から逃げているかのような様子でそこを離れたのだった。
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