第45話 交渉

「は、早い」


 まだまだ子供だと侮って油断したのが間違っていた。と、彼は焦った頭で考えた。

 先を走る少年は正に飛ぶような速さで綺麗に整えられた石畳の通路を駆け抜けていく。

 もちろん少年に害意があるとは考え難いし、走っているからといってうるさく足音を響かせている訳でもない。

 むしろ簡易とはいえ防具を装備している彼の方が地に足を付ける度に革や金属の触れ合う硬い音を立ててしまう。

 それもあって全力で走るのが難しい状態ではあったが、日々訓練で鍛えている彼には自分の肩程の背丈の子供など軽く捕捉出来るはずだという自負があった。

 だがしかし、現実は彼を裏切り、少年は彼の手の届かぬ先を悠々と走り去って行ったのである。

 まるで夢を見ているようであった。


「あ……」


 ライカは、夢中で走って正門を目に入れた途端、自分が同道者を連れていた事を思い出した。

 彼は隊長と思われる人からの命令でライカに同行したのだから、一緒に戻らなければきっと怒られるに違いない。そう気付いて振り向くと、ライカに付いて来ていたはずの兵士の姿はなかった。

 これは待つしかない。


「うっかりまともに走ってたんだ」


 ライカは飛翔術で浮かぶ事は出来てもそのまま飛ぶ事は出来ない。しかし、ある時飛翔術を応用して自分の重さを調整すれば地上での動きを軽くする事が出来る事に気付いた。

 特にそれは走る事にとても役立った。コツさえ覚えれば地上を空を行く竜達と同じ速度で駆け抜ける事が出来るのである。

 同時に勢い余って藪に突っ込む事も増えたが、それは別にライカとしては気になるような事ではなかった。

 以来、ライカにとって走るというのは半分飛ぶような行為となったのである。


「目立っちゃ駄目なんだぞ、俺。人間は飛翔術は使えません」


 自分自身に言い聞かせるように呟いていると、兵士が追いついて来た。


「ぼ、坊主、走ってはならんとあれほど」


 門の周囲からはまだ見えない場所で待っていた事にほっとしたのか、兵士は小声で彼を叱り付けるようにそれだけ言うと足を止める。


「すみません、でも急いで欲しいんです。時間がもうあまりなくって」

「分った、とにかく隊長に話を通してやるから説得してみるんだな」

「はい、ありがとうございます」


 頭を斜めに下げる一般的な礼をして、ライカはその兵士の後ろに続く。

 彼は城内側の衛兵に兵士同士の礼をすると、隊長に伝言を頼んだ。

 どうやら隊長はその言葉通り、あのままこの青年の穴を埋めていたらしく、表から通用門を潜って現れた。


「ご苦労。坊主、用事は済んだか。さっさと帰れ」


 兵士に形だけのねぎらいと、ライカの方を一瞥したのみで軽く声を掛け、彼はその場を去ろうと足を踏み出す。


「隊長、この坊主が相談があるそうです」

「相談だと?何を言っているんだ。用が済んだならおしまいだ」

「隊長さん、あの、実はとても大事な用事があって、荷物を運び出したいのですが、その方法を認めて貰えないかと思って」

「聞かん」


 彼はにべもなく言い捨てた。

 ライカに同行した青年は、自分の役割は終わったと思ったのか、それ以上関わる気はなかったのか、既に持ち場に戻ってしまっている。

 背を向けた隊長に話を聞いて貰うにはライカが自力で頑張る以外ない。


「実は王様の所の人からの注文があって、その為の荷を運び出したいんです」


 彼らが王様の為にここを守っているならば、その名前を無視する事はないだろうと声を掛けたライカに、案の定去りかけた男は振り向いた。


「どういう事だ」

「あの、王様の車や兵隊さんの竜の治療に使う薬を、暗くなる前に門の外の宿営地に届けなければならないんです。それでそれを運び出す許可を貰わないといけないと思って」

「薬だと?それで治療所に来たのか?お前が持って出ればいいんじゃないのか?」


 あからさまに不審気に、彼は自分の腰辺りまでしか届かない頭を見下ろした。


「それが、樽一杯のオイルで、俺一人で運べないんです。兵隊さんに聞いたら荷車を門の中に入れては駄目だと言われてしまって。先生は城の荷車は今は動かせないって」

「まあそうだ。どちらも無理だな、許可を取るだけで日が暮れてしまう。そういう事なら協力はしたいが、我らは警護の任を勝手に変える訳にはいかん」

「それで、考えたんですけど、お城の中には街道整備の仕事をしている人夫さんの宿舎があって、今日は仕事が休みですよね。外に出てる人も多いですけど、中に残っている人もいるんじゃないでしょうか?その人達に依頼すれば運んで貰えると思うんです。それなら元々中にいる人達だし問題ないんじゃないでしょうか?」

 ライカが一気に自分の考えを述べると、守備隊の隊長は呆れたように目を剥いて彼を見た。

「あの荒くれ者どもに仕事を頼もうと言うのか?お前のような子供が」

「はい、俺、食堂で働いてて、何人かの人とは顔見知りですし、なんとかなるんじゃないかと思って」


 隊長はしばしライカを見つめて考え込んでいたが、しぶしぶといった風にうなずいた。


「やつらは外出許可を取った者以外は宿舎の外には出ないように言われているはずだ。しかし、出すなという命令があった訳でもない。ましてや陛下の巡幸の隊からの要請の荷となれば出来うる限りは協力すべきではあろう。良いだろう。ついて来るが良い」

「はい、ありがとうございます!」


 ライカは勢いよく礼を言った。


「静かに、いかな声など届くはずもない距離とはいえ、ここは陛下の御身のある城内だ。お前とてこの国の民であるのだから、陛下の足元をお騒がせするような真似はするな」

「あ、はい」

(聞こえなくても騒いでは駄目なんだ、大変だな、お城の人どうやって仕事してるんだろう)


 隊長の言に変な所を心配しながら、ライカは彼の後に続く。

 労働者の宿舎は他の施設とは違い、いかにも仮小屋という感じで門から程近い場所にあった。

 といっても門から入ってすぐに見える事はない。

 これは本城以外の全ての建物に言える事だが、門からはどこにどの建物があるのかは全く見て取れない造りになっているのだ。

 仮小屋といっても民間の宿、それこそライカの働いているバクサーの一枝亭ぐらいの見栄えはあるし、それよりはずっと大きい。

 他が大体石造りなので木造のここが見劣りするだけで、決していい加減な建物ではなかった。

 入り口に受付があり、そこで人の出入りを調べているのだろう。石版に石筆で書かれたらしい名前の一覧があり、そこに商人文字で、有り無しを意味する時に使う記号が書かれていた。


「おい、誰か残っている者はいるか?」

「あ!はい、イース隊長殿!どうなさったのですか?やつらが何か問題でも?」

「いや、この坊主が用があるんだと」

「へ?」


 管理の人間が間の抜けた顔で隊長のやや後ろに立つ少年を見て、もう一度隊長を見上げた。


「なんだその返事は」

「う、はい!確かに何人か残っております、おそらく娯楽室だと思いますが、呼んで来ましょうか?」

「ああ、その中の頭を抜いて来い」

「は、了解しました」


 男は礼を取ると、奥へと急いで走った。


「頭を抜くってどういう事ですか?」


 何か言葉の響きから怖い事のような気がしたライカが恐る恐る隊長に聞くと、彼は髭に覆われた口元をへの字に曲げて返事をする。


「隠語だ。リーダー格の奴を連れて来いって事だ」

「隠語?」

「仲間内だけで使うような言葉の事だな。しかし、お前は臆するという事を知らんのか?」


 強面で、小さい子なら泣いてしまうような顔付きの彼は、大概の者から恐れられ、隊の内の者ですら仕事の用事以外の事で彼と言葉を交わそうとはしないのが普通だった。

 彼にとってこんなにずけずけと子供に話しかけられるという経験はかつて無い。

 正直彼は居心地の悪い思いを味わっていた。


「あ、うるさかったですよね。ごめんなさい」


 ライカはそんな隊長の様子に、話し掛けたのが迷惑だったのだと了解して謝る。

 謝られてなぜかますます顔をしかめた隊長に、ライカはああと得心した。


「あ、違った。相手をしてくださってありがとうございます」


 他人が無理をして何かをしてくれた時には謝るよりはお礼を言うものだと、ライカは幼い頃母から教わっていた。

 少ない時間の中で、母は精一杯彼に人間としての道を示してくれたのである。


「俺らに用事ってなんだ?」


 宿舎の奥からどやどやと賑やかな気配がして、でかくてむさくるしいといういかにも肉体労働者な見掛けの男達が数人現れた。

 隊長はああ指示したが、一人だけという訳にはいかなかったのだろう。

 なにしろ彼らは今現在暇を持て余しているので変わった物事に飢えているのだ。

 ライカはその集団の中に二人程知った顔を見つけた。


「あの、すみません、実はちょっと仕事を頼みたいのですが、手が空いている方はいらっしゃいますか?」

「お、ミリアムんとこのライカ坊じゃないか、遊びに来たのか?」


 少し年配の食堂の常連の男が後ろの方から声を掛けてくる。


「おいおい、仕事頼みたいって言ってるぞ、遊びに来たんじゃないだろ?それに隊長さんまでいらっしゃるぜ」


 先頭の男がニヤニヤ笑いながらライカを見下ろしてそう言った。

 体格のみを言えば、彼がこの場の誰よりも大きく、しかも筋肉質で、肉体労働者独特の迫力がある。

 彼こそが受付の人が本来呼んで来るはずだったリーダー格の人間だろう。


「俺はこの坊主が迷わんように付いてきただけだ、話はこいつから聞け」


 守備隊の隊長は顔を背けると、一歩下がって我関せずを決め込んだ。

 どうやら彼らと話すのがあまり好きではないらしい。


「へぇ、おい、坊主、仕事ってなんだ?今日は俺らみんな手空きだぜ。尤もつまんねぇ仕事はごめんだがね」

「あの、治療所から正門前まで樽を一つ運んでもらいたいのですけど。お願い出来ないでしょうか?」


 ライカは樽を運ぶ仕事がつまらなくない仕事とはちょっと思えなかったが、ここで断られると後がない。

 なんとか粘るつもりで彼の顔を真っ直ぐに見て言った。


「ふーん、樽一個ぐらいなら俺一人でも運べるぜ?」

「中身がハーブオイルなので重くて安定が悪いと思うんです。大丈夫でしょうか?」

「はっは、そんなの屁でもないぜ、なあ?」


 男が後ろを向くと、他の男達も迷いもなくうなずく。


「それじゃ、どなたかお願い出来ますか?お代としては食堂の食事二回分でどうでしょうか?」

「お、俺がやろうか?食事ってどの程度のを奢ってくれるんだ?」

「日替わりの定番を」

「スープ付けてくれよ、炙り肉の入ったやつ」

「え?肉入りですか?それはちょっと、ええっと二回の内一回だけなら」

「そんなら俺がやりてぇな」

「なんだよ、横入りすんなよ」

「てめぇら、ちと黙れ」


 交渉を進めていると、リーダー格の男が声をあげた。

 途端に他の者が黙り込む。

 彼はライカのそばに近付くと、その耳元に口を寄せて囁いた。


「なぁなぁ、あいつ、そんだけの為に付き合わせたのか?」

「あいつって隊長さんですか?ええ、まぁ」


 ライカの答えに彼はクックと喉を鳴らして笑い出す。


「よしよし、いいや俺がやってやろう。あいつらより危なげなく運んでやるぞ」

「ええっ!食堂なんかしゃれた所に飯食いに行く奴の気持ちが分らねぇとかいつも言ってるくせに!そりゃねぇぜ」

「うっせぇよ、俺が決めたんだからいいだろ?」


 彼がそう宣言すると、それ以上揉める事なく話は纏まった。

 少し腑に落ちない部分もあるが、ライカはほっとして彼ににこりと笑う。


「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「まぁ任せとけ、何なら門ごと引き抜いてでも持って歩いてやらあ」


 なにやら不穏な事を言い始める男を尻目に、


「話が決まったなら戻るぞ」


 黙って立っていた隊長が、それだけ言うと背を向けて離れて行こうとしていた。


「あ、じゃあ、俺は荷車を手配して来ますので、治療所でハーブオイルの樽を受け取って門の前まで運んでおいてもらえますか?」

「おおよ、まあ安心して任せておけ」


 ライカはもう一度礼をすると、もうどんどん進み始めている隊長の後を追ってまた走る。

 その途中で、いつもより鳴らす場所に近いせいかはっきりと強く、とうとう七点鐘が鳴り響いた。

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