第34話 昔の話

「わしが子供の頃はまだ大規模な戦なんぞなかった。国同士の小競り合いとかはあったじゃろうが、世間の片隅で生きてるわしらのような普通の民には関係のない話じゃったしな」


 祖父が話し出すのを見ながら、ライカは沸かしたお湯に直接茶葉を投げ込んで煮出しする煮出し茶を作っていた。

 ハーブ屋から、嵐の時は数日日光にあたれないんで体調を崩しやすいので飲んでおけと言われた、薬湯に近いお茶である。

 初日にそのまま薬湯で出したら祖父が苦いのを嫌がって飲まなかった為、ライカが自分で配合を考えた苦味消しのハーブを加えて苦味を消したものだ。


「わしの父さんはきこりでの、ここよりずうっと南東にある別の国で暮らしておった。じゃから当然わしもきこりになるもんだと思っておったんじゃよ。そしたらちょうどわしがやっと仕事を覚えたぐらいの頃に、余所の国同士の小競り合いが飛び火して、いつの間にか多くの国を巻き込んだ大戦が始まってしもうた」

「ジィジィの若い頃に戦が始まったんだね」


 ライカはカップの上で茶漉しでお茶を漉して注ぎ、乾燥させても強い甘い香りを発する小さな白い花を浮かべる。


「実際はいつ始まったのかなんぞわしらにゃ分からんがの。そうさな丁度火事と同じじゃ、どこかで点いた火が広がって気付いたら火に取り巻かれておるんじゃよ。そんな風に遠い所で暮らしている馬鹿どもが、本来人間のものでもないのに、土地やらなにやらを取り合って馬鹿げた殺し合いを始めたものが、いつの間にか広がって誰の手にも負えんようになっちまったんだな。その馬鹿げた争いがわしらの家族に届いたのがその時じゃったというだけの話さ。わしの父さんとわしに兵士として国の軍隊に加わるようにと、徴兵隊がやってきて宣言したんじゃよ。そりゃわしらは仰天したもんさ。何しろ働き手のわしらが二人共連れて行かれれば残った母さんと弟はどうやって生活すればいい?じゃが、どんなにそれを兵隊どもに説明しようと、奴らはわしらが口を利く生き物とは思っていないとばかりに聞き流される。結局は引き摺られるように二人共連れて行かれてしもうた」

「ジィジィ、弟がいたんだ」

「ああ、ちと年の離れた弟でな、父さんや母さんよりもわしが一番甘やかして困ると母さんに愚痴られるぐらい可愛がっておったよ」


 祖父は、ライカの淹れた茶を、検分するかのようにしげしげと見ていたが、少し肩を竦めると口元に運んだ。


「苦くはないよ」


 ライカは言い訳をするように言った。


「……苦くは、ないな」

「ええっと、それでどうしたの」


 明らかに無理をしている風に眉間に皺を寄せながら茶を啜ると、祖父は話を続ける。


「わしと父さんは違う部隊に入れられた。何百、何千といるわしらのような歩兵は、打棍というボコボコした木の根のような棒を与えられての、とにかく敵を見たら殴れとしか言われなんだ。いくら戦とか知らんわしでもこりゃマズイと思うたわい。何しろわしらは敵をどうやって見分ければいいかすら知らんのじゃからな」

「なんだか良く分からないけど、戦争ってたくさんの人数でやる喧嘩のようなものだよね?戦う相手が分からない喧嘩ってのはおかしいね」

「喧嘩というのも少し違うがの。これは相手を殺す事が目的じゃからな。しかし、まぁ相手も似たようなものじゃったからただ負けるよりもっと酷い事になった」


 ライカの祖父、ロウスはその当時を思い出したのか、苦々しい顔になった。


「酷い事?」

「うむ、勝ち負けがはっきりしなかったんで偉い奴らはいつまでも終わりの合図をしなかった。先に出されたわしらのような一般兵は延々と続く殺し合いの末、死んだ者や死にかけた者で見渡す限りの地面が埋まるような有様になってしもうた」


 祖父の顔に浮かぶ激しい怒りに、ライカは彼のゴツゴツとした固い拳にそっと触れる。

 ロウスはそのあたたかみを感じてふっと息を吐いた。


「その光景にわしは我に返った。なんでこんな馬鹿げた事をやってるんじゃ?とな。戦場が広がりすぎて目が届かない隙をついて、わしはそこから逃げ出したんじゃ」


 その口に茶のカップが運ばれ、ごくりと喉の鳴る音が響く。


「それからいったい何日何夜走ったのかは覚えておらん、やっと見覚えがある風景を見つけてわしは家へと向かった。だがの、家には誰もおらんかった。いや、家はもう家じゃなくなっておった。わしらを狩り集めた領主はわしらの住んでいたような僻地を守る気はさらさらなかったんじゃよ。実入りの良い土地や自らの地所だけを守って戦っておったんじゃ。男手を奪われ、守ってくれるもんもおらんかったわしらの村は、略奪と蛮行の成すがままじゃった。……結局、わしは二人の遺体の全てを集める事は出来んかったよ。獣が食い荒らしたかのような惨いありさまじゃった」


 カタカタと風が家を震わせる音が響く。


「しばらく呆然と過ごしていたわしがようやくそこから立ち去ったのは同じように逃げ帰って来た男から父さんが死んだ事を聞いた時じゃった。もう、そこではない場所ならどこでも良かった、そこ以外のどこかに行きたかった。それで国を出た」


 しゃくりあげるような音に、自分の想いに沈み込んでいたロウスが気付いて目を向けると、ライカが鼻を啜っている。

 強張っていたその顔に柔らかなものを浮かべて、彼は孫に声を掛けた。


「こりゃこりゃ、男の子がやたら泣いちゃいかん。そもそもわしの身の上とお前の身の上にそうも違いはあるまい、同情する程の事もないわい」

「俺にはジィジィがいるから」

「ほ、なんじゃわしを嬉しがらせても何も出んぞ?まぁ菓子ぐらいは買ってやらんでもないがの」


 いつもの、どこか飄々とした言い方に、ライカも笑顔を見せる。


「うん、嵐が明けたら一緒に何か食べようよ」

「よしよし、まかせておけ。うん、そうじゃ、笑ろうたの。まぁわしの話ばかりですまんかったが、いよいよおまえの父さんの話じゃよ」


 ロウスは、にこりと笑うと、ふと表情を消して目を閉じる。


「そんな経験をしたんで、わしは偉いやつらの為には戦わない事にした。じゃが国同士の争いはどんどん酷くなるばかりで兵士にならなければ奴隷か盗人になる以外には生きる道が無い程になっていったんじゃ。そんで選んだのが傭兵じゃ」

「傭兵って、仕事で戦をする人の事だよね」

「そうじゃ、傭兵は自分の為に仕事として戦に参加するし、雇い主を自分で選べる。どうせ戦に加わらなければならんのならそっちの方がなんぼかましじゃからな」

「領主様も昔は傭兵だったって聞いたよ」

「そりゃそうじゃ、あの頃はこの国のような少しの例外以外はどこもかしこも戦しかありゃあせん、男のほとんどは兵士か奴隷か泥棒かと言うたじゃろうが。そんななかで無駄死にすまいと思えば傭兵になる以外なかったんじゃ」

「領主様は元々この国の人じゃなかったんだね」

「そうじゃよ、今やあのお方の物語は聞けば誰でも知っているような英雄譚になっておるからの。今度語り手が来た時にでもゆっくり聞くとええ」

「うん」


 ライカは自分の分のお茶を飲み干した。

 話を聞いているだけなのにやたらと喉が渇くので、そのまま二杯目を注ぐ。


「お前の父さんはそんな中で生まれ育ったんじゃ。わしは家族を失うのはもうこりごりじゃったから妻や坊主をどこか安全な土地に住まわせるという考えを最初から捨てておった。なぜなら安全な場所などあるはずがないからじゃ」

「それじゃ父さんは生まれた時から傭兵だったの?」

「はは、そりゃ確かにそうかもな。じゃが本当に剣を握ったのは八才の頃じゃったかな?子供達の中では遅い程じゃったが、わしはなるべくあの子に剣を持たせたくなかったからのぅ。しかし、結局はあの子が大きくなるまでに戦が終わったりもせんかった。あの子は戦しか知らず、剣術が唯一の遊びでもあった。そして当たり前のように傭兵の、立派な一人前の戦士になりおった」


 あれだけ嫌々飲んでいたのに、いつの間にか祖父のカップのお茶も無くなっている。

 ライカは少し考えて、注いだお茶に祖父のとっておきの苦味の強い酒を出して少し入れてみた。

 ロウスはそれににやりと笑ってみせる。


「分って来たじゃないか。酒というのはどんな薬よりも効くからの。……さて、それでじゃ、お前の父さんは気のいい優しい性質でな、物心付き始める頃には大所帯になっていた傭兵団が辛いようじゃったよ。いつもいつも誰かがいなくなるのを覚悟しなけりゃならん生活に耐えられなかったんじゃな。それにわしとも意見が合わんかった。あやつはそれがたとえ貴族だろうと、人を見捨てて生き延びるのは嫌だと何度もわしに言いおった。それでとうとう一人でやっていくとぬかしてわしらの所から飛び出したんじゃ。あやつが十八の頃じゃったよ」


 ロウスはぐいっとカップを空けた。

 それは正に酒を呑んでいるような仕草であり、到底茶の飲み方ではない。


「じゃがまぁそれはそれで良かったんじゃろう。そうして、お前の母さんと巡り合ったんじゃからの」

「父さんは優しい人だったの?」

「ああ、なにしろ人が死ぬのが当たり前の傭兵の集団で育ったくせに、誰かが死ぬと泣きながらどこからか花を摘んできおっての。男が花なんぞ持ってればそりゃあバカにされた時代じゃったが、花も捧げられないまま壊れた物のように打ち捨てられるのはあんまりじゃと言ってな。決して弱くはなかったんじゃが他人に侮られても決して怒るような事は無かったよ。わしとはしょっちゅう喧嘩しておったな」

「喧嘩してたんだ」

「まぁ親子じゃからな」

「父さんと母さんがどうやって出会ったのかはジィジィは知らないんだね?」

「いやいや、そんなこたぁないぞ」


 彼はチッチッと舌を鳴らすと人さし指を立ててみせた。


「なにしろ馬鹿息子が結婚の報告に二人で雁首揃えてやって来た時に、根堀葉堀聞き出したからのぅ」

「そうなんだ」


 ライカはその祖父の表情にクスクスと笑う。


「お前の母さんはなかなかに凄いお人での、その頃の女と言えば、生きるのには男より酷い選択肢しかなかったんじゃが、そういう誰かに決められる生き方が我慢ならない人じゃった。小柄で身軽なのを逆に利用して、わしらには真似の出来んような戦い方で、傭兵として一人で生き延びて来たんじゃ」

「俺はベッドで寝ている母さんしか知らないんだ。ちょっとだけ、剣だけを頼りに生きていたって事は言っていたけど」

「そうかそうか。それじゃあわしがお前の両親の恥ずかしい話をすっぱ抜いてやろう。何しろ親より先に死にくさった親不幸者どもじゃからの、喜びの原あのよで地団太踏んで悔しがるが良いのさ」

「恥ずかしい話って?」

「お前の父さんはな、最初お前の母さんが女だてらに傭兵稼業をやっているのを勝手に心配しての、どうやらずっと付きまとっていたらしい。それに腹を立てた彼女は、他人が見ている前であやつに勝負を挑み、こう言った」


 ロウスはやおら立ち上がると胸を逸らして言い放った。


「お前が勝ったらお前の言う通り傭兵はやめる。だが私に負けたらお前は私の奴隷になれ!とな」


 パフォーマンスを終えて、再び座る祖父にライカは目を輝かせて問う。


「それでどっちが勝ったの?」

「そりゃあもちろんお前の母さんじゃよ」

「へええ!」

「考えてもみることじゃ、女が男だらけの傭兵社会で生き延びるには絶対に男に負けるような事は出来ん。お前の母さんは腕力は当然男に敵いはしなかったが、相手の弱点を見切るのが上手かった。そもそも負ける勝負を挑むような事はしないんじゃよ。あやつが絶対に本気を出せない事を知っていて勝負に持ち込んだんじゃ」


 ライカの中で母のイメージはいつも眠っている儚げなものだった。

 目覚めている時も大きな声は出せなかったから、いつもささやくように話し、幼かったライカを慈しむように見つめていた。

 だから祖父の語る両親の話は新鮮な驚きをライカに与えたのである。


「そうか、そうだったんだ」

「じゃがな、二人共本当はもう戦いに飽いておった。人殺しが心底嫌いじゃったんじゃ。だからこそ、お前が生まれると分った時に傭兵をやめて戦火の及んでない土地に落ち着いた。じゃが、まぁそんな小さな家族の望みなんぞ戦いをやらかしておる連中が知るはずも分るはずもない。結局は戦いから逃れられなかったという訳じゃ」

「父さんが母さんと俺を庇って死んだ事は母さんに聞いたよ」

「そうか、わしはお前の母さんを探しに来た兵士から死んだ事だけ聞いたんじゃが、まぁそんな事じゃろうと思ってはいたよ。何しろあやつはいつもしんがりを希望していたからのぅ」

「優しい人だったんだ」


 もう一度、噛み締めるようにライカは呟いた。


「ああ、わしに似んでな。あれに名付ける時に名前を貰った弟に良く似ておったわ」

「ジィジィの弟さんから父さんの名前を貰ったんだね」

「ああ、それにお前の名前を付けたのもわしじゃよ」

「え?そうなの?」

「そうじゃよ。お前の父さんと母さん、ラウスとアイリから一音ずつもらってな」

「そうだったんだ」


 すっかり感心した様子のライカを祖父はしげしげと眺めると、おもむろにごほんと咳払いをした。


「ところで話し込んですっかり喉が枯れたんじゃが。茶のお代わりは貰えるかの?むしろ茶は抜きで酒だけがいいんじゃがな」

「お茶にちょっと垂らすだけだよ。お酒は薬にもなるけど、過ぎると毒だからね」

「うぬ、そういう所は馬鹿息子にそっくりじゃよ」

「じゃあ父さんの分までジィジィに孝行しなきゃね」

「子供が余計な気を回すな、馬鹿者が」

「あはは」


 ライカは炉に掛けているお茶を祖父のカップに注いで、口とは裏腹に少しだけ多めに酒を加えた。


「ほうほう、お前の心がけに神もそろそろ迷惑な抱擁を終わりにしそうじゃな」

「本当にそうだといいんだけど」


 心なしか、強風と凪との間隔が広くなってきている。

 二人は昼とも夜ともつかぬ時間の中で、風の音に耳を澄ましながらゆったりとお茶を楽しんだ。


 そう、どんな嵐もいつかは終わるのだから。

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