第23話 息吹の季

 日々、大気の温度が上昇する毎に街に人が増える。

 移動に厳しい冬の季節が過ぎて、野外で寝ても凍えないようになると、この辺境にも人が流れて来はじめたのだ。

 そうなると普段は宿屋業の方は開店休業状態のバクサーの一枝亭にもさすがに泊り客が入り出す。


「すいませーん、出掛けたいんですが」

「あ、はい」


 食堂の続きにある宿の受付の方からお呼びが掛かり、ミリアムが慌しく返事をしてライカに仕事を任せた。


「ごめん、ライカ。この料理をあの右の、入り口から三番目のテーブルへお願い」

「うん、大丈夫」


 そんな事が続き、結果的に多くの時間をライカが一人で食堂の接客を切り回す事となっていた。


「俺が来る前はどうしていたんですか?」


 厨房に話しかけるとおかみさんが笑う。


「そりゃ、私が店に出たのさ。考えてもごらん、あの子が生まれる前はあたしら二人でやっていたんだよ」

「尊敬します。俺なんかもう目が回りそうですよ」


 ライカが思わず弱音を吐くと、豪快な笑い声が響いた。


「そりゃ私らが二人でやってた頃は、客なんてちょびっとだったからね。今みたいに遠くから人がこの街に、しかも物見遊山で来るなんて、考えられもしなかったわ」

「そうなんですか。随分変わったんですね」

「そうよ、おかげですごく助かってるんだから、頼りにしてるわよ」


 大きくて、少し堅い手のひらがライカの頭を軽く叩く。

 ミリアムに良く似た目の輝きはまだまだ若々しく、ライカは、その手のひらの温度から元気で暖かい彼女のパワーを貰えたような気分になった。


「頑張ります」


 皺の寄ったエプロンをちょっと伸ばして、両手に料理を抱えると、ライカは再び勇ましくテーブルに向かった。


「こっち、先にはちみつ酒を頼むよ」

「料理を頼む、三カランで食えるなんか適当なもんで良い」


 相手の事など全く考慮しないてんでばらばらな声が店内を飛び交う。

 とりあえずそれぞれへ対する判断は後にして、それを丸ごと覚え、先に言われた事から順番に処理していくしかない。

 一つずつをその場で処理しようとすると後ろがつかえて大変な事になってしまうのだ。

 料理を持って通りながら、途中のテーブルに確認を入れる。


「おじさん、こけもも酒は料理の後で良かったですよね?厨房に確認したら料理は地芋のやわらか煮と小魚の青菜包み蒸しになるみたいですけど、それでいいですか?」

「おう、任せるぜ!あ、芋料理なら酒は辛いやつに変えてくれ。ショウガ酒辺りがいいかな?」

「わかりました!」


 短いやりとりの後、目的のテーブルの一つに料理を置く。


「はい、今日の激安定番料理、芋と鳥のほぐし身の煮物です。サービスで雑穀パンが付いてます」

「……うむ」


 反応の鈍い客にも笑顔を残して次のテーブルへと移る。

 客達は好き好きにテーブルをずらしたり、足を投げ出して座ったりしているので店内は雑然としていて、ライカがどこにも引っ掛からずに動き回れるのが不思議なくらいだった。

 しかも客の中には不謹慎にも足を突き出して、ライカが躓くかどうかを賭けている者までいる始末だ。


「はい、お待たせ、川魚の香り草詰め焼のソーセージ添えです。麦酒もご一緒にでしたね」


 滅多に出ない高級料理を頼むのは大概は観光に来た旅行客だ。

 そして、そういう客のほとんどが色々と地域の情報を聞きたがる。


「君、忙しそうなところをすまないが、花の丘辺りに詳しい人を知らないかな?ガイドを頼みたいのだが」

「ガイドなら、街の入り口を入ってすぐの大通りに斡旋をしている店がありますよ。この街ではガイドは許可をとらないとやれないんで、そういうお店も領主証を持っているんです。正規の店は看板に天女草の文様を型押ししてますから分かりやすいと思います」

「おお、そうか、助かったよ、ありがとう」

「あむまも(ありがと)」


 子供優先に料理を出した為、現在口の中でもぐもぐの真っ最中である小さな少女が父親を真似して礼を言う。

 母親の方はその口元を拭ったり、大きすぎる椅子から転げ落ちたりしないように注意していたりで、忙しさに自分の料理は冷めかけているようだ。

 ここのような僻地にこんな家族連れが気軽に旅行に来るというのはまだ治安の安定していない情勢から考えると不思議な事だが、それには理由がある。

 乗合馬車は遠出をする場合には商組合の定期便の隊商と契約するのだ。

 商組合の隊商には俗に用心棒と言われる護衛隊がいて、彼らは恐ろしい腕利き揃いと評判であり、国から罪人を自ら裁く権限まで与えられている。

 つまり国の軍隊と同じぐらいの権限と実力を持った護衛付きの隊商に組み入れてもらう事によって、護衛を自力で雇う財力の無い一般人もかなり安全に移動出来るようになっていた。

 しかも、商組合はこの契約の際に規則を守らせる為の誓約書にサインをする事と実費と少々の手間賃以外要求しない為、負担は驚く程少ない。

 強欲な商人達らしくないと言われているが、実際、それ自体の利益よりも、その周囲で発生する商売的旨味が大きいからだとの噂もあった。

 そんな訳で、現在、ほぼ商組合の独占の下、懐と気持ちに余裕が出来始めた人々に、ちょっとした旅行が流行し始めていたのである。

 資源といえば、厳しい環境と引き換えの美しい景色のみというこの地方では、ありがたいと同時に予想外の忙しさが押し寄せ始めていた。 


「ライカ坊!ちょっとこっちへ来て話をしないか?」

「今は無理ですよ、でも、安くて美味しいお茶のセットでも取って、くつろいで待っててくれたら手が空くかもしれませんよ」

「すっかり商売上手になりやがって、じゃあ甘くないやつを持ってきてくれ」


 そう言って、銅貨を二枚テーブルに放る。

 ライカがその銅貨を指で弾いて空中に跳ね上げると、それはちりんという可愛らしい音を立てて彼のエプロンのポケットで合流した。

 そのちょっとした小手先の芸当に周囲から楽しげな拍手が起こり、ふわりとした笑みを浮かべたライカがそれに応える。

 常連客も慣れたもので、忙しい時はあまり無理を言わずにそういう細々としたやりとりを楽しんでいた。


「おかみさん、三番のはちみつ酒を先に一杯お願いします。あと五番のこけもも酒はショウガ酒に変更です。親父さん、三カランなら何が出来るかな?」

「ライカ、ごめんなさいね、あっちが手が空いたからこっち手伝うわ」


 ミリアムがきりりと顔を引き締めて戻ってきた。


「なんか、意気込みがすごいね」

「最初に気合を入れておくと楽なのよ」

「坊主、三カランなら鳥の手羽焼きかカブと芋の塩味スープぐらいだと言ってきてくれ」

「あ、はい。それじゃミリアム、あっちのテーブルにはちみつ酒を持っていって」

「分かったわ、それと、その注文取ったらライカ、暫く休憩して、私もその後交代で休憩するから」

「うん、分かった」


 休憩は下手に遠慮するとミリアムまで休まずに働いてしまうので、ライカはきちんと取る事にしていた。

 雇われである自分より無理をしなければならないような意識がどうもここの一家にはあるようだとライカは感じていて、どんなに忙しくても無茶はしないように気を付けていたのである。

 ライカは手早く地採れの野生茶と木イチゴの花をブレンドしたこの地方特産の花茶をポットに適量放り込み、アカ鍋で沸かし続けているお湯を柄杓で掬って注ぐと、ふわりと香りが広がるのを素早く蓋を閉めて閉じ込めて茶器皿にカップと共にそれを置き、調理場の入り口にある簡易の作業場で作り置きのパンをナイフで四つに切って、その上に蒸した地芋と細かく裂かれた乾燥牛肉を練って作られた、これも作り置きのペーストをさっと盛り付け、更にその上に酢漬の赤身の川魚を乗せた。

 これを平たい大きめの木皿に乗せて、パンの横に刻んだ葉わさびを添える。

 出来上がった茶のセットをなじみの客に持って行き、しばし休憩に入る事を告げて気安く軽口を叩き、入り口近くの三カランの客の所へ行って品物を選んで貰う、途中、どうやらライカが躓く方へ賭けたらしい客が足を突き出してくるのを避けなければならなかったが、まぁそれはよくある事だった。


 引継ぎをして、エプロンのポケットに溜まった代金を調理場の代金用の引き出しに入れ、休憩に入ったライカは裏口から外へと出た。

 空気の温度が急激に変わり、風が巻いてライカの琥珀色の髪を乱す。

 ライカは軽く伸びをすると、大事なエプロンを外して軽く埃をはたき、丁寧に畳んでイス代わりに並べられた切り株の上に置いた。

 ふと、傍らの低木を見ると、緑色の小さな花が咲いている。


「あ、すぐりの木があるのか、実が生るのが楽しみだな」


 疲れてはいたが、何か酷く気分が良い、ライカは不思議に心が浮き立つのを感じていた。

 喉が渇いていたのを思い出して水瓶の蓋を開け、置いてある柄杓で汲んだ水を手に落として、口をゆすいで喉を潤す。そのまま残った水で顔を拭うと、店の中から纏わり付いてきていた煙の匂いが薄らいだ。


「美味そうだな、俺にも一杯いただけないだろうか?」


 突然の声に、ライカは驚いて顔を上げた。

 乾かぬままの水滴が散り、その内のいくつかが目の中に流れ込んで、一瞬揺らいだ視界に一人の男が映った。

 それは奇妙な姿と言えた。

 着衣はチュニックとズボンの上に長い脇縫いのない貫頭衣を着込み、細かい刺繍の入った、しかし派手ではない飾り帯を締めている。

 生地や仕立てが明らかに上質のものだったが、それだけなら城の中で何度か見掛けたような姿なので、城の人なのかとは思っても奇妙には思わなかっただろう。

 だが、彼の体の節々の関節は異様に肥大していて、その上関節ではない部分にも何箇所か不自然な出っ張りが見られた。

 それはまるで古く年月を経た木の瘤のようだ。

 節くれだった古木が山で人の姿を模して襲ってくるという言い伝えがあるが、ぱっと見た印象は正にそれだ。

 彼の髪が酷い癖毛で濃い茶色であるのもその印象を強くさせる要因になっていた。

 しかし、その異質な姿とは裏腹に、彼の表情はひどく人懐っこく、長い前髪から覗くややくすんだ緑色の目は見る者に安心感を与えた。

 そもそも変わった姿への驚きは、異形に慣れたライカにはほとんどない。

 だが、全く気配を感じなかった最初の衝撃と共に、何か酷い違和感がライカの意識をしばし奪ってしまい、しばし呆けたようにその相手を見る事となった。


「ん?どうした?おお、そうか金なら払うぞ」


 硬直したように立ち竦んでいるその様子を勘違いしたのか、男は腰の物入れに手を突っ込む。

 ライカは慌てて手を振った。


「あ、いいえ、水でお金は取りませんよ。井戸の使用にお金を取られたりしないのに俺らが取ったらおかしいでしょう?」

「しかし、井戸の共済費は取っているがな」


 やはり城の人間、それも収支に明るい部門の人間なのだろう。

 そうライカは納得して柄杓に汲んだ水を差し出した。


「修理したり綺麗にしたりするためのお金でしょう?むしろ取ってくれないと困りますよ。あ、一応濁り取りの石は瓶に入れてありますけど、生水なんで注意してくださいね」


 ライカはそう言って笑った。

 男も笑いながら礼を言って両手を差し出す。

 その手の中に水を注ぎながら、ライカは尚も奇妙な気持ちを感じ続けていた。

 それは彼の異形のせいではない、どちらかというと彼の目や声や表情の僅かな変化が関係しているような感じがする。

 彼の手の中にある水の輝きが何か特別のものに思え、意味もなくたわいもないたくさんの話をしたい思いに駆られる。

 今の空の色についてさえその感想を聞きたくて仕方がない程だった。

 自身の感情すら真っ白になる程の強い何かが、ライカを捕らえて離さない。


「どうした?」


 豪快に水を飲み干した男が、不思議そうに顔を見てくる。

 ライカははっとして意識をなんとか引き剥がした。


「いえ、おかわりいりますか?」

「おお、助かる」


 頭を振って、水瓶に向かったライカは、直後、背後に奇妙な感触を感じてびっくりした。


「えっと、なんでしょうか?」


 男が思いっきり尻を撫でている。


「ううむ、やっぱり男の尻だよな。あんまり楽しくないな」

「そりゃ、男ですからね」

「もちろん女と思ってやった訳じゃないぞ」


 なぜかその男は胸を張って言った。

 ライカは怒る気にもなれずに脱力してしまう。


「女と間違えて触ろうとする人はいましたけど、男とわかってて触って文句を言う人は初めてです」

「うむ、すまん。ちと仲間とお前さんの尻を触る約束をしていてだな」

「……約束ですか」

「うむ」

「……」


 ライカは言葉を無くして、男はにこにこと笑いを浮かべ、二人の間に奇妙な沈黙の時間が流れた。


「それに、ちゃんと人間だったようだ。その気配から噂に聞く妖精種族かと思ったが」


 男は今度は少し残念そうに呟いた。


「あんな気まぐれで性悪な種族と一緒にされても困ります」


 ライカは困惑のまま返事をする。


「そうか、妖精族というのは気まぐれで性悪か」

「伝承を少しでも知っていれば誰でもそう思うでしょう?」

「ううむ、美人ならそれはそれでもいい気がする」

「……あの、おかわりの水、いりますか?」


 話の流れにどう対応すればいいか分からなくなり、一応汲んで来た水を手にライカは尋ねた。

 男の顔がぱっと輝く。

 なんだか色々変わった人間だが、相変わらずその一挙手一投足に意識が引っ張られるのをライカは感じ続けていた。


「そうだ!喉が渇いてな!実は腹も減っていたんだが」


 手を差し出しながら勢いよく告げる言葉に、ライカは笑った。

 言葉に反して、彼はライカの注いだ水で勢いよく顔を洗う。


「食堂の前で言う台詞ではないですね、お金がない訳じゃないんでしょう?」

「そうなんだが、忙しそうなんで入り辛くてな」

「商売なんですから忙しいのは嬉しい事ですよ」

「そうか」

「ええ」

「なら、遠慮せずに入るかな?」

「どうぞ、いらっしゃいませ」


 二人で顔を見合わせてにこりと笑うと、男は改めて服の裾を払ってライカの前に立った。

 なぜか胸に手を当てて正式な礼を取る。


「我が名はラケルド・ナ・サクル、おみしりおきを」

「ライカと言います、よろしくお願いします領主さま」


 ライカの方は正式な礼など知らないので仕方なく柄杓を握り締めたまま挨拶を返した。

 名を聞いてやはり、とライカは思う。この問答無用で意識が引き摺られる感覚は彼が竜の半身カーム・ラグァだからなのかもしれない。

 とは言え、それがどういう存在なのかを全く知らないライカには判断出来ようもないが。

 しかし確かに彼に対面して理解出来た事はある。

 この男は、竜の魂の伴侶に選ばれても、それがなんら特別な事ではなく、むしろそのぐらいは当たり前な存在なのだ、と。

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