第17話 本営

「大丈夫ですか?」


 ポタポタと雫を垂らしながら先頭を歩くジャスラクスを気遣うようにホルスが声を掛けた。

 始めは気の毒なあまり声を掛けるのもはばかられたのだが、無言なのも逆に気詰まりになって来たのである。


「はは、大丈夫じゃありませんが、まぁ仕方ないですね。これは完全に俺が悪いんだし」


 当人は、意外とさっぱりとしたように返事を返し、肩を竦めてみせた。


「それにしても綺麗な方でしたね」

「へ?」


 ライカの言葉に、ジャスラクスはふいを突かれたように首を捻る。

 ホルスもきょとんとしていた。


「綺麗な人って誰の話だ?」

「さっきの、ジャスラクスさん達に水を掛けた方ですよ」

「ええ?」


 彼に水を掛けたのは女官頭のセッツアーナである。

 だが、彼女は一般的に言って美人と言われる種類の女性ではなかった。

 眉と口が大きく、背が高い上に骨太で、とにかく迫力のある大女なのだ。

 小柄で華奢な女性が好まれるこの国では、恐らく彼女を美しいと形容する者はいないだろう。

 ゆえに、ジャスラクスはもとよりホルスも、ライカの言葉の示す相手に全く思い至らなかったのである。


「まぁ、素晴らしい方ではあるが、綺麗と言われると、……ううむ。まあ人の好みはそれぞれというけど、随分と変わった好みをしているんだな、ライカは」


 ジャスラクスは複雑そうに言葉を返した。


「そうですか?綺麗でしたよ」


 ライカはまっすぐな言葉で不思議そうに繰り返す。


「年だって倍以上違うんじゃないですか?」


 ホルスが複雑そうな様子でそう言うと、ジャスラクスが少し考えて、


「確か三十は過ぎているはずですね、女性の年齢はあまり詳しくはないですが」


 そう答える。


「いくらなんでも無理だろう」

「まあ、最初は年上が良いとは言いますけどね」


 二人がなにやら難しい顔をしているのをライカは不思議な思いで見ていたが、それはどうも自分に理解出来ない類の話ではないかと感じ取った。

 とりあえずそういう時には相手に直接確認してみるというのが基本姿勢のライカは、真っ直ぐに問う。


「あの、何のお話をなさってるんですか?」

「うん、彼女は確かにまだ独身で浮いた話も聞いた事はないが、恐らくは相手にされないんじゃないかと思うんだ。まあ若い頃は色々あるもんだから、いい経験になるかもしれんがな」


 聞いたはいいが、ライカは更に話が分らなくなり困惑した。

 なぜ彼女を綺麗だと思うという話から独身だとか年がどうだとかという話題が出てくるのかの関連性が思いつかなかったのである。


「あ、せっかく盛り上がった所だが、あそこが目的地な」


 首を捻るライカを置いて、ジャスラクスが足を止めて示した。

 示された先には二棟並んだ大きな建物がある。

 それは黒灰色の石とレンガで作られた二階建ての頑丈な建物で、見た感じから判断すると、城よりかなり新しいもののようだ。

 どっしりとした造りは、頑丈さを主目的にしているように見える。

 双子のように並んだ建物は、その中央の通路のみで繋がっており、まるでその通路の真ん中に鏡でも置いてあるかのようだった。

「こっちの東に門があるのが警備隊の本営で、あっちの西に門がある方がさっきの連中、守備隊の本営だ。って所で俺は隊長に報告に行かなきゃならんので、ここでお別れだな」

「え!そうなんですか?」


 すっかり自分達の行く場所まで案内してくれるものと思っていたホルスは驚いて声を上げた。

 なにしろライカもホルスも到底城の中は詳しくないし、下手にうろついて不審者とでも思われたら目も当てられないとは先刻の彼、ジャスラクス自身の言葉でもある。


「まぁ心配するな。……お、ご苦労様、すまんがこの二人を客間に通して風の隊ラオタ班の居残り組に被害調書作らせておいてくれ。俺は上に行くんでよろしく頼む」

「了解しました」


 門に待機していた二人の内一人にジャスラクスが声を掛けると、はきとした言葉が返る。

 それを見て取った残った一人が蓋の付いた管のようなものに向かってなにやら声を発した。

 あまり待つ事もなく建物の中から同じ隊服の男が一人現れると、ジャスラクスが声を掛けた相手が二人を手招きして、その人間と交代した。


「んじゃ、またな」


 そう軽く言うと、ジャスラクスは建物に入ってすぐの右奥にある石造りの階段を上がって行き、その後ろ姿へライカとホルスの二人は口々に礼を言って見送った。

 その後、新しく案内に立った相手に改めて顔を向けて頭を下げる。


「よろしくお願いします」

「いや、そんなにお願いされるような案内じゃありませんよ。すぐそこですから」


 相手は苦笑するとそれでも頭を下げ返して、よろしくと応え、彼らを安心させた。

 彼はジャスラクスより落ち着いた感じで、年齢的にはホルスに近い。

 実際彼の言った通り、窓が少なくほの暗い通路を通って案内された場所は、入り口からすぐの、暗い通路から入ると一瞬目がくらむ程に明るい部屋だった。


「警備隊の取調べというからもっと厳つい場所だと思って心配してましたがそうでもないんですね」

「犯人を取り調べる訳じゃありませんから。ここは一般来客にも使っている客間ですよ」


 言いながら礼儀的な笑みを向け、男は彼らを決して豪華ではないが座り心地の良さそうな長椅子に導いた。


「担当を呼んでまいりますのでしばしお待ちください」


 残された二人は知らない場所で置いてきぼりにされた形になり、手持ち無沙汰になってしまった。


「ううむ、ところでライカ坊は先ほどの女性とお付き合いがしたい、とか、そういう希望があったりするのかな?」


 途端にホルスが、中断して喉に引っかかっていたらしい先刻の件を切り出す。


「どうも話の流れがよく分らないんですが、なんでお付き合いとかっていう話が出て来るんですか?」

「どうしてと言われると困るが、普通男が女を褒める時は相手との交際を考えているという意思表示だからな」


 ホルスは、ライカがあまりにも意表を突かれたような表情をしたので、慌てて言葉を継いだ。


「あ、いや、すまない。そ、そうだよな、まだライカ坊はそんな生臭い話で頭が一杯になる年じゃないよな」

「年を取ると頭がそういう事で一杯になるんですか?」


 ライカはなるほどと納得した。

 竜も成体となった後は女性に対する意識ががらりと変わると言う。

 そういう部分は竜も人もそう変わらないのだと、そう理解したのだ。

 だが、ホルスの方は咳き込んで視線を彷徨わせた。

 大人としての良識から、今のはどう考えても年若い少年に話すような内容ではないと思い至ったのである。

 互いに微妙な勘違いをしたと気付かないまま、ホルスは話題を変えようと周囲を見渡した。

 その視線がふと、自分達の座る長いすの背に向く。


「これはロウスさんの細工だな」

「え?じいちゃんの?」

「ああ、ほらごらん、この模様は後から描いたものじゃない。木材を組み合わせて模様を作っているのさ、これは木組み細工といって、このぐらい見事なものはここらじゃロウスじいさんぐらいしか作れないからな」

「へええ」


 目を輝かせて、自分の座る場所のクッションをどけてまでその椅子を眺めているライカを微笑ましく見ながら、ホルスは話を逸らせた事にほっとしていた。

 思い付いて、そのまま机の方にも視線を向ける。


「ああ、やっぱり、テーブルもそうだ」


 模様を確認して、その両方を見比べる。


「これはほら、冬紅の木がテーマなんだな。テーブルの方が花の時期、椅子の方が葉の時期になっている。さすがに見事なもんだ」


「ありがとうございます」


 ライカはそんなホルスにぺこりと頭を下げた。


「お?なんの礼だ?」

「じいちゃんの仕事を褒めてくれて、凄く嬉しいですから」

「そうか、ライカ坊はロウスじいさんが好きなんだな」


 ライカは大きくうなずいた。


「ええ、大好きですよ」

「それは良い事だよ。家族が互いを愛しく思いながら暮らせる事ほど幸せな事はないからな。実は、俺の家族はなあ、俺のガキの頃に襲ってきた人狩りに捕まってな、それ以来音沙汰なしだ」


 遠いどこかを見通すような目でホルスはぽつりと語る。


「そうだったんですか、だからあんなにあの人達に怒っていたんですね」


 ライカは先ほどの男達とのやりとりを思い出して言った。


「そうか、怒ってたかい?自分じゃ恐ろしくて震えてただけだったような気がしていたんだがな」


 そう言ってはははとホルスは笑った。

 ライカはそうやって失って尚笑ってみせるホルスを強い人だと思う。

 そして、遠い場所に残して来たもう一つの家族を想うと、どこかが欠けてしまったような寂しさを感じる自分は弱いのだろうか?とつい自問してしまった。


「失礼します」


 ドアの外から声が掛かり、二人は慌てて居住まいを正す。


「あ、どうぞ」


 ホルスが緊張を取り戻した声で返事を返す。

 意外な事に入ってきたのは女性で、濃い金の真っ直ぐな髪を長く背に流している小柄な人物だった。


「こんにちは、どうぞお楽にしてくださいね。もうすぐお茶も来ますから」

「あの」


 ホルスが恐る恐るといった風に言葉を掛けた。


「はい?」

「貴女も警備隊の方なのですか?」

「ええ。といっても実動隊ではなくて裏方ですけどね」

「なるほど」


 ホルスは納得したというより反射的にうなずいた。


「話を聞くという仕事は女性の方が向いている場合が多いのですよ。特に事件の被害者の方相手だったりすると」

「なるほど」


 今度は確かにと納得してうなずく。

 彼女の言葉は耳に心地よく、相手の緊張を解す力があるように感じられたのだ。これがいかつい男だったらこうは行かないだろう。


「まあそれだけではありませんけどね」


 笑う口元の紅さに目を奪われながら、この女性は本当に美人だな。と、ホルスは先ほどのライカの意外な評価の驚きが残った頭でそう思った。

 ライカが知ったらおそらく「失礼ですよ!」と怒った事だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます