第9話 家

「まあ約束してしまったもんはしょうがなかろう」


 家を見に行く道すがら、孫の話を感心と呆れとが半々の心地で聞きながら、ライカの祖父ロウスは肩をすくめて見せた。

 なにしろ、彼の孫はここ二、三日の間に顔見知りになった人間と色々な約束をとりつけており、数日先までライカの昼日中の予定はすっかり埋まっているようなのだ。


「しかしなんだな、お前はとんでもないな」


 話を纏めるようにそう言ってみせる。


「とんでもないって?」

「お前はまだここに来て数日じゃないか、それなのにまるで昔から住んでいたかのようにすっかりなじんでおる。なんというか、お前は人見知りをしないんじゃろうな、しかし、それはそれでわしは心配じゃよ」


 ライカは首を傾げた。


「心配って?」


 ロウスの口からため息がこぼれる。


「この街は今、余所者で溢れかえっておる。その大半は血生臭い世界から及び腰でまともな世界へ足を踏み入れようとしている連中じゃが、当然中にはまともな世界がどうしても合わない連中だっておる」

「どうして?」

「人間が人間を殺す世界ってのはな、いつか自分も殺されるかもしれない世界でもある。そんな場所で長年過ごした人間はまともな意識じゃやってられなくなるもんじゃ、強い薬を使う者、恐怖を快感にすり変える事で自分をごまかす者、心の大部分を壊した状態で戦って来た者、そういう輩が多くおる」


 祖父はそう言って首を振る。なにか、張り付いたものを振り払うようなしぐさだ。


「もちろん、あれが異常な場所だったとちゃんと分かっていて戻って来れる者も多いが、あっちが正常な世界になっちまったもんにとっては暴力と不信は手放せない守り札も同然なんじゃ、それがないと安心出来ないんじゃよ。そういう輩にとってはお前のような子供は自分から飛び込んでくるごちそうのようなもんじゃ、何も人を信じるなとは言わんが、むやみに信じるのも危険という事を忘れんようにして欲しいんじゃよ」


 ライカは考えるように少しの間中空を見つめたが、やはりまた首を傾げた。


「でも、そんな毎日が不安で怖いだけの状態からどうして抜け出せないんだろう?俺には分からないよ」

「その方がええよ、分からん方がええ」


 祖父はそう言って、それ以上の説明は無いままに目的の家に到着した。

 その家は、街の東寄りの地区にあり、市場からはやや離れている。だが、共同井戸がかなり近くにあり、毎日の水汲みが楽そうなのは魅力的だった。

 この街は住人の数が街の広さに対して少ない事もあり、商売地区以外の住居は一軒一軒の敷地にかなりのゆとりがある。

 住居に掛かる税は他所と比べて軽く、新しく家を建てる時も、ほとんどの場合、基礎的な部分は街の近隣の住人との共同作業で組み上げるし、木材の伐採には許可は要ったが金を取られる事は無かったので、建築費用が格安だった。

 そもそもこの土地には元々の地主という存在がいない為、土地は一括で領主が管理していて、届出さえすれば土地の所有自体には費用が掛からない(但し、商売地区には借地代が必要で場所毎に料金は違う)。

 基本的に街に住むのに必要な費用は住人としての登録費が年更新でいくばくかと、商売をする場合の基本登録費、収入に対する課税、井戸や水利施設の共済費等中央地域からすれば微々たるもので、場所が場所なだけに色々と不便ではあるが、住むだけならかなり気軽に住み着ける街ではあるのだ。


「綺麗な家だね」

「そうさ、なにしろ素人がやっつけで建てたんじゃなくてお上が専門家に依頼して建てた家じゃからの、ほら、あそこの棟木なんざ綺麗な黒艶が出ておるじゃろうが」


 家の柱一つ一つを撫で上げ、細かい説明をしてみせる祖父の生き生きとした顔をライカは不思議そうに見つめた。


「ジィジィ、この家は特別な家?」


 彼の至極もっともな疑問に、祖父は微笑んだ。


「ああ、この家はわしが作ったのさ。まぁ実際作ったのは大勢でやった訳じゃが、全体の設計と木材の加工はわしがやった」

「へぇ、凄いや、ジィジィって大工さんなの?」

「うむ、まぁそうじゃ、石工やレンガ関係は専門外じゃが木工関係はそれなりに腕が認められておるのさ、ほれ、あの宿屋の扉や窓、ベッドや物入れなんぞもわしがやったのじゃよ」


 ライカはびっくりして祖父の顔を見直した。


「あ、あれもそうなんだ!あの扉凄い仕組みだったよね組み木のパズルみたいだったな」


 しかし、むしろ驚いたように祖父は聞き返す。


「お前は組み木パズルなぞというものを見た事があるのか?わしも噂ぐらいしか聞いた事がないし、そう滅多にないものじゃろうに」

「うん、俺を育ててくれた方がそういうの好きなんだよ、書物とか加工品とかなんか色々集めてるんだよね」

「ほぅ、まあずいぶんと雅な趣味をお持ちの方じゃの、しかもどうやら資産家のようじゃ」

「あはは」


 それ以上の話をライカはごまかし、祖父もなにやら事情があるらしい事は分かっているのでそれ以上の追求はしない。

 その代わり家の奥へと進むと、孫を招き寄せた。


「この家に住む予定だった家族には二人程子供がおってな、その子供たちを楽しませてやろうと思ってこんな工夫をしてみたんじゃが」


 柱に収納されていた棒を取り出し、それの鉤になっている部分を天井の板の隙間に引っ掛ける。すると、そこが蓋のように開き、棒を半回転させると梯子が伸びた。

 上に天井部屋があるのだ。


「凄い!」


 上を覗き込んで、ライカは声を上げた。


「フッフッフッ、どうじゃ?ジィジィを尊敬したじゃろう」

「うん、凄い、ジィジィ凄いね」


 すっかり子供のように喜んでライカは梯子の先を見上げ、昇っていいかどうか祖父に目で尋ねる。

 うなずいたのを確認するが早いか、ライカは嬉々としてその梯子を昇った。


「かなり思い入れがあったんじゃが、予定していた住人は入らずに自分たちが住む家の候補として見に来る事になろうとは、人生何が起こるか分からんもんじゃな」


 ガタガタと音がして、困惑したような声が降ってくる。


「この窓ってどうやって開けるの?」

「なんじゃ?さっそく天窓を開けにかかっとるのか?そこはちと特殊な造りになっとるから、先に壁側の窓を開けてごらん」

「わかった」


 窓を開けていない屋内は酷く暗い、しかしライカはどこに躓く事もなく壁側の窓を見つけるとそちらを開けた。

 それは一般的な家の窓より大きく開けられるように両開きになっており、町並みが良く見える。

 開いた窓から差し込む光で室内が明るく良く見えるようになると、その部屋の工夫された造りがよりよく分った。

 屋根裏なので天井は高くないが、斜めに傾斜した狭い側である窓際にベットがあり、二人いた子供の為に作られたそれはかなり大きめだ。壁に扉のようについているのは物入れの隠しで、どうもこの扉のようなもの自体も何かの一部だと思われる。


(後でジィジィに聞いてみよう)


 先ほど開けようとしていたベッド近くの天窓をしげしげと眺めると、それをまた押してみた。

 軽く持ち上がるのだが、それ以上はやはり開かない。


「そこの天窓を開けるにはな、まずはちょいと持ち上げて左に滑らせてみてごらん」


 上がって来た祖父が言う通りライカは窓らしき切込みがある部分の板を少し持ち上げ、左側に動かしてみた。

 そうすると滑るようにその板が移動して、更にその上にまた板がある。


「その上板につまみがついておるじゃろ、それを引っ張って下に下ろし、横の天井の引っ掛けに掛ければ出来上がりじゃ」

「おー、でもどうしてこんなに面倒にしてるの?」

「上に開いて支えるようにすると空が半分以上隠れてしまうじゃろうが、しかし、ただ手前に開けるようにしておくと風や雪で窓が開いてしまう。という事でそういう事にしてみたんじゃよ。どうじゃ?気に入ったか?」


 ライカは夢中でその天窓を見上げて吹き込んでくる風を感じていた。 


「うん、俺この家大好きだよ」


 見上げている先には四角く切り取られた空がただ青く在る。

 ただそれだけの風景がとても美しかった。


「なんたってジィジィが造った家だもんね」

「そうじゃろそうじゃろ」


 祖父のがっしりとした手がライカの頭を掴んでくしゃくしゃと撫で回した。少し痛いくらいのその行為がライカには嬉しい。


「そうさの、この家に住むか?そして苦しい時代しか知らずに逝ってしもうたバカ者どもが悔しがるくらいに楽しい生活をしてやろうじゃないか、なぁ坊や」

「……ジィジィ」


 長い間滅多に風を通されなかった家に風が吹き込み、篭っていた空気も流されて行く。


「よし、決まったら明日から引越しじゃ、荷物は少ないが距離があるから大変じゃの」

「俺がついてるから心配いらないさ」

「ふふん、若造などに頼りはせんわ」


 ようやく、地に足を付けた暮らしが始まる。

 家も人も待ちわびた日常が始まるのだ。

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