第8話 知らない事を知るという事

「いらっしゃいませ」


 やたら爽やかな笑顔に迎えられて、ライカの祖父であるロウスは目を丸くした。

 少し、というか、かなり大きいエプロンを身に着けて、そのせいで本来の体格よりやや華奢に見えるその少年が自分の孫だったからだ。


「坊や、お前なにやっとるんじゃ?」

「その、なんというか逆らえない流れのようなものでここのお仕事を手伝う事になりました。あ、ジィジィお帰りなさい」


 なんだかどこかへ責任を放り投げたような、言い訳にもならない説明をしながらも、ライカは終始ニコニコと嬉しそうだった。

 祖父はその突っ込む気持ちの殺がれる笑顔を見つめて、とりあえず飯にしないか?とだけ告げる。


「ちょっと待ってて、ピークを過ぎたら休憩をもらうから」


 つれない孫の応えを聞きながら、ライカの祖父は毒気を抜かれたように空いている席に着いた。


「おじいちゃん、ね、ね、すごく可愛いですよね」


 ささっと寄って来た少女が、目を輝かせているのを見て、大体の事情を察したロウスは、軽くため息をついた。


「保護者の許可なしに働かせるのはいかんじゃろ」


 むすりとした顔を覗き込んで、ミリアムはニッと笑ってみせる。


「ふふ、やっと手元に帰ってきた可愛いお孫さんを一人占めしたいんでしょう?お見通しなんですからね」

「ぬぬぬ、可愛いといえばミリアムちゃんの方がずうっと可愛いわい。大体あのぐらいの年の子供はどうせすぐ仕事なんぞ飽きてしまうぞ。わしは責任とらんからな」

「おじいちゃんたら。素直に可愛い孫を働かせたくない、手元に置いて大事に育てたいっておっしゃればいいのに」

「むう」


 この少女とはけっこう長い付き合いになるロウスは、自分が彼女に敵わない事を承知していた。

 なにしろ昔は彼女の向こうに孫を見るような心地で接していたのだ、心情的にどうしても弱くなる。


「じゃあ、ご飯はライカの手が空いてからでいいですね。それまで軽く鳥皮の炙ったのと麦酒でもやっておく?」

「うむ」


 なんだ、麦酒は今高いんだろうが、言葉にしないが勝手に孫を雇った詫び代わりか?というような事は口には出さない。

 終始意味有り気に口の端を上げた表情を保ったままだった少女を恨めしげに見て、ライカの祖父は軽いため息をついた。


「仕事はせんでいいと言っておったじゃないか」


 食事を終えて、店の手伝いの方もそこで切り上げる事となり、連れ立って部屋に戻った所で祖父は呆れたようにそう言った。


「最初はそういうつもりじゃなかったんだよ、ミリアムが忙しそうだったからキツイ時は手伝おうかと思って話したんだけど、なんかいつの間にか普通に働く話になっちゃって」


 ランプに火を入れて物入れ兼机の上に置くと、ライカは手桶から小さなタライにお湯を移し、小さな壷から何かを一滴たらすと、それを祖父の足元に運ぶ。


「ジィジィ、靴外して、足を洗ったげる」


 言われて木靴を脱いだ彼の祖父は、鼻をひくりと動かした。


「何かいい香りがするのぅ」

「うん、ハーブ屋さんに言って作って貰った香油が出来たから入れてみた。疲れが取れるんだよ」


 なんでもない事のように言うが、多量のハーブを使って僅かしか摂れない香油は高価な代物だ。


「おいおい、そんな贅沢出来んじゃろう、金はどうしたんじゃ」

「朝早く森でハーブの朝摘みの手伝いをする約束でお金はいらないって、ハーブの朝摘みは時間勝負だからね」


 次から次へと零れ落ちるように出てくる知らないでいた事実に、彼の祖父は眉を吊り上げた。


「森じゃと、果ての森か?暗い時間にあの森に行くなぞ自殺行為じゃぞ!」

「大丈夫だよ、花の丘と貴婦人の泉の周りだけだから危なくないんだって、どっちも凄く綺麗なところだっておじさん言ってたよ」

「あの辺りでも今は狼どもが子供の為に餌を漁って遠出する時期じゃ、熊も腹をすかせてうろついとるぞ」

「動物避けのジャラジャラを着けて行くから。それにおじさんは毎日行ってるんだし、心配しすぎだよ」


 ライカは全く悪気もなくそう答え、祖父を呆れさせた。


「坊や、ちょっと聞くが他に何か誰かと約束をしたりしていないか?」

「約束って事なら、飾り物売りのおじさんとこのロバを散歩に連れて行くのと、レンガ地区の子供達にお話をしてあげる事ぐらいかな?別に変な事は約束してないよ」


 祖父は思いっきりため息をつくと、続ける言葉を失ってうなる。

 言葉が出なくなってきたのは、その足を丁寧に洗い、揉み解す細くて柔らかな手のせいで眠くなったという事もあるのかもしれなかった。


「そういえば、肝心な事を忘れる所じゃったわ、どうやら家が決まりそうじゃぞ」

「え?本当?それは凄いね、早く見てみたいな」


 無邪気に喜ぶ孫の顔を見れば、それでもやはりロウスの心は温かくなる。


「まぁこじんまりした家じゃが、道の整備をする関係で施工処から補助を貰って家を建て替えたところが、元々の家に住んでいた家族はそれを処分して王都の方に移り住みたいという話になってそのまま行政預かりになってしまった家があるんじゃと。ちと見てきたが、まずまずの造りじゃし、施工処では持て余して安くでもいいから手放したいって所で話がまとまっての」


 ロウスは甲斐甲斐しく自分の足を洗う孫を見た。


「後はお前が文句が無ければそこに決めるが、明日は行けるのかな?」


 ロウスの言葉にライカはぱっと顔を上げると、迷いなく答える。


「うん、四点鐘、朝一の鐘の後なら大丈夫だよ、お店の手伝いはどうせ七点鐘の鳴るお昼頃までに入ればいいんだし」


 休みなく動く手は祖父の足を綺麗に拭って仕上げを終えた。


「そうか、まぁとりあえず小言は明日にとっておくかの」


 そう言って、祖父はごろりと横になり、すぐさまいびきをかき始める。


「ええっ?」


 ライカは、その祖父の言う小言が何に掛かっているのか分からずに驚いた声を出した。

 足し湯をして、今度は自分の足を洗いながら、寝てしまった祖父を見て悩んだが、謎の答えがライカの中から浮かぶ事は無い。

 ライカからしてみれば、祖父は街に来てから三日間、夜は宿に帰らずにどこか怪しい所(であろう場所)に入り浸って、なにやら女性と楽しい事(祖父談)をしていたらしいのだから、何か小言を言うとすれば何度も置いてきぼりを食らった自分の方ではないのか?という思いがあったのだ。

 友達だったヒドラのポルパスが言っていたように、人間の一部の女性は毒花であるとするのならば、自らそこへ飛び込む彼の祖父は毒に侵される事を知らぬ強者つわものか、毒に侵された挙句に中毒になった病人かに違いないと、ライカは思う。

 おかげでさんざん脅かされた話も手伝って、男女のことわりというしろものに、しばらくは近付く気持ちにはなれそうもなかった。


 だがとりあえずは、分からない事に頭を悩ますより、やるべき事がある。

 陽が落ちてから朝の四点鐘までは鐘は鳴らないのだ。

 約束で夜明け前に出掛けなければならない翌日は、自力で起きなければならない。

 分からない事を気にしてうっかり眠りそこないでもすれば大変な事になるだろう。

 なのですっぱりその疑問は放置して、ライカも祖父に続いてさっさと寝る事にしたのだった。


 ―◇ ◇ ◇―


「そういう訳なんですけど、おじさん、俺が怒られるはずの原因が分かりますか?」


 まだ暗い時間に祖父を起こさないように抜け出したライカは、道すがら手伝い相手のハーブ屋に話を振った。

 二人はジャラジャラと鳴る金属片を重ねた鳴子を腰に付けて歩くので、それがけっこう煩いのだが、とりあえず前後で話しをする分には支障はない。


「怒られるはずの原因ってのはよかったな」


 笑い含みで言ったハーブ屋はカンテラの灯を調整しながら答えた。


「そりゃ、うちにもガキがいるからな、分からんでもないぜ」

「小さいんですか?」

「うむ、歯がむずがゆいらしくてありとあらゆるものに噛み付きまくってる恐るべき怪物だ」


 自慢に聞こえない自慢をする声が幸せそうだ。


「あはは、そういう時期があるんですね」


 父親の顔になってにやけているだろう男を微笑ましく思いながら、ライカはまだ見た事のない赤ん坊というものを想像してみた。

 なんとなく小さい頼りない生き物なんだろうなと思う。


「んむ、だからうちのはまだ言葉もあんましゃべらんが、話が出来るようになれば、親としてはなんでも話してほしいと思う。まぁおまえさんのじいさんも似たようなもんだろう」

「話をしたいって事ですか?」

「大事な事を一人で決めずに相談して欲しいって事さ」

「なるほど」


 ライカとしてはそういう考え方をした事はなかったので、かなり新鮮な感覚だった。


(何かをする場合それを自分で決めるという事は、その行動に自分が責任を負うとい

う事だよね。でも、事前に家族に相談をするとなるとその責任はどこへ行くんだろう?家族全体がその責任を分担して負うという事なのかな?)


 それはとても人間的な考え方なのだろうとは思うが、ライカにはそのことわりが分かり辛い。

 竜族は家族間の繋がりの強い一族ではあるが、それでも基本は個だ。


「それは、家族の中で国の決まりとは別の決まりがあって、それを侵さない為にって事でしょうか?」


 ライカはさんざん考えて思い浮かんだ推論を口にしてみる。


「へっ?」


 ハーブ屋は予想もつかない返しを耳にして間の抜けた声を上げた。


「いやいや、そんな難しい話じゃないよ」


 一拍の間の後に噴き出して笑い、苦しそうな息の下言葉を繋ぐ。


「家族ってのは、いや家族だけじゃなくて親しい間柄なら、何かを分かち合うって事が嬉しいからさ」

「分かち合う?」

「そうそう、例えば嫌な事があったとしても分かち合えばそれを笑い話にして吹き飛ばすことも出来るし、楽しい話ならみんなが楽しくなれるだろ?」

「分かち合う……」


 ライカはそっとその言葉を呟いた。

 それは物を分け合うという意味の言葉だとライカは思っていた。

 だが、この人の言う「分かち合う」という言葉はそれだけの意味ではなさそうだ。

 それぞれの思いや気持ちを互いに分け合うという事なのだ。


―…人は弱く、そしてその弱さゆえに強い生き物です。自分が一人では足りない事を知っているからこそ補い合うのですから。


 昔、白の竜王セルヌイが語った言葉が、今こそ実感としてストンと胸に落ちるのをライカは感じる。


「いい言葉ですね」

「そうだろそうだろ、家族ってのはそういうもんだ、俺だってうちのガキがでかくなったら一緒に釣りに行ってだな、なんだ悩みがあるのか?父さんに言ってみろ?とか偉そうに言ってやるのが今から楽しみでなぁ」


 デレデレと親馬鹿な言葉を語り出した彼に微笑みながら、ライカは帰ったら祖父と話をしようと心に決めたのだった。

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