第68話学園長

「とうッ!」

「きゃっ!」

 練習場にドサッと重い音が響く。


 俺の投げが決まったのだった。

 サリーは倒れて尻もちをつき、その右腕を俺が両手で握っている。

 この一本には大きな意味があった。

 俺が初めて3―Cの女子を床に倒した一本だった。

 それも最強クラスのサリーを。


 女の子相手に得意げになっているのはおかしいかもしれない。

 しかし、俺が混ざって組手をしているのは、普通の女の子じゃなかった。

 八人もいれば原始的な軍勢十万と渡り合えるほどの力を持っている。

 そんな超人の一人を、初めて投げ倒した瞬間だった。

 少しは勝利の余韻を味わってもいいだろう。


 俺の腕を振り払って、サリーが立ちあがった。

 ピンク色の髪を撫でつけて、悔し紛れを言う。

「こ、こんなのまぐれなんだから。調子に乗らないでよね、キミ」

 続いて闘いの構えを取る。

 当然、まだやる気だ。

 徒手格闘の授業は続いている。

 俺も応じて構えた。

 サリーがかかってくる。

 拳が突き出され、回し蹴りが放たれ、膝打ちが繰り出される。

 そんなものは全部フェイントだ。

 サリーは俺の関節を取り、お返しの投げを決めたいらしかった。

 サリーの顔から表情が消えていた。

 冷静に計算を重ねている、集中した本気の顔だった。

 それでも俺は互角に戦っている。

 白熱した数分が過ぎ、離れた場所でホイッスルが鳴らされた。

 授業終了の合図だ。

 俺とサリーはまだ息もあがってなかったが、動きを止めた。


 にっこりと微笑んで、サリーが右手を差し出してくる。

「強くなったね。大したものよ」

「へ、へへ……」

 握手のつもりで、俺はサリーの右手を握った。

「せいっ!」

 直後、右腕がひねられて、俺は投げ飛ばされた。

 思いきり背中から落ちる。

 練習場の床と制服の防護能力のおかげで、衝撃は大きくない。

 サリーが得げに見おろして言った。

「油断大敵」

「汚いぞ!」

「とっさの対応がまだまだってこと」

 そう言い残して、サリーは軽やかな足取りで去っていった。


 最後には投げられてしまったが、入学当初に比べれば遥かに進歩していた。

 これは技術的な訓練の賜物というばかりじゃない。

 錬成気術における上達との兼ね合いだった。

 俺とシャルロッテ、イクサは、ネストでの戦闘以後に、錬成気術がうまく行使できるようになっていた。

 今では魔法なしに五メートルの高さを跳び、鋼の一撃を皮膚で防ぎ、拳でコンクリートの壁を砕くことができる。

 マザー・アカバムの落とし子のなかでも大物を倒したことによって、混沌のエネルギーを身体に取り込み、心身が強化された証だという。

 新人三人だけで戦わされたことは、実のところ、俺たち三人に対する贈り物に等しかった。


 俺はさらに、魔法の授業でも力をつけた

 意味不明だった魔導書も読めるようになり、中等魔法の授業に出られるようになっていた。

 とうとうナムリッドの授業を受けることなく、次のステップに進んでしまった。

 マトイたちやイリアンは、ナムリッドの授業を受けている。

 そして、アルコータスでは使えなかった初等魔法が使えるようになっていた。

 授業方法がだいぶ違うらしい。


 それから俺たちは、ネストでの戦闘をさらに二回経験した。

 その結果、イリアンは1―Aに、マトイとヒサメは2―Aに進級していた。

 アデーレはまだ2―Aのままだったが、俺たちは着実に成長していた。


 ☆☆☆


 そんなある日の朝早く、薄明のころに目が覚めた。

 こんな早朝覚醒的なことは、俺にとって珍しい。

 二度寝しようかとも思ったが、ベッドのなかで好奇心が首をもたげていた。

 この機会に、ひとけのない学園内を散歩してみたい。

 俺はベッドを抜けだして顔を洗った。

 白い詰め襟の制服を着て、ブーツを履き、ペルチオーネを腰に吊るす。

 一人の散歩も悪くないが、相手がいてもいい。

 俺は数センチ引き抜いてあった剣を、きっちり鞘に納めた。

 間を置かず、メタリックなワンピースにウサミミリボン、金髪碧眼のソードリングが出現する。

 ペルチオーネは、期待に満ちた眼差しで聞いてきた。

「朝ごはん?」

「まだだよ。散歩に行くんだ」

 ペルチオーネは頭の後ろで手を組み、つまらなそうに言った。

「ふーん、じじくさーい……。でもまぁ、あたちとしても、この学園の弱点を探って歩いてもいいかなー……?」

「ぶっそうなこと言うなよ……行くぞ」

「はーい」


 ペルチオーネを伴って部屋を出る。

 廊下に学生の姿はまだなかった。

 キッチンのほうからは、すでにガチャガチャと朝食を準備する音が聞こえている。

 俺たちは薄暗い食堂とロビーを通りぬけ、外へと出た。

 冷ややかな空気を吸い込み、空を見あげる。

 藍色の雲が曙光を受けて、端を炎の色に輝かせていた。

 カフェテリアは二十四時間営業じゃないだろうし、教科棟に入ってもつまらない。

 俺は庭園のなかを左に向かうことにした。

 二年、一年の寮の前を通り、陸上トラックへ続く道だ。

 草花の匂いを楽しみながら、しばらく無言で歩く。


 生け垣の角を曲がったとき、前方に人影が目に入った。

 まったく気配がなかったので、思わず立ち止まってしまう。

 少女が一人、バラの花を眺めて静かに佇んでいた。

 身長は俺の肩くらいの高さ。

 長いプラチナブロンドは、真珠色といったほうが近く、柔らかい虹色の光沢を放っていた。

 白いフリルのたくさんついた紺色のワンピースを着て、黒いタイツとヒールの低い革靴を履いていた。

 制服じゃない。

 学生ではないのだろうか?

 歳はペルチオーネよりは上、イクサよりは下ぐらいに見える。

 つまり、俺の目には十三歳か十四歳といったところに見えた。

 隣でペルチオーネが囁く。

「気をつけて、マスター。この人、全然読めない」


 この学園のなかにはいろんな人間がいてもおかしくない。

 俺は特に警戒することもなく近づいていった。

 真珠色の髪の女の子が、唐突に口を開いた。

「意外とあなた自身はご存知なのではないでしょうか。あなたがこの世界にやってきた意味を。もしくはあなたがこの世界に及ぼす影響を……」

 いきなり難解で、返す言葉が思いつかない。

 俺は間の抜けた声で「えっ?」と答えただけだった。

 女の子の顔がこちらを向く。

 切りそろえられた前髪と凛々しい眉の下で、緑がかった灰色の瞳が俺をみつめた。

 女の子は続ける。

「わたしにはわからないのです。この学園世界にも、たまに男子が漂着することはあります。それが稀な偶然によるものか、世界の連なりの向こうで重大な意味があるものなのか、または、この世界にとって意義があることなのか……。わたしにもわからないのです。そこで聞きたいのです。あなたはあなた自身のことがわかっているのでしょうか、と」

 この澄んだよく通る声には、どこかで聞き覚えがあった。

 俺は難しい少女の問いに返答するよりも、記憶を探った。

 そうだ、あのときに一度聞いた。

 ボンゼン・ブードーのスポーンがこの世界に侵入し、それを倒したあとの訃報が放送されたときだ。


 あのときの声の主は確か……。


 学園長、だったはず……。


 俺が答えられずにいると、真珠色の髪の少女は表情を和らげた。

「いきなりこんなことを聞いても答えられないですよね。よいのです。わたしも無理を承知で聞いてみただけです」

 それから、にこりと微笑む。

「じかにお会いするのは初めてですね、タネツケくん。わたしはこのイシュタルテア学園の学園長、ワカバというものです」

 学園内には肖像画も写真もない。

 集会の類にも顔を出さない。

 俺とってはただ一度声を聞いたことがあるだけ。

 そんな謎の存在だったこの学園の長が、いま、目の前にいる。

 年端もいかない少女の姿で。

 でも、俺はそのことには驚きもしなかった。

 もうこの類の驚異には慣れっこになっている。


 ただ、未知の学園長に対する好奇心がうずくばかりだった。

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