第35話波動スピンの使者、ふたたび

「たるんどるッ!!!」

 朝の食卓に団長のカミナリが落ちた。

 その怒声が二日酔いの頭にガンガンと響く。

 仕方ないかもしれない。

 あの乱痴気騒ぎのあと、みんなそろって朝帰りだ。

 どこから見ても二日酔いという青い顔をして、頭を抱えてふらふらと。

 もう一生分の裸リボンを堪能したと思う。

 下手をすると、リボンに拒否反応が出そうだ。


 俺とマトイとナムリッドは額を押さえて、俯いている。

 テーブル上のほかほかシチューが目下の敵だ。

 アデーレは鎧をつけているので顔色を隠せるが、姿勢を保持できなくて椅子の上でのけぞっている。

 ヒサメについては、姿勢だけならしっかりしていた。

 遠目にはいつもの凛とした雰囲気がある。

 しかし、顔は青く、閉じた目の下にはクマが濃い。

 食事にも手をつけられないでいる。

 俺を含め、みんな同様だ。

 食べているのはクラウパーだけだった。

 いつも通り、ヘルメットのカバーをパカパカ開けて、食べ物を口に運んでいる。


 説教の最後に、団長はこう付け加えた。

「朝食を残すな! 食べられなかった者は、毒素を抜くためにアルコータスの外周をランニングだッ!」


 目の前にシチューとパン、フルーツサラダがある。

 キツイ。

 俺の向かいでは、マトイが悲壮な表情でシチューを口へ運び出した。

 ヒサメも表情だけは平静に、ちびちび食べ始める。

 ナムリッドとアデーレは微動だにしない。

 完全にグロッキーだ。


 俺は迷っていた。

 食べるのと走るの、どっちがツライか天秤にかけて熟考中だ。

 たぶん、今の俺なら走るほうが楽だと思う。

 走っているうちにも二日酔いが治るかもしれない。

 いや、お目付け役がついて来るわけでもなし。

 よし、逃げよう!

 俺は椅子を蹴って立ち上がった。

「俺は走ってきます!」

 そう言って、よろよろと出入口へ向かう。


 背後でマトイが声を上げた。

「あっ、逃げた!」

 その通り。

 ナムリッドの非難も続く。

「動けるからってずるい!」

 団長の声も聞こえた。

「まあ、潔いのは認めてやろう」


 アルコータスの外周は三十キロくらいある。

 もちろん走るつもりはないが、ここは逃げるが勝ちだ。


 ☆☆☆



 アルコータスも確実に夏へと歩を進め、気温が上がってきた。

 空は高く、空気は爽やかだ。

 とはいえ、三時間もぶらついていると、ちょっと汗ばんでくる。

 そのおかげで代謝も活発になったらしい。

 二日酔いも完全に治った。

 まだ昼には早いが、俺は昼飯を楽しみにしてアルバ本部へ戻った。

 エアコンの効いたロビーに入ると、奥から談笑の声が聞こえてくる。

 聞き慣れない女の声も混じっているような気がした。

 客か……?


「ただいまー」

 帰宅の挨拶をしながら、食堂につながる両開きの扉を開ける。

 テーブルには、ほぼいつものメンバーがそろっていた。

 団長とヒサメだけいない。

 トゥリーが俺の席についていた。

 向かいはマトイだ。

 そのトゥリーとマトイに挟まれるような形で、末席に客がついていた。

 やっぱり女だ。

 身体は小さく、肩にかかる長さの栗色の髪。

 白いブラウスを着て、赤と黒のチェック柄のベストにスカート。

 栗色の髪の上にも、同じ柄のベレー帽を被っている。


 俺は衝撃で身体を固まらせた。


 この姿には見覚えがあるッ!


 もう遠い昔のことのようだった記憶が蘇った。

 元の世界のことを思い出す。

 実際には、俺がこの世界に送り込まれてから、一ヶ月くらいしか経っていなかった。

 元の世界なんてどうでもいい。

 帰りたくない。


 固唾を呑んで立ちすくむ俺へ、トゥリーが声をかけてきた。

「タネツケ、おまえにお客さんだ。なんでも同郷の人らしいじゃないか」

 ベレー帽の女がこちらを振り返った。

「おひさしぶりです、宮本武経さん。ご活躍を聞き及んでやってまいりました」

 ちょっと年上の雰囲気がある童顔。

 この顔は間違いない。

 言動からも確実だ。


 コイツはッ!!!


 俺をこの世界へ送り込んだ女だッ!!!


 俺を元の世界に連れ戻すつもりだろうか……?

 恐怖に包まれ、かすれ声を出すのがやっとの状態で俺は言った。

「な、なにをしにきた……?!」

 マトイが咎めてくる。

「ひさしぶりの再会で、一言めがそれ? 失礼でしょ!」

 ナムリッドも面白がって続く。

「やっぱり、ケンカ別れした元カノとかじゃないのぉ~?」

 俺はいくぶん躊躇したが、いまさら隠す必要もない。

 正直に言ってしまうことにした。

「コイツは……」

 そう言ってから、少し頭を冷やして言い直す。

「……いや、この人は……、俺をこの世界へ送り込んだ張本人だ。波動スピン教とかいうのの信者だっていう。元の世界の住人だ」

 ベレー帽の女はにっこりとして、みんなにも聞こえるように言った。

「言って差し支えないようでしたら、その通りです」


 マトイが目を丸くする。

「ええっ?! あの話、ホントだったのっ?! いや、信じてたけど。 まさか本当だなんて。 いや、信じてたけど」

 次々と質問が飛ぶ。

 ナムリッドが訊いた。

「どんな魔法なの? 異世界転送なんて伝説級の大魔法でしょう……?」

 ベレー帽の女が答える間もなく、トゥリーも質問する。

「異世界から送り込まれたって話が事実なら、その目的はなんなんだい、お嬢さん? 簡単なことでもないんだろう?」

 アデーレも身を乗り出す。

「そっちの世界ではみんなタネツケみたいな力を持っているのか? それとも、コイツだけ特別だからこっちへ送ったのか?」

 ベレー帽の女は困った顔をして首をひねった。

「みなさんにお話してよいものかどうか。まず、タケツネさんにお話しないと。実のところ、彼もなにも知らないのです」


 そうだ。


 当事者である俺ですら、なにも知らない。

 この女と再会する機会があるとも思ってみなかった。

 だからといって、聞きたいことがたくさんあるわけでもない。

 俺はこの世界でうまくやってる。

 できれば放っといてもらいたかった。

 しかし、こうやってわざわざやってきたからには、そうもいかないんだろう。

 話を聞くしかない。


 気が進まないながらも彼女に言った。

「上に俺の部屋がある。そこで話を聞こう」

「では、そうしましょう……」

 ベレー帽の女が了承すると、連れ立って階段を上がり、自分の部屋に案内した。

 まだ家具の少ないこざっぱりした部屋を見せて、着席を促す。

「机の椅子か、ベッドに腰かけてくれ」

「じゃ、椅子のほうに」

 ベレー帽の女は椅子を引いて、俺と向き合う位置に動かして座った。

 机の上には、みなの不興を買っている魔剣が置いてある。

「机の上の剣には触らないほうがいい。普通じゃないんだ」

「そうなんですか? 綺麗な武器ですけど。いろいろ面白い世界にきたものです」

 俺は立ったまま腕組みをし、単刀直入に尋ねた。

「俺を連れ戻しに来たのか?」

「そんなに単純な話じゃありません。とらえかたによっては、もっと単純ですけど。お互い、楽観的にいきましょう。タケツネさんも腰を落ちつけてください」


 元の世界に帰ることが否定された。


 俺はとりあえず安心して、ベッドの端に座る。

 ベレー帽の女が口を開いた。

「まずは自己紹介から。タケツネさんの世界で、わたしは鏡弥涼かがみ・みすずと名乗っていました。これからはミスズと呼んでください」

「アンタとの関係がこれからも続くのか?」

 ミスズは小首をかしげて答える。

「そうですね、それがお互いの利益になるんですけど。実際にはタケツネさんのこれから、生き方によります」

 ミスズは息をついで続ける。

「二人きりなって正解でしたね。言いにくいんですが、下のみなさんには反感を買うかもしれない要素があるのです」

 初めて会ったときに比べると、ずいぶんまだるっこしい。

 俺は本質的な質問をしてみた。

「ミスズ、まずアンタは何者なんだ? 異世界に人を送り込んだり、自分が行ったり来たり。普通の人間じゃないじゃないか」

「そうですね、人を異世界へ送り込むのがわたしの仕事です。イメージとしては天使とか悪魔みたいな感じでしょうか。ある勢力の代理人として仕事をしているんです。行う仕事は違いますが、ある勢力の代理人という立場は、いまのタケツネさんも同様です」

「なんだって!? どういうことだッ?!」

 うろたえる俺に対し、ミスズは平然と言った。

「契約は成立しています。わたしたちはタケツネさんに特別な力を与え、この世界に導きました。他にも数多の世界に、タケツネさんのような人を送り込んでいます。チャンピオンとかエージェントとか、好きにとらえてもらって構いませんが、タケツネさん、あなたは本質的にわたしたちの勢力の手勢の一人なのです」

「先を続けてみてくれ……」

「勢力は本来の名を持っていますが、それは人間には想起すらできないものです。タケツネさんの世界では波動スピン教と名乗っていましたので、これからも便宜上、波動スピン教としていきましょう。宇宙を越えた次元の広がりには、そのような勢力が幾つかあります。それに対し、人間が知覚し、活動できる世界は無限です。新しく生まれてきますから」

「それで……」

「波動スピン教も他の勢力と同様、宇宙での影響力拡大を計っています。力を求める力なんです。フリーな世界があれば、手当たり次第にエージェント、またはチャンピオンを送り込むんです。この地球もいまのところフリーな世界です。波動スピン教から数人、他の諸勢力からも数人、特別な力を持った人間が送り込まれています。もちろん、だいたいの人は特に活躍することもなく、無難な人生を送るか、不運で死にます」


 そこまで言うとミスズは姿勢を正し、俺をひたと見据えた。

「しかし、見どころがありそうな人が出現した場合、こうして再接触を行い、種明かしをしたうえで協力をお願いするのです!」

 事態の大きさに、物事の輪郭がぼやけて感じる。

 もっと簡潔にまとめてもらえないだろうか。


 俺はかろうじて口を開いた。

「つまり、どういうことなんだ……?」

「タケツネさんのご活躍を知り、再接触する価値のある方だと認定しました。ザッカラントを撃退しましたね。彼もまた、特別な力を持った他の勢力のエージェントだったのです」

 衝撃が身内を貫く。

 みんなに反感を抱かれる要素とはこれだったのか!

 俺の声は震えた。

「そ、そうだったのか……。俺とザッカラントにつながりがあったなんて……。俺たちは似たもの同士か……」

「ひとことで言ってしまえば、その通りです。他の勢力の伸展を阻んだことは大きなポイントでした」

 その事務的な言い方に腹が立った。

「だからってなんなんだ! 何千人も死んだんだぞ! 俺はアイツみたいな真似はしない!」

 ミスズは困ったような笑みを浮かべた。

「そうですね、タケツネさんにザッカラントの真似事をしろとは言いません。あなたは基本的に自由です。タケツネさんが力をつけ、大きな事件に遭遇し、有名になっていけば、それだけで波動スピンの力は拡大します。あなたは自由に人生を送ってくれてもいいのです。ただ、野心を持っていただければ、こちらには好都合なんですが、それもタケツネさんの自由です」

「本当だな?! 俺はいまのまま過ごせればそれでいいんだ!」


 自由が保証されたようで、俺は一息つく。

 ミスズが続ける。

「タケツネさん、あなたは自由です。心の赴くままに生きてください。ただし……」

 冷徹な声音でミスズは付け加えた。

「ザッカラントは生きています。野心的な人です。事実を知ったいま、あなたはこれからの彼の行動を見過ごせますか……?」

 その言葉が俺を凍りつかせた。


 奴はまたやるッ!


 それだけの力を持っているッ!


 そして俺は、そのことを知っているッ!


 思考が混乱して、ぐるぐると回る。

 数秒ののち、俺は強がり口にするぐらいにしておいた。

「フン。ヤツがまた目の前の現れたら叩きのめしてやるさ! だが、世界の反対側でなら何をしようと関係ないッ!」

 ミスズはふっと、力を抜いて微笑んだ。

「そうですか。いまはそれでよしとしましょう。ザッカラントの他にも何人か、他勢力の使者が世界中に散らばっています。もしかしたら、そんな人と対峙することになるかもしれません」

 それからベストのポケットに手を入れ、一枚のカードを差し出してきた。

「このアルコータスに住居を構えました。そこに住んでいるわけではありませんが、タケツネさんがいらっしゃれば現れます。なにかあれば立ち寄ってください」

 俺はカードを受け取って言った。

「けっきょくのところ、俺は自分の意志で、なにもしない、という選択肢も持っているということだな……?」

 ミスズは立ち上がりながら答える。

「ええ、そうですよ。最初に言ったでしょう。とらえかたによっては単純な話だって」

「ああ、そういえばそうだったな……」

「では、お暇します」

 ミスズはぺこりとお辞儀をして、小さい体でちょこちょこと部屋を出て行く。

 俺はただ呆然とその後姿を見送った。


 さて、下にいるみんなには、どう話したものだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る