第7話 僕らの街

その1


 11月の最終週の金曜日。朝、僕ら4人はそれぞれの高校へ普通に登校し、授業を受け、昼から早退した。夕方のjoy pop in たかい本番のためだ。

「何なら公休にしようか?」

 先生方が揃って言った。Joy popは、鷹井市が大々的にバックアップしているいわゆる‘町おこし’の切り札だ、と普通の大人は思っている。僕らは‘公休’扱いを断った。

 ‘音楽’はこの世で数少ない‘誰にとっても分け隔てのない楽しみ’という感覚が僕らにはある。

 貧乏でも、頭の中に楽曲が浮かぶ。殴られている瞬間にも旋律をなぞることができる。勇躍するようなメロディー、甘酸っぱいメロディー、ただひたすら美しいメロディー。不幸だろうが幸福だろうが一切関係ない。ベートーヴェンは耳が聞こえずとも世界中の、時代を超えた僕らのような小僧どもまでにも、ジャジャジャジャーン、と殴りつけるようなメッセージを伝えてくれた。

 そんな‘誰でもお構いなし’の音楽を‘公のもの’なんて言った途端に興醒めだ。ましてやロックは‘お構いなし’の最たるもののはずだ。僕らは、自分たち自身の都合で休みを頂くのだ。

 

 昼過ぎ、ポピーに集合。全員、Tシャツにジーンズにスニーカー、上に薄手のごく普通のセーターを着たただそれだけのステージ衣装だ。ステージ上で暑くなればセーターを脱いでTシャツになるだけ。髪も全員いじっていない。咲はただ真っ直ぐな黒髪。男3人は起きてからブラシも入れないいつものぼさっとした髪の毛。

 それでいい、と僕らもマスターも思った。

 会場の県庁前公園はポピーのアーケードをひたすら真っ直ぐ数百メートル歩いて突っ切ったところ。大き目の機材は先に運んである。僕らはポピーでのリハのリハを終えると、ギターとベースを肩に担ぎ、スティックを手に持ち、会場に向かって歩き始めた。4LIVEの4人とマスターがやや下り坂になっているアーケードを歩いて行く。

「ちょっと、寄るぞ」

 マスターが大都の手前で脇道に僕らを誘う。

 そのまま、神社に向かった。

 5人が無言のまま神前で柏手を打つ。

 お互いが何を思っているのか、誰も分からない。神様が何をお思いになるのかも、僕らは知れない。

「さ、行こう」

 マスターがまたアーケードに道を戻し、歩き始める。

 会場はそれがこの鷹井市の光景とは思えないような気合いと緊張感と胸をくすぐるような空気に包みこまれていた。


その2

 

 まるで宙に浮いたような感覚が会場入りしてから続いた。

 さすがのマスターも感無量のようだ。

 音合わせのためにステージに上がった僕たちは、まだスタッフがサウンドチェックをするだけのがらんとした観客席を前にやや手元が震える。

 3,000枚のチケットは完売。前座の前座の僕らから満員になる訳ないとは分かっているが、それでも今までとはケタの違う会場に呑まれそうになる。どこまでやれるか。

 リハーサルが終わった後、県内の出演バンドは控え室代わりのテントで談笑したりうろうろしたり、思い思いに過ごしている。僕らは何となくテントの隅っこの方で紙コップにコーヒーを注いで飲んでいた。そこへ新井さんその他3名が陣中見舞にやってきた。

「室田くん、頑張ってね」

 新井さんの言葉はいつもながら本当に頑張りたくなるようなストレートさと説得力がある。これも人徳というやつなのだろう。

「咲ちゃんなら大丈夫」

 杉谷の言葉は新井さん以上にストレートなのだが、聞く人を底知れぬ不安に導くのが本当に不思議だ。杉谷が大丈夫といっても大丈夫な気が全くしない。

「頑張れ!」

 木田と柏も激励と‘勝利のVサイン’をしてくれた。

 ‘友達’ってありがたいもんだなあ、と生まれて初めての感覚を持った。

 そこへ、歩く太陽のような子がやってきた。米田さきさんの登場だ。

「咲ちゃん!」

 といきなり咲の両手を持ってぶんぶんと上下に振り始める。

「よかったね!今日が咲ちゃんの曲の全国デビューだよ!」

 咲は、「さきちゃんは大げさだね」と言っているが、米田さんは構わず続ける。

「ううん、大げさじゃないよ。今日は‘ゲラゲラ動画’で生中継されるよ。全国の男子達についに咲ちゃんの曲と咲ちゃん自身のベールが開かされるんだから」

 米田さんの可憐な容姿を初めて見た新井さんその他3名は驚愕の表情だ。咲一筋のはずの杉谷ですら目を丸くして米田さんを凝視している。

 しかし、もっと動揺を隠せないのが新井さんだ。咲だけでも心配なのに、米田さんまで度を越した美人となると何とも落ち着かないようだ。米田さんは更に誤解を生みかねない言動をする。

「室田さんも全国デビューですね。室田さんの切ない歌詞と歌声で全国の女子はメロメロですよ」

「メロメロ・・・・」

 近年聞いたことのないような恥ずかしい表現に思わず僕は反復してしまった。

「でも、実は一番メロメロになっているのはわたしなんですけどね」

 米田さんが日常会話のような軽さでぽんぽんと発言する。咄嗟に新井さんの表情を見ると、びくっ、となった新井さんから「ガーン」という音が実際に聞こえてくるように思えた。

「ちょちょ」

 そこに米田さんを気に入っている武藤が不用意な発言をすることで更に事態が複雑化する。

「室田のことを好きなのは新井さんなんだから、今更さきちゃんが割り込む隙間はないからね」

 武藤はいつの間にか米田さんのことを‘さきちゃん’と呼んでいる。

 予想もしない人物からの‘援護射撃’ではあるのだけれども、新井さんの動揺は益々深まる。

「はあ。でも、室田さんの歌はみんなのものですからね!」

 米田さんが強引に‘オチ’をつけた。

 みんなが大人しく観客席に戻った後、とうとう‘必然の客’がやって来た。


その3


 マスターが僕たちを呼び止める。

「おい、咲の小学校の時の‘友達’が会いたい、って来てるぞ。どうする?」

 マスターはあまりいい顔をしていない。心配するように付け加える。

「あまり性根のいい子達には見えなかったな」

 咲の表情が明らかに変わった。何となく咲の心情の察しはつくが、僕はできるだけ軽い感じで咲に話しかけてみた。

「激励にでも来たのかな?」

 咲は何の感情も無い言葉で答えた。

「小学校に、友達なんか、いない」


 やって来たのはごく普通の三人の女子高生だった。

 本番1時間前。

 野外ロックイベントらしく多国籍料理の屋台も出ている公園の会場。開場となり客席にもそれなりの人数が集まり始めている。

 咲の精神に打撃を加えようとするのなら、この上ない計算し尽されたタイミング。

 僕に‘唾を吐きかけた’二人組がやって来た時のように、偶然の来客というものはありえないとよく分かった。この3人は来るべくして来た3人。この3人にどのように向き合うかで今後の咲の人生すら決まりかねない、そんな必然の来客。

 3人の内、一番背の低い子が口を開いた。

「‘レイコ’元気そうだな」

 咲以外の僕たちのことは完全に無視した話しぶりだ。それにしても、‘レイコ’とは?

 僕はそんなことを考えながらテントの入り口の所を見る。そこには恐ろしく長身で細身の男の人がベースを肩に担いで立ち、じっとこちらを見ている。

 どこかで見たことのあるような気がしたが、咲と背の低い子の一対一の遣り取りが既に始まっていた。僕は慌てて咲の表情を見守る。

「‘霊子’なんて久しぶりに呼ばれた・・・」

 咲が、全く波立たない湖面のような静かさで呟く。‘霊子’。咲の人生の中で一番過酷だった小学校5・6年生の時の咲のあだ名。背の低い子は、ふふっ、と笑って咲を傷つける態勢に入った。

「お前らのバンドって、‘いじめられっ子’バンドなんだろ?今でもいじめられてんの?」

「ううん」

 静かに首を振る。咲は僕にも心の中が読めないような冷静さで相手と対峙している。

 けれども、相手は執拗に咲を攻める。

「お前には彼氏を作る資格もないからな。もし、彼氏ができそうになったら、お前の小学校の頃のことを全部そいつに教える。お前が受けた‘性的ないじめ’のことも、全部」

「いい加減にしろよ」

 加藤がここで口をはさむ。

「何も知らない自分がああだこうだ言いたくないけど、君は小学校の頃から成長してんのか?小学生のままなのか?」

「はあ?」

 相手は真顔で威嚇するように加藤に向かう。

「わたしらの方は成長する必要ないから。普通に彼氏もいるし。

 それより、お前、知らないんなら咲の‘性的ないじめ’のこと教えてやろうか?

 興奮するよ」

 クールな加藤が熱くなっているのが伝わってくる。こめかみの筋肉の動きを見ると、右の奥歯をひびが入りそうなくらいに噛みしめているのが分かる。

「加藤、ありがとう」

 咲はそういって加藤の腕を優しく掴み、背の低い子に改めて当事者として向き合う。

「別に、言っても構わないよ。事実だから」

 咲の思いがけない答えに男3人は一斉に咲の表情を探る。とても、涼しい眼をしている。表情に一点の曇りもない。

 逆に相手の方はやや怖い、恫喝するような表情に変わる。

「霊子のくせに上から物言うなよ」

「霊子でも白木でもどっちでもいい。わたしはこれから4LIVEの出番だから、言うなら言うで早く済ませて」

 咲と背の低い子を見比べる。小学校を卒業してからわずか5年ほどの同じ時間を生きて来たはずの2人。でも、‘殴られ側’の意識のままでいたはずの咲が遥か先に進み、背の低い子は未だに12歳のままで足踏みしている。咲は背の低い子を完全に置いてきぼりにしている。どうしてこうなったのか?そう考えているのは背の低い子自身かもしれない。

「言ったら、こいつら、霊子と一緒に演奏する気失くすぞ?」

「うん。でも、あなた達が私に猥らないじめをしたのは事実だから。話されてバンドがバラバラになったとしても仕方ない。みんなには本当に申し訳ないけれど・・・

 私からは話せないから、早く、みんなに話してあげて・・・」

 そう言って、咲は眼を閉じた。自分の人生がここで分岐点を迎えたのだ、という覚悟を持って。背の低い子は顔面神経痛になったかのように顔の右半分が痙攣し、口を開こうとした。

「ちょっと・・・」

 そこにいた7人以外の声がした。

 ベースを担いだ、長身の男の人が僕たちの背後に立っていた。


その4


「あ」

 加藤が反応する。と同時に背の低い子も

「あ」

と反応する。

「多田さん、ですか・・・?」

 加藤が遠慮しがちに聞く。

 ああ、そうか。思い出した。パンフレットに載っていたブレイキング・レモネードのメンバー紹介だ。

 多田康人(ただやすと)さん。ブレイキング・レモネードのベーシストで、詩・曲の大半を書いている。自分でベースを担いでいるということは、会場まで歩いてきたのだろうか?

「多田です。きみらが4LIVEなんだね。無理言って出て貰って、ありがとう」

「え?」

 ‘無理言って出て貰って’、って、どういうことなんだろう。

「僕が‘ロック&ロック’の編集長にお願いしたんだ。是非生で観たいからって。‘杉ちゃん’のブログは新しい動画がアップされたら必ず見てたよ」

 4LIVE全員が驚いている。今日の主役のご指名だったとは。けれども、背の低い子はとても嫌そうな複雑な顔をしている。

「申し訳ないけれども、みんなの話をずっと聞いてた。それで・・・僕はきみと少し話してみたいんだけど、いいかな?」

 多田さんは、背の低い子にそう訊いた。「え・・・」と背の低い子はうろたえているようだが、黙って頷いた。

「ありがとう。きみは、さっき、普通に彼氏がいるって言ってたよね」

「はい・・・」

 背の低い子はさっきまでぞんざいな言葉を放っていたのとは一転して女の子らしく応対している。相手を見て態度を使い分けるという、些末な部分だけは成長しているようだ。

「その彼氏とは結婚したいとか思ってる?」

「え・・・まだそんなの分かりません」

 そう・・・と多田さんは少し考え込んで、まとまったのかまた話し始めた。

「もし、きみがやっていた‘いじめ’の話を彼氏にして、一緒になって笑い出すような彼氏なら、結婚しない方がいい」

「・・・・・」

「反対に、きみを叱り、全力で怒りを発する彼氏なら、結婚してもいいかもしれない」

「どうしてですか?」

 背の低い子も、相手がお目当てのバンドのメンバーだということを横に置いて、挑戦的に問い返す。多田さんは穏やかな眼で背の低い子を見つめる。

「もし、きみと彼氏の間に子供が生まれたら、今のままの気持ちでいると必ず後悔する・・・

 きみは子供に対して明かすことのできない‘秘密’を抱えたまま苦しむことになってしまう」

 背の低い子は、自分を守りたいのだろう。必死に反論する。

「そんなことないです。恥ずかしい目に遭ったのは霊子の方です。わたしは、ただ・・・」

 そこで言葉に詰まってしまった。多田さんは十分な時間の間隔を置いて、彼女に再び語り掛ける。

「今日、僕らのバンドを聴きにきてくれたんだよね。ありがとう。本当に嬉しい。

 でも、僕は、4LIVEも素晴らしいバンドだと思う。アマチュアとかプロとか全然関係ない。僕は今でも小さなライブハウスで無名のバンドの曲を聴いて感動することがある。だって、ロックってそういうもんだよね」

 背の低い子は納得し難い、という表情を示してはいるが、黙って聞いている。

「僕にはきみを責めるつもりもその資格もない。ただ、極端な話、犯罪者が作った曲でも感動することがあるのが音楽の残酷なところでもあり素晴らしいところでもある。

 虐待する側が作った曲でも虐待される側が作った曲でも、等しく感動することがある。いい人とか悪い人とかいうことすら超越してしまうような、人間には理解しがたい不思議な力が音楽にはある。

 4LIVEは君の大嫌いなバンドかもしれないけれど、それでも聴いてみて欲しい。後は、きみ自身が感じて決めることだから・・・」

 僕は多田さんの言葉を聞いて、はっ、とした。

 ‘あいつらと同じ音楽を聴きたくない’

 僕はずっと前からそうやって反対に‘あいつら’を見下していたのだ。

 ‘音楽は分け隔てがない’とか偉そうに考えていた僕自身が逆に差別していたのだ・・・


その5


 咲の‘小学校の友達’がテントを出て行った後も多田さんはしばらく話に付き合ってくれた。

「多田さん、もしかして歩いてここに来たんですか?」

 加藤がファン代表という感じで質問する。

「うん。ホテルからLRTに乗って、後は歩いて。どうして?」

「いえ・・・大物バンドなら運転手付きのワゴン車かなんかでメンバー全員が颯爽と乗り付けるのかな、なんて思って」

 多田さんは恥ずかしそうに笑う。

「僕らはまだ駆け出しだよ。それに、売れたとしても電車に乗ったり歩いたり、車だって自分で運転すると思うよ。そういう感覚のままでいた方が、いい詩が書ける。Muroくんだって川の土手を自転車で走って詩を書いたんでしょ?」

「え?どうして知ってるんですか?」

 突然話を振られ、ドキドキしながら僕は聞き返す。

「‘杉ちゃん’のブログに書いてあったよ。

 自転車だったり、歩いたりして、自分の街の美しさに胸を切なくする瞬間を重ねた方が、優しくて切なくてそれでいて力の滲み出るようないい詩が書ける、って思うよ」

 多田さんは今度は咲の方を向く。

「emiさんも小学校の頃からそんな瞬間を重ねてきたんだね。だからあんな美しいメロディーが溢れて来るんだね、きっと」

 多田さんが時計を気にする。

「もうすぐ本番だよ。僕も楽しみに観させてもらうよ」


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