第88話 静の音楽

「あ、静。おまえ、文化祭でライブやるんだって?」

「………………」

 文化祭を数日後に控えたある日。僕は児童会へと向かう廊下で静を見かけ、声をかける。

「僕、実行委員だから、ステージ使用申請書を見てさ、その中に静の名前があったから」

「………………」

「確か、前に雪哉に静はバンドをやってるって聞いてたし……」

 僕は静の様子がおかしいことに気がつき、思わず黙る。

 静は黙ったままぎろりと僕をにらんでいる。

 ……なんだ?

 確かに静はどちらかというと口数が少なく、愛想はあまりよくない娘だが、最近はわりと打ち解けてくれていた。少なくともこんな敵意丸出しの目で僕をにらむようなことはなかったはすだ。

「えっと……ステージで歌うんだよな……?」

「……歌わない」

「申請書に静の名前があったんだけど……」

「……人違い」

「苗字も、クラスも、静のものだったけど……」

「……それはたぶん私のドッペルゲンガー」

「ドッペルゲンガー、アクティブだな」

 本人に成り代わって、ステージで歌おうとするとは。

「……ともかく、わたしがステージの上で歌うなんてありえないから」

 そう言い捨てると、静は僕を無視して、すたすたと歩いていってしまった。


 そして、迎えた文化祭当日。

「貴様らを静かなる地獄へと導いてやろう!」

「うおおおおおおおおお! 『沈黙の女王サイレントクイーン』だああああああっ!」

「私も地獄へ突き落としてえええええっ!」

(なんだこれ……)

 僕は文化祭実行委員の仕事の合間に、静の名前で申請されていたステージに顔を出していた。

 グラウンドに作られた簡易ステージはそう大きなものではなく、学校の教室一つ分もない小さなものだ。しかし、その周囲はステージを呑み込まんばかりのオーディエンス。ステージに手を振る者、狂ったように叫ぶ者、その場でぴょんぴょん跳び跳ねる者、なぜか涙ぐんでいる者まで居る。熱狂のるつぼが、確かにここにはあった。

「驚きましたか?」

 その熱狂の中でなお冷静な男。僕の隣に立つ雪哉は僕に問いかける。

「ああ……」

「静のやっているロックバンド『サイレントグラビティ』はマイナーでこそありますが、ある筋では有名なのですよ。このように校外の人間も堂々とステージを観覧できる文化祭には、校外からもたくさんの人間がつめかけます」

 そう言われて改めて周囲の人間に目を向けると確かにうちの学園の制服以外を着ている者もちらほら居る。よく見るとどうみても学生ではない中年男性も居る。

「まあ、静は歌が上手いって聞いてたし、ファンがたくさん居ることも想定内だが」

「地獄の深層、コキュートスのせせらぎと我が歌声を子守唄として永眠れ!」

「うおおおおおおおっ!」

「なんだこのノリは……」

 ステージの上に居る人間は、僕の知っている静からは大きくかけ離れている。何より――

「まず、あれは静なんだよな……?」

 ステージの上でマイクパフォーマンスを繰り広げている者の体格や声から判断して、静であることは疑いようがない。だが――

「なんなんだ、あの仮面は……?」

 静の顔の上部は仮面で覆われている。仮面は目元だけを隠すタイプのもの。丈の短い漆黒のドレスと合わさって、まるで中世の舞踏会でも始まりそうな装いだ。

「ええ。あれは静です、間違いなく」

 雪哉は話を続ける。

「静にはもともと歌の才能がありました。歌手をしていたという母親譲りの。しかし、本人は、幸助さんもご存知の性格ですから、人前で歌うなんて到底できなかったわけです」

 僕は黙って、雪哉の話に耳を傾ける。

「人前で歌うのは恥ずかしい。しかし、ステージの上で歌ってみたい……。その葛藤から生まれたのがこのバンド、サイレントグラビティです」

 雪哉はにこりと笑って言った。

「ビジュアル系バンドなら仮面をつけて、別人だと言い張ることもできますから」

「そんな理由かよ……」

「静はわりと凝り性ですからね。一度始めると行き着くところまで行き着かねば気がすまなくなるんですよ」

「なぜ、僕の周囲の人間はこうも極端なのか……」

 普通のバンドを組む方がよっぽど恥ずかしくないような気がするんだが……。

 そのときだった。

 観客の一人であった中年男性が周囲の熱気に当てられたのか、こう叫んだ。

「うおおおおお! 静ちゃん、最高!」

 その声を聞いたステージの静の動きがぴたりと止まる。観客たちも凍りついたように動きを止める。

 突如訪れた静寂。

 いったい何が起こったというんだ……?

「ああ、やってしまったようですね……」

 隣にいた雪哉がぽつりと呟く。

「なんだ? どういうことだ?」

「まあ、見ていてもらえれば解ります」

 ライブの進行を止めてしまった男性のもとに黒服にサングラスといういかにもな集団が現れる。

「ち、違う! 今のは言い間違いで……!」

「話は裏で聞きます……」

「嫌だぁぁぁぁぁっ!」

 暴れようとする男性を押さえ込み、黒服たちは彼をどこかへと連行してしまった。

 その異様な光景に僕は思わず息を呑む。

 そして、ステージ上の静は小さな声で呟いた。

「わたしは静などという名前では断じてない……」

「………………」

「わたしを静と勘違いしたものは、この地獄から現世へとお帰りいただくということを理解していただこう……」

「うおおおおおっ! 『沈黙の女王』!」

「最高にクールだぜええええっ!」

(なんだ……こいつら……)

 とりあえず、意地でも自分の正体は認めないようです。


「地獄に落ちし亡者どもよ! 狂乱せよ! これが我々が貴様らに下賜する騒乱の鎮魂歌だ!」

 そして、彼女は叫んだ。

「『Fantastic paranoia』!」

 そして、遂に静たちの歌が始まる。

 ドラムが弾け、ベースがうねり、ギターが踊り出す。そして、中央でマイクを握る女王は、世界を震わせる歌を紡ぎだす。

――

 僕はただ黙って彼女の歌声に耳を傾けていた。彼女の美しくも力強い歌声は僕の脳味噌を震わせて、新しい世界の像を結ばせる。そこにあったのは幻想と狂乱。この音の奔流の内部では、幻想こそが真実であり、狂乱こそが静寂であった。矛盾と思える何かもが真たり得る。世界の形すらもつくりかえる力が、確かにこの場所には満ちていた。

 僕の頬を冷たい何かが伝う。

 この瞬間に僕は確かに地獄を経て、新しい世界への扉を開いた。


「どうですか? 静の歌は」

「……ああ」

 今の僕は唸ったような声を出すことくらいしかできることはなかった。それくらい、僕は彼女の歌に衝撃を受けていた。

 雪哉もそれ以上、何も言わない。僕が彼女の歌を噛み締めていることに気がついたのだろう。

 僕たちはしばらくの間、黙ってステージ上の静を見つめたのだった。


「亡者への葬送も、終焉を迎えた。この地獄で得た安穏をもって、現世での苦境と向き合え!」

「終わらないでえええええっ!」

「もっと聞かせてよおおおっ!」

 どうやらライブはこれで終わりのようだ。静たち、バンドメンバーはステージ裏に引っ込もうとしている。

「では、そろそろ僕たちもこの仮装を解きますか」

「そうだよ。そういやなんで僕はこんな格好させられてたんだよ」

 ステージを訪れる直前のことだった。

『幸助さんも、是非これを着てください』

 そう言って雪哉から手渡されたのは、一枚のローブだった。ローブは身体をすっぽりと覆い、フードまであったため、僕たちはかなり怪しい風体となっていた。しかし、バンドがバンドだからだろうか。奇抜な髪型や格好をした者もそれなりにいたため、そこまで悪目立ちはしていなかったのだが。

「この仮装を解くのが、このステージの最後の余興なんですよ」

「?」

 首を傾げている僕を置いて、雪哉は軽やかにステージ最前列まで躍り出た。そして、勢いよくローブを脱ぎ捨て、正体を現す。

「やあ、『沈黙の女王サイレントクイーン』。今回のステージも良かったよ」

 彼がにこやかにステージ上の静に声をかけると、

「うわああああああっ!」

 先程まで『沈黙の女王サイレントクイーン』とやらのキャラクターを貫いていた静が、あからさまに取り乱す。

「ゆゆゆゆ、雪哉! おまえ、また! 来るなって言ったのに!」

 後で聞いたところによると、やはり静はあのキャラクターを恥ずかしいと思っているらしく、普段の知り合いにライブ中の姿を見られることをいたく嫌う。だから、雪哉は姿を隠して、こっそりライブを見ていたのだが――

「来たぞ! フィナーレだ!」

「各自、衝撃に備えろ!」

 観客たちは訓練された軍隊のように一糸乱れぬ動きで、自らの両耳を覆った。その姿を見て、僕も察する。僕も彼らを真似て、耳を塞ぐ。

「……ゆきやの――」

 僕は黙って空を見上げる。その空はどこまでも青かった。

「ゆきやのあほおおおおおおー!」

 そして、世界を突き崩さんばかりの絶叫が、この空へと昇っていくのだった。

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