第86話 きららの発想
「誰だ、てめえ」
文化祭の準備のために訪れた小等部の児童会室。
僕は見知らぬ少女にいきなりガンを飛ばされていた。
「なんだ? カチコミか? 上等じゃねえか」
なぜか好戦的な少女はぼきりと拳を鳴らしながら、こちらに歩み寄ってくる。
背丈は低い。間違いなく小学生だ。
髪は「キンキラ」とでも言うべき金髪なのだが、中央の生え際の色は黒。いわゆる、「プリン頭」という奴だ。地毛は黒なのだろうが、髪を金に染めているのだと思われる。肩口にかかる程度の髪は毛先で微妙にカールしている。
小等部のブラウスの第一ボタンは外され、シャツはスカートの裾からはみ出している。スカートの丈も校則の規定よりも短いだろう。
言動の荒々しさと格好から受ける印象とは対照的に、顔立ちはどこかあどけない。ぱちりとした瞳に、子供らしい丸顔。普通にしていれば、どこにでもいる普通の可愛らしい小学生という印象。それが、不良染みた真似をしているためにどこかちぐはぐな印象を受ける。
「てめえ、高等部だな? ここがアタイの島だって知らねえのか」
「いや、アタイって……」
いつの時代の不良だ。
「あ? てめえ、きららが、きららのことを『アタイ』って、言うようにしていることを笑ったな?」
「まあ……。ていうか、今、一人称が『アタイ』じゃなくて『きらら』になってたけど大丈夫?」
「っ……!」
女の子は顔を瞬時に真っ赤にさせる。
はっきり言って小さい子供が不良ぶっているようにしか見えず、僕はいっそ微笑ましくすら感じていたのだが……そんな油断がよくなかった。
「てめえ、きららのこと、バカにしてんな!」
「……へ?」
彼女の小さな顔が僕の胸元間近にあったところまでは認識できた。
しかし、次の瞬間には僕は彼女に背中を取られていた。
「いたっ!」
僕の腕は背中に回され、彼女に上から押さえつけられている。僕は思わず跪く。
(なにかしらの武道の動きだ……!)
僕の目では追い切れなかったが、おそらくは彼女は僕に一瞬で距離を詰め、たじろぐ僕の手をとり、流れるような動作で引き倒したのだ。
この動き、どこかで――。
「それ以上はいけません、加古川さん」
その声と共に僕は解放される。
僕は振り返り、児童会室の入口のところに立つ人影を捉える。
「雪哉」
僕は掴まれた腕をさすりながら立ち上がる。……思いの外痛くない。武道では、中途半端な腕前の人間に技を決められた方が身体を痛めるという話を聞いたことがある。先程の流れる様な動きを踏まえて考えても、この少女はそれなりの腕前なのかもしれない。
「でも、雪哉、こいつは――」
「むやみやたらと技を振るってはいけませんと散々申し上げましたよね」
「うぐっ……」
雪哉は顔立ちが整っているせいか、怒りを面に表した瞬間の威圧感がすごい。とても、小学生とは思えないほどに。少女の方も雪哉の怒気にあてられ、ひるむ。
「だけど、きららは……じゃなかったアタイは――」
「きらら」なる少女は首をぶんぶん振りながら叫ぶ。
「不良だから、喧嘩売っても許されるんだよ!」
「いや、その理屈はおかしい」
別に不良は喧嘩をすることを許されているわけじゃないぞ。
「……すいません、幸助さん。ちょっと、この加古川に教育的指導を施してきますね」
「って、襟首を掴むなー! 服が伸びるー! あー!」
加古川と呼ばれた少女は雪哉に引きずられ、児童会室を出ていく。
……その瞳が涙目であったのは見なかったことにしてあげるべきだろう。
「大変失礼いたしました。これは、うちの庶務の加古川きららと言います」
「加古川だ、夜・露・四・苦!」
加古川なる少女は、挑発するように舌を突き出して言う。
「――加古川さん」
「すいません、加古川です。よろしくお願いします……」
雪哉に名前を呼ばれて、大人しく頭を下げる加古川。……もう大体こいつらの力関係が解ってきたな……。
「ていうか、雪哉! てめえ!」
加古川は雪哉を睨んで言う。
「きららの名前が、『きらら』であることは、言うなって言っただろうが!」
「いや、雪哉が言わなくても察してはいたけど……」
「なにい! エスパーって奴か、てめえ!」
「いや、自分で言ってるし」
加古川は「しまったー!」と頭を抱えている。
(また、アホの子が増えてしまった……)
僕は今遠い目をしている自覚がある。
僕はなぜだか加古川……きららに親しみが湧いた。
「なんで、きららは、きららって呼ばれたくないんだ」
「てめえ、さらっと、きららって言ってんじゃねえ!」
「きららは、きららだろうが」
「きららは、きららだけど、きららじゃねえんだよ!」
「お二人とも一回落ち着きましょうか」
きららがゲシュタルト崩壊を起こしている。
きららは立ち上がり、胸を張って叫ぶ。
「いいか、きらら……じゃなくてアタイの名前は確かにきららだ。だが、アタイはきららという名前を良しとはしていない!」
「なんでだ? かわいいと思うが」
「かわいいからだよ!」
きららは腕をぶんぶんと振りながら叫ぶ。
「いいか、きらら……じゃなくて、アタイは不良なんだ! 不良がそんなきららなんて可愛い名前でいいわけないだろ!」
「………………」
名前は基本的に自分で決められるものではない。生まれながらに子供が不良になると思って育てる親はいないし、不良にもなって欲しいとは思わないだろう。だから、最初から不良に合う名前をつける親などいるはずもないのだが……。
「だから、きららのことは『キラー加古川』と呼べ」
「プロレスラーみたいになってるが大丈夫か」
友達に「キラー加古川ちゃん、遊ぼう」とか言われることになるが、それはいいのだろうか。
「で、きららは」
「キラー加古川!」
「キラー加古川きららは、なんで不良をやっているんだ?」
僕は根本的な疑問に切り込む。
先程関節を決められておいて言うのもなんだが、この子が本当の意味で「ワル」だとは到底思えない。顔立ちや雰囲気はむしろ愛嬌があると言ってもいい。なぜ彼女は不良ぶるのか。僕はそこが気になったのだ。
「ふん。話せば長くなるぞ」
嫌そうな口調とは裏腹にきららはどこか嬉しそうな顔をしている。語りたかったのだろうか。
そうして、きららは語り始めた。
「きらら……じゃなくて、アタイは道場に通ってるんだ。ある日、そこに雪哉が入ってきてな。……アタイは、ほんの少しの差で雪哉に勝利と呼べるものを掴みとることに失敗してしまったんだ」
「要するに負けたんだな」
「はっきり言うな」
きららは唇をとんがらせて話を続ける。
「アタイが年下のやつに負けたのは初めてだったんだ……だから、きららは……きららは、もっと強くならなくちゃいけないんだ!」
「なんかカッコイイ雰囲気の台詞はいいんだが、それと不良との関係はなんだ」
「ふふん。知らんのか」
きららはドヤ顔で言った。
「不良から更生すると格闘家は強くなるんだぞ」
「そんなんマンガの中だけだぞ」
不良が更生するスポーツマンガってなんであんなに多いんだろうな。
「つまり、おまえは強くなるために、不良から更生したくて、不良になったのか……」
「おうよ!」
やっぱり、アホの子じゃないか……。
「……幸助さん。この人は言い出したら聞かないんですよ……」
「それは、知り合って数分の僕も察している」
「あ? なんだ、きらら舐めてんのか?」
「いや、褒めてるんだ」
きららは満面の笑みで答えた。
「なんだよ、褒めてんのかよー。照れるじゃねえか」
「いや、本当にすごいわ……」
たぶん、彼女はどんな逆境にあっても、幸せな人生を送れると思う。
「まあ、それはそれとして――」
雪哉は加古川の後ろに回り込んで耳元で囁いた。
「さあ、幸助さんに暴行を加えた件の謝罪をしましょうか」
「ひい!」
再び涙目になるきらら。
そして、彼女は叫ぶ。
「お、おまえに言われなくても解ってる!」
きららは、うつむき加減で僕の前に立つ。
「えっと……その……」
力無い視線は空を彷徨う。握った拳にぎゅっと力を込めているのがわかる。
そして、弱弱しい声できららは言った。
「暴力振るって、ごめんなさい……」
彼女は泣きそうな目で僕を見ていた。
……そんな風に謝るくらいなら最初からしなければいいのに……なんて小学生に言うのは少しだけ酷かな。
「きらら、いきなり人に暴力を振るうっていうのはいけないことなんだ」
「……うん」
「もう、やっちゃ駄目だぞ」
「……うん」
小さな声で返事をして、きららは目元をぐっと拭った。
「よし、じゃあ、もう許してやる」
「……ほんと?」
「ああ。反省したみたいだしな」
相手は小学生だ。むきになっても仕方がない。この辺りで許してやってもいいだろう。
「まじか、おまえ優しいな……」
「ああ。僕は優しいんだ」
この程度のことで腹を立てていたらそよぎたちとは付き合えない。
きららは曇り空に差した日の光のような笑顔を見せて言う。
「幸助。きららは、おまえ、気に入ったぞ」
そう言って、きららは僕の腰のあたりに、抱き向くようにしがみつく。
……相手は小学生。さすがに小学生相手にへんな気持ちにはならないが、さすがに少し恥ずかしい。
「いや、きらら。気に入ってくれたのはいいけど、離れて――」
「気に入ったから、この体勢からできる投げ技について教えてやる」
「おい、今すぐ離れろ」
彼女はまだまだ油断ならないようである。
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