第83話 御船とお話

「おまえら、そこを動くな!」

 倦怠に包まれた授業中の教室を空気を打ち破ったのは、一人の闖入者があげた怒声であった。

 外部からの侵入者。それだけでも教室に居る生徒達の身を固くさせるには充分であったが、男の手に握られていたものを見たとき、誰もが戦慄を覚えずにはいられなかった。

 男の手に握られていたもの、それは――

「逆らう奴は、撃ち殺してやる!」

 拳銃だった。

 男は黒光りするそれを教壇に立つ教師に向かって突きつける。

「きゃあああっ!」

 最初に叫び声を上げたのが誰だったのかは判然としない。なぜなら、その一声をきっかけに固まっていた生徒達が一斉に騒ぎ出したからだ。

「おい、マジかよ!」

「え? なになに?! どういうこと?!」

「意味分かんねえ!」

 教室は一気に狂乱の空気に包まれる。

 この混乱を鎮めるのは、誰であろうと一苦労だろう。それだけの生徒達の動揺は大きい。

「黙れって言ってるだろ!」

 バンッ。

 男の絶叫と共に、教室に響いた銃声。

 銃声などというものは映画の中でしか知らない生徒達もそれが男の手に握られたものから発せられているということは瞬時に悟ることができた。そして、比較的男に近い位置に居た者には、その拳銃が発する焦げくさい硝煙の香りも感じられただろう。天井に黒い跡がついている。男はあそこに向けて発砲したのだ。

 全員が理解した。

 この男を刺激すれば、あの天井のように自分の身体を凶弾が貫くのだという事を。

 この男は本物の拳銃を持っている。

「おまえら、全員一列に並びやがれ!」

 女生徒は涙を目に溜め、男子生徒は顔を伏せながら、男の言葉に従い、窓際に一列に並ぶ。机が置いてあるため、うまく一列になることは出来なかったが、そのために机を動かして、男を刺激する様な真似は出来なかった。

「おまえら、全員ぶち殺してやるからな!」

 男は狂気に染まった瞳で生徒達を睥睨する。

 先程まで教壇の上熱弁をふるっていた教師も縮こまり、誰ひとり、男を止めることができる者は居ない。


 ――この僕を除いては。


 男には油断があった。

 拳銃という日本社会における圧倒的アドバンテージ。

 それをもって尚、慢心するなという方が土台無理な話だったのだろう。

 男は教室に全生徒がそろっているのかを確認しなかった。

 よしんば確認していたとしても、せいぜい休んでいる人間が居るという程度にしか思っていなかったのだろう。


 ――空席の主が遅刻者として教室の入り口のすぐ裏で息を潜めていた事に気付いていなかったのだ。


 僕は冷静にその虚を突いた。

「よし、まずおまえから撃ち殺――かはっ!」

 僕は背後から廊下に合った消火器を男の頭蓋に向けて勢いよく振り下ろした。

 金属の凶器は男の意識を狩り取るには充分な威力を秘めていた。

 男は拳銃を取り落として昏倒した。

 生徒達は放心した様子で僕を見ている。

 それも止むを得ないことだろう。

 まさか、これほどまでに唐突に救い主が現れるだなんて想像もしていなかっただろうから。

 だから、僕は言ってやる。

「もう大丈夫だ」

 僕の言葉を呼び水に生徒達の間に歓声が弾ける。

 男子生徒は僕に駆け寄り、僕の背中をばしばしと叩き、女子生徒は泣きながら僕に抱きついてくる。

 ああ、なんて気持ちがいい光景なのだろう。

 まるで、夢の中に居るみたいだ――


「いや~、だって夢だもんね~。これ」

 僕の背中でそんな言葉を発したのはどこか聞き覚えのある緩い声。

「ボクの世界の中に来た男の人って、教室に来たテロリストを倒す夢を見ることが多いんだけど、なんでなのかな~」

「は……?」

 僕は事態についていけない。

 僕の背後に立っていたのは、白川御舟だった。ぼさぼさで寝ぐせだらけの無造作な髪をしているが不快感を与えない不思議な容姿。そんな特徴的な少女は見間違いようがない。

 なんで小等部の御舟が高等部である僕の教室に居るんだ?

「あれ~、幸助さんでも、まだ気付かないの? ここ、夢の世界だよ~」

「は?」

「ほら~、他の生徒とか見てみなよ~」

 そう言われて、僕はついさっきまで僕に抱きついていた生徒達に目をやる。

「うっ……」

 改めて確認して漸く気がつく。

 生徒達には顔が無かった。

 輪郭や服装、髪型でそれが「男子生徒」や「女性生徒」であることは認識できる。しかし、肝心の顔が全員のっぺらぼう。つるつるとした仮面の様なそれが顔の部分にある。拳銃を持っていた襲撃犯や教壇に立っていた教師もそうだった。

 そもそも、こいつらはいったい誰だ?

 のっぺらぼうのクラスメイトがいるほど、僕の交友関係は楽しげなことにはなっていない。

 この教室に居る人物はどう見ても人間ではない。

 とすると、おかしいのは僕が一人だけ人間として認識できた御舟の方と言う事になる。

「ここが夢の世界と言ったか……?」

 僕はごくりと息を呑んで、御舟に尋ねる。

「そうだよ~」

 御舟は拍子抜けするくらいあっさりと僕の疑問を肯定する。

「つまり、これは僕が見ている夢の世界ということか?」

「そういうことだね~」

 何の捻りも無い結論に僕は肩すかしをくらう。

 いや、待て。

「この世界が夢なのは納得できる。それなら生徒が全員のっぺらぼうなのも得心が行く。夢の記憶なんて曖昧なものだからな」

 僕は御舟を見据えて言う。

「だから、逆にこうしてはっきりと個人を認識できる御舟の方がおかしいという事になる」

「うん。だから、ここは幸助さんの夢の世界なんだけど~。ボクは自分が眠らせた人の夢の世界にお邪魔できるんだ~」

 またもあっさりと重要なことを言ってくれる。

 まあ、御舟はきっとそういうキャラクターなのだろうな……。

 僕は嘆息して尋ねる。

「まとめると、僕は今御舟の魔法で眠っているから、御舟は僕の夢の中に入ってきているということか?」

「そういうこと~」

「なるほどな。道理で変な夢を見るわけだな」

 御舟の魔法で眠らされたりしたから、こんな妙な夢を見たわけか。

「ん~。それはちょっと違うかも~」

 御舟はぽーっとした顔で言う。

「何が違うって?」

「幸助さんはボクが幸助さんを眠らせたからこんな夢を見ていると思っているみたいだけど、ボクは幸助さんを眠らせて夢の中に入ってきただけで、夢の内容には一切触ってないよ」

「……つまり?」

「だから、テロリストに襲われたクラスメイトを助ける夢を見ていたのは、紛れも無い幸助さん自身だよ」

「おいやめろ」

 夢はその人間の深層心理を反映していると言われている。

 御舟の言葉が事実なら僕は深層心理でテロリストからクラスメイトを助ける妄想に浸る痛い奴ということになる。

 御舟は何を考えているのか解らない笑顔で言った。

「大丈夫だよ、幸助さん。男子中学生は大体同じような夢を見ているから~」

「フォローになってないぞ!」

 クラスメイトをテロリストから助ける妄想は中学で卒業しています(怒り)。


 そもそも、なんで僕は御舟の魔法を喰らったんだろうか。

 僕は自分が眠りについたときのことを思い返す。


「ああ、流石にもう無理……」

 文化祭実行委員の仕事量は尋常でないという噂は当初から耳にしていた。だから、僕もある程度覚悟を持って立候補をしたつもりだったが、考えが甘かったようだ。連日、最終下校時刻ぎりぎりまで作業を行い、資料作りなどは家に持ち帰らざるを得なかった。これと並行してスパイ探しの方もしているのだから、手が回る方がおかしい。

 特にここ二、三日は作業が立て込んでいて、僕はほとんど眠っていなかった。

 寝不足が続くとイライラしてくるのは誰でも同じだ。

 僕はぶつぶつと悪態をつきながら、児童会室を訪ねた。実行委員として雪哉に確認せねばならないことがいくつかあったからだ。

 僕は勢いよく児童会室の扉を開けて――

 そのまま、眠ってしまったのだった。


「いや~ごめん。今日は奥の部屋まで行く気力がなくて入口の傍の机で寝ちゃって~」

「要は僕は今現在児童会室の扉の所で眠りこけているというわけか……」

 廊下で倒れこむようにして眠る男子高校生。それは結構な事件ではないだろうか。

 しかし、状況さえ解ればなんという事は無い。要は今、僕は寝ているだけだ。僕が目を覚ませば話は終わりだ。

「で、どうやったら僕は目覚めるんだ?」

「え? 知らないけど~」

「………………」

 御舟は人を脱力させる気の抜けた声で言う。

「いや、これはおまえの力なんだろ?」

「ボクの魔法は人を眠らせて夢の中に入る魔法だからさ~。目が覚めるかどうかは本人次第だよ~」

「んな?!」

 じゃあ、このまま目覚めないなんてことも――

「ああ、大丈夫。流石にいつかは目覚めるから」

「焦らせるなよ……」

「いつかは解らないけど~」

「くっそ、結構、性質悪いな……」

 人を眠らせておいて目覚めさせる方法は無いだなんて……。

「なんだ、魔法少女っていうのは、みんなそういうもんなのかよ」

「ん~、ボクは義晴さんが担当してる魔法少女以外のことはよく知らないけどね~。ふだん、バトルしないし~」

「ふーん、そんなもの……」

 僕は何か決定的なミスをしている様な感覚にようやく気がつく。

「あれ? 僕が魔法少女について知ってること言ったらまずいんじゃね……?」

 魔法少女には正体隠匿の義務は基本的には無いものの、監査官には正体隠匿の義務がある。つまり、僕が魔法少女の事情に精通していることは絶対に他者に漏れてはいけないことなのだ。

 それを何も考えず口にしていた自分の迂闊さに冷や汗が出る。

 一体自分はどうしちまったんだ……?

 そんなことを考えている僕に御舟は言った。

「一応、前にも言ったけど、夢の世界の中で隠しごとをするのってすごく難しいんだよ。意識だけの世界だからね、思ってることを全部口に出しちゃうのが普通なんだ」

「なるほど、この世界のせいで僕の口は軽くなっているってことか」

「うん、そうだよ~」

 僕はさらに尋ねる。

「今、前にも言ったって言ったか? 悪いがそんなことを言われた記憶は無いんだが」

「前に言ったのも夢の中だしね~。ほら、夢の記憶ってすぐ消えちゃうでしょう~」

「それで記憶にないっていうことか」

 理屈は解らないでもないが、なんとなく不気味であることは間違いない。

 僕は溜め息をつく。

「じゃあ、僕らが初めて会った日、あのときもおまえは僕の夢の中に入っていたのか」

「そうだね~」

 思い返せば、御舟は初対面でほとんど言葉を交わしていないにも関わらず、僕の人となりをほぼ言い当てていた。おそらくは今と同じ様に夢の中で僕は口を滑らせていたのだろう。

「ということは纏めると、御舟は僕の正体を知っているっていうことか」

「うん~。バルバニアの監査官なんでしょう~」

 この状況から御舟の認識を変える術は流石に無い。

「知ってしまったのなら仕方ない。そのことは他言無用で頼む」

 僕は素直に頼む事にする。

「いいよ~。別にボクに幸助さんの秘密をばらすメリットは無いし~」

 やはり拍子抜けするくらいあっさり僕の頼みを承諾する御舟。完全に彼女のペースに呑みこまれてしまっているようだ。

 一応、スパイの容疑者の一人ではあるのだが、六花の話によれば、彼女は白ということ。もう、ここは彼女を信用する他ないだろう。

「そんなことよりこっちに座って、お話しようよ」

 気がつくと御舟は教室の椅子の一つに腰掛けている。先程まで居た不気味な顔の無いクラスメイトは皆居なくなり、教室には僕たち二人だけが残されている。

 能動的に夢から覚める手段がないというのなら仕方がない。幸い、一生目覚めないなんてことにはならない様だし、諦めて僕は御舟の前に座り、会話に応じることにする。

「で? 何を話すんだ?」

「ん~、幸助さんが話してくれていいよ~」

「いや、僕には特に話すことはないんだが……」

 御舟の話が本当なら目が覚めたら僕はまたここでのことを忘れてしまうことになる。それならば、わざわざ会話して何か情報を引き出すという行為も無意味だ。

 よって、僕には今、会話することに益は無い。

 だから、せいぜい御舟への義理以外に今、話をする理由はないのだが……。

「うーん、ボクは話下手だからな~。幸助さんの話が聞きたいんだよ~」

「僕だって話はうまくないんだが」

「それでもボクよりは話せるでしょう? なんたってボクは普段ずっと寝てるから会話力はゼロどころかマイナスだよ~」

 説得力があるのかないのか解らないことを言う奴である。

「それに幸助さんはあの『一顧傾城エンド・オブ・ディステニー』を話術で落としたほどの人って聞いてるよ~」

「『一顧傾城エンド・オブ・ディステニー 』?」

「やだな~、そよぎさんのことだよ~」

「そよぎにも二つ名ついてたの?!」

 初耳だぞ……。

「そりゃあ、そうだよ~。あんなに目立つ人を天王寺さんが放っておくわけないよ~」

「そよぎが目立つのは同意するが、天王寺さん?」

「あれ~? 知らない? 新聞部の部長の天王寺さん」

「ああ、件の天王寺氏か」

 確かこの二つ名システムの発案者だったか……。

 やはり、どちらにしても関わり合いにならない方がよさそうな御仁であることは疑いがない。

 ……まあ、こういう風に考えてる相手ほど関わり合いになってしまうのが世の常なのだが。

「話を戻すけど、そんなそよぎさんを落とした幸助さんの巧みな話術がボクは聞きたいな~」

「話術ってな……そんなもんは無いし、仮にあったとしても何かお題でも出してもらわないと喋りにくいし」

「じゃあ、『好きなエアコン配管の種類』とか」

「話題が膨らむ気がしないわ」

 百戦錬磨のトーク番組の司会でも、そんな話題で話すのは無理だろ。

「そうか~残念。でも、ボクも別に興味ないからいいか~」

「ならなんでそんな話題を振ったのかと突っ込みたいが、まあいい」

 そこで僕は気が付く。

 そうだ、僕にはひとつ必殺の小話があったじゃないか。

「仕方がないな、ここは一つ僕のすべらない話をしてやろう」

「え~、なになに~、気になる~」

 僕は言い放つ。

「題して、『オオサンショウウオの足』だ!」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「だから、僕は言ってやったのさ。『おまえのオオサンショウウオには、いったい何本足があるんだ!』ってね!」

 どうだ……!

 これは僕の渾身の小話だった。

 以前、そよぎに話したときは、そよぎは大ウケで、この話を絶賛していた。この話なら間違いなく場は盛り上がるはずだ。

 すると、御舟はなぜか困惑したような様子で言った。

「えっと……」

「どうだ、この話は?」

「う、うん。まあ、よかったかな……」

 御舟は歯切れ悪く言って、僕から目を逸らす。

 そんな様子を見て、僕は思わず呟く。

「まさか、面白くなかったというのか……」

 御舟はそれに応えて言った。

「いや~……。独特の感性だな~とは思ったけど……」

「そんな! そよぎには大ウケだったのに!」

「ああ。だったら、幸助さんとそよぎさんは感性が合うんだね~」

「………………」

 交際相手と感性が合うんだったらそれは喜ばしいことなのだろうと思うが、何故だろう、素直に喜べない。

 僕はくさくさした気分で御舟に向かって言う。

「なにはともあれ、僕は話したんだから次は御舟の番だ」

「え~、ボクには特に語れる話は無いんだけど……せいぜい『雪哉さまが泣いた話』ぐらいで、全然面白い話はないかな~」

「待って、その話題詳しく」

 むしろ、めっちゃ気になるんだが。

「別に大した話じゃないからやめよう~」

 と、あっさりと僕の提案を却下した御舟は続けて言う。

「いや~、前にこうやって話をしたときも思ったけれど、やっぱり幸助さんは不思議な人だね~」

「不思議? 御舟の方がよっぽど不思議ちゃんなんだが」

「まあ、ボクが不思議ちゃんなのはそういうキャラ付けだけど」

「そのキャラって作ってるのか……」

 なんか僕の周り、そういう奴多くないか……。

 御舟は淡々とした口調で言う。

「幸助さんの不思議さは、冷たさと温かさを同時に持っている様な点だよ」

「冷たさと温かさ……?」

「そうだよ~。幸助さんはきっと大切な人を守るためだったら、どんな手段でも取れる人でしょう~」

「………………」

 僕は御舟の言葉に無言で返す他無い。

 それは彼女の人物評が的を射ていたからでもあったし、同時にそれを簡単には認めたくない自分が居たからでもあった。

 そんな僕の様子を意に介さず、御舟は続ける。

「だけど、普段はそんな様子を微塵も表に出していない。ボクが気付けたのだって心が剥き出しになる夢の世界で会ったからだし~。それくらい普段の幸助さんは、周囲の人間を気にかける優しい人なんだろうね~」

「……自分ではそんなことを考えたこともないけどな」

 僕を優しいと評する御舟。

 その評価は僕を冷酷と見なす評価よりもなお受け入れがたいものだった。

 それは、僕が今現在、誰よりも大切な人であるそよぎを傷つけ続けているからだ。

「僕はそよぎに対して、本当は優しい言葉をかけてやるべきだったんだ」

 夢の中だからだろうか。僕は思わずぽろりと言葉を漏らしてしまう。

 僕は、そよぎが自分の魔法で僕を洗脳しているんじゃないかと知ったときに何も言わなかった。優しい人間だったら、きっと、そよぎを救ってやる言葉をかけてやれたはずだ。

「一応、言い訳はあるんだけど、そよぎを傷つけてしまっていることには変わりは無いから」

「そうやって『なやみ』続けるあたりが優しいんじゃないかな~とボクは思うよ」

「甘過ぎるだろ、そんなの……。その程度で認められるなんてイージーモードもいいとこだ」

「幸助さんは、現実世界ではいろんなことを全て自分で貯め込んでるもんね。」

 僕の考えをどこまで読んでいるのか解らないが、御舟は解ったような口をきく。

「いいんだよ、夢の世界でくらい楽になったって」

「………………」

 いいのだろうか。僕とそよぎを取り巻く世界の状況は複雑だ。そよぎは自分のことを何も理解していない以上、僕がしっかりと彼女を守らなくてはならない。そんな僕が気を抜いていいはずがあるだろうか。しかも、一応は白と判断したとはいえ、スパイの容疑者のひとりの前で、だ。

「いいんだよ」

 御舟は優しく目を細めている。

「………………そうか」

「そうだよ~」

 僕は御舟の気の抜けるような声に思わず苦笑する。

 そして、御舟は言った。

「どうかな? 夢の中で話をしてみて、少しは気分が晴れたかな?」

「あ……」

「幸助さん、疲れてるみたいだったから」

 そういえば、連日の仕事から来る疲労感がない。それは夢の世界に居るからだと思っていたが――

「あ、そろそろ目覚めの時間みたい~。世界が閉じようとしてるから、ボクは行くね~」

 いつの間にか教室は消え失せ、僕と御舟以外のものは何もない無の空間へと変貌していた。僕は感覚で理解する。これは僕が覚醒へと近付いているということか。

「御舟」

 煙のように消えようとしている御舟に向かって僕は言う。

「ありがとな」

 すると、御舟は――

「いいえ~」

 花が咲く様な笑顔でそれに応えたのだった。


「は!」

 なんだ? 何がおきたんだ?

 僕は自分が床に倒れ込んでいたことを認識する。そして、その理由を少しずつ思い出していく。

「そうだ、僕は児童会室に用があって、扉を開けたら……」

 児童会室中央に置かれている長テーブルの一角に居た人物は言った。

「おはよ~、幸助さん。よく眠れた~?」

 白川御舟。

 児童会の会計担当にして魔法少女。

 彼女が眠っている姿を他人が見ると昏倒するように眠りに落ちてしまう。そんな厄介な性質の魔法を彼女は習得していた。

「僕はおまえを見て、眠ってしまったというわけか」

「そういうこと~」

「たくっ、忙しいというのに、眠りこけてしまったとは」

「――でも、すっきりしたでしょ~?」

 無垢な瞳で僕を見る御舟。

 僕が眠ってしまったのはどう考えても御舟がこんな所で眠っていたのが悪いのだが……。

「まあな」

 不思議と彼女を責める気は起こらなかったのだった。


「ん? おまえ、何食べてるんだ……?」

「ん~これ? 羊羹だよ~、これが目の前に落ちてきたから目が覚めたんだ~」

「羊羹が落ちてくる……?」

 僕には状況が飲み込めない。とりあえず、僕が目覚めることができた理由は御舟が羊羹につられて目を覚ましたからのようだが、この羊羹はいったいどこから――

「ふう……です。うまくいったようです」

「陽菜」

 入口の扉の方をふりかえると、そこに立っていたのは鈴川陽菜。この児童会の書記にして魔法少女。そして、御舟の幼馴染でもある。

「渡辺先輩、大丈夫です? 先輩は御舟ちゃんを見て、眠ってしまったようなのです」

 陽菜に尋ねられ、僕は答える。

「ああ。この羊羹は陽菜が?」

 僕が尋ねると――

「はいです。ああ、先輩がまたここを訪れる機会もあるでしょうから、この部屋への正しい入り方をお教えしておきますです」

「正しい入り方……?」

「いいですか、見ていてくださいです」

 そう言うと陽菜は児童会室の扉の外に回る。

「まず、児童会室の前で眠気や倦怠感を感じないか確認です。この時点でそういった兆候がある場合は、御舟ちゃんが入り口付近で眠りこんでいる可能性が高いです」

 さらに陽菜は続ける。

「慎重に扉の一部を開き、中を確認しますです。このとき、完全に中を覗き込んでは駄目です。最低でも横目で確認。出来ればハンドミラーによる間接確認が望ましいです」

 そして、陽菜は手に羊羹を握って言う。

「そして、御舟ちゃんが入り口付近で眠っていると確認できたら、扉の隙間から御舟ちゃんの鼻先へ向けて、羊羹を放り込みますです」

 そして、陽菜は扉を開けて言った。

「そして、御舟ちゃんの覚醒を確認の後に入室するです」

「軍隊の屋内突入かよ」

 この児童会への訪問はなかなか骨が折れそうである。

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