第81話 ふぶきの秘密
「渡辺先輩はご自分が異性に対して魅力的な男性であるとお考えですか?」
「は?」
僕はあまりに唐突な質問に呆気に取られ、言葉を失う。
「異性がなんだって……?」
「ですから、先輩は自分が女性にモテるタイプだという風にお考えですか?」
何の脈絡も無くこんな質問をぶつけてきたのは、中等部図書委員長の新宮司ふぶきだった。
場所は中等部図書館。僕は文化祭実行委員のひとりとして文化祭の企画の一つである「図書委員推薦本紹介」の打ち合わせのために、六花と共に中等部の校舎を訪れていた。塔坂学園は小等部、中等部、高等部の三つの区画から出来ている。田舎という立地の強みを生かした広大な敷地面積はうちの学園の売りの一つであり、三つそれぞれの校舎も一つの校舎だけで普通の学校並の大きさをしている。高等部から編入した僕が中等部を訪れるのは、ほとんど初めてのこと。なかなか新鮮な体験をしている心持ちだ。
そんな場所で新宮司ふぶきの仕切る図書委員会の面々と打ち合わせを終え、皆が図書室から退室していく中で、彼女に唐突に先程の様な問いを投げかけられたのだ。
僕は直感で悟る。
ああ、これはまた面倒なことになる。
新宮司ふぶきは魔法少女のひとりであり、今現在僕が追っているフレミニアンのスパイ候補のひとりなのだが、彼女が『白』であることは、既に六花の魔法によって確認済だ。だから、僕から彼女に対して、文化祭実行委員としての仕事以上の関わり合いを持つ必要はまったくないのだが……。
「どうお考えなんですか?」
彼女はそうは思っていないようである。
新宮司は、端的に言えば、僕の彼女である愛原そよぎに対して、単なる先輩以上の憧れを抱いている。
要するにこの娘はそよぎに惚れているようなのだ。
つまり、僕の彼女であるそよぎに対して恋情を抱く新宮司にとって、僕はにっくき恋敵というわけなのだ。
それを踏まえた上での先程の質問。
僕が異性に対して魅力があるかだと?
そよぎに対する想いという前提条件がなければ、新宮司の言葉は意味不明だが、それを知った上で考えれば何が言いたいのかはおのずと察せられる。この娘は、ストーカー染みた……いや、紛うことなきストーカーなのだが、どうやらいいとこのお嬢様の様であり、どうも迂遠な物言いをする癖があるようだ。
要するに意訳すると「なんでてめえみたいなブサメンヒョロガリがそよぎお姉さまと付き合ってるんだ、ゴラァ」という事になる。
僕は関わり合いになる事を避けたくて、助けを求めて隣に座っていたはずの六花に目を向ける。
(すでに居ない……だと……!)
なんという逃げ足の速さ……。めんどくさい展開になることを察して速攻で逃げ出したか……。恨むぜ……。
とはいえ、逆恨みなのは間違いないし、いずれこの子とは正面から対峙しなくてはならないのだ。
僕は覚悟を決めて問いに答えることにする。
「僕が異性に対して魅力……そんなもんは特にないと思うけど」
「その通りですよね」
「うん、まあ、そんな力強く肯定されると流石にちょっとへこむけど」
「では、なぜそよぎお姉さまは、貴方なんかとご交際されているので?」
ついに「なんか」呼ばわりである。
「あー、それはだな」
僕は自分が思っていた以上にめんどくさい事態に直面している事を理解する。
僕がそよぎと付き合いだした理由を、真に説明しようとすれば当然、魔法少女の話に踏み込まねばならない。問題はそこだ。非常にややこしい話なのだが、新宮司自身も魔法少女であり、新宮司はそよぎが魔法少女であることは知っている。
だが、僕が魔法少女を見張る立場である『監査官』であることは知らないのだ。
僕が『監査官』であることは当然秘密だ。
そよぎたちが僕の正体を知っているという状態も本当はアウトなのだ。
そんな秘密を僕に対して悪感情しかない新宮司が知ってしまえばどうなるか……。
想像に難くない。
つまり、僕は自身の正体を秘匿しながら、新宮司に僕がそよぎと付き合い始めた理由を納得させねばならないのだ。
「どうなんですか? どういう理由で付き合い始めたんですか?」
新宮司は大きな瞳で下から僕を覗き込む。中学生にしては大人びて見える彼女だが身長は低い。平均的な男子高校生の身長の僕を下から睨むような形になる。
「ええっとだな……僕がそよぎに一目惚れしてだな……」
気恥ずかしいがこれは嘘ではない。
「そんな当たり前のことは聞いていません」
「当たり前って……」
「そよぎお姉さまを見て一目惚れしない人間なんていませんから。いや、神や悪魔であろうともお姉さまの美しさの前ではひれ伏すでしょうに……。ですから、お姉さまに一目惚れした、などというのは『私は呼吸をしています』という様なもので、わざわざ宣言する様な内容ではないのです」
なぜか新宮司は恍惚の表情を浮かべている。
なんだ、この娘、やばい薬でもきめてんのかな……。
僕も大概そよぎを持ち上げている方だと思うが、この娘のそよぎに対する評価はどこか宗教染みてすらいる。
「ですから、私が尋ねているのは、その後です。なぜ貴方の様な凡俗と天壌無窮の美を持つお姉さまが付き合い始めたのかを聞いているのです」
結局、話は一つも進んでいない。
この娘は、なぜそよぎが僕と付き合うことを了承したのか説明しないと納得しないのだろう。
「あー、それはだな、たぶんだが、そよぎと僕の趣味が合ったからかな……?」
僕は嘘でもないと言えるギリギリのラインをついてみる。
「趣味ですか。具体的にはなんでしょうか?」
新宮司も追及の手を緩める様子は一切ない。
「そうだな。マンガとかラノベとか……そういうのの趣味が合うんだよ」
実際、僕とそよぎのマンガ趣味はわりと一致している。そよぎが金にあかせて色んな作品を乱読している(完読とは言ってない)いるので、大体のマンガの話には対応できるのだ。だから、僕とそよぎは特に話すことがないときはよくマンガの話をしている。
「それがお二人がお付き合いなされている理由ですか?」
「まあ、そうかな……」
「納得できませんね」
新宮司は僕を睨んだまま言う。
「それだけのことでしたら他にいくらでも同じ趣味を持っている人がいるはずです。マンガなんて他に同行の士が居ないなんて状況は考えにくいくらいにメジャーな趣味ですから」
確かに新宮司の言う事は的を射ている。
「それに」
新宮司は薄い胸を張ってなぜかちょっと勝ち誇ったように言う。
「失礼ですが、渡辺先輩よりもそよぎお姉さまとはマンガの趣味が合う自信があります」
「へえ、意外だな」
僕は勝手なイメージだが、新宮司はお嬢様でマンガなんてまったく読まない様な人種なのかと思い込んでいた。
「ああ、確かに私は昔はあまりマンガを読んだことはありませんでしたね」
僕の考えている内容に気がついたのだろう。新宮司はそんなことを言いだした。
「そよぎお姉さまがマンガ好きというお話を聞かせていただいてから、マンガを読むようになったのです」
またこいつは筋金入りだなと思いながらも、僕は何気なく反論する。
「最近読むようになったのに、僕よりそよぎと趣味が合う自信があるのか」
僕はそよぎを取り合う相手への意識というより、一人のマンガ好きとしてちらりと対抗意識を出してしまう。僕の知る限り新宮司がそよぎと知り合ったのはここ最近。それ以来、マンガを読むようになった程度で真のマンガ好きを名乗ってもらっては困ると思ってしまったのだ。
「ええ、なんて言ったって」
新宮司は事も無下げに言った。
「そよぎお姉さまの本棚、書斎にある作品については全て読破しましたもの」
「は……?」
僕は彼女の言葉を理解して絶句する。なぜなら、そよぎのマンガの蔵書量は半端ではない。僕も最近知ったのだが、そよぎは自室の本棚の他に専用の書斎も持っていて、そちらの蔵書も合わせれば、彼女のマンガの所有量はちょっとした図書館ぐらいの状態になっているのだ。
「いや、それは無理だろ……」
いくらマンガ好きの僕でもあの量を一月やそこらで読破できるとは思えない。それこそ、それ以外に何の行動もせずにマンガだけを読んでいればぎりぎりなんとかなる量かもしれないが……。それを今までほとんどマンガを読んだことが無かったという新宮司が読破するというのは流石に無理が――
「証明しましょうか」
新宮司はにやりと笑って言う。
「『最果てへのパラダイムシフト』」
新宮司が唐突に言ったのは、そよぎが最近気に言っていると言っていたSF作品のタイトルだ。
「『20XX年、人類は滅びに直面していたことに漸く気がついた』」
それは確か作品の冒頭のナレーションだったはず。
「『おいおい、ジョナサン、どうした? 呆気にとられた顔して遂にかみさんに逃げられたか』『……トーマス。俺はもう駄目だ』『おいどうしたって言うんだ』『悪魔が見える……!』」
新宮司は臨場感たっぷりに次々と台詞を読みあげていく。
まさか――
「『悪魔は世界を覆い尽くしていた。そして、人間は滅んだ』」
「全部覚えたっていうんじゃないだろうな……」
僕はまさかと思いながら尋ねてみる。
すると新宮司は恍惚の表情を浮かべて天井を見上げながら言う。
「今の私にとってそよぎお姉さまは神に等しい……いえ、神よりも貴いお方……!」
そして、新宮司は真顔になって僕を見て言う。
「そのお姉さまの愛読書は私にとって聖書に等しい……なぜ、敬虔なる信徒の私が暗唱できないはずがないでしょう」
「信者恐るべし……!」
そよぎはその作品の絵が好きなだけで、話が難解だから途中までしか読めていないことは黙っておいた方がよいだろうな……。
そして、まだまだ新宮司の話は終わる気配を見せない。
「趣味が合うのは解りました。まあ、それは百歩譲って認めましょう。しかし、先程申したように、それだけでは納得できかねます。なぜなら、それくらいの趣味なら他にも合う人間が居たはずですから」
新宮司は言う。
「ですから、結局、決め手はなんだったんですか?」
正直言って、僕はこの娘の相手をするのが煩わしくなってきていた。先程も言ったが、僕にはこれ以上この娘に関わる理由はないのだ。友好的に接してくれる相手ならいざ知らず、このように敵意を向きだしで迫る相手に優しくできるほど、僕の器は大きくない。
僕は話を打ち切るつもりで、腹をくくって、半ばやけくそ気味に言う。
「僕がそよぎに告白したからだよ……!」
年下の中学生女子に何の話をしているんだと思ったが、もはやこれ以外に新宮司を納得させる方法は無いと思い、はっきりと言い放ってやる。
「納得できません」
「僕の渾身の告白をばっさりと」
「なぜなら――」
新宮司はまたうっとりとした表情をして言った。
「愛の告白なら、私もしておりますもの」
新宮寺は事も無げに言い放つ。
そして、新宮寺はどこかばつの悪そうな顔をして、言う。
「いえ、私だって自覚しております。愛の告白とは一世一代のものであり、尊きものです。むやみやたらと愛を囁くということがはしたなき行動とは重々承知の上です」
新宮司はどこか言い訳染みた口調で言う。
「それに本当の愛の告白は面と向かってするものということは理解しているのですが、今の私はそよぎお姉さまの半径五十メートル以内に近寄ることを制限されています」
「制限?」
「ええ。そよぎお姉さまの半径五十メートル以内に立ち入る時は事前に予約する必要があるのです」
「美容院かなんかかよ」
「それでも、近寄ることすら許されなかった以前に比べれば、この程度、物の数ではありません」
そう言えば、前にそんなことを言っていたな。以前は近寄るなと言われてたんだよな……。
確かにそのときに比べれば二人の関係は改善しているようである。
事実、僕は最近、二人がにこやかに話している光景を何度か目にしている。
「ですから」
新宮司は何故か少し顔を赤らめて呟く。
「毎日の告白が手紙であるというのも、無理からぬ措置なのです」
「毎日、告白してるのか……」
新宮司からの愛の手紙は毎日下駄箱に入れられているらしいです。
僕は新宮司の話を聞いていて、気づいたことをぽつりと呟く。
「そういや、その『半径五十メートル以内に近寄るな』とか、そういう約束はきちんと守ってるんだな」
僕は容疑者として新宮司を追っていたときのことを思い返す。確かにこいつはストーカーなのは間違いないのだが、必ず遠くからそよぎを見ていた。その理由は今にして思えば、そよぎとの約束があったからなのだ。
僕の言葉に新宮司はきょとんとした顔をして答える。
「約束を守るのは当然のことでしょう?」
新宮司は言う。
「約束したのなら守るのは当然のことと思います。それは誰が相手であろうともです」
「へえ」
僕は何故だか少し嬉しくなる。この娘と初めてそよぎに関わらないことの話をしたような気がするからだ。そよぎへの妄信的な愛さえなければ、普通のいい娘なんだよなと思う。
「ああ、もちろん、そよぎお姉さまとの約束はもっとも尊いものであることは間違いありませんが」
もはや、この娘とそよぎを切り離すのは無理そうだけど。
話は一段落したかと思ったのだが、新宮司はまた話題をもとに戻しにかかる。
「ですから、結局なぜ渡辺先輩がそよぎお姉さまと――ちょっとすいません」
そんな言葉を途中で止めたかと思うと彼女はブレザーの内ポケットからスマートフォンを取り出す。
「嘘、なんで……?」
新宮司は何故かスマートフォンの画面を見て、なぜか動揺している。
「今日はお姉さまは部活だから、まだ校内に居るはずなのに……!」
新宮司がよくわからないことを言い出した直後だ。僕のスマートフォンが震え、そよぎからのラインメッセージが来る。
『なんか早く帰ってこいって言われたから先に帰るね』
メッセージの後にキモカワイイうさぎが「ごめんね」という看板を持ったスタンプを貼っているあたりがそよぎらしい。今日は一緒に帰る約束をしていたのだが、どうやらそよぎは先に学校を出たらしい。
僕は深い意図はなく世間話のつもりでぽつりと漏らしてしまう。
「なんかそよぎは今日は先に帰るってよ」
「な、なんですって……なるほど、それでGPSが反応したんですね……」
GPS……?
不穏なワードを僕が問い詰めようとすると、
「こうしてはいられません。ふぶきはお姉さまを追いかけなくては」
「ちょっと……」
「渡辺先輩、話はまた後日」
「いや、ちょっと待て」
「失礼します」
そう言ってふぶきは図書館を飛び出して行く。
「ふぶきはお姉さまの半径五十メートル以内に参りますー!」
新宮司は嬌声を上げて、すごいスピードで僕の目の前からいなくなった。
「ええー……」
僕は明日そよぎの持ち物検査をしなくてはならないと思いながら家路に着くのだった。
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