第75話

「スケッチ、すまなかった」

 文化祭初日、僕は実行委員として朝から現場を走り回っていた。機材の発注ミスで屋台の機材が足りなかったり、ステージの進行表の記載ミスで発生したトラブルに対処したりとやる事は山積みだった。そのため、朝から自分の教室に顔を出す余裕もなく、昼休み間際になってやっと一息ついた矢先のことだった。

 中庭のベンチで数分の小休止をしていた僕の前に現れたのは、凪だった。

「お、やっと学校に来れたんだな」

 例の甘南備山でのやり取りから数日。凪はずっと熱を出して寝込んでいたのだ。一月以上身体の主導権を他人に奪われていたため、すぐに復調するのは難しかったようだ。僕も本当はお見舞いに行きたかったのだが、文化祭実行委員としての仕事が立て込んでいて顔を出す事は出来なかった。だから、今日、事件後初めて凪と再会したというかたちになる。

「また迷惑をかけちまったな、ごめん」

 凪が似合わない神妙な面で僕に頭を下げる。

 僕はそんな凪に向かって言う。

「そういうときは、ごめんじゃなくて、ありがとうだろ」

 僕がそう言うと、

「あはは……おまえ、そよっちと同じこと言うんだな」

 凪は顔を上げて力無く笑った。

「まあ、マンガやドラマで使い古された台詞だしな」

 僕は適当な軽口を叩いてから尋ねる。

「おまえ、本当にバルバニアの方からは、おとがめなしで済んだんだよな」

 凪はまた表情を引き締めて答えた。

「ああ。あのあと、何度かおまえらとは別の捜査員から取り調べを受けたけど、特に処罰はされていない」

 初めは僕と六花が取り調べを担当しようとしたのだが、それは却下された。確かに僕や六花では凪に対して公平無私な目で見ることは不可能。仮にとりつかれていた凪自身に悪意があったとしても、情けをかけて見逃しちまうだろうからな。

 偽凪の取り調べについての情報を聞く限り、凪は偽凪の記憶をうまく消してくれていたらしい。そよぎの魔法がバルバニアに漏れたということはないようだ。

「ならよかったよ。僕らも骨を折った甲斐があったというものだ」

 偽凪が犯人である可能性に思い当たったときに僕が恐れたのは、上層部が操られていただけの凪までを処罰しないだろうかということだった。バルバニアという国は何も正義の国というわけではない。「疑わしきは罰せよ」という方針で、凪を処断するというシナリオも考えられた。

 まあ、だからこそ、そうならない様に『保険』はかけておいたのだが。

「むしろ、おまえは大丈夫だったのかよ?」

「僕か?」

「おまえの立場は魔法少女に明かしちゃダメなんじゃなかったか?」

 凪の疑問は最もだ。

「確かに監査官はその職務の性質上、監視対象である魔法少女に自分の身分を明かすことが禁じられている」

 これは以前説明した通りだ。

「だが、これは緊急時には適用されない。スパイが軍の内部に居るなんていう事態を緊急事態と言わずして、なんというのか」

「はあ、なるほどなあ」

 まあ、その辺りは口で言うほど簡単ではなかった。そよぎたちに正体を明かしたのは「スパイを捕まえるために仕方なく」ということにした。実際にはスパイ騒動が始まる前に既に身分を明かしてしまっていたのだが、その辺りの矛盾には気付かれないように舌先三寸でなんとか誤魔化した。こういう人を煙に巻くような話は得意だ。まあ、実際には心臓バクバクだったがな。

「みんなに迷惑かけちまったな」

 凪はしんみりとした様子だ。

「特にスケッチには借りを作りっぱなしだな」

 凪は僕の隣に腰掛けながら言う。凪の表情は暗い。きっと、操られていたとはいえ自分がスパイ活動をしてしまったことへの罪悪感があるのだろう。

 僕はひとつ息をついてから言う。

「笑えよ、凪」

 凪は僕の方を向く。

 凪にはそんな表情は似合わない。

「おまえはいつもみたいに馬鹿みたいに笑っていればいいんだよ」

 おまえの笑顔に、僕は勇気づけられてる。

 そんな台詞まで言おうと思ったけど、やめた。

 流石に気恥かしいからな。

 でも、そんな僕の気持ちは凪には伝わったようだった。

「あはは、そっか。あたしが笑ってないと、変か」

「そうだな。ついでに僕が反応に困るような下ネタでも言ってくれれば、なおグッドだな」

 僕が適当な冗談を言うと、

「この借りは身体で返さないとな、とかか」

「ははは、凪らしいな」

 僕はそんな凪のジョークを笑い飛ばす。

 そして、凪は小さな声で呟く。

「別に冗談じゃなくてもいいけどな……」

「え?」

 僕は思わず、凪の方を見て――

「げふっ」

「やーい、ひっかかったな」

 凪は人差し指を僕の頬に突き刺していた。

 小学生みたいないたずらに、僕は思わず噴き出しそうになる。

「てめえな……」

「なんだ、本気にしたか?」

「ああ、するね! めっちゃ本気にするね! 童貞なめんなよ!」

 僕はやけくそで訳の解らないことを叫ぶ。

 ああ、やばい。僕の叫び声に、周囲の生徒が僕の方を見ていた。

 僕は声を潜めて呟く。

「まあ、調子出てきたみたいでよかったよ。まあ、その調子でせいぜい頑張ってくれ」

 凪はいつもの満面の笑みになって言った。

「ああ」

 僕はそれをみてそっと胸を撫で下ろすのだった。

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