第50話
「どういうことなの」
詩人で無い僕が、そよぎの美しさを語る言葉を持たないのと同じ様に、ただの高校生である僕は今のそよぎの怒りを形容する術を持たなかった。ただ、間違いなく言えるのは、そよぎの怒りは過去最上級のものであるという事だ。
現在は放課後。転校生がいきなり僕に抱きついた一件で教師に事情聴取として拘束され、結局解放されたのがついさっき。僕は被害者であるということが解り、なんとか解放してもらえたが、セシリアの方はまだ捕まったままである。
教室には、そよぎ、凪、風音に加えて、雪哉も居た。雪哉はそよぎの弟。見た目は女染みた顔の美少年だが、中身は実の姉に欲情するシスコンにして、男の僕にすら肉欲を抱くド変態である。
なぜか僕は床に正座させられ、その周囲を四人がぐるりと取り囲んでいる。
「さあ、事情を説明してもらうよ」
他の三人もそよぎからほとばしる怒気に当てられ何も言えないようである。
僕は覚悟を決めてすべてを話すことにする。
「あの少女は、バルバニアの人間です……」
「バルバニア?」
そよぎが僕の言葉を復唱する。
バルバニアとは、異世界に存在する魔法の国。そよぎたち魔法少女はバルバニアから来た魔法使い愛原雪哉ことリューギニア・リューフリクスと契約したことで魔法少女となっている。セシリア・ストレンツァーもまたリューギニア・リューフリクスと同じようにバルバニアから来た人間だ。
「おそらく魂的共鳴を使い、こちらの世界に渡ってきたのだと思います……」
魂的共鳴とは、異世界に居る同じ魂を持つ人間に、魂だけを移す技術。この力を使うことでバルバニアの人間はこちらの世界にやってくる。
「なるほど……じゃあ、あの転校生の中には異世界の魔法使いの魂が入っていて、その魔法使いの名前がセシリアってこと?」
「はい、おっしゃる通りです……」
普段のそよぎではありえない様なスムーズな理解。怒りが彼女の脳の構造まで変えてしまったのだろうか。
「で?」
そよぎは冷たく言い放つ。
「……で、と言いますと」
逆に僕はそよぎの怒気に当てられて畏縮するばかりである。
「まだ、説明してないこと、あるでしょ」
「はい……」
僕はすべてを語るまで解放されないことを悟り、素直に言葉を紡ぐ。
「セシリアは……僕のバルバニアでの人格『ワルド・カルドキア』の幼馴染です」
『幼馴染』という言葉に、凪と風音が反応していたが、そよぎの方をちらりと見て、とりあえず口を挟むのをやめたようだ。
『ワルド・カルドキア』とは、僕のバルバニアにおける魂的共鳴者。端的に言えば、異世界で過ごした自分だ。その『ワルド』としての人格も、今、僕『渡辺幸助』の中に存在する。そして、異世界で過ごした『ワルド』としての日々は単なる情報ではなく、経験として蓄積されている。つまり、『ワルド』にとって幼馴染であるならば、僕『愛原幸助』にとっても幼馴染と同じということである。
「まあ幼馴染は別にいい。幼馴染が居ること自体は罪ではない」
そよぎは普段からは想像できないような威圧感に満ちた言葉を吐く。
そして、そよぎはしゃがんで、正座する僕に目を合わせて言う。
「『旦那さま』とは、どういう意味?」
その瞳には、一切の光は無く、深い闇が滾々と湧き出している。
僕は震える身体を叱咤しながら答える。
「昔の話です……」
「ちょっと言ってる意味が解らないんだけど」
今のそよぎには一切のごまかしは通用しない。
僕は意を決して告げる。
「セシリアは……ワルドの元妻です……」
「つ……ま……」
流石にこの発言は予想外だったのだろうか。そよぎは僕の言葉によろめき、ぺたんと尻餅をつく。
「『つま』というと……」
「はい……」
「お刺身と一緒に入っている細切り大根のことでは……」
「ないです……」
そよぎもだいぶ混乱しているようである。
「そういうことだったのか……」
なぜか凪がショックを受けた様な顔で呟く。
「スケッチが童貞でありながら、時々非童貞染みたことを言ったのは、異世界でヤりまくってたからか……」
「そういう言い方はやめろ……」
確かに、まあ一時は結婚していたので、それなりの行為に及んだこともあるからあまり強く反論できないが……。
「ということは……」
風音が僕を蔑む目で見ながら言った。
「おまえはバツイチであることを隠したまま、女子高生と付き合っていたということだな」
「いや、そうだけど、そういう言い方だとなんかニュアンスが……」
僕が未成年に手を出そうとしている犯罪者みたいじゃないか。
「そん……な……」
そんなことを言いながら、雪哉は床にくずおれ落ちていた。
「僕が狙っていた幸助さんの初めてが既に奪われていたなんて……」
「何番目であっても、おまえにその順番は絶対に訪れないから安心しろ」
「あ、ア○ルは? アナ○は未使用ですよね?!」
「そのきたねえ口を閉じろ」
こいつはもう無視しておこう。
「つ、つま……」
そよぎはそよぎでまだ衝撃から立ち直れていないようだ。
無理も無いだろう。自分の恋人が実はバツイチだったと聞かされたことになるのだから。
「だが、僕にも言い分はある」
まず、バツイチとは言っても、それはあくまで異世界の『もう一人の自分』の話。
渡辺幸助としての自分は、もちろん、結婚などしたことは無いし、それ以前に女の子と付き合ったことだってない。異世界の自分の経験をもって、バツイチだと見なされるのは、納得がいかない。
それに百歩譲って僕がバツイチなのだとしても、少なくともセシリアは元妻。切れていることは間違いないのだ。先程、いきなり抱きつかれた件は不可抗力として、現在僕とセシリアとの間には何の関係もない。それを責められる謂れはないはずだ。
僕はこの様なことを主張した。
「いや、それはそうなのかもだけど……」
そよぎは何かひっかかるようで、納得できない顔つきである。
「なんか丸め込まれてる感じがするよな」
「まあ、普段が普段だからね」
凪と風音がひそひそと耳打ちしあっている。ひどい言いがかりをつけられていた。
雪哉が一歩進み出て悲壮な表情で言う。
「わかりました……ぼくが初めてでなくても構いません! ぼくは幸助さんを受け入れます!」
「おまえは引っ込んでろ」
雪哉の承認なんか求めちゃいないんだよ。
肝心のそよぎは、未だ混乱の渦中。
「ええ……幸助くんは結婚してて……でも、私はしてなくて……あれ? それってつまりどういう……」
「あの……」
「でも……今はしてないわけだから……うーん?」
「そよぎさん?」
「つまり、私たちが……」
駄目だ。この話はそよぎのキャパシティを完全に超えてしまったようだった。しばらくは正気を取り戻しそうにない。
仕方がない、時間を置いてまた話しあおうと思った瞬間――
「やっと見つけましたわ! 旦那さま!」
甲高い声を上げて教室に入ってきたのはセシリアだった。
「げっ!」
またややこしいタイミングで戻ってきやがる。
「………………」
そよぎが、ぎろりとセシリアを睨む。混乱によって散っていた怒気が俄かに収束し、一本の鋭い槍のようになる。その切っ先は確かにセシリアの心臓を捉えている。
しかし、セシリアはそよぎのそんな様子に気がついていないのか、まったく意に介する様子もなく、僕たちの方へと向かってくる。僕はまた彼女が僕に抱きつこうとするのではないかと思い、立ち上がって身構える。
しかし、予想に反してセシリアは僕の眼前で立ち止まった。
改めて観察すると、セシリアの容貌はバルバニアに居た時とまったく異なる。それも当然。魂が同じであっても肉体も同じであるとは限らない。肉体は環境に依存するところが大きい。だから、僕が今日、セシリアと会ったとき、すぐに彼女と解らなかったのも無理からぬことなのだ。
「旦那さま、聞いてください。ここの教師ったら酷いんですよ。妻たる私が旦那さまをハグするのは当然の権利。にも関わらず、私が悪いと糾弾するのです」
「そりゃ、教室なんて公の場で堂々と女が男に抱きついたら指導の一つも入るだろう……」
むしろ、きちんと指導してもらわねば困る。
「でも、ただのハグですよ。こちらの世界でも、ハグは挨拶代わりという文化だったはずです!」
「それは西洋の話だ。日本にそんな文化は無い」
「つまり、いきなり公衆の面前でハグ以上の行為に及んでもいいと?」
「そんなわけねえだろ、逆だ、逆!」
「逆? バックから攻めたいということですか?」
「いちいちそういう方向に結びつけるのはやめろ!」
僕は思い出す。セシリアは言葉遣いこそ丁寧だが羞恥心のねじが一本外れているので、言動があけすけなのである。
「私は日本の文化にまだ馴染んでいないのです」
「どうやらそのようだな」
おそらくはまだ魂的共鳴が不完全な段階なのだろう。僕のときもそうだった。始めは異世界の人間であるワルドに『とりつかれた』という感覚だった。あくまで、ワルドは自分とは別の存在。そんな存在が自分の中に突然現れた。そんな感覚だったのだ。
自分と異世界の自分が完全に馴染めばそのあたりの違和感は消え、両世界の経験を一つのものに統合できる。今の僕はバルバニアの魔法と科学の入り混じる社会常識を理解しているし、同時にこの世界の常識にも通暁している。おそらくセシリアはまだその段階まで至っていないのであろう。
そこで僕は気がつく。
つまり、今目の前で話をしている人格はセシリアのものであることは間違いない。だが、この肉体には、もともと別の持ち主。つまり、始めからこの世界に居た魂が存在しているはずである。そいつは今どうなっているんだ?
「おい、セシリア」
「なんでございましょう、旦那さま!」
きらきらと大きな瞳を輝かせて言う。
「おまえのその肉体の持ち主は今どうなっているんだ?」
「肉体……?」
セシリアが呆けたように呟いた瞬間に目まぐるしい変化が発生した。
セシリアは、はっと何かに気がついた様な表情をしたかと思うと、突然、荒い息をし出した。
「はあ、はあ……」
「おい大丈夫か」
「りっかは……なにを……」
セシリアから先程までの能天気な様子は消え、青ざめた顔で、肩で息をしている。明らかにただ事ではない。
「セシリア」
僕の呼びかけに彼女は顔を上げて僕の顔を見た。
すると、青ざめていた顔が、今度は瞬時に真っ赤になった。
「な、な、な、おまえ!」
「な、なんだよ……」
突然豹変したセシリアに僕は気押される。
「おまえ、今朝りっかに抱きついてきた奴じゃないか!」
「はあ!?」
僕はこいつに抱きつかれたのであって、抱きついたわけではない。
そして、『りっか』とはいったい何のことなのか。
「い、いいか。なんかよくわからんが、りっかは最近勝手に身体が動くんだ! だから、今朝も気がついたらおまえに抱きついてた! おまえが何かりっかに悪いことしたんだろ!」
彼女の言葉から少しずつ状況が解ってくる。
おそらく『りっか』というのは、セシリアの本来の肉体の持ち主の名前。『私』とか『僕』のような一人称の代わりに自分のことを『りっか』と呼称しているのだろう。
『身体が勝手に動く』というのは、おそらくセシリアにとりつかれているから。魂的共鳴が馴染んでおらず、なおかつセシリアの方も、この『りっか』という少女に何の説明もしていないのであろう。だから、今朝身体が勝手に動いて抱きついた対象である僕が何かをしたんだと思い込んでいる。
「誤解だ!」
「うっさい! おまえがなんかしたに決まってるのだ!」
『りっか』という少女の態度は頑なだ。セシリアとはえらい違いだ。
「なんでだよ」
そして、彼女は言った。
「おまえが、りっかが、かわいいからなんか悪いことして、りっかを犯そうとしているんだろ!」
「言いがかりだ!」
「エロ同人みたいに!」
「なんとなく言いそうな気がした!」
どうやら、この少女とセシリアの魂が同一のものであることは間違いない様である。発想が一緒である。
そして、『りっか』は半泣きになりながら叫ぶ。
「くそっ! こんなレイプ魔が居る部屋に居られるか! りっかは部屋に戻らせてもらうのだ!」
「それ死亡フラグ!」
そして、『りっか』は足早に僕の目の前から去ろうとする。
だが、僕に対する態度こそ違えど、『りっか』とセシリアが同一の魂を持つ者なら、昔、セシリアがやらかした様なことをやらかすのでは――
そう想像した瞬間――
「きゃっ!」
案の定というのだろうか。
慌てて僕の前から去ろうとした彼女はバランスを崩す。
そして、そのまま前のめりに僕へと突っ込んでくる。
「おい!」
ガン!
「かはっ!」
反応しきれなかった僕のみぞおちに彼女の頭突きが決まっていた。
いったいどんなこけ方をすれば、こんな風に綺麗にみぞおちに決まるというのか。
(セシリアは昔からそういう奴だった……)
一緒に暮らした施設の談話室でもやられたし、共に通った魔法学校の教室で同様。こいつはドジでこけたり、物を破壊したりして、その余波をいつも僕がくらっていた。
(現実はラブコメじゃないから女の子とぶつかったときにエロい体勢になったりはしない……)
これでラブコメのように胸が押し当てられたり、キスしてしまったりするのであれば、まだ役得と言えなくもないかもしれないが、僕に訪れるのは純粋な肉体的ダメージのみである。
僕は見事な頭突きをくらって蹲り、彼女は既に体勢を立て直している。
僕が腹をさすり、涙を流しながら顔を上げると、『りっか』は顔をリンゴよりも真っ赤にさせていて――
「り……りっかは……」
わなわなと震える唇。
彼女はその唇からとんでもない言葉を捻り出した。
「みぞおち強打プレイで犯されたぁ。うわあああああん」
そんなことを言って、滂沱の涙を流して大泣きしている。
「どんなプレイだよ……」
『みぞおち強打プレイ』なる物の愛好者が居たら是非ご一報を頂きたい。そのプレイは行うべきではないということを懇切丁寧に説明させていただこう。
蹲る僕。号泣する『りっか』。茫然と立ち尽くすそよぎ達。
誰かこの場を納めてくれるものの登場を祈ることしか、僕にはできなかった。
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