第46話

「死ぬ気で宿題をするんだ!」

「は、はい!」

 僕はそよぎを必死に宿題に取り組ませる。

 そよぎは基本的に勉学に対するやる気が薄い。学力を伸ばす最上の方法は、本人がやる気になることだ。だが、今まで十六年間まともに勉強してこなかった人間に、いきなりやる気になれ、という方が無理だ。となれば、多少無理矢理でも勉強させるしかない。

(宿題をやる為に、そよぎの家に来たのに、まったく宿題が出来ていなかったとなれば、そよぎの父親に何を言われるか解らない……)

 下手すれば、あのドアノブと同じ様に、僕の首もポキリと折れるだろう。

 至上目的は、宿題をやらせること。だが、僕がそよぎの宿題を代わりにやったり、答えを写させてやったり、といった手段は取れない。

(僕には解る……校長先生は、そういった不正を見分けることができるタイプの教師だ……)

 教師の中には経験から、宿題をやってきたのが本人なのか見分けるスキルを持つ者がいる。校長先生は、確実にそのスキルを持っているタイプの教師だ。その見分ける対象が、自分の娘であるならば、まず騙されるということはないだろう。

 だから、僕はあくまでそよぎ本人にきちんと宿題をやらせなくてはならないのだ。

 とはいえ、単なる根性論で、そよぎが勉強するようになるなら、誰も苦労はしない。僕はきちんと、彼女に『指導』することにする。

「そよぎ、まずは社会科系のプリントから終わらせろ」

「社会?」

「歴史や倫理政経は、基本穴埋め問題だ。テストじゃないんだから、別に教科書を見ながらで構わない。確実に答えを埋めていけ」

 社会科系科目は、一部をのぞいて暗記しているか否かだけが問われる科目だ。確かに暗記は簡単ではない。だが、今の主眼はあくまで宿題を完成させること。ただ、宿題を終わらせるだけなら、そこまで難しいことではない。

「一枚目のプリント完成の目標時間十分だ。スタート!」

「は、はい!」

 とはいえ、だらだらとやっていても仕方がない。僕は時間を細かく区切る指示を出す。

 勉強が出来ない人間の原因の一つは、時間管理が出来ていないことにある。難しい問題にぶつかってしまったとき、そこで何分も手が止まり、結果として、勉強が嫌になり、やめてしまう、という流れだ。だから、プリント一枚毎に細かく時間を区切ることで時間感覚を養わせる。

「わからない問題は飛ばしてもいいから、十分以内に最後の問題まで目を通せ」

「わ。わかった」

 十分後、ほとんど問題は答えが埋まっていた。教科書を見ながらやっているのだから、ある意味当然だ。

「問三は、ここの記述をよく読め」

「……あ、これが答え?」

「そうだ」

 できるだけ、そのまま答えを教えるのではなく、ヒントを与えて少しでも自分に考えさせる。頭を使わずに、ただ機械的に教えられた言葉を写すだけでは、記憶は定着しない。解らないなら解らないなりによく考えるという事が肝要だ。

「よし、次のプリントだ」

 こうして、まず社会系科目の宿題をすべて終わらせた。



 一科目終わるごとに少しだけ休憩時間を挟む。休憩する事自体は悪いことではない。人間の集中力が持つ時間は決まっている。要はメリハリをつけることが大事なのだ。

「次は物理と科学だ」

 次の科目に移る。理科系科目も基本的には社会と同様。暗記の部分は、同じ要領でそよぎ自身に解かせる。

 僕は彼女に社会をやらせている間に、物理、化学のワークに付箋を貼っておいた。

「付箋を貼ってある問題は、思考問題だから、後で僕が解説する」

 理科系科目には、社会と違い、初期段階から記述問題が混ざる。そこは今のそよぎには難しいので、僕が横から教える方針でいくことにする。まずは、自力で解ける問題をやらせることで、最低限の知識を頭の中に入れさせる。

「ええ……?」

 暗記の部分はまだなんとかなった。記述問題に関してはまだ彼女には難しいようだ。

(仕方がないか……)

 今までサボり倒してきたつけがたった一日で返せる方がおかしい。まずは、勉強の姿勢を身につけさせることに注力すべきだろう。

 てんやわんやになりながらも、なんとか理科系科目の宿題を終わらせるのだった。


 問題は、残りの科目だ。

「現代文を解いてみろ」

 漢字のワークや、古文単語については暗記だ。そこら辺は今までと同じやり方でできる。だが、現代文や古典の記述問題についてはそうはいかない。

 そよぎは黙って黙々と評論文を読んでいる。だが、その目や表情を見ていれば、まったく頭に入っていないのは一目瞭然だ。

「そよぎ、現代文を解くときには、鉛筆で本文に線を引くんだ」

「線?」

 そよぎは首をかしげる。

「重要なポイントに線を引くんだよ」

 線を引くことには色々な意味がある。まず、線を引く箇所は本文において、重要な部分だ。問題は、基本的に重要な部分から出される。現代文を解くのに時間が足りない、と言う人間がいるが、そういうやつは大概本文が綺麗なまま残っている。重要な箇所に線を引けている人間は、問題を見ながらそこだけを読み返せばいいのだから、随分と必要時間は短縮される。

「どこが重要かなんてわかんないよ」

「大事なのは対比構造だ」

 僕はそよぎの横に座って、線を引いてやる。

「たとえば、この『スタチュート』と『コモンロー』って単語を見ろ。この言葉の意味は解らなくても、この二つが比べられているということはなんとなくわかるだろ?」

「うーん、確かに」

 本文中に「これに対して」などの記述があれば、それは対比構造を示している可能性が高い。

「だから、これら二つに関して、棒線と波線で線を引きわけるんだ」

 対比構造が問題になる事は非常に多い。それらを棒線と波線で分けて線を引くことで、何と何が対比されているのかを、一目で把握できるようにする。

「それを踏まえて問2を見ろ。ほら、選択肢の②と③以外は対比が説明できていないはずだ」

「えっと……」

 そよぎはまだ理解できないようなので、懇切丁寧に一つ一つの選択肢を精査していく。

「なるほど! ちょっと解ってきたよ……答えは②?」

「その通りだ」

「やった! 解けた!」

 おそらく、そよぎは今まで自力で問題を解けた経験という物がほとんどなかったのだろう。僕にかなりヒントを貰ったとはいえ、問題が解けたことはかなり嬉しかったようだ。

「同じ要領で、この問題はこの『例』の部分を取って――」

 僕は一問一問解説をしながら、そよぎに問題を解かせたのだった。


 だが、本当の問題は残りの科目だった。

 なんだかんだ言っても、そよぎは国語は好きだったようだ。父親は国語教師だし、自身も一応文芸部。国語に関しては比較的とっつきやすい科目だったのだろう。

「英語なんて無理……」

 以前、テスト勉強した時も一番苦労したのが、英語だった。

 そうやら、そよぎは英語そのものにコンプレックスを持っているようだった。

「私、一生日本に居るから英語なんていらないんだけど……」

「おまえは日本に引き籠ってても、外国人は日本にやってくるぞ」

「なら、日本語覚えてから来てよ!」

「おまえの言う事にも一理あるが、そんなことばかりも言ってられん」

 暗記で済む部分は、教科書や辞書を引かせながら、終わらせていく。

「わかんないよ……」

「………………」

 考えて解かねばならない部分は、今までの科目の中でもっとも難航した。たくさんの宿題を一気にやって疲労たまり始めている側面もあるだろうが、やはり、一番の原因は、英語に対する過度の苦手意識だ。

「そよぎ」

「ふえ?」

「英語はとても大切な科目だぞ」

「……なんで?」

「英語が無ければ――」

 僕はそよぎの目を見てはっきりと告げる。

「中二病チックなルビをつけることができない!」

「は! 確かに!」

 そう、英語がなければ、『混沌の破壊者カオスブレイカー』や『昏き闇を穿ちし聖者ライトニングディスアピアー』と言えなくなるのだ!

「だから、英語はきちんと勉強すべきなんだ」

「なるほど……」

 理由は何でもいい。勉強することに意義があると思わせる。その意識の有無だけで勉強効率には雲泥の差がある。

 僕はそよぎを宥めすかしながら英語の宿題をさせるのだった。


(こいつがラスボス……)

 残っている科目。

 そう、数学だ。

「数学なんてそれこそ要らないよ! 算数程度ができれば充分生きていけるよ!」

「42+37は?」

「……え?」

「42+37は?」

「………………」

 5分後

「79……?」

「正解」

「算数程度ができれば充分生きていけるよ!」

「いや、おまえ、算数も怪しいぞ」

 逆に、そよぎが今こうして生きていることが、算数すら出来なくてもなんとか生きていける証明と言えるのかもしれないが。

「おまえは本当は小学生の計算ドリルレベルからやり直すべきだろうけど、そうも言ってられない」

 計算問題は、今後も継続して解かせるとして、今は数学の勉強のやり方を教えるべきだろう。

「こんな記述問題なんて意味不明なんだよ……数字だけ解ればいいじゃん」

「記述式の問題はパターンが決まっている。その基本パターンさえ押さえれば、よほどの難問出ない限りは解ける」

 僕はそよぎの横について、問題に取り組ませる。

「たとえば、この問題。上に書いてある例題と同じ書き出しだ。これを写すくらいはできるだろ?」

「うん……まあ……」

 数学に関しては仕方がない。時間効率も踏まえて、今回は答えを参照するのもやむを得ないだろう。

「いいか。少し考えて解らなければ赤ペンで答えを写してもいい。だが、丸写しはするな」

「どういうこと?」

「答えは一行ずつ写して、その度に考えなおすんだ」

 僕はそよぎに数学問題の取り組み方を説明する。

「たとえば、一行目になんて書くべきか。これは上の例題と同じだから、そのまま写せ」

「うん」

 そよぎは一行目を記述する。

「次にどう書くべきか解るか?」

「……わかんない」

「なら、次は答えを見ていい。ただし、答えを見るのは一行だけ」

 そよぎに答えの下半分を定規で隠させながら、赤ペンで次の一行を写させる。

「次の一行は?」

「……わかんないよ」

「なら、また写せ」

 そうやって、一行ごとに考え直させながら、答えを赤で写させていく。

「あとはただの計算問題だ。これなら頑張れば解けるだろ」

「や、やってみる……」

 記述問題も記述の部分をのぞけば、いつかただの計算問題になる。

「ど、どうかな?」

 自分なりの答えを出したそよぎはおずおずと僕の様子を窺う。

「答えを見てみろ」

 そよぎはそっと、答えをのぞきこむ。

「あってる!」

「できるじゃないか」

 このやり方のポイントは二つある。一つは、丸写しと違い、自分で思考する機会が複数得られること。そよぎの場合は、基礎的学力があまりに不足しているので、結果として答えはほとんど丸写ししたときと同様に真っ赤になっている。だが、ある程度は数学ができる人間ならば、記述問題の一部分だけが赤で写され、残りは自力で解けたという状態になる。丸写し形式であれば前半で躓けば、後半は考えもせずに終わってしまうことになるが、この様に一行ずつ確認していけば、きちんと自分で考える機会が得られる。

 もう一つのポイントは、後で見返したときにどこが解らなかったのか一目瞭然になるという事だ。『ある問題が解らなかった』ではなく『ある問題の○○の部分が解らなかった』という事が解るようになるのだ。こうしておけば、後で復習しやすいし、人に質問するときもやりやすい。その問題の何が解らなかったのかが解るので、指導のポイントを絞りやすいのだ。

「ある程度、答えの写しになるのは仕方ない。でも、一個一個考えながらきちんと問題と向き合うんだ」

「わかった」

 こうして、そよぎは数学の宿題に取り組んでいった。


「お、終わった……」

 すべての宿題が終わったのは、日が完全に落ちてからだった。外は既に真っ暗だ。

 一日で宿題を終えられたのは、そもそも宿題の量が多くなかったためでもある。うちの学園は進学校。そのため、他の学校が夏休みの期間も、特別講習などと称して、登校する機会が多い。だから、実質的な夏休みは三週間もないのだ。その期間の間にやれる程度の課題しか出されていない。だから、必死になれば一日で終わらせることもできたのだ。

「頑張ったじゃないか」

 とはいえ、そよぎの頑張りがなければ、到底達成しえない目標であったことは間違いない。それが今までまったく勉強してこなかったそよぎであれば、尚のことだ。

「幸助くんのおかげだよ」

 疲れを滲ませながらも、微笑むそよぎはとても魅力的だった。

「これで面目躍如かな」

「?」

 そよぎは僕の気苦労を解っていないようだ。

 そのときだった。

 こんこん。

 部屋の扉がノックされる。

「失礼するよ」

 部屋の中に入ってきたのは、校長先生だった。

「なに? お父さん?」

「いや、何。宿題の様子を見せてもらおうと思ってね」

「ふふん。なんと全部終わったよ」

「全部か?」

 校長先生は、いぶかしそうな顔をしている。

 それはそうだろう。今まで一六年間、まともに宿題をやって来なかった娘が宿題を終わらせたというのだから。

 校長先生は、そよぎの宿題、一つ一つに目を通していった。

 その姿を見ながら、僕も緊張で身を固くする。

 そして、校長先生は、低い声で言った。

「なかなかよくできているではないか」

「でしょ」

 そよぎは得意げな表情だ。

 僕はその言葉を聞いて、やっと肩の力を抜く。

「渡辺君が娘に宿題をやらせてくれたのだね」

「は、はい。一応は……」

「いや、よくやらせてくれている。答えを丸写しさせたわけではない。きちんと考えて解答させてある……」

 やはり、校長先生ともなると、ただ答えを丸写しした解答は見分けることができるのだ。

「人に物事を教えるというのは、想像以上に難しいものだ。学力と指導力は別のものだからね。そして、その指導力と生徒にやる気を出させる力というのも、別のものだ」

 校長先生は真剣な表情で話し続ける。

「うちの娘にこれだけの宿題をやらせることが出来たのは、君が確かな指導力を持ち、なおかつ、娘をやる気にさせる何かを持っていたということだ」

「そんな……」

 思いの外に評価され、僕は恐縮することしかできない。

「幸助くんに教えてもらったら、勉強する気になったよ……ちょっとだけだけど」

「うむ」

 そよぎの言葉に頷いて、校長先生はまた僕に向き合う。

「一教師としては、特待生の君には自分の勉学に邁進するように言うべきなのかもしれない。だが、我が儘な話だが、一人の親として、今後も娘に勉強を教えてもらえるなら、これ以上に嬉しいことはない。君の都合がつく限りで構わない。今後も、娘のことをよろしくお願いする」

 そう言って、校長先生は、また深々と頭を下げた。

「い、いえ! 僕にできる範囲でなら是非やらせてもらいます」

 僕はそっと胸を撫で下ろす。そよぎの父親に認められたことは、本当に嬉しかった。

「ふむ。やはり、君を合格させた私の目に曇りはなかったようだよ」

「恐縮です」

「君はすごい。自信を持ちたまえ」

「ありがとうございます」

 そんな賛辞の言葉を受けながら、僕は部屋に置かれた時計に目をやる。もうそれなりに遅い時間帯だ。そろそろお暇させてもらうべきだろう。

「僕はそろそろ……」

 そう言って、僕は帰宅しようとすると――

「え? もう帰っちゃうの?」

 と、そよぎがこんなことを言う。

「あまり、遅くなると迷惑だからな。もう宿題も終わらせたし……」

「ええー。宿題が終わったら、幸助くんと遊べると思ってたのに」

「また、それは明日、学校でな」

「ちぇ……」

 そよぎは拗ねたように言った後だった。

「幸助くんは、私の彼氏としての自覚が足りないよ」

「ちょ……」

 とんでもないことを言ってくれる。

「『彼氏』……?」

 僕は恐る恐る背後に居る校長先生を振り返る。

 そこには鷹揚な表情で僕を見る校長先生の姿がある。

「君たちは付き合っているのかね?」

「……はい」

 僕は覚悟を決めて、正直に返事をする。

「そうか……」

 校長先生は、眉をひそめて、顎鬚をなでながら言った。

「まあ、交際する事自体は構わない。だが、高校生として節度を持った付き合いをするようにな」

「は、はい!」

 良かった……娘との交際は認めん、なんて言われたらどうしようと思っていたのだ。渋い顔をこそしているが、一応は僕たちの交際を認めてくれた。それに、間違いなく、僕たちは不純な行為はしていない。これなら、きっと大丈夫だ。

「では、改めて、娘のことをよろしく頼むよ」

 校長先生はそれだけ言い残して、部屋を出て行った。

「はあ……」

 緊張した。心臓がばくばくと音を立てている。

「生きた心地がしなかったよ……」

「どうして?」

 僕の緊張をまったく解さないそよぎは鈍いとしか言いようがない。だが、結果オーライだ。今日のところは許しておいてやろう。

「まあ、ともかく今日は帰るよ。またな」

「仕方ないなあ。玄関まで送るよ」

 そう言って、僕とそよぎは玄関まで下りていこうとした、そのとき――

 ガシャーン

 何か大きな物が倒れる轟音が邸内に響き渡る。

(まさか……!)

 僕は慌てて階段を下り、音の発生源に目をやる。

 そこには――

「ああ、すまない……」

 先程、ドアノブが壊れた扉が、

「この屋敷も随分と……」

 無残にも横倒しになっていた。

「脆くなっているみたいだよ……」

 その扉は、くの字に折れ曲がっていたのだ。

 まるで、何者かに後のように……!

「なあ、渡辺君……よくよく気をつけて帰りたまえよ……外はもう暗いからね……」

「お邪魔しました!」

 僕は慌てて玄関を飛び出した。

 

 僕たちの交際は、まだまだ前途多難なようである。

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