面白い小説を書きたいです。最近ちらちらコンテストに参加してますが、正直書籍化が目標ではありません。書籍化されるほどの面白い小説を書きたいというのが本音の雲江斬太です。
先日まで書いていた小説が、面白くないので書くのをやめました。なぜ面白くないのでしょうか? おそらくアイディアが駄目だったのでしょう。
少し話が飛びます。
先日短歌のコンテストに参加しまして、で、おそらく同じコンテストに参加している方だと思うのですが、フォローだか❤だかをいただきました。が、後で見たら消えていました。そのフォローだか❤だかが消える前に、その方の作品をのぞきにいきました。
短歌も一瞥させていただきましたが、と同時にその方、創作論も書いておられまして、そちらも閲覧させていただきました。
その創作論の第一が「好きなものを書こう」でした。
あながち間違いではないと思います。カクヨム運営も、好きなものを書こう!みたいなこと言ってました。また、他の創作論でも、好きなものを書くことは推奨されています。
が、現在のぼくはこの考えを否定しています。
「あなたが『好きなもの』を書くんじゃない。読者が『読みたいもの』を書くのだ」
小説を書くことは楽しいです。
それを誰かに読んでもらって、「面白い」といってもらえるのは最高に嬉しいです。その楽しさ嬉しさはぼくもよく知っています。そして、それがカクヨムの正しい使い方でもあるでしょう。
ですがぼくは、その流れは、向いている方向がちがうと最近は思っています。方向と言っても、右とか左とか、北とか南とかではありません。書き手がどちらを向いて書いているかという意味の方向です。
ゲームの話をしましょう。
格闘ゲームでは、初心者は自分のキャラを見ています。ちゃんと動いているか? 敵の攻撃を受けてダウンしてはいないか?
しかし、慣れてくると自キャラなんて見ません。敵キャラを見ています。
こちらの攻撃は当たっているか、相手はどう反撃しようとしているか。
また、レースゲームでは、初心者は外側の壁を見ています。走っていて迫ってくるコーナー。その外側の壁に当たらないよう、必死にブレーキかけてステアリングを切ります。
が、慣れてくると、内側の壁を見るようになります。早く走るためには、めいっぱい内側の壁に寄る必要があるからです。
小説も同じでしょう。
初心者の頃は、別の方向を向いています。が、慣れてくれば逆方向を見なければならない。
カクヨム・ユーザーのプロフィールで、よく見かけるこれ。
「読んでいただけると、泣いて喜びます」
よくわかります。その気持ち。でも、本来は逆ですよね。
「読んでいただく」ではなく、「読ませてあげる」。それだけのものを書かなくてはなりません。
「泣いて喜ぶ」のは、あなたではなく、読者では?
とまあ、そんな流れで、今回書いていた小説が面白くないと判断して中断したのですが、ではどこに原因があったのでしょう。
ぼくは前々回書いた『ピーチ+1』がそこそこ良く書けたので、今回もそれができると思い込んでいました。
が、一度出来たからといって、それがなかなか再現できないのが小説です。いやほんと、これな。前できたのに、今回は出来なかった。それに尽きます。
最近書くことがないし、せっかくノートPCを新しくしたので、つらつらと近況ノートを書いています。
また、つらつら書くかもしれないです。書かないかもしれないです。