父の写真を撮らなければならない。
そう頭をよぎったのは、5年前の大晦日だった。
当時、実家に帰省していた私は、たまたま家族のアルバムの整理を行っていた。私たち2人の娘の写真は山のようにあり、その山に寄り添うように母の朗らかな笑顔が咲いている。しかしながら、父の顔は娘と母の写真の山に埋もれて、なかなか見えてこなかった。
そう、父は昔から、写真を撮る側の人だった。
これは所帯を持ってからの話ではない。学生時代もそんな感じだったと、昔、聞いたような気がする。気の優しい父のことだから、率先して自らシャッター係を務めてきたのであろう。
家族の人生の足音を収めてきたアルバムに、しっかりと父の人生も収めたい。そう思った私は、翌年の正月から、父の姿をカメラで追うことにした。
当初は照れくささからか、
「やっぱりわしが、お前らを撮る。」
とカメラを強引に奪おうとしたり、フレームの中でも不器用な笑みしか浮かべられなかった。
しかしその後、銀婚式を祝った京都、60歳になった記念に家族で旅したエジプトなどでは、人知れず苦労を重ねてきた父らしい、趣ある表情をカメラに向けてくれるようになった。日本の歴史が今も息づく街を歩き、文明の始まりを学び、人類の歴史を知る旅の中で、父は自身のこれまでの人生を、ひとり静かに重ね合わせていたのかもしれない。
今、家族のアルバムをめくると、ささやかな音ではあるが、しっかりと父の人生の足音が聞こえてくる。