初めて小説を書く時、まずは短編を書いたほうがいいとよく聞きます。
『よく』と言うのは主観であって、小説や自作ゲームといった創作物の始め方が綴られたサイトを私個人が『よく』拝見し、そこで目にすることが多いという話です。
小説に限らず創作物は、まず完成させることを第一目標とし、徐々に大きな目標を立ててゆくのがセオリーでありベストであるという風潮があります。創作物に限らず勉強やスポーツにも当てはまることですので、大多数の人間がそう考えているのではないでしょうか。しかし、そう思う一方で、多くの人間が大きな目標から挑み始めてしまうのもまた事実なのです。志が高いと言えば聞こえはよろしいですが、実際には無謀な挑戦と言わざる得ません。無理あるいは無策とでも言うべきでしょうか。
作法を知らず未知の領域に跳び込めば大火傷するのは目に見えています。怪我に耐え得るだけの忍耐力があれば、あるいは苦痛を至上の悦びと感じられる人間であれば、未知の向こう側で既知の領域を創り上げることができるでしょう。しかし、登山初心者がいきなりエベレストを登れないように、高過ぎる壁を前にして挫折してしまう人間が多いことは至極当然のことと言えます。
まずは低い山から『登山』という行為に慣れてゆき、徐々に標高を上げてゆくこと、それが流儀であり基本なのでしょう。それは何を行うにしても同様で、こと創作物に関しては始まりはいつだって一人であり、他人から誘われて始めることがないからこそ、はじめの一歩が肝心なのです。挫ければ、誰も手を差し伸べてくれないのです。自分が勝手に始めて、勝手に挫折しているだけなのですから。
創作という行為を続けてゆくためにはモチベーションの維持が不可欠です。それはユーザーの感想であったり、見返りとしての収入であったり、多岐にわたります。しかし、それらを得るためにはまず完結させることが最優先であり、物語が長引くほどに、完成が遠いほどに、モチベーション獲得の機会が少なくなってゆくのです。
Webという媒体を通して一話ごと投稿する形式であれば、各話ごとに感想を頂けますからそういった事態は避けられるかもしれません。しかし、それが頂けなければどうなるでしょうか。短編であれば、前作の反省を生かし、気分を切り替えてゼロから物語を紡ぎ始められますが、長編であると、どれだけ粗が見つかったとしても収束させなければなりません。自分自身納得できない物語を続けることほど苦痛なことはありません。校閲する人間がおらず、一人で書き続けるWeb小説ならではの苦悩というものです。
そんなものは放り投げて、新たな物語を紡げばよいかもしれませんが、そのような人間はまた同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか。ゼロから切り替えるならば、まず初心に立ち返り、短編から始めるべきでしょう。自身の未熟さを痛感しているならば、尚のこと短編から長編へと徐々にステップアップすることが望ましいのです。
ゆえに、ほとんど短編を書いたことがない私はタチが悪いのでしょう。偉そうに高説を垂れておりますが、長編の途中で粗に気が付き、反省し、しかし終わらせる気概もなく、別の作者として新たな境地で物語を紡ぎ出す……まるで外道。偽者の中の偽者なのです。創作者の風上にも置けません。
私には風下で皆様のゴミを拾い集める姿がお似合いなのでしょう。皆様が納得できずバラバラに引き裂いた紙片を集め、つなぎ合わせて読み漁ることが今の私には必要なのかもしれません。
皆様の破り捨てた短編集を吸収し、私はキメラの如く小説家の化け物に成り果てましょう。私を人間社会から追放するためにも、皆様には是非短編を書いていただき、私の糧としていただきたく存じます。