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脳内に思い描いた物語は神がかっています。

脳内に思い描いた物語は神がかっています。理由は簡単、曖昧な部分が多いからです。

プロットの時点では最高の物語が紡げていることは珍しくありません。詳細が詰め込まれていないからこそ、見せ場だけを切り合わせたプロットは、作者が最も面白いと感じる物語となり得るのです。作者の執筆衝動が凝縮された、純度百パーセントのエゴなのです。

それがどうでしょう、欠片を紡ぎ合わせるほど、つなぎとなった物語はどうにも陳腐でつまらなく感じてきます。本命の引き立て役でしかないからです。誰が脇役を見て喜ぶというのでしょうか。逆張りでもしない限り、主役に目が向くのが物語であり、作者の思惑でもあります。

そうです、つなぎはつなぎとしての役割を果たすだけで、作者自身捨てているのです。だから、つまらないのです。自分でもつまらないと思っているのです。それでも、主役がいるから見逃しているだけに過ぎないのです。見せ場がくれば、平均点が上がると信じているのです。

それがエゴなのです。見せ場までつまらなければ、それはつまらないものなのです。作者がつまらないと感じたものを面白いと感じる方がいるでしょうか。いいえ、いないでしょう。主役は遅れて現れるものでしょうが、脇役の時間稼ぎにも限界があります。早く現れてもらわなければ、容易く斬られてしまいます。相手も手加減しているのです。真打ちの登場を心のどこかで望んでいるのです。

出し惜しみは悪です。待たせて喜ばれるものなんてありません。行列店であろうとも、待たずに済むに越したことはありません。早く出せるなら出せばいいのです。ネタが尽きたならば、そこが物語の終着点になります。物語は天寿を全うしたのです。胸を張って眠らせてあげてください。

登場人物が皆主役の物語なんてありません。それは皆が脇役であることと同義です。欲張ってはならないのです。自分の力量を知るのです。全員の見せ場をつくり続けられるほどの文才があると錯覚してはなりません。ほら、耳を澄ませば天の声が聞こえてきます。

――オマエノ、プロットハ、ツマラナイ。

つなぎ以前の問題でした。私は反面教師のようです。眠らせてください。

――トワニ、ネムレ。

神は私の物語を好いていないようです。先ほどまで絶賛していたのに、神は気まぐれのようです。つなぎを用意する前に神のご機嫌を伺うようにします。

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