https://twitter.com/yoshinokuzu/status/1002009073548644353「文法の誤りなどというものは、文法が発明される以前にはまったくなかった。──F・マウトナー」田中克彦著『ことばと国家』(1981)
結局のところ、書かれた文章というものはそれ自体がひとつの秘技であり、日常から隔絶された聖なる世界を形成していたものと思われる。
それを世俗化していくことにおいて大きな役割を果たしたのではないかと思うのが、物語であると夢想する。
かつてグーテンベルクの機械が、聖書というものを秘技的に聖別された領域から世俗的な空間へ解放したように。
おそらく、書かれた物語は「書く」という秘技的な閉鎖領域をこじ開けて、大衆へと解放したのではないかと思う。
そしてライトノベルは今まさに、神秘性の世俗化という試みを行い続けている。
いわゆる珍妙なジャンルである純文学が、人間を主題化して神秘性を排除しようとするのとは逆に。
ライトノベルは、神秘性を大衆の中へと解き放とうとしている。
そしてそれこそが、文学のもつ本来の役割であったのではないかと思うのだ。