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いくひ誌。【1621~1630】

※日々、何者でもないじぶんに依存していく。


1621:【一休さん】
やばい。なんもしたくない。


1622:【もし】
仮に、もし、いくひしの作品群を見渡して、こんなにつくってもプロになれないのか、と気落ちしてしまう方がいらっしゃっても、そう悲観しなくてもだいじょうぶですよ、と言っておきたいです。いくひしは人並みはずれて運がないだけです。言い方をわるくすれば、人間性が腐っているだけです。三年で長編十作をつくるくらいに物語を編みつづけていれば、そしてプロになろうと行動すれば、まず商業作家としてデビューできます。いくひしが規格外にダメなだけです。安心してください。あなたがいくひしくらい物語を編めば、すくなくともいくひしみたいになることはありません。ちゃんと評価され、お金も稼げます。いくひしを見習うことはオススメしませんが、反面教師としては申し分ないかと思います。だいじょうぶです。あなたはいくひしではありません。じぶんの可能性を信じてあげてください。


1623:【そういうとこやぞ】
SNSが発達したおかげで、売れるモノとそうでないものの答え合わせが図らずも、できてしまえる時代になった。編集者の見る目のアリナシが、浮き彫りになる時代なのだ。編集者という一部の特権階級に見出されなくてはプロになれない時代は終焉を迎えつつある。編集者が編集者としての役割を示すためには、見る目があることを証明しつづけるよりほかはない。バズッたコンテンツ(&著名人)に集まり、稲穂を貪るだけのバグになりさがっては、自ら、見る目がないと言っているようなものだ。発掘し、発見し、発信しないバグに、メディアとしての機能はない(バズッたコンテンツに見向きもしないのも、それはそれでどうかと思うが)。SNSという他企業のサービスを利用し、おんぶに抱っこで、成果を上げている編集者も同様だ。いつまでSNS企業が、じぶんたちの耕した畑で狩りをするアウトローを野放しにしているだろう。ビジネスを目的にした青田刈りが規約違反として明文化されるようになるのは時間の問題だ。SNS企業が、使用料を請求するようになるか、或いは、コンテンツ配給企業と提携するか、もしくは、自社内で新たにそうした部門を開拓するか。いずれにせよ、このままのやり方がつづけられると思っているようでは、見通しが甘いとしか言いようがない。SNSをビジネスに利用できなくなったときのことを考えて行動するくらいのことは、できるビジネスパーソンならすでに何かしらの策を練ったうえで、実践しているいまは時期だろう。フォロワーやいいね!のような評価が、貨幣と同等の役割を果たすようになりつつあるいま、手数料が発生しない現状に疑問を抱くくらいのことはしておいたほうがよい。ATMを利用すれば手数料がかかるのと同様に、SNSを利用してお金のやり取りが行われれば(利益を上げているのならば)、そこに手数料がかかるのは道理である。手数料、というほどハッキリした表現ではないかもしれないが、(企業や個人事業主へ)なにかしらの対価を課せられるようになる可能性はそう低くはない。SNSに依存し、それを武器にした瞬間、それ自体が、大きな足かせになるかもしれない懸念は抱いておいて損はないように思うが、いかがだろうか? (こういう物言いがいけないのでしょうか。人間性が腐っていますか?)


1624:【フリー素材】
電子書籍の表紙をいくひしは、フリー素材を使ってつくった。著作権の切れているゴッホの絵も使っている。とはいえ、フリー素材を提供しているサイトの運営元が、真実に著作権を管理しているとはかぎらないのだ。フリー素材を謳っていても、他者の創作物をかってに使っているだけかもしれない。いくひしの電子書籍の表紙も、じつは誰かの権利を侵害している可能性はゼロではない。はやいところ、じぶんでイチからつくってしまうほうがあとあと問題を抱えずに済みそうだ。絵描きさんに依頼して、絵を描いてもらう計画も立てているけれども、資金のほうがなかなか捻出できない。同人誌を無料で配ったりしているせいだ。去年は250部くらいをタダで配ったので24万円の支出があった(見本誌を含めなければ210部くらいだ)。来年はその倍を配りたいので、その分のお金も貯めなくてはならない。なかなかの無駄を体現しているなぁ、と我ながら思うしだいだ。いちど本格的に編集技術も学びたい。やりたいことがたくさんだけれども、あまり実行に移そうという気にはなれない。できたらいいなぁ、と思っているだけだ。それよりもっとやりたいことがたくさんある。いっそのこと、いくひしのつむいだ物語もフリー素材にしてしまって、好きに本にしていいですよー、としてしまったほうがうまくいくかもしれない。一定以上の利益がでたら、儲けの数パーセントをあとでまとめてくださいな、と利用規約にでも書いておけば、さいあく損をすることはない。となれば、編集技術よりもさきにWEBサイトをつくるほうが優先すべき事柄かもしれない。考えるだけならいくらでも考えられるが、こうした考えを実行に移すことはないのだ。じぶんの計画に他者を巻き込みたくはない。読者がいるだけで充分だ。すこしずつ、できることを増やしていこう。


1625:【ぐだぐだの思考】
前項の1624の記事は、眠くて眠くて仕方がなくて、失神数秒前に並べた文章だ。自意識がすさまじく前面に滲みでている。去年のことなどわざわざ言及しなくてもよいし、他者を巻き込みたくもないもなにも、そもそも誰も関わってはいないのに、まるで誰かが協力してくれるかのような物言いだ。大いに願望が肥大化し、現実を直視できていない文章になっている。確率の問題として、やれること、考えついたことは、取り返しのつかないことでないかぎりは実践してしまうほうが好ましい結果に結びつく。じぶんに言いわけなどせず、目的遂行のためにすべきことをやっていこう。とはいえ、ゲームは縛りがあるほうがおもしろい。じぶんルールからは逸脱せずにいたいものだ。


1626:【対話】
他者との対話がたいせつなのと同じかそれ以上に、じぶんとの対話ができるか否かが、情報社会において欠かせない素養の一つになっていくのではないだろうか。


1627:【何が違うの?】
接待と賄賂って何がちがうの? 同じじゃない?


1628:【接待の是非】
医療系の現場では基本的に(薬品会社関連からの)接待は禁止にされたのではなかった? いくらでも抜け道はあって、接待みたいなことが未だにはびこっているようだけれども。過剰な接待営業が社会福祉の腐敗を招きかねないから禁止されるとの理屈が妥当だとするのなら、過剰な接待営業が市場の正常な流動性を阻害するとして、一般の企業でも制限したほうがよいのでは? だいたいにおいて、なぜ業務時間外の接待が会社の経費で落ちるのだ? 外資系の企業はそこらへん、コンプライアンスがしっかりしていて、日本独自の風習な気もするけれども、どうなんでしょう?


1629:【注釈】
誤解されたくないので注釈を挿しておくと、いくひしがもしビジネスで成果をあげようとしたら、法律に反しないかぎり、あらゆる手段を講じるのに躊躇を覚えることはない。現状、接待営業は法律で禁じられていないのだから、使えるカードは使うのが利口だ。ただしその結果、(技術ではなく)資本に余裕のある企業が市場を独占したり、一部の管理職が会社の金を接待という名の遊びに費やしたり、そのツケを管理職以外の職員の給料から払わされ、結果として会社の儲けが従業員に還元されなくなり、経済の流動性がにぶるのなら、マクロの視点では、利口とは呼べなくなるだろう。じぶんさえよければそれでいい、がビジネスの意味ではないはずだが、現状、じぶんさえよければそれでいい、の風習が社会全体を分厚く覆っているようだ、と見做して、大きな齟齬は生じないのではないか。違うのなら違うほうがいいに決まっている。そうではないですよ、と示してもらいたいものである。


1630:【どんな体勢?】
何を言うかではなく、誰が言うのかでもなく、これからはどんな体勢で言っているのかのほうが大事かもしれない。いくひしはたくさん偉そうなことを好き放題に、なんの根拠もなく憶測で並べ立てているが、たいがいは椅子にふんぞり返って、大きなキャンディをぺろぺろ舐めまわしながら、片足をじぶんの首にかけ、ヨガのポーズをとりつつ、ときおり鼻歌混じりに火を噴いたりして、天井から物音がすればすかさず、なにやつ、と手裏剣に見立てた綿棒を投げつけ、上の階のひとに声なき物申し立てを成し遂げては、うふふ、とご機嫌に、ムツコブラクダの五つ目のコブからとれる油でつくったアイスクリームをなちゅなちゅねぶりながら、こうして笑う子も泣き叫ぶ国際指名手配級のヘン顔を浮かべつつ、こよいも毒にも薬にも劣る、無知蒙昧な戯言をネットの海にしたためるのである。こんなろくでもない体勢でつむがれた言葉なぞに惑わされてはいかんよ。


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参照:いくひ誌。【741~750】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884057596

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