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小学館ライトノベル大賞二次選考落選しておりました。

ダメでしたね。
Twitterでこう、いろいろなことを書くと「またこいつ言ってるよ」って思われるかもしれないのでこちらに。

今回一次を通過した作品は『オーバーデッドと逆葬儀』と言う作品でした。
二次で落ちたと言うことは、まだ『何か足りない』か、根本的に『方向性が違う』か……。余計だと思われる部分をキャラ出しのために書いてしまったなあとかいろいろと考えられることはあるものの、致命的な欠点やらが見えてこないので選評を待つとすることにします。反省はそれから。

それにしても、落ちたあとはもうなにもかもしんどいですね。
胃痛や吐き気からは開放されるんですけれど、すっごくしんどくなります。
でも、しばらくいろいろと思考を巡らせていると「カクコンに出した作品はどうなるかな」と言うところに思いが到ります。
で、「まだ終わってねえ」と起き上がれます。
つまりもしも私が現時点でどこにも送ってない——なにも書けてない状態だったら、立ち上がる気力もなくなっていたと思うんですよ。
怖いなあ。
じゃあまた、カクコン落ちたときのためにも新しく書かなきゃいけねえじゃん。ああしんどいな。

——ぶはははははっ!

生きてるねえ。
生きてんじゃん。私。
数年前の、「夢なんか見てたから指先のささくれにも気付けなかったんだ」と思って現実しか見てなかった自分と比べたら、死ぬほど生きてるわ!!
悔しくて情けなくて、へとへとで、息も上がって、でも——もう一度!!
拳を突き上げる。
自分が自分を諦めたら終わりだ。
自分が自分に期待しなくなったら終わりだ。
「お前なんかプロになれるわけねえだろ」
うるせえ!
知るか!
私はほんの少しの期待だけで立ち上がれるんだ。
自分ならひょっとしたらやれるんじゃあねえかって言う思い込みだけで前向けるんだ。
苦しさやしんどさを生の証に出来る人間なんだ。
どうせ無理だとか言って蓋をしたり、自分に出来ないからって人の失敗を嘲笑っているよりずっとマシ。
傷付け。
悔しがれ。
それが、それらが全部が新しい小説の栄養だ。
上等。
三流上等。
そもそも初めて書いた小説が大賞を受賞してねえ時点で、天才でないのは明らか。
三流でいいんだ。三流は無敵だ。前を行く一流はうしろに居る三流を物理的に追い越せねえが、三流はいつだって追い越せる可能性を持っている。どれだけでも泥水を啜れる。傷付いて、悔しがった人にしか書けない文章は絶対にある。三流の一撃が一流を越えていくことだってあるだろう。その一瞬に賭ける。

それが私だ。私を私たらしめる要素だ。
私は私を諦めない。
私は私に期待する。
だから私は小説を書く。書き続ける。

6件のコメント

  • 電撃や小学館ライトノベルなど最難関の賞に挑戦する詩一さんを本当に尊敬します。
    わたしは「半端者のダンス」を拝読して以来、詩一さんの長編は多分欠かさず拝読させていただいていて、一貫して感じるのは小説という虚構でありエンターテイメントでありながら、「人間の本質」を描こうとしておられることです。
    これはわたしの感覚ですけれども、コロナ以降のわたしたちは、「人間の本質」を描くべきだろうと思うんです。
    いえ、むしろ現実が嫌になる程『あり得ない状態』になってしまっている中、ホンモノや本質を表現しようとしたら、小説がとても有用なメディアだろうと思うんです。
    むしろ、今こそ詩一さんのような姿勢を貫く方の小説が求められる局面に移行した瞬間だろうと思うんです。
    だから、わたしも書きます。
    いつも素晴らしい作品をありがとうございます。
  • 小説を書く人のメリットの一つに、どんな辛いことがあってもそれを糧にすれば小説の質向上に繋がる、という考えがあります。
    今のその気持ちをテーマに作品が出来たら、素晴らしい作品が出来たりして……。
    応援してます!
  • 僕が文芸に触れたのは小学校のクラブ活動で百人一首クラブに入ったからです(自分語り、ごめんなさい)が、和歌の歴史を思い返したとき、詩一さん、いや、ワナビ各人が直面する問題に行き当たります。

    平安貴族にとって和歌は主に手紙でした。自分の思いが相手に伝われば十分。悪く言えば書き捨て。

    多くの和歌集があるように、優れた歌は芸術作品として鑑賞されました。しかし、その水準に達しなくても、別に詠むのを止めろとは言われませんでした。

    しかし詩一さんが、いや、ワナビ各人が挑むのは、手紙ではなくて、出版産業を支える商品を書くこと。

    商品として成り立つ小説。それは手紙とは一線を画します。水準に満たなければ「要らない」と言われる世界。その水準に多くの人がたどり着けない世界。

    商業作品に挑むのは、今さら言いますが、やっぱり大変。報われないかもしれません。僕自身は報われない結末を半分ぐらい予想しています。

    それでも挑む詩一さんの姿勢に、共感より、敬意を覚えます。
  • naka-motooさん
    コメントありがとうございます!

    そうですね。『半端者のダンス』、つまり最初に投稿した長編からずっとお付き合い頂いています。私はいつも手を変え品を変え、でもテーマは譲らずやって来ました。naka-motooさんにそれが伝わっているのがなによりうれしいです。
    コロナは私たちの人間性を暴きましたね。本当は人って言うのは、こんなにも人を傷付けるんだと。無責任なんだと。
    私はコロナになったからどうこうと言うつもりはなくて、実際書いている内容もまるで変わってないのですが、今こそ自分の小説が必要とされているというのなら、これまで以上に頑張らねばなりませんね。
    naka-motooさんも書いてくださるのなら、私は絶対に一人ぼっちにはなりませんね。これからもよろしくお願いします。

    こちらこそ、いつも素晴らしい作品をありがとうございます。
    また、いつも気にかけてくださりありがとうございます。
  • 木沢俊二さん
    コメントありがとうございます!

    >どんな辛いことがあってもそれを糧にすれば小説の質向上に繋がる
    まさにその通りです。
    この熱い気持ちをそのままテーマに……。なんとか作品に出来たら良いなと思います。
    いつも応援ありがとうございます!
    励みになります。
  • 村乃枯草さん
    コメントありがとうございます!

    小学校で!? 早いですね。
    しかも百人一首クラブ……。自分の小学校時代は、一切文章と関係ないことをしていたことを思い出しました。

    >平安貴族にとって和歌は主に手紙
    そうだったんですか。そんなことも知らずに読んでました。

    そうですね。趣味で終わらせることも出来ますけれど、そうしたくないです。
    要らないと言われ続けても、「世界にはこれが要るんだよ!」と言う気持ちを持ち続けて行きたいです。
    報われないって言うのは、多分すべてを諦めたうえで丸っと一年どの賞にも送らなかったときに初めて得る思いだと考えます。
    死ぬまで書いていれば、報われないと思い知る瞬間が訪れないと考えます。
    欺瞞かも知れません。でも綺麗事じゃあない。
    書き続けていれば報われるなんてどこにも保証はないですが、報われなかったと思う瞬間をなくすことならできます。なので、まあ多分80歳寝たきりになっても多分飽きもせず小説を書いて、新人賞に送っているんだと思います。死因は餓死ですね(笑)

    もったいないお言葉。恐縮に思いながらも、しっかりと受け止め、前を向いて書いていきたいと思います。
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