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米高騰は小泉進次郎総理大臣誕生のための作戦だった 小泉農水大臣がJA解体し150兆円を外資に献上する

◇ 米高騰は小泉進次郎総理大臣誕生のための作戦だった 小泉農水大臣がJA解体し150兆円を外資に献上する


第19話 肥満の本当の原因は朝日、ブルーライト、お風呂、ビタミンAに関係してた リンゴ酢ダイエットが効果的
ヨハネの黙示録の四騎士の時代と解毒健康長寿法/シン洗脳社会<マトリックス>/坂崎文明 - カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/16817330661563753934/episodes/16818622175791949245


第20話 米高騰は小泉進次郎総理大臣誕生のための作戦だった 小泉農水大臣がJA解体し150兆円を外資に献上する
ヨハネの黙示録の四騎士の時代と解毒健康長寿法/シン洗脳社会<マトリックス>/坂崎文明 - カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/16817330661563753934/episodes/16818622175792769552


 小泉進次郎農水大臣が米を2000円代に下げる→救世主だ→郵政民営化的な既得権益をぶっこ壊せでJA解体→正義の味方的に農林中金JA共済150兆円外資献上→またワンパターンの嘘に騙され→小泉進次郎総理誕生→台湾有事で戦争突入災害他で→日本人6000万人の未来→中国人大量移民シナリオ?

 おそらく、こういうシナリオになるかと思います。 

 小泉進次郎農水大臣の背後にはジャパンハンドラーCSIS(戦略国際問題研究所)がいて小泉進次郎総理大臣誕生を画策。CSISは信長、秀吉、家康の時代から日本を植民地化する内乱を引き起こしたローマカトリックのイエズス会(日本人奴隷売買)が前身。小泉純一郎総理大臣など歴代総理を作り出す。

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>金子吉友(反DS 歴史研究者)
@ykaneko_x

過去に遡り小泉進次郎を取り囲んでいるジャパンハンドラーを整理するとこのような相関図になります。父親・小泉純一郎が竹中平蔵と郵政民営化を主導し日本の国富を外資に売り渡したように、今度は息子の進次郎が農協を解体し、150兆円の農協マネーを外資に売り渡すという筋書きができあがりましたね。
https://x.com/ykaneko_x/status/1925751598208225545
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 ローマカトリックのイエズス会は当時はポルトガルスペイン派閥が強くて、信長の時代から日本の占領と植民地化を計画していて、高橋裕史著『イエズス会の世界戦略』にイエズス会書簡とかに全部書かれている。

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小西行長

また、ポルトガル人も都市を建設し基地を作るべきであるとし、小西行長が志岐の港を宣教師に提供することは間違いがないとまで記している。もしスペインが基地の取得に失敗したとしても、ポルトガルならば、従来の経緯から容易にそれが可能だとする意見を述べている。


その上で、最後にわが国の領土をスペインとポルトガルにどう分割するかということまで触れている。文中の「下(シモ)」とは九州の事である。


「…日本の分割は次のようにするのが良い。即ちポルトガル人はこの下(例えば上述の志岐または他の適当な港)に基地を得、一方スペイン人の方はヌエバ・エスパーニャに渡ったり、フィリピンを発ったナウ船が寄港したりするのに適した四国または関東といった…地域に基地を置くと良い。…教皇アレクサンデル6世が行なった分割において、その『東方』と『西方』のいずれに日本が属するかについて意見が分かれている。…このような分割が行なわれたのは、両国が協力し合って布教等を行なうためのものであった。まして同一国王のもとにあるなら尚更それは当然のことである。」(同上書 p.154)


ペドロ・デ・ラ・クルスが指摘したような、良港を手に入れて軍事と貿易の拠点として、布教を進めて領土を拡大する手法は、スペインやポルトガルが世界の植民地化を進めてきた常套手段ではなかったか。

彼らが目の敵にしていた豊臣秀吉が死んだのが1598年(慶長3年)で、クルスの書翰はその翌年に記されたものである。侵略する側の視点に立てば、絶好のタイミングでこの書翰が記されたと言って良い。

もし、関ヶ原の戦い以前にスペインがわが国に攻撃を仕掛けたとしたら、果たしてわが国は一枚岩で戦うことが可能であっただろうか。

しばやんの日々
わが国を武力征服しようとしたスペイン宣教師の戦略を阻んだ要因は何か
2015, 03. 03 (Tue) 22:36
https://shibayan1954.blog.fc2.com/blog-entry-376.html
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高橋氏の『イエズス会の世界戦略』にアセンシィオンの報告の一部が引用されている。

「イエズス会のパードレたちはこ町[長崎]を一重、二重もの柵で取り囲み、彼らのカーサの近くに砦を築いた。その砦に彼らは幾門かの大砲を有し、その港[長崎]の入口を守っていた。さらに彼らは一艘のフスタ船を有し、それは幾門かの大砲で武装されていた。…イエズス会のパードレ達は、長崎近辺に有している村落のキリスト教徒たち全員に、三万名の火縄銃兵を整えてやることができた。」(同上書 p.225-226)


このような記述を読むと、イエズス会は来たるべき戦いの為に、多くの武器弾薬を準備し、長崎近隣の信徒達に火縄銃の訓練をさせていたことが明らかである。


高橋氏の著書では江戸時代におけるイエズス会の動きについては何も書かれていないのだが、この様な大量の武器弾薬をもし江戸幕府が分捕っていたらそれなりの記録があるはずなのだが、そのような記録は存在しないようだ。

また、イエズス会による火縄銃の訓練がいつまで続けられたかは想像するしかないが、江戸幕府がキリスト教の弾圧を高めたくらいで彼らが諦めて武器・弾薬ごとポルトガルに持ち帰ることは考えにくい。また、徳川幕府の記録では、島原の乱の乱徒は「三万七千名」と記されているそうだが、アセンシィオンの報告では、キリスト教徒たち「三万名の火縄銃兵」が訓練を続けたようなのだが、この数字が近いのは偶然ではないのではないか。

私の考えだが、この訓練で用いられていた大量の武器は島原か天草か、ポルトガル船など何箇所かに分散して隠されていて、訓練は江戸時代に入ってからも何らかの形で続けられていたのではなかったか。そう考えないと、島原の乱の「一揆勢」が島原藩や唐津藩などの正規軍を一時圧倒したことの説明は困難だと思う。

しばやんの日々
島原の乱の「一揆勢」は、大量の鉄砲と弾薬をどうやって調達したのか
2015, 05. 09 (Sat) 20:43
https://shibayan1954.blog.fc2.com/blog-entry-388.html
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信長→種子島の火縄銃(マスケット銃?)を堺などの刀鍛冶に分解、国産化、大量生産させ(日本の火縄銃の数が世界一で西洋製の物より高性能だった)、連射できない欠点を三段打ちで解消し、日本を当時、世界最大の軍事大国に。
 イエズス会の世界征服戦略に暗雲がw
 そこで、日本国内の信長に敵対する中国、四国、九州にキリシタン大名を誕生させ(武器弾薬供給する対価に、日本人奴隷貿易を要求した)、寺社や将軍家(側近が明智光秀)、天皇家を巻き込んで、本能寺で信長暗殺に成功する。
 イエズス会からは当時、第六天魔王と呼ばれ、魔王と怖れられるw

秀吉→信長の遺志を継ぎ日本統一し、イエズス会の野望を挫くために、キリスト教禁教、日本人奴隷貿易を禁止する。
 朝鮮出兵の目的は小西行長などのキリシタン大名の弱体化だったと思われる。

家康→信長、秀吉の遺志を継ぎ日本統一し鎖国する。
 スペインポルトガルを外し、オランダ貿易に切り替えている。

大久保長安事件(慶長18年(1613年)4月25日)→歴史小説「捨て童子・松平忠輝 」隆慶一郎や「講談 大久保長安」半村良がある。いずれも家康の六男忠輝とキリスト教徒の伊達いろは姫の婚姻により忠輝をキリスト教徒の王とする幕府転覆未遂説有。
 当時、キリスト教徒は30~50万人いて、それが家康の六男忠輝を旗印に、一斉に蜂起すれば大変な内乱になっていた。

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経緯

以下の経緯は『駿府記』『当代記』の記述を元にしている。

武田氏の遺臣から徳川家康に抜擢され、江戸幕府の代官頭として大きな権力を有していた大久保長安は、慶長17年7月頃より中風を患っていたが、翌慶長18年(1613年)4月25日、駿府にて死去した。遺体を甲斐に葬るために、急ぎ葬儀の準備が行われたが、家康より近年の代官所の勘定が滞っていることを理由に、中止が命じられた。5月6日、家康は長安配下の勘定・手代を呼び出し調査した所、過分な私曲を行ったことが発覚した。これに怒った家康は諸国にある長安の財貨を調べることを命じ、19日には長安配下の手代を大名に預けている。

また家康は長安の息子達に長安の代官所の勘定を命じたが、5月17日に「若輩故の能力不足で役目を果たせない」との回答があった。それに対して家康は、命令を遂行できなければ迷惑は各所へ広がるので、長安が支配した佐渡金山や石見銀山は勿論、関東に千石の知行も与えられないとして、彼らを勘当している。なお『中臣祐範記』によれば、長安の嫡男大久保藤十郎は関ヶ原の戦い後に、奈良奉行を務めている。

長安の子、嫡男・藤十郎、次男・外記、三男・青山成国、四男・雲十郎、五男・内膳、他2名の合計7人は、慶長18年(1613年)7月9日、切腹となり大久保長安家は断絶した。また手代は同日、彦坂光正の下に置かれた。長安の財貨は厳しく改められた。諸国よりの金銀は凡そ5,000貫目余、茶道具一式を始めとする金製・銀製各一種類の各種道具も多数没収され、駿府の蔵に収められた。また連座して、成国を養子とした老中青山成重が8月に、石川康長が長安と共謀して知行を隠匿したとして10月に改易された。他に『慶長見聞書』には、5月に堺奉行米津親勝が流罪(翌年切腹)となったのは、長安と結託して私曲を行ったためとある。

慶長18年(1613年)、武田信道・武田信正父子が、大久保長安事件に連座して松平康長に預けられ、後に伊豆大島に寛文3年(1663年)3月まで配流された(『甲斐国志』)。

なお連座ではないが慶長14年に中村忠一が死去、改易された際に、忠一の財産を長安に渡したことが発覚して、10月に徒頭久貝正俊・大納戸弓気多昌吉が叱りを受け、鵜殿重長が改易され、後に切腹させられた。

大久保長安事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E9%95%B7%E5%AE%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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 おそらく、それを服部半蔵などの隠密部隊による内偵で、事前に潰した事件が大久保長安事件であり、資金源である金山奉行の大久保長安の親族や幕府の関係者を皆殺しにした異様な事件だと思われる。
 背後にはポルトガル、スペインの国王などと組んだ伊達政宗がいた。
「捨て童子・松平忠輝 」隆慶一郎も「講談 大久保長安」半村良も筋書きは同じような話であり、歴史をみれば、そういう推理が成り立ってしまう。

島原の乱〔1637年(寛永14年)から1638年(寛永15年)〕→農民一揆ではなくイエズス会の日本征服反乱だった。高橋裕史 『 イエズス会の世界戦略 』という本では、ポルトガルが完全にキリシタン大名の小西行長などを通じて島原に軍港を造り日本征服しようとしていた事が分かる。三万人の兵に鉄砲(ポルトガル製のマスケット火縄銃所持)の訓練をしていた。

 幕府の先鋒隊だった板倉重昌は鉄砲の名手(スナイパー)の三会村金作が放った銃弾の直撃を受け戦死。
 この時点で一揆軍はもうおかしいでしょうw
 何年も前から鉄砲の訓練してたのは明らか。
 もうプロのテロリストです。
 一揆軍にプロの元武士の浪人が多かったのもあるけど。

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「年が明けた寛永15年(1638年)1月1日に総攻撃を命じるが、諸軍の連携を失い、4000人とも伝わる大損害を出す。重昌自身は板倉勢を率いて突撃を敢行し、眉間に一揆勢の鉄砲の名手・三会村金作が放った銃弾の直撃を受け、戦死した」

板倉重昌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89%E9%87%8D%E6%98%8C
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 家康が亡くなったのが元和2年4月17日(1616年6月1日)で、徳川家光の時代になるんだろうけど、慶安の変という、江戸の軍学者の由井正雪の乱(慶安の変)も起こっている。

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慶安の変
計画と露見

そのような情勢下の慶安4年(1651年)4月、徳川家光が48歳で病死し、後を11歳の息子・徳川家綱が継ぐこととなった。新しい将軍がまだ幼く政治的権力に乏しいことを知った正雪は、これを契機として、幕府の転覆と浪人の救済を掲げて行動を開始する。計画では、まず丸橋忠弥が幕府の火薬庫を爆発させて各所に火を放って江戸城を焼き討ちし[1]、これに驚いて江戸城に駆け付けた老中以下の幕閣や旗本など幕府の主要人物たちを鉄砲で討ち取り、家綱を人質に取る。それと同時に正雪が京都の後光明天皇を誘拐して政治の実権を奪い取る手筈であった。

しかし、一味に加わっていた奥村八左衛門の密告により、計画は事前に露見してしまう。慶安4年(1651年)7月23日にまず丸橋忠弥が江戸で捕縛される。その前日である7月22日に既に正雪は江戸を出発しており、計画が露見していることを知らないまま、7月25日駿府に到着した。駿府梅屋町の町年寄梅屋太郎右衛門方に宿泊したが、翌26日の早朝、駿府町奉行所の捕り方に宿を囲まれ、自決を余儀なくされた。その後、7月30日には正雪の死を知った金井半兵衛が大坂で自害、8月10日に丸橋忠弥が磔刑とされ、計画は頓挫した。

慶安の変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E5%AE%89%E3%81%AE%E5%A4%89
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 これはポルトガルは絡んでなさそうですが、イエズス会は明治維新の背後で画策し江戸幕府は転覆し、その後は戦争続きで、ついに日本を米軍が占領する事になります。
 第二次世界大戦も海軍が内通して真珠湾攻撃を強行して、米国を上手く参戦させてる。
 東京の海軍施設が後にフリーメーソンのロッジになり、東京裁判で裁かれたのは陸軍ばかりで、わざと海軍が負けたのは真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦の不可解な行動から容易に推理できるかもねw

 米軍=DS〔ディープステート=CIA=電通など全マスコミ=ジャパンハンドラーCSIS(戦略国際問題研究所)=イエズス会〕であり、日本という国が消滅しかかってるのが今ですね。

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